<黒人ポップミュージックの女王ビヨンセが打ち破る「カントリーは白人の音楽」という思い込み>
2月11日に行われたアメフトの最大のイベント、スーパーボウル。ビヨンセはそのテレビ中継のCMに出演して新曲の発表をにおわせ、当日のうちに「16キャリッジズ」と「テキサス・ホールデム」の2曲をリリースした。
キャリッジ(馬車)やテキサスという言葉が示唆するとおり、曲調は完全にカントリー。圧倒的な美声(と美貌)を持つ黒人アーティストとして、時にはソウル、時にはR&B、そして時には激しいダンスを伴うポップスを披露してきた女王ビヨンセの新路線に、当初は激しい議論が巻き起こった。
ビヨンセがカントリー調の曲を歌うのはこれが初めてではない。しかし今回の2曲は最も大きな論争を招くと同時に、最も大きなヒットとなった。黒人女性がカントリー部門で全米第1位を獲得したのは、ビヨンセが初めてだ。
ただ、オクラホマ州のKYKCなどカントリー音楽専門のラジオ局は当初、この2曲は「カントリーではない」として放送することを拒否した。
確かに一般にカントリー音楽といえば、政治的には保守で、著しく愛国的で、基本は田舎に住むアメリカ人が愛するジャンルというイメージが強い。それはアーティストとレコード会社、そしてファンを長年にわたり悩ませてきた問題でもある。
筆者は黒人文化とカントリー音楽の研究者として、ビヨンセという超大物アーティストの参入が、この議論に新しい風を吹き込むことを願っている。
ここで最も大きな問題となるのは、ビヨンセが黒人であることではないだろう。それよりも、彼女の曲の「カントリーらしさ」や、ポップスターが別のジャンルの音楽も自然に(そして本物らしく)表現できるかのほうが重要だ。
この課題には多くの先人が取り組んできた。しかも最近は、カントリーのヒットを飛ばす黒人ミュージシャンが増えている。
大きい黒人音楽の影響
カントリーは、第2次大戦前にはヒルビリーと呼ばれ、おおむね白人の音楽と考えられていた。これは成り立ちに由来する側面もある。もともとヒルビリーは、黒人ミュージシャンによる黒人のための「人種音楽」に対峙するジャンルとして1920~40年代に生まれた。
だがカントリーは当初から、黒人音楽のスタイルやパフォーマンスの影響を受けてきた。カーター・ファミリーなど20世紀前半に人気を博したカントリーの大スターたちは、黒人アーティストの曲調やテクニックを取り入れていた。ただ、この頃の黒人カントリーミュージシャンの録音はほとんど残っていない。
例外は、20世紀カントリー界の大御所ジョニー・キャッシュのメンターだったガス・キャノンだろう。黒人バンジョー奏者のキャノンは、20年代にキャノンズ・ジャグ・ストンパーズとしてレコーディングをしており、60年代のニューフォークの時代にも再び人気を集めた。
カントリーでよく使われる楽器には、黒人文化からもたらされたものもある。例えばバンジョーのルーツはアフリカだ。
ビヨンセの「テキサス・ホールデム」も、軽快なバンジョーのイントロが印象的だ。演奏しているのは、グラミー賞も受賞したリアノン・ギデンズ。この人選を見ても、ビヨンセの新曲が正真正銘のカントリーであることは間違いないだろう。
バンジョー奏者として活躍したガス・キャノン MICHAEL OCHS ARCHIVES/GETTY IMAGES
とはいえ、過去の黒人アーティストには苦しみもあった。70年代にカントリーの大ヒットを飛ばしたチャーリー・プライドは、このジャンルで達成したいくつもの「黒人初」に言及されることを嫌い、たまたま黒人として生まれたカントリーミュージシャンとして扱われることを望んだ。
カントリーへの贈り物
2020年に「ブラック・ライク・ミー」の大ヒットを飛ばしたミッキー・ガイトンは、カントリーの聖地であるテネシー州ナッシュビルで、黒人女性として直面した壁を率直に歌っている。
特にこの5年ほどは、カントリーチャートをにぎわせる黒人ミュージシャンが増えている。カントリー・ラップ曲「オールド・タウン・ロード」を大ヒットさせたリル・ナズ・Xがいい例だろう。
一方、白人のカントリーミュージシャンが黒人の作品をカバーした例もある。
ルーク・コームズがカバーした、トレイシー・チャップマンの88年の名曲「ファスト・カー」は昨年、カントリーチャートで第1位を獲得した。これによりチャップマンは黒人女性として初めて、カントリー音楽協会賞の最優秀楽曲賞を受賞した。
2月に開かれたグラミー賞授賞式では、コームズとチャップマンの共演が実現して大きな話題になるとともに、黒人音楽とカントリーの親和性、そして異なるジャンルのミュージシャンによるコラボレーションのパワーを見せつけた。
ビヨンセの熱心なファンのおかげもあり、「テキサス・ホールデム」と「16キャリッジズ」は、総合チャートとカントリーチャートの両方でトップを獲得している。伝統的なカントリーファンの拒絶反応は続くかもしれないが、全米チャートに大きな影響を与えるカントリー専門ラジオ局の幹部たちは、ビヨンセの新曲は「カントリーへのプレゼントだ」と歓迎の姿勢を示している。
ビヨンセの参入によって、カントリーと黒人音楽の融合がより主流になれば、人種のような社会的に構築されたカテゴリーがアートの世界に適用されることの是非について、新たな議論が生まれるかもしれない。それは重大な革命だ。
William Nash, Professor of American Studies and English and American Literatures, Middlebury
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
2月11日に行われたアメフトの最大のイベント、スーパーボウル。ビヨンセはそのテレビ中継のCMに出演して新曲の発表をにおわせ、当日のうちに「16キャリッジズ」と「テキサス・ホールデム」の2曲をリリースした。
キャリッジ(馬車)やテキサスという言葉が示唆するとおり、曲調は完全にカントリー。圧倒的な美声(と美貌)を持つ黒人アーティストとして、時にはソウル、時にはR&B、そして時には激しいダンスを伴うポップスを披露してきた女王ビヨンセの新路線に、当初は激しい議論が巻き起こった。
ビヨンセがカントリー調の曲を歌うのはこれが初めてではない。しかし今回の2曲は最も大きな論争を招くと同時に、最も大きなヒットとなった。黒人女性がカントリー部門で全米第1位を獲得したのは、ビヨンセが初めてだ。
ただ、オクラホマ州のKYKCなどカントリー音楽専門のラジオ局は当初、この2曲は「カントリーではない」として放送することを拒否した。
確かに一般にカントリー音楽といえば、政治的には保守で、著しく愛国的で、基本は田舎に住むアメリカ人が愛するジャンルというイメージが強い。それはアーティストとレコード会社、そしてファンを長年にわたり悩ませてきた問題でもある。
筆者は黒人文化とカントリー音楽の研究者として、ビヨンセという超大物アーティストの参入が、この議論に新しい風を吹き込むことを願っている。
ここで最も大きな問題となるのは、ビヨンセが黒人であることではないだろう。それよりも、彼女の曲の「カントリーらしさ」や、ポップスターが別のジャンルの音楽も自然に(そして本物らしく)表現できるかのほうが重要だ。
この課題には多くの先人が取り組んできた。しかも最近は、カントリーのヒットを飛ばす黒人ミュージシャンが増えている。
大きい黒人音楽の影響
カントリーは、第2次大戦前にはヒルビリーと呼ばれ、おおむね白人の音楽と考えられていた。これは成り立ちに由来する側面もある。もともとヒルビリーは、黒人ミュージシャンによる黒人のための「人種音楽」に対峙するジャンルとして1920~40年代に生まれた。
だがカントリーは当初から、黒人音楽のスタイルやパフォーマンスの影響を受けてきた。カーター・ファミリーなど20世紀前半に人気を博したカントリーの大スターたちは、黒人アーティストの曲調やテクニックを取り入れていた。ただ、この頃の黒人カントリーミュージシャンの録音はほとんど残っていない。
例外は、20世紀カントリー界の大御所ジョニー・キャッシュのメンターだったガス・キャノンだろう。黒人バンジョー奏者のキャノンは、20年代にキャノンズ・ジャグ・ストンパーズとしてレコーディングをしており、60年代のニューフォークの時代にも再び人気を集めた。
カントリーでよく使われる楽器には、黒人文化からもたらされたものもある。例えばバンジョーのルーツはアフリカだ。
ビヨンセの「テキサス・ホールデム」も、軽快なバンジョーのイントロが印象的だ。演奏しているのは、グラミー賞も受賞したリアノン・ギデンズ。この人選を見ても、ビヨンセの新曲が正真正銘のカントリーであることは間違いないだろう。
バンジョー奏者として活躍したガス・キャノン MICHAEL OCHS ARCHIVES/GETTY IMAGES
とはいえ、過去の黒人アーティストには苦しみもあった。70年代にカントリーの大ヒットを飛ばしたチャーリー・プライドは、このジャンルで達成したいくつもの「黒人初」に言及されることを嫌い、たまたま黒人として生まれたカントリーミュージシャンとして扱われることを望んだ。
カントリーへの贈り物
2020年に「ブラック・ライク・ミー」の大ヒットを飛ばしたミッキー・ガイトンは、カントリーの聖地であるテネシー州ナッシュビルで、黒人女性として直面した壁を率直に歌っている。
特にこの5年ほどは、カントリーチャートをにぎわせる黒人ミュージシャンが増えている。カントリー・ラップ曲「オールド・タウン・ロード」を大ヒットさせたリル・ナズ・Xがいい例だろう。
一方、白人のカントリーミュージシャンが黒人の作品をカバーした例もある。
ルーク・コームズがカバーした、トレイシー・チャップマンの88年の名曲「ファスト・カー」は昨年、カントリーチャートで第1位を獲得した。これによりチャップマンは黒人女性として初めて、カントリー音楽協会賞の最優秀楽曲賞を受賞した。
2月に開かれたグラミー賞授賞式では、コームズとチャップマンの共演が実現して大きな話題になるとともに、黒人音楽とカントリーの親和性、そして異なるジャンルのミュージシャンによるコラボレーションのパワーを見せつけた。
ビヨンセの熱心なファンのおかげもあり、「テキサス・ホールデム」と「16キャリッジズ」は、総合チャートとカントリーチャートの両方でトップを獲得している。伝統的なカントリーファンの拒絶反応は続くかもしれないが、全米チャートに大きな影響を与えるカントリー専門ラジオ局の幹部たちは、ビヨンセの新曲は「カントリーへのプレゼントだ」と歓迎の姿勢を示している。
ビヨンセの参入によって、カントリーと黒人音楽の融合がより主流になれば、人種のような社会的に構築されたカテゴリーがアートの世界に適用されることの是非について、新たな議論が生まれるかもしれない。それは重大な革命だ。
William Nash, Professor of American Studies and English and American Literatures, Middlebury
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.