大場正明
<リソルジメント(イタリア統一運動)が進行する19世紀半ばに起こった「エドガルド・モルターラ誘拐事件」に基づいたイタリアの巨匠マルコ・ベロッキオの新作......>
イタリアの巨匠マルコ・ベロッキオの新作『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』は、リソルジメント(イタリア統一運動)が進行する19世紀半ばに起こった「エドガルド・モルターラ誘拐事件」に基づいている。
洗礼がやがて歴史を動かすことになる
1858年、教皇領のボローニャに暮らすユダヤ人のモルターラ家に、教皇警察隊が押し入る。異端審問官の命を帯びた彼らは、何者かに洗礼を施されたとされる6歳の息子エドガルドを連れ去ってしまう。怯えるエドガルドは、ローマにある改宗者のための施設で、カトリック教育を受けることになる。
エドガルドの両親モモロとマリアンナは、息子を取り戻すためにあらゆる手を尽くす。教会による誘拐の報は、ユダヤ人のネットワークを通して世界に広まり、問題は政治化し、各地で非難が巻き起こる。しかしローマ教皇は不快感を露わにし、信仰の原理を盾に頑として返還に応じようとはしなかった。
では、誰がエドガルドに洗礼を施したのか。エドガルドが生まれた当時の使用人は、カトリック教徒のアンナ・モリージ。後に彼女が証言する。赤ん坊が病気で死にかけていると思い、そのことを近所の食料雑貨商に話すと、洗礼を提案され、その方法を教えられた。
そんな洗礼がやがて歴史を動かすことになる。社会人類学者デヴィッド・I・カーツァーが書いた『エドガルド・モルターラ誘拐事件』では、そのことが以下のように表現されている。
「無学な召使いの女と、食料雑貨商と、ボローニャの幼いユダヤ人の子どもの物語が、イタリアと教会の歴史の流れを変えることなどあり得ただろうか? その質問は、さほど突飛なものではない。アンナ・モリージ----ふしだらで、とても貧しく、自分の名前も書けない----のほうが、今日、イタリア中の町の広場に像が立っているリソルジメントの英雄たちよりイタリア統一に大きな貢献をしたと言うことができるのだ」
『エドガルド・モルターラ誘拐事件 ある少年の数奇な運命とイタリア統一』デヴィッド・I・カーツァー著、漆原敦子訳(早川書房、2018年)
本作でまず注目したいのは、冒頭の短いプロローグだ。それは、「1852年、ボローニャ。ピウス9世統治下の教皇領に生後6か月の男児が家族と暮らしていた」という前置きから始まる。
最初に登場するのは、使用人アンナ・モリージで、一緒に部屋から出てきた軍服の男を見送る。そのとき、別の部屋からもれる声に気づき、覗いてみると、両親が赤ん坊に祈りを唱えている。
この短いプロローグは、洗礼につながるきっかけを示唆しているが、それ以外にもいくらか補足しておくことでその後のドラマがより印象深くなる要素が見られる。
教皇領とはいうものの、この時点でも統治は揺らぎつつあった。ピウス9世は、1848年にはボローニャの市民暴動の脅威に直面し、ローマから逃避することを余儀なくされた。教皇の頼みの綱は、オーストリアやフランスなどのカトリック勢力だった。
「自立できないほど脆弱なボローニャの教皇統治だが、当面は大規模なオーストリア軍の恒久的な駐留と弾圧による支配で保護されることになった」(前掲同書より引用)
ということで、短いプロローグでは、アンナ・モリージが、ボローニャに駐留するオーストリア軍の兵士と関係を持っていたことを示唆している。
さらに、モルターラ家の生活もこの駐留と無関係ではない。一家は治安が回復したことで1850年にボローニャに引っ越してきて、そこでエドガルドが生まれた。そのボローニャには、何世紀にもわたってユダヤ人が閉め出されていた歴史があったため、そこに暮らすユダヤ人は注目を浴びることを望まず、シナゴーグも持たず、ラビもいなかった。
誘拐事件への教皇の対応と市民の蜂起の関わり
そうしたことを踏まえると、本作でまず際立つのが、エドガルドの父モモロと教皇ピウス9世のコントラストだ。
ボローニャにはシナゴーグがないため、モモロの一家はいつも家で祈り、信仰が父親から子供たちに引き継がれる。そんな目立たない生活がつづくはずだったが、エドガルドが誘拐されたことで、モモロの立場は激変する。
エドガルドを取り戻すためには、ユダヤ人のコミュニティに頼り、抗議の声を上げるしかないが、その活動は思わぬ方向に波及する。国家統一を目指す自由主義者、教皇統治に反対する人々にとって、エドガルドの誘拐は、願ってもない攻撃材料になったからだ。
一方、教皇は、世界に流布する非難の記事や風刺画を見ても、銀行家のロスチャイルドから苦情が来ても、ナポレオン3世が遺憾の意を示しても、ボストンでユダヤ教徒の役者たちによって、教皇に割礼を施す舞台が上演されても、不安を押し隠し、頑なに返還を拒みつづける。だがその足元では、世俗的な君主、臣民の統治者としての教皇の立場は、確実に崩れつつある。
エドガルドが誘拐された翌年の1859年、(映画では触れられないが)駐留していたオーストリア軍が撤退し、教皇政府に対して市民が蜂起し、ボローニャが解放され、教皇は地上の王国の大半を失う。
誘拐事件への教皇の対応が、この蜂起に大きな影響を及ぼしたことは間違いないだろうが、エドガルドの父親モモロの視点から見ると、そこには皮肉がある。
モモロにとっては、すべてが息子を取り戻すための行動だったが、結果としてそれが教皇をエドガルドに近づけることになったともとれる。孤立する教皇は、エドガルドに慰めを見出し、エドガルドも教会に愛着を持ち、教皇を父親と見るようになっていった。
大きく動いた歴史が異なる視点から見直される
そしてもうひとつ見逃せないのが、エドガルドの母親マリアンナの存在だ。ベロッキオは彼女を、他の登場人物との間に一線を引くかのような位置づけで描いている。彼女はエドガルドを取り戻すには、実力行使しかないと考え、文書で抗議するモモロに、それが何の役に立つのかと不満をもらす。
おそらくマリアンナには、結果が見えていたのだろう。本作の終盤では、絶望を抱えた彼女と成長したエドガルドの間の深い溝に焦点が合わされ、大きく動いた歴史が異なる視点から見直されることになる。
『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』
公開:4月26日(金)YEBISU GARDEN CINEMA、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか
(C)IBC MOVIE / KAVAC FILM / AD VITAM PRODUCTION / MATCH FACTORY PRODUCTIONS
<リソルジメント(イタリア統一運動)が進行する19世紀半ばに起こった「エドガルド・モルターラ誘拐事件」に基づいたイタリアの巨匠マルコ・ベロッキオの新作......>
イタリアの巨匠マルコ・ベロッキオの新作『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』は、リソルジメント(イタリア統一運動)が進行する19世紀半ばに起こった「エドガルド・モルターラ誘拐事件」に基づいている。
洗礼がやがて歴史を動かすことになる
1858年、教皇領のボローニャに暮らすユダヤ人のモルターラ家に、教皇警察隊が押し入る。異端審問官の命を帯びた彼らは、何者かに洗礼を施されたとされる6歳の息子エドガルドを連れ去ってしまう。怯えるエドガルドは、ローマにある改宗者のための施設で、カトリック教育を受けることになる。
エドガルドの両親モモロとマリアンナは、息子を取り戻すためにあらゆる手を尽くす。教会による誘拐の報は、ユダヤ人のネットワークを通して世界に広まり、問題は政治化し、各地で非難が巻き起こる。しかしローマ教皇は不快感を露わにし、信仰の原理を盾に頑として返還に応じようとはしなかった。
では、誰がエドガルドに洗礼を施したのか。エドガルドが生まれた当時の使用人は、カトリック教徒のアンナ・モリージ。後に彼女が証言する。赤ん坊が病気で死にかけていると思い、そのことを近所の食料雑貨商に話すと、洗礼を提案され、その方法を教えられた。
そんな洗礼がやがて歴史を動かすことになる。社会人類学者デヴィッド・I・カーツァーが書いた『エドガルド・モルターラ誘拐事件』では、そのことが以下のように表現されている。
「無学な召使いの女と、食料雑貨商と、ボローニャの幼いユダヤ人の子どもの物語が、イタリアと教会の歴史の流れを変えることなどあり得ただろうか? その質問は、さほど突飛なものではない。アンナ・モリージ----ふしだらで、とても貧しく、自分の名前も書けない----のほうが、今日、イタリア中の町の広場に像が立っているリソルジメントの英雄たちよりイタリア統一に大きな貢献をしたと言うことができるのだ」
『エドガルド・モルターラ誘拐事件 ある少年の数奇な運命とイタリア統一』デヴィッド・I・カーツァー著、漆原敦子訳(早川書房、2018年)
本作でまず注目したいのは、冒頭の短いプロローグだ。それは、「1852年、ボローニャ。ピウス9世統治下の教皇領に生後6か月の男児が家族と暮らしていた」という前置きから始まる。
最初に登場するのは、使用人アンナ・モリージで、一緒に部屋から出てきた軍服の男を見送る。そのとき、別の部屋からもれる声に気づき、覗いてみると、両親が赤ん坊に祈りを唱えている。
この短いプロローグは、洗礼につながるきっかけを示唆しているが、それ以外にもいくらか補足しておくことでその後のドラマがより印象深くなる要素が見られる。
教皇領とはいうものの、この時点でも統治は揺らぎつつあった。ピウス9世は、1848年にはボローニャの市民暴動の脅威に直面し、ローマから逃避することを余儀なくされた。教皇の頼みの綱は、オーストリアやフランスなどのカトリック勢力だった。
「自立できないほど脆弱なボローニャの教皇統治だが、当面は大規模なオーストリア軍の恒久的な駐留と弾圧による支配で保護されることになった」(前掲同書より引用)
ということで、短いプロローグでは、アンナ・モリージが、ボローニャに駐留するオーストリア軍の兵士と関係を持っていたことを示唆している。
さらに、モルターラ家の生活もこの駐留と無関係ではない。一家は治安が回復したことで1850年にボローニャに引っ越してきて、そこでエドガルドが生まれた。そのボローニャには、何世紀にもわたってユダヤ人が閉め出されていた歴史があったため、そこに暮らすユダヤ人は注目を浴びることを望まず、シナゴーグも持たず、ラビもいなかった。
誘拐事件への教皇の対応と市民の蜂起の関わり
そうしたことを踏まえると、本作でまず際立つのが、エドガルドの父モモロと教皇ピウス9世のコントラストだ。
ボローニャにはシナゴーグがないため、モモロの一家はいつも家で祈り、信仰が父親から子供たちに引き継がれる。そんな目立たない生活がつづくはずだったが、エドガルドが誘拐されたことで、モモロの立場は激変する。
エドガルドを取り戻すためには、ユダヤ人のコミュニティに頼り、抗議の声を上げるしかないが、その活動は思わぬ方向に波及する。国家統一を目指す自由主義者、教皇統治に反対する人々にとって、エドガルドの誘拐は、願ってもない攻撃材料になったからだ。
一方、教皇は、世界に流布する非難の記事や風刺画を見ても、銀行家のロスチャイルドから苦情が来ても、ナポレオン3世が遺憾の意を示しても、ボストンでユダヤ教徒の役者たちによって、教皇に割礼を施す舞台が上演されても、不安を押し隠し、頑なに返還を拒みつづける。だがその足元では、世俗的な君主、臣民の統治者としての教皇の立場は、確実に崩れつつある。
エドガルドが誘拐された翌年の1859年、(映画では触れられないが)駐留していたオーストリア軍が撤退し、教皇政府に対して市民が蜂起し、ボローニャが解放され、教皇は地上の王国の大半を失う。
誘拐事件への教皇の対応が、この蜂起に大きな影響を及ぼしたことは間違いないだろうが、エドガルドの父親モモロの視点から見ると、そこには皮肉がある。
モモロにとっては、すべてが息子を取り戻すための行動だったが、結果としてそれが教皇をエドガルドに近づけることになったともとれる。孤立する教皇は、エドガルドに慰めを見出し、エドガルドも教会に愛着を持ち、教皇を父親と見るようになっていった。
大きく動いた歴史が異なる視点から見直される
そしてもうひとつ見逃せないのが、エドガルドの母親マリアンナの存在だ。ベロッキオは彼女を、他の登場人物との間に一線を引くかのような位置づけで描いている。彼女はエドガルドを取り戻すには、実力行使しかないと考え、文書で抗議するモモロに、それが何の役に立つのかと不満をもらす。
おそらくマリアンナには、結果が見えていたのだろう。本作の終盤では、絶望を抱えた彼女と成長したエドガルドの間の深い溝に焦点が合わされ、大きく動いた歴史が異なる視点から見直されることになる。
『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』
公開:4月26日(金)YEBISU GARDEN CINEMA、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか
(C)IBC MOVIE / KAVAC FILM / AD VITAM PRODUCTION / MATCH FACTORY PRODUCTIONS