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「書」はアートを超えた...日本を代表する「書家」石川九楊が世界で評価される理由とは

ニューズウィーク日本版 2024年6月1日 10時5分


<石川九楊にとって「書」とは何か? その思想と実践、そして「文字でなく言葉を書く表現」の意味について>

「書」にどのようなイメージがあるだろうか。または「書」はアートであると聞いて、どう思うだろうか。

東アジアで楽しまれている伝統的な表現、何を書いているのかまったく理解できない、そもそもこれがアートといえるのか、などなど。いずれも当たらずといえど遠からずだ。

そんな書に対するステレオタイプなイメージをくつがえし、世界のアートシーンにデビューしたのが、日本を代表する書家・石川九楊(1945-)だ。2024年3月26日から30日に行われた、世界最大級のアートフェアとして知られる「アートバーゼル香港」で、その作品は大きな注目を浴びた。

 

まもなく80歳を迎える書家にとって、デビューとはいささか遅きに失する感もある。しかしながら、これまでに本当の意味で、世界で評価された書家が存在したであろうか。

出展作品は若き日のみずからの言葉をコラージュした作品、日本の古典作品を題材にした作品など全14点。なかでもひときわ視線を集めたのが「世界の月経はとまった」だ。

207cm×555㎝の紙面を六曲一隻の屏風に仕上げた大サイズ作品で、みずから「灰色の時代」と呼ぶ若き苦闘の時代の代表作の1つである。

灰色に染めた紙、柔らかい毛筆をペンや鉛筆のように使う筆使い、暴力的でアナーキーとさえいえるその筆致、いわゆる大家が君臨する伝統書への抵抗と超克を意図する、あらゆるタブー表現への挑戦が際立つ。

他にも同じく灰色の時代の大サイズ作品「日常動詞」、中国・唐代の夭折の天才詩人・李賀の詩作品「感諷五首」は、東アジア的な書の美学の典型としての「ニジミ」の技法を極限にまで追求した10連作の作品である。

そして日本の古典を題材にした「歎異抄Ⅻ」、「葉隠No.2」、「源氏物語シリーズ」。さらには「9・11事件以後Ⅱ」「戦争という古代遺制」など、世界が直面する危機的状況を題材にした自作詩文作品など、来場者はこれまで見たことのない書表現の可能性を実感したに違いない。

これまでも世界で注目された日本の書道家はいる。抽象絵画の影響を受けた「前衛書道家」の森田子龍と井上有一らである。

しかしその後は、確たる成果を残すことはなく、近代書のアイデンティティを確立しただろうか。彼らの限界は「書を美術」ととらえたことにあった。九楊はそんな前衛書にもアンチを唱えた。

源氏物語書巻五十五帖「椎本」(59cm×94cm) 2008年 提供:「石川九楊大全」実行委員会

では、九楊作品の創作の原点はどこにあるのか。「書は文字ではなく言葉を書く表現」と語る九楊の信念は、書にかかわり始めて以降、変わらない。

近代以前の書史の流れを踏まえつつ、言葉と格闘し続けるなかで、前衛書の水準をはるかに凌駕し、書を時代に共鳴する世界大スケールの表現へと深化させてきた。

 

その九楊の全書業を一堂に会して開催する「石川九楊大全」展が2024年6月8日から「上野の森美術館」で開催される。前期【古典篇】、後期【状況篇】の二期に分け、全ての展示作品を総掛け替で行なう、かつてない大規模展覧会だ。出品点数は2000点以上から厳選した全300点に及ぶ。

中でも注目されるのが、関連イベントのコンサートだ。自ら代表作と位置付ける「歎異抄No.18」の一点一画をデータ解析し、それを電子音楽バージョンと弦楽四重奏バージョンに楽曲化するという世界初のパフォーマンスだ。

「東アジアの書は西欧アルファベット圏における音楽に相当する」と長年述べてきた、九楊の書論を実証する場として期待されている。

また、「書は文字ではなく言葉を書く表現」と九楊が語る意味は、ここで体感され、真に理解されることになろう。九楊の「書」とは「哲学」「思考」、そして「実践」であるからだ。

石川九楊(いしかわ・きゅうよう)
書家。1945年福井県生まれ。京都大学法学部卒業。京都精華大学教授、文字文明研究所所長を経て現在、同大学名誉教授。 「書は筆蝕の芸術である」ことを解き明かし、書の構造と歴史を読み解く。 制作活動のいっぽうで批評・評論家としても健筆をふるう。上梓した著作は100点以上。半世紀以上に及ぶ書業のなかで、全2000作品を世に送り出した石川九楊。その全作品を網羅した厖大なカタログ・レゾネ『石川九楊全作品集』(思文閣出版)も刊行される。

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