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10歳のとき、命を懸けた「冷たい社会への復讐」を誓った...泉房穂氏が語る、成功を導く成功を導く「力の源泉」

ニューズウィーク日本版 2024年3月28日 18時36分

<明石市長として「冷たい社会」を実際に変えてきた泉房穂氏の著書『社会の変え方』が、「ビジネス書グランプリ」政治・経済部門賞を受賞>

「冷たい社会を変えたい」という強い覚悟が、実際に社会を変える力となる。NHKなどマスメディアを経験したのち、弁護士資格を取得、周囲の推薦により衆議院議員として活動した泉房穂さんは、2023年まで3期12年、明石市長を務め、「やさしい社会とは何か」を世に問いました。

その軌跡をたどった著書『社会の変え方』(ライツ社)は「読者が選ぶビジネス書グランプリ2024」で政治・経済部門賞を受賞しています。泉さんはどのような思いを重ねて、あきらめずに進み続ける力を得ているのか。受賞記念インタビューの模様をお伝えします。※グロービス経営大学院の教員である嶋田毅さんから泉さんへのインタビューを再構成しています。(※この記事は、本の要約サービス「flier(フライヤー)」からの転載です)

冷たい社会への復讐

──このたびは、受賞おめでとうございます。ご自身の本がビジネスパーソンの方々に選ばれたことについて、ご感想をお聞かせください。

『社会の変え方』
 著者:泉房穂
 出版社:ライツ社
 要約を読む

『社会の変え方』には特に思い入れが強いので、とてもうれしいです。

この本は明石市長としての12年間を終えるにあたっての「卒業論文」であると同時に、「冷たい社会への復讐」を考えてきた、私の生きざまのすべてを込めています。「社会の変え方」というタイトルは明石の出版社・ライツ社さんのほうでつけてくれたもので、本当に良いですよね。帯に入っている「日本の政治をあきらめていたすべての人へ」という言葉も好きです。この本は、あきらめを希望に変える本なんですよ。

その意味でも、ビジネスパーソンをはじめたくさんの方に読んでいただきたいので、ありがたく思います。

──ビジネスパーソンの多くは、会社のなかで自由にやりきれず、政治の閉塞感と似たような感覚を持っているのかもしれません。 本書は幼少期のつらい思い出から始まりますが、そこに、先ほど泉さんがおっしゃられた「冷たい社会への復讐」というキーワードがありました。これまでの人生において、「冷たい社会への復讐」という思いはどう変化していったのでしょうか。

私は今年還暦を迎えますが、同窓会に出席すると「同級生のなかで一番変わっていない」と必ず言われるんです。10歳の少年が立てた「冷たい社会を変えてみせる」という誓いを言い続けてきた人生ですから、そのブレのなさが周囲にも伝わっているのでしょうね。その意味で、思いはずっと変わっていません。

ただ、「冷たい社会」を変えた先にある「やさしい社会」のつくり方はたくさんあります。大学生時代の活動も、NHKや民放でメディアの人間として発信していたことも、社会の理不尽を世に問いたいという思いは同じですが、経験したことはまったく違っています。弁護士として、本当に困っている人に本気で寄り添い、個別救済とは何かを考えました。そこからお声がけいただいて国政に出れば、国会や中央省庁の限界も知ることができた。そういうことが全部つながるかたちで、12年間の明石市長職があった。

職業はいろいろ変わっていますが、職業は私にとって、「冷たい社会を変える」という目的を達成するための山道の選択にすぎません。

──最初からキャリアを意識していたというより、キャリアは目的達成の方法を学ぶためのもので、それらがすべて、明石市長としての実績に結実したのですね。

そういう意味では、私のなかで「人生を一周終えた感覚」に近いかもしれません。やることをやり遂げた、大きな充実感でいっぱいです。冷たい、寄り添ってくれない街を、「重たい荷物を持ちましょうか」とみんなが言える街に変えたくて、本当にそうなりましたから。明石は政策も街の風景も変わったけれど、それ以上に変わったのは人のやさしさ。わずか12年で街が変わったと、市民のみなさんからほんまに言われるんです。本当に困っているときに助け合える、そういう街をつくりたいという思いを、自分は叶えられたと考えています。

──「復讐」は若干強めのことばのように感じたのですが、「冷たい社会に復讐したい」という話は周りの方にも語り続けてきたのですか。

たしかに「復讐」というキーワードは、人にペラペラしゃべるようなものではありません。でも、今回本を書くにあたって自分の気持ちを整理してみたとき、一番しっくりきたのが「復讐」だった。ただ、この場合の「復讐」は人に対するものではなくて、理不尽な制度や社会、世の中に対する怒りを示しています。

子どものときから、友人も、近所の人も、学校の先生も、みんな個人としては決して悪い人ではなかった。それなのに、障害を抱える弟はどうしてこんなに冷たい目で見られるんだろう。うちの親父は一生懸命働いているはずなのに、どうしておかずを食べられないんだろう。がんばっても報われない、障害があるというだけで排除される社会に対する、激しい憤り。それをなんとかしたいという強い思いがエネルギーになっていた。その強さを表すことばが、「復讐」でした。

そうして10歳のときに、自分の一生を捧げる誓いを立てた。冷たい社会を変えるために自分の命をくれてやる、それくらいの半端ない強さだと思っています。

四面楚歌の状況も変えられる

──その思いで実行されたことについて、助けてくれる人もいれば抵抗勢力みたいな方もいましたよね。泉さんは明石市長として、その強い信念で周りを巻き込んでいく力がありましたが、それにはどのような姿勢が反映されていたのでしょうか。

私には政治という場と、市長という立場の2つがありました。政治は利害関係のぶつかるところですから、すべての人が一瞬で「いいよ」となるのは難しい。方針転換に賛同する人も、転換されたくない人もいます。一方、市長は「大統領制」のような世界で、選ばれた者としての権限を行使できるし、トップダウン的なことも可能です。

その状況における私の姿勢をシンプルに表現するなら、「市民とともにやる」ということです。選挙も市民だけで勝ち切る。市長になった後も、市民たちの声を聞き、市民とともに街をつくるということを徹底してきました。

ビジネスの世界でもそういうことはあると思いますが、四面楚歌は覚悟のうえです。選んでくれた市民は味方でも、市長の仕事を取り囲む、職員、議会、マスコミ、国・県の「四面」はまったく味方じゃなかった。それでも、「四面」の外で歌っている市民は私を応援してくれていた。その市民の歌声が「四面」をも変えていったのです。

──市民がバックにいることが、ご自身を支えていた部分は大きかったのでしょうか。

後ろから支えられているというより、横に並んでいる気持ちです。私の場合は、「みなさんよろしく」ではなく、「私たちの街を私たちで変えよう」ですから、私はあくまで市民の一人。市民が撃たれそうになったら、横からそれを遮って「私を撃て」というような。そうして、理不尽な社会から体を張って市民を守る存在が私です。

市民のことを気にかけていれば、溺れかけていることもきちんと見える。だからそうした市民を助ける。助けられた側はその事実がわかっているし、それを見ていた周りの市民も「ありがとう」と言ってくれます。最初は、勝手な市長だ、顔を潰されたと考えていた職員や議会も、市民の声を聞いて徐々に変わっていく。

──市民がうれしがっていることを実感できると、市役所の方も変わるのですね。

そうなんです。政治は結果責任とよく言いますが、政治の結果は当選ではなく市民の笑顔です。それを意識していれば、市民の側も反応していきます。

市民からの「ありがとう」が増えれば、四面楚歌の状況も順々に変わっていく。役所の職員には誇りが出てきます。そうすると、職員の仕事はどんどん市民目線になっていきました。昔は役所に行っても窓口まで行かないと話を聞いてくれないし、部署をたらい回しにされることも日常茶飯事でした。それがいまは、職員が走ってきて「今日はどのような用事ですか」と聞いてくれるし、職員の側から担当を連れてきてくれるようになりました。

議会も、市民が動けば変わります。たとえば、私も思い入れが強い、優生保護法にかんする条例の一件が象徴的です。私が2度、条例案を提出しても、議会でまともに扱ってもらえなかった。すると市民が私に会いに来て、「市長が動くとかえってトラブルになるから、動かないでください、私たちが説得します」と言ってくれた。そうして、市民に説得された議会が賛成に転じて、全国初の条例ができた。あれは市民がつくった条例なんですよ。

マスコミは、私の悪口を聞きたくて駅前インタビューをしても、ほとんど素材が撮れなかったそうです。マイクの前に立ったある市民は、「ごめんねぇ、口が悪くって、あの人育ちも悪いからね、でも一生懸命なだけなんよ、あんまり叩かんでおいてな」と言ったとか。ネガティブキャンペーンをはってはいても、マスコミもずっと街にいたから、そうした市民の反応に気づいて、途中から叩き方を変えた気がしますね。

国だけは最後まで悩ましかったです。

地球儀を見る感覚と徹底した現場目線の両立

──リーダー層に泉さんのような人が増えれば、企業のなかで「無理だ」と思い込んでいるような人でも変われるかもしれませんね。

明石市は100を超える「全国初」を実施していますが、私がすべて考えているのではなくて、途中からはほぼ職員からの発案なんですよ。

市長になった当初、職員側には3つの思い込みがあったので、内容を聞こうともせず「全国初はダメです!」と抵抗していました。上の命令に従う「お上意識」、ほかの街とは違うことをしようとしない「横並び」、過去に倣う「前例主義」の3つです。これに真っ向勝負を挑むのが「全国初」という動きなんです。全国初は、国からの指示もない、隣町とも違う、当然過去にも事例がないものですから。

でも、私がそういう抵抗をよそに実行して、しかもそれが市民にウケると、職員も当たり前のように提案してくるようになりました。たとえば、明石市では、小学校の女子トイレに生理用ナプキンも置いています。それ自体はニュージーランドで始まったことですが、それを知った職員が、「明石市でやってもいいですか」と言いに来たんです。

そんなふうに、ほかでの成功事例を参考にして、明石に合うようにアレンジする。養育費の立替えは、ヨーロッパでは1990年代から、アジアでは韓国が6、7年前に始めています。先に韓国で実現できているなら隣の日本でもできるはず。狭い日本から飛び出して地球儀を見る感覚が必要です。

──それはビジネスパーソンにも役立つ観点ですね。新しいベンチャーを始めるときは特に、世界中の事例を参考にしていいとこ取りをしていくことはよくありますから。

どこかのエリアで一定の成功を収めているものには、ヒントがたくさんありますね。

それと、もう1つ私が意識しているのは、市民、現場の声を聴くこと。コロナ禍では、国の動きをよそに、とにかく街を歩きました。本当に悲鳴のような声をたくさん聞きました。

たとえば、学費を払えなくなった大学生が「コロナ中退」になってしまうという声があったので、明石市が立て替える施策を考えました。最初は50万円を上限とした大学生への学費支援からスタートしましたが、これは失敗しました。50万円では足りなかったんです。すぐに60万円に上げました。理系大学ではそれでも足りなかったので、100万円に変えた。そして、大学生限定だった対象を、専門学校生や大学院生にも広げています。

最初にやったことがハズレた場合は、施策側に市民を従わせるのではなく、現場のニーズに合わせて施策を変える。ニーズとずれたときは、こちらが「ごめんなさい」をします。国はこれが意外とできない。一旦決めたことは「自分たちは間違えていない」という態度になりがちです。それでは失敗してしまう。現場の声を基礎に据えるべきなんです。これはビジネスでも同じでしょう。

可能性への信頼が力につながる

──これからの日本を支えていく若者に何かメッセージはありますか。かれらは生まれたときからデフレ経済で、政治の投票率も思い切り低かった。そうなると、「何をしても結局変わらないよね」というあきらめ感、閉塞感のなかで育ってきたと思います。そういうみなさんが「これなら変えられる」と勇気づけられるようなことばがあれば、ぜひ伺いたいです。

自身の人生を生きる主人公として、どのように生きるかはみなさん次第ですが、少なくとも、時代を言い訳にするのはもったいないと思います。私は「いまの時代は夜明け前だ」といつも言っているんです。夜明け前が最も暗くて寒いけれど、あとは夜明けを迎えるだけ。もうしばらく暗いかもしれませんが、いずれ朝は来ます。そう前向きに捉えて発想を展開していけば、可能性も広がっていくものです。

私は前向きすぎる人間なので、朝起きただけで幸せを感じるんです。「朝だ! 生きてる!」って。この自分を使って今日一日何をしよう。そうして、自分のなかの可能性を信じているんですね。

──グロービスの代表(堀義人さん)も「可能性を信じる」ということばをいつも語っています。グロービスは彼が20代後半〜30代の時期につくった組織ですから。やればできるということは私も強く思います。

まったく同感です。そのことばに補足するなら、「やればできる」だけでは足りなくて、「どうすればできるか」まで考えないといけません。何かを成すなら、願望レベルで止まらず、どういった道を行くのか、何がいるのかきちんと逆算して決断していく。目標が達成できないのは、「こうなればいいな」という抽象的な地点で終わっているから。その違いはとても大きいと思います。

──泉さんは、そうして人生ひと段落ついたということですが、これから先の3、40年で取り組んでいきたいことはありますでしょうか。

今後は、横展開、縦展開、未来展開という3つの展開を考えて発信していきたいです。

まず横展開は、「明石でできた政策はほかの街でもできますよ」ということです。私のやり方を政策面でも選挙面でもほかの地域に応用していって、実現可能であることを証明していきます。

縦展開は、「明石でできたことは国ではもっと簡単にできますよ」ということです。国のほうがお金も使えるし、方法にも広がりがありますから。国民と向き合った政策をとるよう、国を促していきたいです。

最後の未来展開は、私が10歳で将来を誓ったように、いまの子どもたちにも「社会は変えていけるんだ」という実感が持てるようなメッセージを、しっかり伝えていくことです。

この『社会の変え方』は、社会は変えられる、あきらめるなというメッセージを込めた点で、この3つの展開すべてが関係しています。若い世代がこれからを考えるためのヒントにも、ビジネスの世界でがんばっている方の励ましにもなっている本なので、ぜひお読みいただけるとうれしいです。

泉房穂(いずみ ふさほ)

1963年、兵庫県明石市生まれ。東京大学教育学部卒業。NHKディレクター、弁護士を経て、2003年に衆議院議員となり、犯罪被害者等基本法や高齢者虐待防止法などの立法化を担当。2011年に明石市長に就任。特に少子化対策に力を入れた街づくりを行う。2023年4月、任期満了に伴い退任。主な著書に『社会の変え方』(ライツ社)、『子どものまちのつくり方』(明石書店)ほか。

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flier編集部

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