木村 幹(神戸大学大学院教授)<少子化の原因とされる若年層の生活不安はデータ上存在しない。ただ、国家が成熟して目標を失い、「漠然とした不安」が活力を奪っているのだ>
今から30年以上も前のことである。人生初の留学で暮らしたソウルの下宿には女主人がいて、日本にも行ったことがあるという。「印象はどうでしたか?」。そう尋ねた筆者に、彼女は不思議そうに言った。「日本にはね、街に子供がいないのよ」
言われるまで気付かなかったが、確かに当時のソウルには至る所に子供がいた。当時の子供たちが生まれた1980年代初頭の韓国の合計特殊出生率は2.0を超えており、逆に日本は1.7前後の数字で推移していた。
その差がそのまま街にいる子供の数となって表れていた。
しかし、今、ソウルの街に子供はいない。2000年代初頭に日本を下回った韓国の合計特殊出生率はその後も下がり続け、18年にはついに1.0を割り込んだ。そして昨年の数字は0.72。
数値としては異なるデータを使っている国連統計でも韓国の数字は主権国家中、最下位になっている。
この原因としてよく指摘されるのが、若年層をめぐる生活不安である。韓国では若年層の失業率が高く、雇用における非正規雇用の割合も多い。
このような状況では婚姻年齢も上がらざるを得ず、その結果、結婚を諦める人たちも増えている。今の韓国は結婚して子供を育てられるような国ではなく、だから少子化が進むのは当然なのだ、と。
しかし、実際はそれほど単純ではない。
なぜなら他国と比べて、韓国の若年層が置かれた現在の状況が極端に悪いとは言えないからだ。OECDの統計によれば、23年の韓国の失業率は2.7%。
OECD諸国の中で日本、チェコに次いで3番目に低い。若年層に当たる15~24歳の失業率はこれより高い7.4%だが、この数字も38カ国中7番目に低い。
ちなみにアメリカは10.1%、フランスは18.5%、イタリアに至っては25.4%。今日の世界で、若年層の失業率が全体より高く出るのは多くの国で見られる現象なのだ。
目標だった先進国になった後
労働条件も同様である。同じOECDのデータで、21年の韓国における高校以上の学歴を持つ24~34歳の人々のうち、パートタイムあるいは年次契約で働く人の割合は世代人口の5%。
同年齢の労働人口に対しても7%にしかならないから、これも大きな数字だとは言えない。
給与面もことさらに悪いとは言えない。働き盛りの25~55歳の賃金に対する15~24歳の賃金の割合は、22年で40.4%。この数字もOECD諸国で上位に位置している。
国全体の格差を示すジニ係数は22年で0.324。日本とほぼ同程度であり、米英と比べるとかなり良い。
加えて、彼らの雇用をめぐる状況は、近年急速に改善されている。韓国における15~29歳の失業率は、17年の9.8%をピークに低下し、23年には5.9%になった。
背景に存在するのは、朝鮮戦争が休戦した1953年から60年代前半までの、ベビーブーマー世代の一斉退職である。日本における90年代後半から00年前半の就職氷河期世代の就職難が、その後の団塊の世代の退職で一掃されたのと同じ現象だ。
こうして見ると、韓国の若年層をめぐる状況は決して悲観的ではない。とはいえ同時に、肝心の韓国の若い人々自身が将来に積極的な展望を見いだせないでいるのも、世論調査などから明らかだ。
かつてとは異なり、就職先はそれなりにあり、労働条件も徐々に改善されている。彼らはどうして強い不安を感じているのか。
重要なのは、「今」の状況よりも、彼らが有する「未来」への展望が悪化していることだろう。民主化と経済成長の結果、韓国は豊かで平和な社会になった。
だからこそ、他国と比べても、今の彼らの生活に関わる数字は遜色がない。しかし、それは彼らの未来が保証されていることを意味しない。以前の韓国の人々にとって、目指すべきは先を進む先進国の姿であり、それこそが彼らの目標だった。
しかし、自らがその先進国の1つとなった今、彼らは目指すべきモデルを見失っている。
高度成長が続いた時代、人々は今の生活が苦しくても、未来の生活に希望を見いだすことができた。明日は今日よりも良くなるに違いない、そういう期待を当たり前に持つことができたからだ。
しかし、現在の若年層はそうではない。経済成長の鈍化は将来に対する期待を暗いものとさせ、彼らは未来への積極的な投資を躊躇することとなる。それこそが、彼らが結婚を先延ばしにし、子供を持つことを拒む方向へと導く。
こうして生まれる少子化現象は、結果として韓国の人々の未来に対する不安をさらに加速させる。人口減少が続けば、韓国経済は縮小し、その未来像はさらに暗いものになる。
未来に対する希望の消滅が少子化をもたらし、少子化がさらに未来への展望を暗いものとさせる。韓国社会はこうした負のスパイラルに入りつつあるように見える。
富裕層への嫉妬心が生む不安
もう1つ重要なことがある。それはインターネットを通じて進む情報の可視化が、これまで多くの人々には直接見ることができなかった富裕層の存在を人々に強く印象付けていることだ。
そして若年層において進む高学歴化は、彼ら富裕層に対する人々の考え方を大きく変える。かつての韓国では、豊かな家に生まれ、海外で高等教育を受けた彼らは特別な存在であり、だから人々は憧憬を持って彼らに接した。
しかし、現在の豊かで高学歴の若年層にとって富裕層はもはや特別な存在ではなく、社会の不公正さの象徴となっている。
こうして社会に羨望と嫉妬が渦巻き、人々は未来に対する大きな不安感にさらされる。そのありさまは、あたかも1人の希望に満ちた若者が、年老いて将来におののく姿とよく似ている。
若い頃には目標があり、成長の伸びしろもあるから、人々は貧しくても夢を持つことができる。
しかし、功成り名を遂げた老人は、それまでの蓄積により豊かな生活を送ることができるものの、既に成長の伸びしろを失っており、将来に明るい展望を持つことは難しい。将来へのおののきは心の不安を呼び、時に裕福な老人の今を破綻させる。
彼らにとって重要なのは、今の状況以上に社会の未来に対する明るい展望をいかにして取り戻すか、である。
少子高齢化と人口減少が社会の老いであるとするなら、韓国の人々はこの中からいかなる将来への希望を見いだすのだろうか。同じく老いゆく社会に生きる者として、その姿はわれわれの合わせ鏡になる。
今から30年以上も前のことである。人生初の留学で暮らしたソウルの下宿には女主人がいて、日本にも行ったことがあるという。「印象はどうでしたか?」。そう尋ねた筆者に、彼女は不思議そうに言った。「日本にはね、街に子供がいないのよ」
言われるまで気付かなかったが、確かに当時のソウルには至る所に子供がいた。当時の子供たちが生まれた1980年代初頭の韓国の合計特殊出生率は2.0を超えており、逆に日本は1.7前後の数字で推移していた。
その差がそのまま街にいる子供の数となって表れていた。
しかし、今、ソウルの街に子供はいない。2000年代初頭に日本を下回った韓国の合計特殊出生率はその後も下がり続け、18年にはついに1.0を割り込んだ。そして昨年の数字は0.72。
数値としては異なるデータを使っている国連統計でも韓国の数字は主権国家中、最下位になっている。
この原因としてよく指摘されるのが、若年層をめぐる生活不安である。韓国では若年層の失業率が高く、雇用における非正規雇用の割合も多い。
このような状況では婚姻年齢も上がらざるを得ず、その結果、結婚を諦める人たちも増えている。今の韓国は結婚して子供を育てられるような国ではなく、だから少子化が進むのは当然なのだ、と。
しかし、実際はそれほど単純ではない。
なぜなら他国と比べて、韓国の若年層が置かれた現在の状況が極端に悪いとは言えないからだ。OECDの統計によれば、23年の韓国の失業率は2.7%。
OECD諸国の中で日本、チェコに次いで3番目に低い。若年層に当たる15~24歳の失業率はこれより高い7.4%だが、この数字も38カ国中7番目に低い。
ちなみにアメリカは10.1%、フランスは18.5%、イタリアに至っては25.4%。今日の世界で、若年層の失業率が全体より高く出るのは多くの国で見られる現象なのだ。
目標だった先進国になった後
労働条件も同様である。同じOECDのデータで、21年の韓国における高校以上の学歴を持つ24~34歳の人々のうち、パートタイムあるいは年次契約で働く人の割合は世代人口の5%。
同年齢の労働人口に対しても7%にしかならないから、これも大きな数字だとは言えない。
給与面もことさらに悪いとは言えない。働き盛りの25~55歳の賃金に対する15~24歳の賃金の割合は、22年で40.4%。この数字もOECD諸国で上位に位置している。
国全体の格差を示すジニ係数は22年で0.324。日本とほぼ同程度であり、米英と比べるとかなり良い。
加えて、彼らの雇用をめぐる状況は、近年急速に改善されている。韓国における15~29歳の失業率は、17年の9.8%をピークに低下し、23年には5.9%になった。
背景に存在するのは、朝鮮戦争が休戦した1953年から60年代前半までの、ベビーブーマー世代の一斉退職である。日本における90年代後半から00年前半の就職氷河期世代の就職難が、その後の団塊の世代の退職で一掃されたのと同じ現象だ。
こうして見ると、韓国の若年層をめぐる状況は決して悲観的ではない。とはいえ同時に、肝心の韓国の若い人々自身が将来に積極的な展望を見いだせないでいるのも、世論調査などから明らかだ。
かつてとは異なり、就職先はそれなりにあり、労働条件も徐々に改善されている。彼らはどうして強い不安を感じているのか。
重要なのは、「今」の状況よりも、彼らが有する「未来」への展望が悪化していることだろう。民主化と経済成長の結果、韓国は豊かで平和な社会になった。
だからこそ、他国と比べても、今の彼らの生活に関わる数字は遜色がない。しかし、それは彼らの未来が保証されていることを意味しない。以前の韓国の人々にとって、目指すべきは先を進む先進国の姿であり、それこそが彼らの目標だった。
しかし、自らがその先進国の1つとなった今、彼らは目指すべきモデルを見失っている。
高度成長が続いた時代、人々は今の生活が苦しくても、未来の生活に希望を見いだすことができた。明日は今日よりも良くなるに違いない、そういう期待を当たり前に持つことができたからだ。
しかし、現在の若年層はそうではない。経済成長の鈍化は将来に対する期待を暗いものとさせ、彼らは未来への積極的な投資を躊躇することとなる。それこそが、彼らが結婚を先延ばしにし、子供を持つことを拒む方向へと導く。
こうして生まれる少子化現象は、結果として韓国の人々の未来に対する不安をさらに加速させる。人口減少が続けば、韓国経済は縮小し、その未来像はさらに暗いものになる。
未来に対する希望の消滅が少子化をもたらし、少子化がさらに未来への展望を暗いものとさせる。韓国社会はこうした負のスパイラルに入りつつあるように見える。
富裕層への嫉妬心が生む不安
もう1つ重要なことがある。それはインターネットを通じて進む情報の可視化が、これまで多くの人々には直接見ることができなかった富裕層の存在を人々に強く印象付けていることだ。
そして若年層において進む高学歴化は、彼ら富裕層に対する人々の考え方を大きく変える。かつての韓国では、豊かな家に生まれ、海外で高等教育を受けた彼らは特別な存在であり、だから人々は憧憬を持って彼らに接した。
しかし、現在の豊かで高学歴の若年層にとって富裕層はもはや特別な存在ではなく、社会の不公正さの象徴となっている。
こうして社会に羨望と嫉妬が渦巻き、人々は未来に対する大きな不安感にさらされる。そのありさまは、あたかも1人の希望に満ちた若者が、年老いて将来におののく姿とよく似ている。
若い頃には目標があり、成長の伸びしろもあるから、人々は貧しくても夢を持つことができる。
しかし、功成り名を遂げた老人は、それまでの蓄積により豊かな生活を送ることができるものの、既に成長の伸びしろを失っており、将来に明るい展望を持つことは難しい。将来へのおののきは心の不安を呼び、時に裕福な老人の今を破綻させる。
彼らにとって重要なのは、今の状況以上に社会の未来に対する明るい展望をいかにして取り戻すか、である。
少子高齢化と人口減少が社会の老いであるとするなら、韓国の人々はこの中からいかなる将来への希望を見いだすのだろうか。同じく老いゆく社会に生きる者として、その姿はわれわれの合わせ鏡になる。