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自信に満ち、自己主張する「強気な国」となったインド...国民が熱狂する「強いインド」を支える外相の手腕

ニューズウィーク日本版 2024年5月15日 17時14分

リシ・アイエンガー(フォーリン・ポリシー誌記者)
<生まれたときからエリート街道を歩む「モディの懐刀」、ジャイシャンカル外相の徹底的な強気外交>

全ては北京で始まった。

インドのナレンドラ・モディ首相が、グジャラート州への投資誘致のために北京に乗り込んだのは、まだ同州首相だった2011年のこと。このとき中国共産党の要人や役人、企業、さらにはインド人留学生との会合をアレンジしたのが、当時、駐中国インド大使だったスブラマニヤム・ジャイシャンカル外相だ。

この北京での出会いが、現在まで続くモディとジャイシャンカルの緊密な関係の出発点となった。それは今、インドだけでなく、世界の地政学にも影響を与えようとしている。

ジャイシャンカルは中国での任期を終えた後、13年には駐米大使としてワシントンに赴任。この頃、モディは02年のグジャラート暴動への関与を疑われて、アメリカからビザの発給を停止されていた。だが12年にインド最高裁で事件への責任はなしと判断され、14年には総選挙に勝利して首相に就任すると、アメリカのビザ停止も解除された。

同年9月、ついに訪米したモディは、ニューヨークのマジソンスクエアガーデンで、満員のインド系聴衆に向けて演説を行った。そんな晴れ舞台のお膳立てをしたのも、駐米大使のジャイシャンカルだった。

その4カ月後、モディは、外務省から数日後に退官する予定だったジャイシャンカルを外務次官に抜擢。19年には外相に任命した。

こうして外務官僚から政治家に転じたジャイシャンカルは、従来とは大きく異なるスタイルの外交を展開し始めた。国際社会におけるインドの「正しい位置付け」を明確にするべく、自信に満ち、自己主張が強く、誇り高きヒンドゥー至上主義的な姿勢を前面に打ち出すようになったのだ。

インド政府の方針と一致しないとみると、ジャイシャンカルは欧米の外交官やシンクタンク、ジャーナリストに公然と食ってかかる人物として知られるようになった。また、非同盟ならぬ多同盟主義と戦略的自立の原則に基づき、インドは自らの国益のために、自らの判断で行動する姿勢を明確にした。

このようにモディの考え方にぴったり寄り添う外交を展開してきたジャイシャンカルだが、実のところ2人は、正反対の世界の出身だ。

出身階級も話す言葉もモディとは違う

ジャイシャンカルは首都ニューデリーで生まれ育ち、デリー大学セント・スティーブンス・カレッジとジャワハルラル・ネール大学(JNU)という、国内最高峰のエリート教育機関2つで学んだ。JNUで国際関係学の博士号を取得したときの研究テーマは核外交だった。

これに対してモディは、グジャラート州の小さな町で紅茶売りの貧困家庭に生まれ(その出自は政治家として重要なアピールポイントになっている)、ヒンドゥー至上主義組織の民族義勇団(RSS)に加わったのを機に政界入りした。RSSは、現在モディが属するインド人民党(BJP)のイデオロギー的基盤となった組織だ。

2人は操る言葉も違う。モディは国内でも外遊時も基本的にヒンディー語で話すのに対し、ジャイシャンカルは主に英語で話をする。

経歴だけを見ても、ジャイシャンカルは、台頭著しいインドの外交政策の陣頭指揮を執るにふさわしい人物だ。1970年代後半のソ連に始まり、日本、チェコ、シンガポールなどに赴任。40年間の外交官人生の締めくくりに、中国とアメリカという最重要国の大使を務めた。インド外務省の米州局長として、アメリカとの民生用原子力協力をまとめた実績もある。

ジャイシャンカルは、モディのヒンドゥー至上主義的姿勢も熱心に擁護してきた。その非自由主義的な側面や、マイノリティーの扱い(特にイスラム教徒に対する暴力の増加)が批判されると、徹底的に反論する。「過激かどうかは見方の問題だ」と、今年2月にニューデリーで開かれた国際会議でも語っている。

首相就任からの10年間で、モディが各国首脳と大げさなハグを交わす熱いリーダーのイメージを世界に広める一方で、ジャイシャンカルは国際的な経験を武器に、モディのビジョンを世界に伝える完璧な役割を果たしてきた。外務次官就任以降に刊行された2冊の著書は、彼の世界観と、インドの外交政策が変わりつつあることを教えてくれる。

それは『インド外交の流儀』(邦訳・白水社)と『なぜバーラトが重要なのか』(未邦訳)というタイトルからも明らかだ。バーラトとは、ヒンドゥー文化の要であるサンスクリット語でインドを意味する。

国民は「強いインド」を支持

昨年9月にインドでG20サミットが開催されたとき、モディはインドの正式名称としてバーラトを使用して世界を驚かせた。批判派は、インドをヒンドゥー至上主義の国にしようとする試みの1つだと糾弾した。

だが、モディのナショナリスト的な政策は、けっして国民に不人気ではない。14年の総選挙でBJPは下院543議席のうち282議席を獲得し、インドの政党としては30年ぶりとなる単独過半数を獲得した。世論調査を見る限り、今回も14年と同レベルの議席を獲得できそうだ。

人口で世界第1位、経済規模でも第5位の大国となったインドの政策は、世界にも大きな影響を与える。モディ政権下で、インドは欧米諸国やペルシャ湾岸諸国、そしてグローバルサウスとの関係を強化してきた。また、クアッド(日米豪印戦略対話)、I2U2(インド、イスラエル、アラブ首長国連邦、アメリカの新クアッド)、G20といった多国間協力にも力を入れている。

一方、現代世界の2大紛争では、インドはどの陣営にも肩入れしすぎないよう注意している。ウクライナ戦争ではロシアと欧米諸国の両方に配慮し、イスラエル・ハマス戦争ではパレスチナ自治区ガザにおける人権尊重と2国家解決策を擁護しつつ、イスラエルにインド製ドローン(無人機)を供給したといわれる。

2月下旬、ジャイシャンカルは母校JNUでの講演で、「バーラトとは政体だけでなく、文明国家であることを意味し、(世界の舞台で)より大きな責任を担い、貢献しなければならないことを意味する」と熱弁を振るった。そのためには「国際的なアジェンダに影響を与え、世界の言論を(インドに有利に)形成しなくてはならない」

インドの「戦虎外交」はまだまだ続きそうだ。

From Foreign Policy Magazine

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