キャロル・グラック(コロンビア大学名誉教授〔歴史学〕)
<アカデミー賞作品『オッペンハイマー』を通して、大勢のアメリカ人が原爆と核戦争の歴史に引き込まれ、ミレニアル世代やZ世代の多くは初めてその現実を知ることになった>
『オッペンハイマー』は興行収入(全世界で10億ドル近く、アメリカだけで3億ドルを超えた)、アカデミー賞(作品賞を含む7部門を受賞)、レビュー(映画評論家だけでなく科学者や歴史家にも注目された)が示すとおり大成功を収めた。
1人の物理学者が同僚と語り合い、共に研究に取り組んで世界初の原子爆弾を開発する3時間の伝記映画が、スーパーヒーローかスーパーマリオかトム・クルーズがいなければ映画館に足を運ばない人々の興味を大いにかき立てると予想した人は少なかった。
そして、ピンクずくめの少女の着せ替え人形を主人公にした映画がなければ、『オッペンハイマー』はあそこまでヒットしなかっただろうと多くの人が考えている。
2023年の真夏に同日公開された「バーベンハイマー」(バービーとオッペンハイマーを合体させた造語)は一大ブームを生み、意外すぎる2人組のミームがソーシャルメディアを駆け巡った。
映画『バービー』がなければ、『オッペンハイマー』がこれほど多くの観客を集めることはなかった。『バービー』のおかげで大勢のアメリカ人が原爆と核戦争の歴史に引き込まれ、彼らの多くは初めて知ることになった。
アメリカでは今や人口の40%以上が、1981年以降に生まれたミレニアル世代とZ世代だ。彼らは第2次大戦に関する知識が驚くほど薄い。
ヒロシマと原爆は知っているが、その開発や日本に投下するという決断については、ほとんど何も知らない。実際、この世代の大多数は、第2次大戦のアメリカの同盟国と敵国はどこかという質問にさえ答えられないのだ。
彼ら若い世代の70%近くが核兵器は非合法化しなければならないと考えているが、一方で、『オッペンハイマー』のクリストファー・ノーラン監督の息子の言葉にうなずく人も多いだろう。
Z世代である息子は父親の新作のテーマを聞いて、「核兵器や戦争について本気で心配する人はもういない」と言った。
ノーランはこう答えた──「たぶん心配したほうがいい」。今は若い世代にも心配している人が増えただろう。『オッペンハイマー』の観客の3分の1以上は32歳以下だ。
アカデミー賞授賞式でのノーラン監督(今年3月) TRAE PATTON/©A.M.P.A.S.
年長の観客は男性のほうが多く、若い世代より戦争について以前から知っていたかもしれない。そんな彼らにとっても、ロバート・オッペンハイマーとマンハッタン計画(米政府の原爆開発計画)の物語は新鮮で、心をつかまれた。
それはどのような物語なのか。その物語は歴史と、そしてアメリカの原爆の記憶と、どのように重なるのだろうか。
映画『オッペンハイマー』のシーンから、タトロックと恋仲に ©UNIVERSAL PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
映画は、オッペンハイマーの物語と原爆の物語の2つを語る。複雑なストーリーテリングに時々頭が混乱するが、オッペンハイマーの生涯を3つに分けて描いている。
第1のパートでは、オッペンハイマーは若い科学者だ。人付き合いが苦手だが優秀で、量子物理学にのめり込んでいる(ベッドに入っても量子物理学の夢を見る)。
カリフォルニア大学バークレー校で理論物理学研究で名高いグループの礎を築き、左翼的な思想を持ち、共産主義者の友人がいて、詩とサンスクリット語をたしなみ、マティーニを作り、恋愛をする。
核戦争の結果に「無知」だった
第2のパートは、ニューメキシコ州ロスアラモスを拠点に原爆の製造と実験をめぐる科学的時間との闘いがドラマチックに繰り広げられる。
マンハッタン計画については「3年間、4000人、20億ドル」と描写されたが、実際には30カ所で10万人以上が関わり、国民にも連邦議会のほとんどにも伏せられたまま22億ドルがつぎ込まれた。
クライマックスは1945年7月のトリニティ実験だ。世界初の原子爆弾(愛称「ガジェット」)がニューメキシコ州の砂漠の上空で爆発に成功したのは、科学的勝利であると同時に恐るべき瞬間でもあった。
オッペンハイマーたち研究者は後に、新しい世界の悪魔的な始まりだったと語っている。
映画『オッペンハイマー』のシーン、ロスアラモスにて ©UNIVERSAL PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
オッペンハイマーの科学的勝利は政治的災厄に変わり、原爆が引き起こした結果が、映画の第3のパートと彼の残りの人生を占めることになる。
国民的な名声を得たオッペンハイマーは水素爆弾の開発と軍拡競争に反対し、50年代の反共産主義の熱狂の渦中で、水爆の擁護者だった旧敵(ルイス・ストローズ)に引きずり降ろされる。
偏向した聴聞会を経て、オッペンハイマーはセキュリティークリアランス(機密情報にアクセスできる資格)を剝奪された(2022年に米政府はようやく資格を回復させた)。
映画ではオッペンハイマーの視点はカラーで、59年の上院公聴会で政府の職を追われたストローズの視点は白黒で描かれる。
オッペンハイマーの人生については、マーティン・J・シャーウィンとカイ・バードによる傑作の伝記『アメリカン・プロメテウス』(邦訳『オッペンハイマー』ハヤカワ文庫)に基づいている。
映画『オッペンハイマー』、公聴会でのストローズ ©UNIVERSAL PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
ちなみに、ハリー・トルーマン米大統領(当時)はオッペンハイマーを実際に「科学者の泣き虫」と呼んだが、映画で描かれているような状況とは違った。
映画『オッペンハイマー』、グローブスとオッペンハイマー ©UNIVERSAL PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
もう1つの物語──原子爆弾の伝記映画──は、実際は映画が示唆する以上に複雑だった。こちらの主役である科学者たちは、原爆を製造するための知的および技術的な専門知識を提供した。
ただし、当時は戦時中であり、マンハッタン計画の責任者だったレズリー・グローブス将軍ら軍部の目的はただ一つ、実用可能な最新技術である原爆で戦争に勝つことだった。
そして、ワシントンの政治家たちもまた、日本の降伏の先にある戦後の原爆の使用も見据えていた。ヘンリー・スティムソン陸軍長官の言葉を借りれば、ソ連に対する外交では原爆が「切り札」だ。
映画では、セキュリティーのために内部のコミュニケーションを制限する科学的任務の「区分化」に何回も触れている。
しかし、現実にはそれよりはるかに大規模で重大な「区分化」があった。科学者と軍部と政治家がそれぞれ自分の領域で活動し、彼らのほぼ全員が、核戦争が人類にもたらす恐ろしい結果について無知だった。
関係者がサングラスをかけてトリニティ実験の爆発を見守る場面は象徴的だ──まるで核爆発がもたらす危険は、まぶしい光だけであるかのように。
広島に投下された原爆の写真をマンハッタン計画関係者に見せるオッペンハイマー(1940年代) BETTMANN/GETTY IMAGES
アメリカ人の「原爆の記憶」
映画の中でオッペンハイマーは、広島と長崎への原爆投下後、道徳的な懸念にさいなまれ、核兵器の国際管理を支持するようになったと描かれている。
だが実際には、45年のオッペンハイマーの態度は相反していた。核爆弾を「悪事」だと語ったときもあれば、「なさねばならなかった」と語ったときもあった。
原爆が広島と長崎に投下されたことで、10月に「私の手は血塗られた」とトルーマンに語ったが、5月には日本への投下に反対はしていなかった。
死去する2年前の65年には、「私たちは極めて明白な結果を予想しないものだ」と語り、「ロスアラモスでの原爆(開発)は、その最たるものだった」と述べている。
原爆投下の決定に深く関わった人たちの道徳的・知的反応もまた、「極めて明白な結果」を予期していなかった。
それでもマンハッタン計画に携わった物理学者のイジドール・ラビやレオ・シラードなどの科学者は、日本への原爆投下に反対したし、投下後は動揺を示した(第2次大戦で米極東陸軍司令官を務めたダグラス・マッカーサーは原爆を「フランケンシュタイン的な怪物」と考えていたとの記録がある)。
核戦争の真のおぞましさが明らかになるにつれて、アメリカの政府と軍は、爆風やキノコ雲、そして広島と長崎の破壊の報道を容認する一方で、放射能に関する報道は全力で検閲し、抑え込もうとした(放射能の問題に注目が集まり、アメリカは化学兵器を使ったという批判が起こることを懸念する声もあった)。
映画『オッペンハイマー』のシーンから、アインシュタインと ©UNIVERSAL PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
原爆のもたらした痛ましい現実を世間が知ることになったのは、ジャーナリストのジョン・ハーシーが被爆者を追った46年発表の生々しいルポルタージュ『ヒロシマ』(邦訳・法政大学出版局)のおかげだ。
だが翌47年には、スティムソンがハーパーズ誌への寄稿「原爆投下の決定」で、原爆の投下は100万人のアメリカ人の命を救ったという政府の見解を再び主張した(ちなみに100万人という数字に根拠はなかった)。
こうして、アメリカ人の原爆の記憶を支配するストーリーが確立された。それは終戦50周年を迎えた95年も健在だった。
このときワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館は、広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」を展示することを計画したが、そこに被爆者や戦後の核軍拡競争への言及は一切なかった。
また、終戦50周年の記念切手の図案には、きのこ雲のイラストの下に「原爆は戦争の終結を早めた」と書かれていた。昔ながらの原爆の説明から、賛否両論の相反的な要素はすっかりなくなったかのように見えた。
映画『オッペンハイマー』にも、この単純化された説明が垣間見られる。日本の被爆者のことも、トリニティ実験や戦後のマーシャル諸島やネバダ州などでの核実験で被曝した人たちのことにも全く触れていない。
それでもノーランは、道徳的な批判を加えたいと考えて、それをオッペンハイマーのキャラクターに詰め込んだ。
映画の終盤で、オッペンハイマーはアルバート・アインシュタインと架空の会話を交わし、「原子爆弾の爆発により生じる連鎖反応は、世界全体を破壊させる恐れ」に改めて言及する。「われわれは破壊した」が、映画における彼の最後の言葉だ。
世論調査によると、原爆投下に対するアメリカ人の意識は、ゆっくりとだが変わってきた。45年8月の時点では、85%がその決定を支持したが、2015年は57%、18~29歳では47%だった。依然として高い水準だが下落傾向にあるのは間違いない。
核戦争の瀬戸際にある世界で
今や放射能の影響や被爆者の苦しみはアメリカの大衆にも知られており、映画の中でオッペンハイマーが、皮膚が垂れ下がった被爆者の姿や、黒焦げの死体を踏み付ける自分の姿を思い描くシーンの意味を理解できるだろう。
スミソニアン博物館に展示されるのを待つB29爆撃機「エノラ・ゲイ」(1995年) REUTERS
スミソニアン博物館も26年までに、「第2次世界大戦の空中戦」という新しい展示を開く予定で、広島と長崎の写真を含める計画だ。ひょっとすると、日本人の戦争経験への言及もあるかもしれない。
博物館の趣旨からいって、航空機に焦点が当てられるのは確実だが(従って爆撃された人よりも、爆撃した側の視点になる)、国立博物館という政治的・公的な性格を考えると、1995年当時よりもましな展示になるかもしれない。
核兵器をめぐる道義心と認識、そして現実は、それぞれ別のものだ。少なくともアメリカではそうらしい。
現在、ロシアはウクライナで戦術核兵器を使用する可能性をちらつかせているし、アメリカは5日ごとに10億ドルの投資ペースで核備蓄の近代化を図っている。
世界には1万2000発の核弾頭があり(その大部分はロシアとアメリカが保有している)、1970~2010年代の核軍縮合意や条約は全て放棄されたか、ストップしている。
今や人類の滅亡を象徴的に示唆する「終末時計」の針は、残り90秒に設定され、1947年の設置以来「世界の破滅に最も近い」状況にある。
ニューヨーク・タイムズ紙の最近の連載「瀬戸際」は、「核戦争は想像できないと言われてきたが、現在は十分に想像されていない」と警告した。核戦争の脅威が常態化して、私たちは居心地が良くなってしまったかのようだ。
ノーランのZ世代の息子のように、アメリカの若者は核戦争よりも気候変動の脅威について心配しているし、それよりも上の世代はAI(人工知能)のもたらす脅威で頭がいっぱいだ。
映画『オッペンハイマー』が、アメリカでどのくらい核に対する意識を高めたのか、たとえ高めたとしても、それがいつまで続くのかは分からない。
映画の導入部では、オッペンハイマーを「アメリカン・プロメテウス」になぞらえる言葉が表示される。ギリシャ神話に登場する男神プロメテウスは、神々から火を盗んで人間に与えたが故に、永久的に拷問を受けることになる。
人間が制御できないテクノロジーを生み出したことで、私たちは「プロメテウスの乖離(結果をきちんと想像できない状態)」に陥ったと、戦後ヨーロッパのある哲学者は語った。またある者は「船を発明すれば、難破船も発明することになる」と警告した。
これこそが、私たちが映画『オッペンハイマー』から得られるメッセージなのかもしれない。
映画『オッペンハイマー』の多彩な登場人物たち
<アカデミー賞作品『オッペンハイマー』を通して、大勢のアメリカ人が原爆と核戦争の歴史に引き込まれ、ミレニアル世代やZ世代の多くは初めてその現実を知ることになった>
『オッペンハイマー』は興行収入(全世界で10億ドル近く、アメリカだけで3億ドルを超えた)、アカデミー賞(作品賞を含む7部門を受賞)、レビュー(映画評論家だけでなく科学者や歴史家にも注目された)が示すとおり大成功を収めた。
1人の物理学者が同僚と語り合い、共に研究に取り組んで世界初の原子爆弾を開発する3時間の伝記映画が、スーパーヒーローかスーパーマリオかトム・クルーズがいなければ映画館に足を運ばない人々の興味を大いにかき立てると予想した人は少なかった。
そして、ピンクずくめの少女の着せ替え人形を主人公にした映画がなければ、『オッペンハイマー』はあそこまでヒットしなかっただろうと多くの人が考えている。
2023年の真夏に同日公開された「バーベンハイマー」(バービーとオッペンハイマーを合体させた造語)は一大ブームを生み、意外すぎる2人組のミームがソーシャルメディアを駆け巡った。
映画『バービー』がなければ、『オッペンハイマー』がこれほど多くの観客を集めることはなかった。『バービー』のおかげで大勢のアメリカ人が原爆と核戦争の歴史に引き込まれ、彼らの多くは初めて知ることになった。
アメリカでは今や人口の40%以上が、1981年以降に生まれたミレニアル世代とZ世代だ。彼らは第2次大戦に関する知識が驚くほど薄い。
ヒロシマと原爆は知っているが、その開発や日本に投下するという決断については、ほとんど何も知らない。実際、この世代の大多数は、第2次大戦のアメリカの同盟国と敵国はどこかという質問にさえ答えられないのだ。
彼ら若い世代の70%近くが核兵器は非合法化しなければならないと考えているが、一方で、『オッペンハイマー』のクリストファー・ノーラン監督の息子の言葉にうなずく人も多いだろう。
Z世代である息子は父親の新作のテーマを聞いて、「核兵器や戦争について本気で心配する人はもういない」と言った。
ノーランはこう答えた──「たぶん心配したほうがいい」。今は若い世代にも心配している人が増えただろう。『オッペンハイマー』の観客の3分の1以上は32歳以下だ。
アカデミー賞授賞式でのノーラン監督(今年3月) TRAE PATTON/©A.M.P.A.S.
年長の観客は男性のほうが多く、若い世代より戦争について以前から知っていたかもしれない。そんな彼らにとっても、ロバート・オッペンハイマーとマンハッタン計画(米政府の原爆開発計画)の物語は新鮮で、心をつかまれた。
それはどのような物語なのか。その物語は歴史と、そしてアメリカの原爆の記憶と、どのように重なるのだろうか。
映画『オッペンハイマー』のシーンから、タトロックと恋仲に ©UNIVERSAL PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
映画は、オッペンハイマーの物語と原爆の物語の2つを語る。複雑なストーリーテリングに時々頭が混乱するが、オッペンハイマーの生涯を3つに分けて描いている。
第1のパートでは、オッペンハイマーは若い科学者だ。人付き合いが苦手だが優秀で、量子物理学にのめり込んでいる(ベッドに入っても量子物理学の夢を見る)。
カリフォルニア大学バークレー校で理論物理学研究で名高いグループの礎を築き、左翼的な思想を持ち、共産主義者の友人がいて、詩とサンスクリット語をたしなみ、マティーニを作り、恋愛をする。
核戦争の結果に「無知」だった
第2のパートは、ニューメキシコ州ロスアラモスを拠点に原爆の製造と実験をめぐる科学的時間との闘いがドラマチックに繰り広げられる。
マンハッタン計画については「3年間、4000人、20億ドル」と描写されたが、実際には30カ所で10万人以上が関わり、国民にも連邦議会のほとんどにも伏せられたまま22億ドルがつぎ込まれた。
クライマックスは1945年7月のトリニティ実験だ。世界初の原子爆弾(愛称「ガジェット」)がニューメキシコ州の砂漠の上空で爆発に成功したのは、科学的勝利であると同時に恐るべき瞬間でもあった。
オッペンハイマーたち研究者は後に、新しい世界の悪魔的な始まりだったと語っている。
映画『オッペンハイマー』のシーン、ロスアラモスにて ©UNIVERSAL PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
オッペンハイマーの科学的勝利は政治的災厄に変わり、原爆が引き起こした結果が、映画の第3のパートと彼の残りの人生を占めることになる。
国民的な名声を得たオッペンハイマーは水素爆弾の開発と軍拡競争に反対し、50年代の反共産主義の熱狂の渦中で、水爆の擁護者だった旧敵(ルイス・ストローズ)に引きずり降ろされる。
偏向した聴聞会を経て、オッペンハイマーはセキュリティークリアランス(機密情報にアクセスできる資格)を剝奪された(2022年に米政府はようやく資格を回復させた)。
映画ではオッペンハイマーの視点はカラーで、59年の上院公聴会で政府の職を追われたストローズの視点は白黒で描かれる。
オッペンハイマーの人生については、マーティン・J・シャーウィンとカイ・バードによる傑作の伝記『アメリカン・プロメテウス』(邦訳『オッペンハイマー』ハヤカワ文庫)に基づいている。
映画『オッペンハイマー』、公聴会でのストローズ ©UNIVERSAL PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
ちなみに、ハリー・トルーマン米大統領(当時)はオッペンハイマーを実際に「科学者の泣き虫」と呼んだが、映画で描かれているような状況とは違った。
映画『オッペンハイマー』、グローブスとオッペンハイマー ©UNIVERSAL PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
もう1つの物語──原子爆弾の伝記映画──は、実際は映画が示唆する以上に複雑だった。こちらの主役である科学者たちは、原爆を製造するための知的および技術的な専門知識を提供した。
ただし、当時は戦時中であり、マンハッタン計画の責任者だったレズリー・グローブス将軍ら軍部の目的はただ一つ、実用可能な最新技術である原爆で戦争に勝つことだった。
そして、ワシントンの政治家たちもまた、日本の降伏の先にある戦後の原爆の使用も見据えていた。ヘンリー・スティムソン陸軍長官の言葉を借りれば、ソ連に対する外交では原爆が「切り札」だ。
映画では、セキュリティーのために内部のコミュニケーションを制限する科学的任務の「区分化」に何回も触れている。
しかし、現実にはそれよりはるかに大規模で重大な「区分化」があった。科学者と軍部と政治家がそれぞれ自分の領域で活動し、彼らのほぼ全員が、核戦争が人類にもたらす恐ろしい結果について無知だった。
関係者がサングラスをかけてトリニティ実験の爆発を見守る場面は象徴的だ──まるで核爆発がもたらす危険は、まぶしい光だけであるかのように。
広島に投下された原爆の写真をマンハッタン計画関係者に見せるオッペンハイマー(1940年代) BETTMANN/GETTY IMAGES
アメリカ人の「原爆の記憶」
映画の中でオッペンハイマーは、広島と長崎への原爆投下後、道徳的な懸念にさいなまれ、核兵器の国際管理を支持するようになったと描かれている。
だが実際には、45年のオッペンハイマーの態度は相反していた。核爆弾を「悪事」だと語ったときもあれば、「なさねばならなかった」と語ったときもあった。
原爆が広島と長崎に投下されたことで、10月に「私の手は血塗られた」とトルーマンに語ったが、5月には日本への投下に反対はしていなかった。
死去する2年前の65年には、「私たちは極めて明白な結果を予想しないものだ」と語り、「ロスアラモスでの原爆(開発)は、その最たるものだった」と述べている。
原爆投下の決定に深く関わった人たちの道徳的・知的反応もまた、「極めて明白な結果」を予期していなかった。
それでもマンハッタン計画に携わった物理学者のイジドール・ラビやレオ・シラードなどの科学者は、日本への原爆投下に反対したし、投下後は動揺を示した(第2次大戦で米極東陸軍司令官を務めたダグラス・マッカーサーは原爆を「フランケンシュタイン的な怪物」と考えていたとの記録がある)。
核戦争の真のおぞましさが明らかになるにつれて、アメリカの政府と軍は、爆風やキノコ雲、そして広島と長崎の破壊の報道を容認する一方で、放射能に関する報道は全力で検閲し、抑え込もうとした(放射能の問題に注目が集まり、アメリカは化学兵器を使ったという批判が起こることを懸念する声もあった)。
映画『オッペンハイマー』のシーンから、アインシュタインと ©UNIVERSAL PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
原爆のもたらした痛ましい現実を世間が知ることになったのは、ジャーナリストのジョン・ハーシーが被爆者を追った46年発表の生々しいルポルタージュ『ヒロシマ』(邦訳・法政大学出版局)のおかげだ。
だが翌47年には、スティムソンがハーパーズ誌への寄稿「原爆投下の決定」で、原爆の投下は100万人のアメリカ人の命を救ったという政府の見解を再び主張した(ちなみに100万人という数字に根拠はなかった)。
こうして、アメリカ人の原爆の記憶を支配するストーリーが確立された。それは終戦50周年を迎えた95年も健在だった。
このときワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館は、広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」を展示することを計画したが、そこに被爆者や戦後の核軍拡競争への言及は一切なかった。
また、終戦50周年の記念切手の図案には、きのこ雲のイラストの下に「原爆は戦争の終結を早めた」と書かれていた。昔ながらの原爆の説明から、賛否両論の相反的な要素はすっかりなくなったかのように見えた。
映画『オッペンハイマー』にも、この単純化された説明が垣間見られる。日本の被爆者のことも、トリニティ実験や戦後のマーシャル諸島やネバダ州などでの核実験で被曝した人たちのことにも全く触れていない。
それでもノーランは、道徳的な批判を加えたいと考えて、それをオッペンハイマーのキャラクターに詰め込んだ。
映画の終盤で、オッペンハイマーはアルバート・アインシュタインと架空の会話を交わし、「原子爆弾の爆発により生じる連鎖反応は、世界全体を破壊させる恐れ」に改めて言及する。「われわれは破壊した」が、映画における彼の最後の言葉だ。
世論調査によると、原爆投下に対するアメリカ人の意識は、ゆっくりとだが変わってきた。45年8月の時点では、85%がその決定を支持したが、2015年は57%、18~29歳では47%だった。依然として高い水準だが下落傾向にあるのは間違いない。
核戦争の瀬戸際にある世界で
今や放射能の影響や被爆者の苦しみはアメリカの大衆にも知られており、映画の中でオッペンハイマーが、皮膚が垂れ下がった被爆者の姿や、黒焦げの死体を踏み付ける自分の姿を思い描くシーンの意味を理解できるだろう。
スミソニアン博物館に展示されるのを待つB29爆撃機「エノラ・ゲイ」(1995年) REUTERS
スミソニアン博物館も26年までに、「第2次世界大戦の空中戦」という新しい展示を開く予定で、広島と長崎の写真を含める計画だ。ひょっとすると、日本人の戦争経験への言及もあるかもしれない。
博物館の趣旨からいって、航空機に焦点が当てられるのは確実だが(従って爆撃された人よりも、爆撃した側の視点になる)、国立博物館という政治的・公的な性格を考えると、1995年当時よりもましな展示になるかもしれない。
核兵器をめぐる道義心と認識、そして現実は、それぞれ別のものだ。少なくともアメリカではそうらしい。
現在、ロシアはウクライナで戦術核兵器を使用する可能性をちらつかせているし、アメリカは5日ごとに10億ドルの投資ペースで核備蓄の近代化を図っている。
世界には1万2000発の核弾頭があり(その大部分はロシアとアメリカが保有している)、1970~2010年代の核軍縮合意や条約は全て放棄されたか、ストップしている。
今や人類の滅亡を象徴的に示唆する「終末時計」の針は、残り90秒に設定され、1947年の設置以来「世界の破滅に最も近い」状況にある。
ニューヨーク・タイムズ紙の最近の連載「瀬戸際」は、「核戦争は想像できないと言われてきたが、現在は十分に想像されていない」と警告した。核戦争の脅威が常態化して、私たちは居心地が良くなってしまったかのようだ。
ノーランのZ世代の息子のように、アメリカの若者は核戦争よりも気候変動の脅威について心配しているし、それよりも上の世代はAI(人工知能)のもたらす脅威で頭がいっぱいだ。
映画『オッペンハイマー』が、アメリカでどのくらい核に対する意識を高めたのか、たとえ高めたとしても、それがいつまで続くのかは分からない。
映画の導入部では、オッペンハイマーを「アメリカン・プロメテウス」になぞらえる言葉が表示される。ギリシャ神話に登場する男神プロメテウスは、神々から火を盗んで人間に与えたが故に、永久的に拷問を受けることになる。
人間が制御できないテクノロジーを生み出したことで、私たちは「プロメテウスの乖離(結果をきちんと想像できない状態)」に陥ったと、戦後ヨーロッパのある哲学者は語った。またある者は「船を発明すれば、難破船も発明することになる」と警告した。
これこそが、私たちが映画『オッペンハイマー』から得られるメッセージなのかもしれない。
映画『オッペンハイマー』の多彩な登場人物たち