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ミャンマー「解放区」の実像:3年前のクーデターの勢いが衰えた国軍に立ち向かう武装勢力の姿

ニューズウィーク日本版 2024年3月18日 16時43分

<若者たちの抵抗運動の膨大な熱量は国軍を退けて、少数民族武装勢力と国内避難民が新たな街を作る。東部タイ国境に面するカヤー州の現地を歩いた>

一夜明けたら「お尋ね者」になっていた。3年前のことだ。

ミャンマーの著名な政治評論家タータキンは当時、アウンサンスーチーと彼女の率いる国民民主連盟(NLD)の熱烈な支持者として知られていた。

しかし2021年2月1日、国軍がクーデターを起こし、民主的に選ばれたNLD政権を倒して政治家や活動家多数を一斉に検挙した。

タータキンも標的となっていたが、どうにか難を逃れた。

そして同国中部のマグウェ地方を脱出し、南東部にあるカレン民族同盟(KNU)の支配地域に逃れた。

仏教系のビルマ族が多数を占めるこの国にあって、KNUは1940年代から活動する少数民族系の武装組織であり、一貫して民族の自治と連邦制国家への移行を求めている。

連邦制も自治も国内の少数民族が長年にわたって唱えてきた大義であり、今は多数派ビルマ族の多くも支持している。

だからKNUも広く国内の民主化勢力と連帯し、3年前のクーデター後に誕生した各地の抵抗勢力を支援し、初めて武器を取った人たちへの軍事訓練も行っている。

伝統的に、KNUの支配地域は隣国タイと国境を接するカレン州の一部、それも主として山間部に限られていた。

だが3年前のクーデター後には、カレン州の北に位置する東部カヤー州でも軍政に対する激しい抵抗運動が始まった。

そして昨年末の時点では、ついに都市部にまで反政府勢力の支配地域が広がった。

具体的には、カヤー州メーセ郡の全域とデモソ郡の大部分などだ。

国軍に追われたタータキンも、今はカヤー州デモソ郡で暮らす。

「ここは連邦制民主主義の国みたいに思える」と彼は言った。「いろんな立場の人が協力し合い、みんなが反軍革命を支持し、参加している」

避難先のデモソでギターショップを営む反体制派のタータキン PHOTOGRAPH BY ANDREW NACHEMSON PHOTOS FOR FOREIGN POLICY

新旧の少数民族勢力が連携

今のカヤー州で反軍闘争を主導しているのは、3年前のクーデター後に結成されたカレンニー国民防衛隊(KNDF)だ。

1950年代から活動している武装勢力のカレンニー軍や、共産主義のカレンニー民族人民解放戦線(KNPLF)の支援を受けて力を付けてきた。

ちなみにKNPLFは2009年にいったん国軍と手を組んだが、昨年からは反軍政・民主派の勢力に加わり、今はKNUとも連携している。

さらに、全国規模の武装勢力で旧NLD政権の議員らが立ち上げた亡命政府「国民統一政府」に忠誠を誓う国民防衛隊(PDF)も、カヤー州での反軍闘争に加わっている。

町の市場には反軍闘争の戦士たちも買い物に来る PHOTOGRAPH BY ANDREW NACHEMSON PHOTOS FOR FOREIGN POLICY

クーデター前まで、カヤー州では諸派が乱立していた。

古参のカレンニー軍でさえ、他の少数民族系武装勢力に比べれば弱体だった。

だから「クーデター後の抵抗運動の膨大な熱量」を吸収し切れなかったのだろうと、米シンクタンク「国際危機グループ」でミャンマーを担当するリチャード・ホージーはみる。

代わりに台頭したのがKNDFで、大胆な攻撃により支配地域を広げることに成功した。

いささか意外な展開だった、とホージーは言う。

「彼らは目的意識が明確で、州内全域で兵力を動員でき、しかもそこへ他州の反軍勢力も応援に駆け付けた。その相乗効果が出たのだろう」

実際、カヤー州にいる反軍勢力のイデオロギーはさまざまだが、互いに解放区を分け合い、州都ロイコーの攻略戦でも手を結んだ。

昨年11月のことだ。

折しも、その2週間前にはミャンマー北部で主要な少数民族武装勢力3組織が一斉に蜂起して大規模な攻勢に出て、中国との国境の検問所も含めて、支配地域をかなり拡大していた。

カレンニー(現地語で「赤いカレン族」の意)の反軍勢力は現在、あえて幹線道路には出ず、その代わりデモソとシャン州のモービーを結ぶ道路など、一般道の多くを掌握している。

「つまり今の反軍勢力には、これらの道路の通行をいつでも遮断できる能力があり、国軍側にはその能力がないということだ」とホージーは指摘した。

こうした力関係の逆転は全国各地で見られるという。

カヤー州内の解放区には今、タータキンのような反体制派が身を寄せている。また戦闘で住む家を追われた民間人が生活を再建する場ともなっている。

キリスト教徒で20歳の女性エリザベス(ミャンマーの人は一般に姓を持たず名前だけを名乗る)は昨年、激戦地のデモソ郡東部から西部へ逃げてきた。

学業は断念せざるを得なかったが、今は大量の避難民の需要を満たす市場にできた新しい衣料品店で働いている。

「私の村には仕事がなかった」とエリザベスは言う。

「クーデターの前も村で働いていたけれど、小遣い程度の稼ぎにしかならなかった。でも今はまともな給料をもらえている。だから家族も養える」

デモソの市場にできた衣料品店で働くエリザベス PHOTOGRAPH BY ANDREW NACHEMSON PHOTOS FOR FOREIGN POLICY

同じ市場で、25歳の男性ゾースウェイは屋台の床屋を営んでいる。もとはデモソの北部に住んでいたが、クーデター後に国軍の猛攻撃があり、村は完全に破壊された。

「私の家も迫撃砲の直撃を受け、屋根が吹っ飛んだ」と彼は言い、村にあった400軒のうち300軒は破壊され、住めなくなったと付け加えた。

「ここでも物価が上がり続けているから生活は楽じゃない。この仕事でガソリン代や食費は賄えるが、お金がたまるほどじゃない」

生薬ビンロウジ(檳榔子)を売る店で反軍闘争のシンボルである3本指を立てて見せる兵士 PHOTOGRAPH BY ANDREW NACHEMSON PHOTOS FOR FOREIGN POLICY

住民が支援する抵抗運動

しかし今のデモソには強いコミュニティー精神がある。

ゾースウェイは隣の飲料問屋のオーナーから土地を借りているが、地代は余裕のあるときに払えばいいと言われている。

利益をため込まず、収益を反軍闘争に寄付している店も多い。評論家のタータキンは貸本屋とギターの販売店を営んでいるが、生活費として必要な金しか手元に残さず、残りは抵抗組織に寄付している。

貸本屋を始めたのは、もっと崇高な使命感からだ。

「ここの若者はみんな銃を持っていて、戦うことしか考えていないが」とタータキンは言う。

「人が地に足を着けて生きるには信仰と芸術も必要だと思う」

デモソの町から西に延びる幹線道路沿いには酒場や食堂、伝統的な茶店が何十軒も立ち並び、モヒンガ(魚のカレーヌードル)や発酵茶葉のサラダ、揚げたサモサといった定番のミャンマー料理や、もっとローカルな料理も提供している。

ある路傍の店は、反軍闘争の兵士たちに料理や食料を安く提供していることで有名だ。

店主のアーシャはロイコーで喫茶店を営んでいたが、国軍の兵士が自宅に押し入って息子の1人を連れ去った後、21年にロイコーを離れた。

「私には3人の息子がいて、2人はレジスタンスに、もう1人は資金集めの支援団体に入っている。軍は息子がレジスタンスを支援していることを知っていた。奴らは私の家に来て、息子を出せ、さもないと家族全員を射殺するぞと脅した」

アーシャは今、ロイコーに比べたらデモソのほうが安全だと思っているが、それでも故郷は恋しい。

「ここだって完全に安全じゃない。空爆もあるしね」と彼女は言った。

「安全が保証されるなら、すぐにでもロイコーへ帰りたいよ」

それでも避難先のデモソで生計を立てられる人は恵まれている。

新しいビジネスを始めるためのスキルや資本を持たない人にとっては、ここでの生活も厳しい。

状況が一変する可能性も

農家出身のセシリアは、故郷に戻りたくても戻れない。

デモソ東部の実家は空爆と砲撃で破壊されてしまった。

しかも時がたつにつれて、地域社会や国外在住ミャンマー人からの義援金も減ってきたと感じている。

「なんとかして家を建て直し、農園を復活させたい。この戦争が終わったら、一からやり直しだね」

筆者の取材に応じた国内避難民の誰もが、既に2度も3度も避難を重ねている。

KNDFのマルウィ副司令官によると、国軍は州都ロイコー防衛のためにデモソやメーセから兵を引いた。

おかげで今は、こうした地域が反軍勢力の支配下にある。だから今のうちに人々が戻ってきて、農業を再開してくれたらいい、とマルウィは言う。

「革命の火を燃やすのは民衆の底力だから」

今や反軍政の火の手は国内各地で上がっているから、国軍としても全てには対応できず、戦略的な要衝に戦力を集中せざるを得ない。

国際危機センターのホージーによれば、例えばロイコーだ。

州都であり、近くには重要な水力発電所があるし、首都ネピドーからも遠くない。一方、タイと国境を接する山間の町メーセなどの優先順位は低い。

ではデモソの町はどうか?

「デモソの状況は微妙で、どちらへ転んでもおかしくない。今のところは無事だが、ひとたび国軍がロイコーの制圧に成功すれば、次はデモソへ攻め込むかもしれない」とホージーは言う。

だから油断は禁物。

「全てが不安定だ。今の解放区も、いつ取り返されるか分からない」

<本誌2024年3月12日号掲載>

From Foreign Policy Magazine

【現地映像】軍政への少数民族・若者の抵抗戦線



アンドルー・ナチェムソン(タイ在住ジャーナリスト)

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