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他人に嫌われたくない日本人の「和の心」には2つの側面がある...なぜ「戦略的アップデート」が必要なのか

ニューズウィーク日本版 2024年3月27日 11時5分

<内輪づきあいを超え、他者との和を構築できるかが求められるようになってきている。重要な役割を果たす「信頼」をどのように拡げていくのか> 

安心と信頼

私たちは、他人の目を気にしてしまう生き物である。他人からの評価を気にして、まわりの人たちから嫌われないように自身の言動を周囲に合わせようとするのは、ヒトという種に進化的に組み込まれた自然な心性に裏打ちされたものだろう。

いまからさかのぼること四半世紀も前に、嫌われたくない日本人の心性を鋭く分析した一冊の本がある。山岸俊男の『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)である。

山岸は日本人が互いに信頼したり協力したりしあう実状を、信頼ではなく「安心」という語を用いて表現する。

ここでの安心とは、「内輪づきあい」と呼ばれるような既存の人間関係の内部で相互に監視・規制(ときには制裁・排除)しあうことにより、そうした関係から逸脱することが損になる状況をつくりだしたうえで、まわりは自分を裏切ることはないだろうと期待することを意味する。

こうした状況が常につきまとう社会に身を置く限りは、たとえ裏切りそうだと思える人物であったとしても「安心」してつきあうことができるというわけである。

このような内輪づきあいの人間関係から生まれる安心は、内輪の外にいる他者一般に対する「信頼」の欠如と表裏一体である。

山岸の研究知見において特筆すべきは、日本人に特有とされる心のあり方(他者一般に対する信頼の欠如)と日本社会のあり方の動的な関係を、ゲーム理論で言うところの「均衡状態」として捉えている点である。

つまり、人間関係の固定性と閉鎖性が、個々の日本人の一般的信頼の欠如を生み出すことで、ますます固定的・閉鎖的な社会関係が重要視されるようになる。その結果として、内輪の外にいる他者一般に対する信頼の欠如が促されるという循環的なメカニズムが働く。

例えば、ある人が「人を見たら泥棒と思え」という諺のとおりに、とりあえず他人を信頼しないという判断に至るのは、その人が固定的・閉鎖的な人間関係の中に生きるがゆえであると考えられる。

そして、まさにそうした他者一般への不信によって人間関係を閉ざしてしまうと、初対面の他者と新たな関係を積極的に構築する筋合いもなくなり、既存の人間関係の内部で、まわりから嫌われないようにふるまうことに固執するようになる。

『安心社会から信頼社会へ』が上梓されたのはもうずいぶん前のことだが、この本の中に満ちている深い考察がもつ説得力はいまだ健在である。

和の二側面

山岸は、『安心社会から信頼社会へ』の中で、他者一般に対する信頼によって成り立つ、「より開かれた社会」への移行の重要さを説いていた。

四半世紀が立った今、押し寄せるグローバル化の潮流の中で、他者一般を信頼することの意味やメリットを考えることの重要さもますます増してきている。

しかし、日本人の心のあり方はいまだ安心社会に適応したままの状態にあり、多くの日本人は袋小路に迷い込んでいるように筆者には見える。そのため、社会のグローバル化の波にすぐに向き合えないとしても決して不思議ではない。

安心社会に身を置く限りは、既存の人間関係の枠を拡げられないという問題が際立つ。したがって、安心社会のみならず、他者一般との信頼関係も希求しあう信頼社会に適応するための生き方も志向し、そのための心のあり方を併せ持つメリットにも目を向ける必要がある。

そこで筆者は、信頼社会への移行に際して、日本人の「和の心」をアップデートすることが必須であると考えている。

一般に和の心というと、まわりの人たちの気持ちを慮(おもんぱか)る心、いわば「思いやる」心を指すと考えられている。しかし、そうした心とセットにして議論される和のあり方には、弁別すべき二つの側面がある。

一つは、まわりの人たちとの和を新たに構築するという側面であり、もう一つは、すでに存在している和を維持するという側面である。

安心社会に適応するための心の性質を身につけてきた日本人は、前者ではなく後者の意味での和の維持に長けているはずである。

実際に、筆者らが行った国際比較調査の結果によると、世界の人たちと比べて日本人に顕著に示されるのは、まわりの人たちから嫌われるのを避けようとしたり、意見対立を回避しようとしたりするといった和の維持を志向する心のあり方のみである。

このまわりの人たちから嫌われるのを避けようとする心のあり方は、他者一般に対する信頼の欠如や、内輪づきあいの外にいる他者一般に対する寛容性の低さなどとも関係していることがわかっている。

しかし、筆者が強調したいのは、まわりの人たちとの和を主体的・積極的につくろうとするといった和の構築にかかわる心の性質に文化差は示されていないという点である。

和の輪を拡げる

前述した「和の心」のアップデートとは、和の輪を拡げるための心の性質を身につけることを意味する。

内輪づきあいの人間関係の維持に専念し、安心している限りは、和の輪の範囲は拡がらないばかりか、そうした人間関係の内部でまわりから嫌われないような心のあり方に縛られる生き方しかできなくなる。

そうした心のあり方をアップデートし、自ら主体的に和の輪を拡げられるように、内輪の外にいる他者一般に対する信頼や寛容性の水準を高めておく必要がある。

これは、そうしたほうが結果的に多くの機会を得られるという、いわば損得にかかわる話であると割り切って考えてもよい。

日本人の間では、「一度人生のレールから外れるとやり直しがきかない」、あるいは、「失敗するリスクの少ない無難な生き方を選ぶ方が賢明」といった考え方が根強くみられる。

また、失敗をした人物に対する周囲の評価も厳しい。そうした否定的な評価こそが、失敗した当人の這い上がりを難しくさせる。

そのため、社会全体としては、一度失敗したとしても「再挑戦」できる機会を可能な限り多く創出することが不可欠である。

そうした機会が多く創出されはじめれば、人々の志向も自ずと変化し、既存の和を維持することにのみ縛られず、他者一般をまずは信頼すること、そして、自らが選ばれるためのスキルの習得を通した新たな和の構築も促されていく。

既存の人間関係における和の輪を拡げ、他者一般に対する信頼や寛容性の水準を高めた方が戦略的に有利となる、より開かれた社会のあり方への転換はすでにはじまっている。

その意味において、他者から嫌われないような生き方のみに固執する適応価は失われつつある。内輪づきあいを超えた、他者一般との間での和を構築できるかが、日本社会を生きる多くの人々に求められるようになってきている。

『安心社会から信頼社会へ』で語られている他者一般に対する「信頼」は、これからますますその重要な役割を果たすはずだと筆者は考えている。

橋本博文(Hirofumi Hashimoto)
大阪公立大学大学院文学研究科准教授。専門は社会心理学、比較文化心理学。2007年、北海道大学文学部卒業。2012年、同大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、安田女子大学心理学部講師等を経て現職。2015年、アジア社会心理学会三隅賞を受賞。「なぜ日本の若い世代の人たちは他者に援助を求めようとしないのか?」という研究テーマで、サントリー文化財団2013年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。

  『安心社会から信頼社会へ』
   山岸俊男[著]
   中公新書[刊]

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