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治療用ヘッドセットも実用化間近...「40ヘルツの光や音」がアルツハイマー病の進行を遅らせる可能性と、そのメカニズム

ニューズウィーク日本版 2024年4月1日 21時50分

<人類はアルツハイマー病を克服できるようになる? 米MITの蔡立慧博士を中心とする研究チームが、アルツハイマー病の病態モデルのマウスを使った実験で、40ヘルツの光や音によって脳内にアミロイドβがたまりにくくなるメカニズムを解明したと発表>

アルツハイマー病は認知症の原因となる代表的な疾患です。アメリカの健康指標評価機構(Institute for Health Metrics and Evaluation)の研究では、世界の患者数は2019年時点で約5700万人と概算されており、50年には約1億5300万人になると予測されています。

認知機能障害になる原因は未だに完全には解明されていませんが、「アミロイド仮説」が有力視されています。これは、発症の約20年前から脳の細胞外に異常タンパク質であるアミロイドβがたまりはじめ、それがきっかけとなって神経細胞内に別の異常タンパク質であるリン酸化タウが塊を作って神経原線維変化を起こし、脳が萎縮するというものです。

発症すると病状は徐々に進行し、現時点では根治治療は不可能とされています。そこで、進行スピードをできるだけ遅くしてクオリティ・オブ・ライフを維持することが治療目的となっています。

近年は新薬の研究開発が世界中で精力的に進められており、日本でも23年12月に、アミロイドβを除去することで初期のアルツハイマー病の進行を遅らせる効果が期待される治療薬「レカネマブ」が保険承認されました。ただし、体重50キロの人で年間298万円になる薬価や、中程度以上に進行した人への効果が確認されていないなど、課題も残っています。

アメリカのマサチューセッツ工科大(MIT)の蔡立慧博士を中心とする研究チームは、アルツハイマー病の病態モデルのマウスの脳を40ヘルツ(1秒間に40回)周期の光や音で刺激すると、脳内にアミロイドβがたまりにくくなるメカニズムを解明したと発表しました。研究成果は総合科学学術誌「Nature」(2月28日付)に掲載されました。

光や音でレカネマブと同様の効果が得られれば、服薬よりもはるかに安価でアルツハイマー病の進行を抑制できる可能性があります。40ヘルツという数値には、どのような謎とメカニズムが隠されるのでしょうか。概観してみましょう。

アルツハイマー治療薬の歴史

アルツハイマー病は、アミロイドβとリン酸化タウが蓄積しても症状のない「プレクリニカル期」、物忘れなどの症状が出始める「軽度認知障害(MCI)」を経て発症します。発症すると改善は難しく、軽度から中度、重度へと進んでいくにつれ、日常生活に支障をきたすようになります。

症例は1906年にドイツの精神科医アロイス・アルツハイマーによって初めて報告されましたが、治療薬の歴史は浅く、世界初のアルツハイマー治療薬「ドネペジル」は1996年にアメリカ、99年に日本で承認されました。その後、日本では2011年にガランタミン、リバスチグミン、メマンチンが承認され、長らく「4剤時代」が続きました。

ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミンは「コリンエステラーゼ阻害薬」で、神経伝達物質であるアセチルコリンの分解を抑えて脳内の神経伝達物質を増やし、記憶障害などの進行を遅らせる効果が期待されます。一方、メマンチンはアルツハイマー病に関与しているとされるグルタミン酸神経系の機能異常を抑制します。

ただし、これらの治療薬は、病気の直接的な原因であるアミロイドβやリン酸化タウの増殖を抑えるものではないので、効果は限られていました。

アルツハイマー病の原因であるアミロイドβの蓄積の抑制に直接効くとされる薬は、21年に初めてアメリカで承認されます。「アデュカヌマブ」という名称のこの薬は、アミロイドβに結合する特徴を持ち、除去を促進します。

ただし効果に疑問の声も上がっており、日本では審議が続いているものの、後発で同様の効果を持つ「レカヌマブ」が先に承認されました。両者には、アミロイドβが凝集される過程の中間段階の物質に結合するのがレカヌマブ、より最終段階に近い物質に結合するのがアデュカヌマブという違いがあります。

脳内のリンパ系の流れがよくなり、アミロイドβの蓄積を抑制

今回、蔡博士らの研究チームは、遺伝子改変してアミロイドβを蓄積しやすくしたマウスに40ヘルツ周期の光や音の刺激を与えると、脳内のリンパ系の流れがよくなるためアミロイドβの蓄積が抑制されるというメカニズムを解明しました。

アミロイドβは、健康な人の脳内でも作成され、通常は短時間で分解され排出されます。しかし、アミロイドβ同士がくっついて凝集すると脳内に蓄積され、神経細胞の損傷や脳の萎縮に関与すると考えられています。

もともと蔡博士らは、16年に「アルツハイマー病のモデルマウスに40ヘルツ周期の光(1秒間に40回の周期で点滅する光)を1日1時間当てると、視覚野でガンマ波が発生して、アミロイドβが著しく減少する」ことを発見し、「Nature」に発表しました。様々な周期の光でも試しましたが、他の周期やランダムな光の点滅では脳のアミロイドβの蓄積量への影響は見られませんでした。

さらに19年には、アルツハイマー病のモデルマウスに40ヘルツ周期の音刺激を与えると、聴覚野と海馬(脳で記憶を司る部位)でガンマ波が発生し、蓄積したアミロイドβタンパク質が有意に減少したことを「Cell」誌に報告しています。音の場合も、40ヘルツ周期のときのみ認知機能障害の改善がみられ、脳内のごみを取り除く作用を持つグリア細胞の数や血管新生が増えたといいます。

研究チームが「40ヘルツ」に注目した理由は、記憶を作ったり、記憶を呼び起こしたりするときに現れる脳波が40ヘルツだからとのことです。しかも、以前から視覚や聴覚をある周波数で刺激すると、同じ周波数の脳波が発生することが知られていたため、外部刺激から脳波を誘発するアイディアをアルツハイマー病モデルマウスで実施することにしました。

今回の実験では、40ヘルツ周期の光や音の刺激でアミロイドβが減少することは先行研究からの予想どおりでしたが、新たに①脳脊髄液が増え、②光や音の刺激で視覚野や聴覚野近辺の血管の脈動が活発になることで、脳内のゴミであるアミロイドβの脳外への排出が促進されることが分かりました。

これまでは「40ヘルツ周期の光や音は、免疫細胞の機能を向上させることでアミロイドβの蓄積を抑制する」という説もありましたが、老廃物排出システムの活発化によるというメカニズムが解明しました。本研究では、リンパ液の流れを増大させる引き金として介在ニューロンから放出される血管作動性腸管ペプチドが関与している可能性も示唆しています。

光と音でアルツハイマー病を治療するヘッドセット

40ヘルツ周期の光や音の刺激を受けるだけでアミロイドβが減少するなら、今からアルツハイマー病予防として毎日一定時間浴びたい、と考える人は多いでしょう。

実は蔡博士らは16年に「Cognito Therapeutics」という医療スタートアップ企業を立ち上げています。光と音で非侵襲的にアルツハイマー病を治療する目的のヘッドセットを開発し、21年にはFDA(アメリカ食品医薬品局)から「ブレークスルーデバイス」の認定を受けています。

現在は、マウスでの良好な試験結果を受けてヒトでの臨床試験に進んでおり、22年に第2フェーズとして76名を対象とした6カ月の試験で優れた成果を上げました。今後、第3フェーズとして500人、1年規模の試験とともに、軽度のアルツハイマー病患者を対象とした試験も進める予定です。

果たして人類は、光や音でアルツハイマー病を克服できるでしょうか。今後の進捗に非常に期待が持てる研究ですね。

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