コリン・ジョイス
<超有名な童謡の基になった事件や、独特の言葉が誕生した経緯など、イングランドの人が吹聴する話に疑問を感じても、反論しないであげて>
ちょっとしたニュースだが、僕の住む市(イングランド南東部エセックスのコルチェスター)の目抜き通りに新たな像がお目見えした。童謡「Twinkle Twinkle Little Star(きらきらぼし」の詩を書いたジェーン・テイラーと、その妹アンの像だ。
テイラー姉妹はわが市コルチェスターに暮らし、ジェーンは夜空の星を見上げている時にあの詩を思いついたと言われている。ちょうどこの像のすぐ近くにあった、屋根裏部屋の窓から。
コルチェスターにお目見えした「きらきら星」作者のテイラー姉妹の像 COLIN JOYCE
これは小さなわが市の小さな「自慢話」だが、コルチェスター発の「もう1つの」童謡「ハンプティ・ダンプティ」について話題に出す人もいた。この一見ナンセンスな「マザーグース」の詩は実のところ、地元の歴史的事件に基づいていると広く信じられている。
コルチェスターはかつて、イングランド内戦(清教徒革命、1642~1651年)の戦場だったことがある(第2次イングランド内戦の1648年)。直前に成立した共和制政府に反旗を翻し、王党派が街を占拠したのだ。
オリバー・クロムウェルの軍は郊外の丘の上から街を爆撃し、城や、現在僕が住む家の近くにある修道院などの要塞を標的にした。王党派は彼らよりも低地に陣取っており、大砲の射程距離が十分でなかったので、反撃することができなかった。
いつしか子供向けの卵の姿に
伝えられるところによれば、王党派は持っている中で最大の大砲、通称ハンプティ・ダンプティを城壁の上に設置し、そこから共和派を攻撃できるのではないかとの計画を思いついたという。
だが、バランスがうまくいかなかった。大砲は城壁から倒れてひびが入り、修理は不可能に。こうして全てのつじつまが合う――ハンプティ・ダンプティ、壁の上/ハンプティ・ダンプティ、大転落/王様の馬と王様の家来がみんなでかかっても/ハンプティを元に戻せなかった――。
そしてある時点から、子供たちを楽しませるために、ハンプティは大砲ではなくある種の神話的な卵の姿をした生き物として描かれるようになりだした。
問題は、この話には実際の証拠が何もないということだ。人々はこれが詩の「本当のところ」だというふうに言いたがるだろうが、そのような出来事があったとの証言は何も記録されていない(戦闘は現実に起こったが、大砲についての詳細は歴史的記述が何も残されていない)。ハンプティ・ダンプティが大砲だという最初の「説」はイングランド内戦から何百年もたってから登場し、情報源の裏付けもなかった。
おまけに、どの城壁がそれに当たるのかについても諸説ある(街の中心部にある教会の塔だという仮説もある)。大砲が転落したのは爆撃時の衝撃の反動のせいだという説もあれば、知られている最古のバージョンの詩では「王様の家来」ではなく「80人の男」になっていた、などの説もある。
だからこそますます、周知の事実もないのに人々がそれらしき話を作り出そうとしているように見えてしまう。もしかしたらこの詩は、特定の事件など何も関係のなく、傲慢さをテーマにしたちょっとした詩だったのかもしれない。この手の伝説は何かしら人間の本質を物語っていることが多いから、僕はいつもこういう話に興味を引かれる。
人々は物語を「完成」させては、吹聴し合いたがる。イングランド人はまた、ヘンリー8世がアン・ブーリンをイメージして「グリーンスリーブス」の歌を作ったと信じている(事実ではない)。
「posh」の語源も怪しい
あるいは、「posh(上流な、しゃれた)」という言葉は、植民地時代にインドに航海する際の快適な乗船法を指した「Port Out, Starboard Home(行きは左舷側で、帰りは右舷側の客室で)」から派生したと言われている(どちらも強烈な日差しを避けられる客室)。「彼らは『posh』に旅行していると言われていて、それこそがこの言葉の由来だ......」との説明を耳にするかもしれない。
こちらもまた、語源はそんなに明らかになっていない。クルーズ客船の時代より前に軍隊のスラングとして既にこの言葉が存在していたという証拠もある。海運会社が「posh」な旅を宣伝したとか、乗客がこの言葉を使っていたとかいう文献も残っていない。
でも忠告しておくと、イングランド人にこの手の話をされても、反論しないでやることだ。そんなことしたら、彼らはひどく動揺してしまうだろうから。さも驚いたような顔をして、そんな話を「教えてやった」彼らがどんなに上機嫌な顔をしているか見るほうが、はるかに簡単だ。
<超有名な童謡の基になった事件や、独特の言葉が誕生した経緯など、イングランドの人が吹聴する話に疑問を感じても、反論しないであげて>
ちょっとしたニュースだが、僕の住む市(イングランド南東部エセックスのコルチェスター)の目抜き通りに新たな像がお目見えした。童謡「Twinkle Twinkle Little Star(きらきらぼし」の詩を書いたジェーン・テイラーと、その妹アンの像だ。
テイラー姉妹はわが市コルチェスターに暮らし、ジェーンは夜空の星を見上げている時にあの詩を思いついたと言われている。ちょうどこの像のすぐ近くにあった、屋根裏部屋の窓から。
コルチェスターにお目見えした「きらきら星」作者のテイラー姉妹の像 COLIN JOYCE
これは小さなわが市の小さな「自慢話」だが、コルチェスター発の「もう1つの」童謡「ハンプティ・ダンプティ」について話題に出す人もいた。この一見ナンセンスな「マザーグース」の詩は実のところ、地元の歴史的事件に基づいていると広く信じられている。
コルチェスターはかつて、イングランド内戦(清教徒革命、1642~1651年)の戦場だったことがある(第2次イングランド内戦の1648年)。直前に成立した共和制政府に反旗を翻し、王党派が街を占拠したのだ。
オリバー・クロムウェルの軍は郊外の丘の上から街を爆撃し、城や、現在僕が住む家の近くにある修道院などの要塞を標的にした。王党派は彼らよりも低地に陣取っており、大砲の射程距離が十分でなかったので、反撃することができなかった。
いつしか子供向けの卵の姿に
伝えられるところによれば、王党派は持っている中で最大の大砲、通称ハンプティ・ダンプティを城壁の上に設置し、そこから共和派を攻撃できるのではないかとの計画を思いついたという。
だが、バランスがうまくいかなかった。大砲は城壁から倒れてひびが入り、修理は不可能に。こうして全てのつじつまが合う――ハンプティ・ダンプティ、壁の上/ハンプティ・ダンプティ、大転落/王様の馬と王様の家来がみんなでかかっても/ハンプティを元に戻せなかった――。
そしてある時点から、子供たちを楽しませるために、ハンプティは大砲ではなくある種の神話的な卵の姿をした生き物として描かれるようになりだした。
問題は、この話には実際の証拠が何もないということだ。人々はこれが詩の「本当のところ」だというふうに言いたがるだろうが、そのような出来事があったとの証言は何も記録されていない(戦闘は現実に起こったが、大砲についての詳細は歴史的記述が何も残されていない)。ハンプティ・ダンプティが大砲だという最初の「説」はイングランド内戦から何百年もたってから登場し、情報源の裏付けもなかった。
おまけに、どの城壁がそれに当たるのかについても諸説ある(街の中心部にある教会の塔だという仮説もある)。大砲が転落したのは爆撃時の衝撃の反動のせいだという説もあれば、知られている最古のバージョンの詩では「王様の家来」ではなく「80人の男」になっていた、などの説もある。
だからこそますます、周知の事実もないのに人々がそれらしき話を作り出そうとしているように見えてしまう。もしかしたらこの詩は、特定の事件など何も関係のなく、傲慢さをテーマにしたちょっとした詩だったのかもしれない。この手の伝説は何かしら人間の本質を物語っていることが多いから、僕はいつもこういう話に興味を引かれる。
人々は物語を「完成」させては、吹聴し合いたがる。イングランド人はまた、ヘンリー8世がアン・ブーリンをイメージして「グリーンスリーブス」の歌を作ったと信じている(事実ではない)。
「posh」の語源も怪しい
あるいは、「posh(上流な、しゃれた)」という言葉は、植民地時代にインドに航海する際の快適な乗船法を指した「Port Out, Starboard Home(行きは左舷側で、帰りは右舷側の客室で)」から派生したと言われている(どちらも強烈な日差しを避けられる客室)。「彼らは『posh』に旅行していると言われていて、それこそがこの言葉の由来だ......」との説明を耳にするかもしれない。
こちらもまた、語源はそんなに明らかになっていない。クルーズ客船の時代より前に軍隊のスラングとして既にこの言葉が存在していたという証拠もある。海運会社が「posh」な旅を宣伝したとか、乗客がこの言葉を使っていたとかいう文献も残っていない。
でも忠告しておくと、イングランド人にこの手の話をされても、反論しないでやることだ。そんなことしたら、彼らはひどく動揺してしまうだろうから。さも驚いたような顔をして、そんな話を「教えてやった」彼らがどんなに上機嫌な顔をしているか見るほうが、はるかに簡単だ。