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『12日の殺人』、未解決事件の深層に挑みフランス映画界を震撼させる

ニューズウィーク日本版 2024年3月14日 19時30分

<ドミニク・モル監督が、複雑な人間関係と心理を巧みに描き出し、セザール賞で6冠に輝いた『12日の殺人』......>

『悪なき殺人』のドミニク・モル監督が'未解決事件'をテーマにした新作『12日の殺人』は、フランスのセザール賞で最優秀作品賞や最優秀監督賞など6冠に輝いた。

原案になったのは、作家/脚本家/ジャーナリストのポーリーヌ・ゲナが、ベルサイユの犯罪捜査班で1年間取材して書き上げた小説「18.3─A Year With the Crime Squad(英題)」。モル監督は、その最後の2章で描かれる事件の捜査にインスパイアされ、独自の視点を盛り込み、本作を作り上げた。

  

未解決事件に挑むグルノーブルの夜の悲劇

その冒頭には、「仏警察が捜査する殺人事件は年間800件以上、だが約20%は未解決、これはそのうちの1件だ」という前置きが挿入される。だが、ある捜査官にとってはそれが特別な事件になり、のめり込むことがある。

2016年10月12日の夜、グルノーブル署では、退職する殺人捜査班の班長の送別会が開かれていた。同じ日の深夜、山間にあるサン=ジャン・ド=モーリエンヌの町で、21歳の女性クララが、友人の家での女子会の帰り道に、何者かに突然ガソリンをかけられ火を放たれた。彼女は翌朝、焼死体で発見される。

すぐに後任の班長ヨアン率いる新たな捜査チームが現場に駆けつける。事件の直前までクララと一緒だった親友ステファニーの証言などから、クララのバイト先で働く彼氏のウェズリー、ボルダリングジムで知り合ったジュール、彼女を燃やしてやるというラップを自作していた元カレのギャビなどが次々と捜査線上に浮かぶが、チームは次第に彼女の奔放ともいえる遍歴に翻弄され、混乱に陥っていく。

捜査の異色コンビによる人間ドラマ

モル監督は、地道な捜査を緻密な構成でリアルに描き出していくが、そのなかでも際立つのが新たに班長となったヨハンと、しばしば彼と行動をともにすることになる年上のマルソーの造形だ。ふたりの関係は、終盤にある大きな区切りまでのドラマのなかで、独特の空気を醸し出していく。

ヨアンがどんな人物なのかは、冒頭の送別会でも垣間見ることができる。退職する班長は明らかに部下たちから慕われている。ヨハンは後任の班長として挨拶するが、それがあまりにそっけなく、もっと喋るよう求められても乾杯の音頭でごまかしてしまう。昇進するくらいだから仕事はできるが、協調性に欠けている。

実際、彼はアパートにひとりで暮らし、同僚や友人と交流があるようには見えない。捜査官としていつも沈着冷静で、時間があるときは、自転車競技場でトラックを何周もして、精神のバランスを保っている。一方、マルソーは、感情豊かで饒舌、内心ではフランス語の教師に憧れているが、転職する気はないらしい。

感情の迷宮事件が露わにする深層心理と葛藤

クララの事件はそんなふたりにとって、それぞれに分岐点となっていく。

ヨアンはクララの自宅を訪ね、母親に娘の死を告げようとした瞬間に、目の前が真っ暗になり硬直してしまう。その直前に目に入ったクララと愛猫の写真と無残な焼死体のギャップに動揺したのかもしれないが、その後は、事件に深くとらわれていく。

マルソーには具体的な事情がある。彼はヨアンに離婚の危機にあることを打ち明ける。詳しくは書かないが、彼が妻を妊娠させられなかったことが原因であり、そのせいで彼は男女関係、特に男性性に対して敏感になっているように見える。

そんなふたりは、捜査線上に浮かんだ男たちの実態に打ちのめされていく。クララの彼氏だと思われたウェズリーには本命の彼女がいた。クララについては、バイト中に親切にしたら、その気になられ、つきまとわれたという。ジュールは、クララにボルダリングを教えただけでなく、セフレだったとあっさり認める。彼は、目の前でマルソーが睨みつけていても、思い出し笑いが止まらなくなる。

  

捜査チームは盗聴も行う。ウェズリーは、電話に出ない本命の彼女の留守電に、クララはどうでもいい女だったというメッセージを残す。ジュールは凝りもせず、別の女の子をボルダリングに誘っている。

そして元カレのギャビが自ら出頭してくる。事件を連想させるようなラップを自作したことが問題になると考えたからだ。チームはまだその情報をつかんでいなかった。そこですぐにYouTubeで確認することもできたが、マルソーはギャビに、その場でビートなしでラップを再現するように命じる。

この場面はある種の伏線になっているともいえる。ヨアンとマルソーはラップにまったく違う反応を示す。ヨアンは微動だにせずギャビを凝視している。マルソーは、「覚悟しろ、クララ、炎に包まれろ、黒焦げにしてやる」といった言葉を聞くのが精一杯であるかのように、目をそらし、途中でやめるように命じ、感情的になって彼を問い詰める。

ヨアンとマルソーはまったく異なるかたちで追い詰められる。すべて内に抱え込んだヨアンは、自己を制御することが難しくなりつつある。密かに捜査資料を持ち帰るほどのめり込み、クララの焼死体や男たちが脳裏に焼き付いて眠ることができない。相変わらず自転車でトラックを周回するものの、心は乱れている。

マルソーは、そんなヨアンをモルモットのようだと表現するが、そこに象徴的な意味を読み取ることもできるだろう。事件が起こった町モーリエンヌは、山々に囲まれた閉ざされた空間であり、自転車競技場のトラックのイメージに重なる。事件にとらわれたヨアンは、閉ざされた空間を虚しく回りつづけているともいえる。

そんな印象を持つのは、単にイメージが重なるからだけでなく、マルソーの行動とも無関係ではないように思えるからだ。捜査線上には、さらに4人目、5人目の人物が浮かび、ギャビのときですら危うかったマルソーは、暴力的な容疑者に感情を抑えられず、暴走して一線を越えてしまう。

その後、町から署に戻る車中でヨアンと激しい口論になったマルソーは、車を降り、一直線に山の方角に向かい、姿を消す。その行動は、閉ざされた輪を突き抜け、去ることを意味しているように見える。

結末への道再捜査が照らし出す未来と和解の可能性

物語はそこで区切りがつけられるが、それにつづく場面も計算されているように思える。消えた男に対して、ひとりの女性が現れ、裁判所に入っていく。彼女は判事で、執務室におけるヨアンとのやりとりで、それが3年後であることがわかる。

判事は事件の再捜査を促す。いまだ事件に取り憑かれているヨアンは、「犯人が見つからないのは、すべての男が犯人だからです。男と女の間にある溝です」と語る。だが、次第に彼女の言葉に動かされ、再捜査に乗り出す。

判事の協力を仰ぎ、新たに女性捜査官も加わった捜査は、男だけの捜査とは明らかに空気が違う。特に印象深いのは、ヨアンが、彼にリンドウの花の写真を送ってきたマルソーのことを、女性捜査官に「友達」と説明することだ。再捜査で変化する彼は、もはや閉ざされた空間を虚しく周回する人間ではなくなっている。

『12日の殺人』2024年3月15日(金)公開
(C)2022 - Haut et Court - Versus Production - Auvergne-Rhone-Alpes Cinema

  


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