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日本で車椅子利用者バッシングや悪質クレーマー呼ばわりがなくならない理由

ニューズウィーク日本版 2024年3月27日 14時24分

<バリアフリーを要求する車椅子利用者を「わがまま」と非難する背景には、障害者を助けるのは「善意」からなので、それ以上を求めるべきではないという考え方がある。だが今は、その考え方にパラダイムシフトが求められている>

3月15日、「車椅子インフルエンサー」として活動している中嶋涼子氏が、イオンシネマで映画館スタッフの介助を得て映画を観たところ、観賞後、責任者に今後の利用を断られ、悔しかったことをSNSに投稿した。イオンシネマは翌日、従業員の不適切な対応についてホームページ上で謝罪した。ところがその後、SNSでは中嶋涼子氏に対するバッシングが巻き起こった。

近年、事業者のバリアフリー対応について公然と批判する障害者は、世間からの謂れのない攻撃に晒されている。4月からは障害者差別解消法に基づいて、障害者に対する「合理的配慮の提供」が義務化される。社会で進んでいくバリアフリー政策と、人々の意識のギャップが大きく開いていることについて、懸念すべきではないだろうか。

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中嶋涼子氏が告発したイオンシネマの対応

3月15日、中嶋氏は通常よりも高価なプレミアムシートに座ることができる「グランシアター」の席を購入して映画を鑑賞した。「グランシアター」には車椅子用の席はなく、購入した席までは段差があったため、車椅子利用者の中嶋氏は映画館のスタッフに移動を手伝ってもらったという。こうした対応はこれまでも何度か行われてきたようだが、観賞後に中嶋氏は、「支配人みたいな人」に「この劇場はご覧の通り段差があって危なくて、お手伝いできるスタッフもそこまで時間があるわけではないので」と今後の利用を断られた。これまで何度もスタッフの手伝いにより問題なく映画を鑑賞できていた中嶋氏はそのことを伝えたが、対応が変わることはなかったという。

中嶋氏は「なんかすごく悔しくて悲しくてトイレで泣いた」「なんでいきなりダメになるんだろう! 悲しさを通り越して今は行き場のない怒りに変わってきた」と書き込み、このポストに対して様々な反応が生じた。イオンシネマは3月16日、ホームページにて謝罪し、「従業員へのお客さま対応の教育再徹底と再発防止策を講じると共に、設備の改善を進め、お客さまの信頼回復に努めて参ります」と表明した。

SNSで発生した「ものを言う障害者」はバッシング対象に

しかしイオンシネマの謝罪をもって事態は終息しなかった。SNSでは中嶋氏に対する苛烈なバッシングが続いている。「車椅子用の席がある映画館に行けばよかった」「車椅子用の席がないグランシアターで鑑賞したいというのはワガママ」「映画館のスタッフがかわいそうだ」「事故が起きたらどうするんだ」「介助してもらっている立場なのに偉そうだ」「感謝の気持ちがない」など、様々な批判コメントが寄せられた。

2021年には、やはり車椅子利用者でコラムニストの伊是名夏子氏が無人駅での車椅子対応をJRに拒否されたという趣旨のブログを投稿したところ、やはり同様のバッシングにあっている。無人駅にスタッフを派遣しての車椅子対応は「グランシアター」と同じく「過剰な」バリアフリーの要請であり、こうした障害者は「クレーマー」だというのだ。

このような批判が行われる背景には、近年「カスタマーハラスメント」と呼ばれる消費者の過剰なクレームが問題視され、東京都が「カスハラ防止条例」の制定を目指すなどの動きが生じていることが挙げられる。しかし障害者の事業者に対するバリアフリーの要求は、過剰なクレームと同一視されるべきではない。

 

障害の「個人モデル」と「社会モデル」の違い

映画館のプレミアムシートや無人駅といった健常者が普通に利用できる施設を、障害者も普通に利用できるようにするべきだという要求が障害者のワガママにみえてしまうのはなぜか。それは、そうした人々にとって障害者とは、健常者に負担をかける存在であり、健常者が障害者を助けるのは健常者の「善意」に基づいていると考えられているからだろう。従って障害者は謙虚であるべきであり、常に感謝を忘れてはならない。健常者が障害者対応は不可能だと述べたときは大人しく従うべきだ、ということになる。

このような思考の前提となる、障害者が様々なことを自分でできないのは障害者自身がもつ「障害」のせいであるという考え方を、障害の「個人モデル」という。しかし、実際にこの社会で進められている障害者政策、たとえば障害者差別解消法は、障害の「個人モデル」ではなく「社会モデル」に基づいている。なおイオンシネマがこの問題に迅速に対応し、謝罪と再発防止、設備の改善に言及したのは、この障害者差別解消法によって、4月から事業者に対して障碍者への「合理的配慮」が義務化されるからでもあるだろう。

障害の「社会モデル」の考えでは、たとえば二足歩行者か車椅子利用者かといった身体的な特徴の違いに優劣はないとされる。ではなぜ車椅子利用者は二足歩行者に比べて可能なことが制約されているのか。それは、社会が二足歩行者を前提としてつくられているからだ。二足歩行者のためにつくられた狭い入り口や通路、段差が車椅子利用者の「障害」となって立ちはだかるのだ。

現在の社会は健常者を基準につくられている。そのせいで障害者に負担をかけているので、社会の様々な場所にある「障害(バリア)」を取り除く「バリアフリー」を行わなければならない。これが「社会モデル」の考え方となる。

障害の「社会モデル」への無理解

障害の「社会モデル」の考え方に基づけば、事業者にバリアフリーを要求する障害者を、悪質なクレーマーと同一視してはいけないことがわかる。たとえその当事者の性格が好ましいものではないとしても、段差のような、障害者にとっての障害を設けた責任は事業者の側にあるのは事実であり、事業者はその解消に取り組む必要がある。もちろん文句を言ったとして、直ちに解消できるような障害ばかりではないのは事実だ。しかし少なくとも、中嶋氏がされたような門前払いが許されることにはならない。たとえば車椅子対応を可能にするためのスタッフ研修やマニュアルづくり、あるいはポータブルスロープの導入などは検討されてよいはずだ。

問題なのは、内閣府の『障害者白書』をはじめとして、日本のバリアフリー政策が障害の「社会モデル」の採用のもとに進められているにもかかわらず、社会における一般的な認識では、いまだ障害の「個人モデル」が中心になっていることだろう。障害者の「社会モデル」から「個人モデル」への転換は、障害の問題についての大きなパラダイムシフトだ。政府の担当者や当事者だけではなく、事業者やその他の健常者も含めてこれが共有されていなければ、様々な軋轢を起こしかねない。国はいっそうの情報発信につとめるとともに、頻発する障害者バッシングへの対応も検討する必要があるだろう。



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