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鉄道車両内への防犯カメラ設置を進める日本が、イギリスの「監視カメラ」に学べること

ニューズウィーク日本版 2024年5月15日 17時50分

小宮信夫
<新幹線で起きた悲劇を機に日本でも設置が義務付けられた鉄道内の防犯カメラだが、目立たないよう隠されていては犯罪を抑止する効果はない。日本と欧米諸国で全く異なる防犯カメラ事情を紹介する>

この季節になると思い出されるのが、新幹線の車内で起きた悲劇だ。

2015年6月、東京発新大阪行きの新幹線の車内で、ガソリンをかぶった男がライターで自分自身に火をつけた。そのため、1人が巻き添えとなり、煙による気道熱傷で窒息死した。ほかにも、乗客26人と乗務員2人の合計28人もが重軽傷を負った。

2018年6月には、同じく東京発新大阪行きの新幹線の車内で、ナタを持った男が乗客を切りつけた。その結果、1人が死亡し、2人が重傷を負った。

こうした悲惨な事件を防ごうと昨年、国土交通省は鉄道車両に防犯カメラの設置を義務付けた。設置が必要になるのは、新幹線全線の車両と、特定(1キロ当たり1日平均利用者が10万人以上)の在来線の車両だ。後者は、三大都市圏(東京、大阪、名古屋)の在来線が該当するという。

こうした動きについて、一般の人々の反応はどのようなものだろうか。

Polimill株式会社が提供するSNS「Surfvote」が、「車両内の防犯カメラ設置の義務化」について賛否を尋ねたので、その投票結果を見てみよう。

Surfvoteのウェブサイト (C)Polimill株式会社

この結果を見ると、車内防犯カメラの設置に対しては好意的のようだ。プライバシーを理由に防犯カメラの設置に消極的だと言われてきた日本だが、意識が大きく変わったらしい。

防犯カメラ設置の根拠に「犯罪機会論」

確かにプライバシー、つまり私生活がみだりに公開されないことは保護されなければならないが、公共の場所ではプライバシーは限定的だ。なぜなら、そこでは容姿や行動がすでに公開されているからだ。言い換えれば、プライバシーが制約される場所こそ公共の場所と呼ばれるのにふさわしい。

街頭では防犯カメラの設置は「犯罪機会論」を根拠に進められてきた。犯罪機会論は防犯のグローバル・スタンダードだ。犯罪機会論にはさまざまな個別理論があるが、防犯カメラをいち早く普及させたイギリスでは、内務省が研究してきた「状況的犯罪予防」が主流だ。アメリカで誕生した「防犯環境設計」がマクロの犯罪機会論であるのに対し、イギリスで誕生した「状況的犯罪予防」はミクロの犯罪機会論である。

1976年のイギリス内務省の報告書『機会としての犯罪』が、状況的犯罪予防の発端だと言われている。その基礎には、アメリカのノーベル賞経済学者ゲーリー・ベッカーらの「合理的選択理論」がある。「いかなる意思決定においても、人は自らの満足度が最大になるように行動を決定する」と考える立場だ。とすれば、犯罪は、犯行による利益と損失を計算し、その結果に基づいて合理的に選んだ選択肢ということになる。

こうした視点から、犯行のコストやリスクを高めたり、犯行のリターンを少なくしたりする研究が進められてきた。その結果が1980年の内務省報告書『デザインによる防犯』だ。それによると犯罪機会論の対策は、①犯行を難しくすること、②捕まりやすくすること、③犯行の見返りを少なくすること、④挑発しないこと、⑤言い訳しにくくすること、という5つのグループに分類されるという。このうち、防犯カメラは第2のグループ、つまり、捕まりやすくすることの一手法に当てはまる。

ただし、イギリスでは、「防犯カメラ」ではなく、「監視カメラ」と呼ばれるのが一般的だ。ちなみに日本では防犯カメラと呼ばれることが多いが、リアルタイム・モニタリングをせず、録画のみしているので、その実体は「捜査カメラ」である。どうも日本では、「防犯」と名付ければ、それが自然に実現すると思われているようだ。言霊信仰と言ってもいい。

欧米諸国と日本の違い

現実志向のイギリスでは、車内カメラについても監視カメラと呼ばれている。その歴史は古く、2001年のジュビリー線を皮切りに、ロンドンの公営地下鉄において車内監視カメラの設置が始まった(写真1)。また、リアルタイム・モニタリングをするため、事務所にモニター室が設けられた(写真2)。

写真1 ロンドン地下鉄の車内監視カメラ(数字のゼロの上にカメラ) 筆者撮影

写真2 ロンドン地下鉄のモニター室 筆者撮影

この動きは、犯罪機会論を実践してきた欧米諸国に広まり、車内監視カメラの設置が進んだ。例えば、ウィーン(オーストリア)の地下鉄(写真3)や、メルボルン(オーストラリア)の路面電車(写真4)にも、車内監視カメラが導入された。

写真3 ウィーン地下鉄の車内監視カメラ 筆者撮影

写真4 メルボルン路面電車の車内監視カメラ 筆者撮影

日本でも、2009年に初めて防犯カメラがJR埼京線の車内に設置された。もっとも、当時は大宮方向の先頭車両(1号車)だけだったが、前述したように、義務化という形で防犯カメラの設置が加速されることになった。

もっとも、鉄道会社は相変わらず申し訳なさそうに防犯カメラを設置している。できるだけ目立たないよう配慮しているようだが、この点も欧米諸国とは大違いだ。犯罪の動機を持つ者に防犯カメラの存在を気づかせなければ抑止力にはならない。気づかなくても捜査カメラにはなるが、防犯カメラにはならない。そのため、イギリスでは巨大なポスターが掲示され、車内監視カメラの存在をアピールしている(写真5と写真6)。

写真5 イギリス駅舎のポスター 筆者撮影

写真6 イギリスの車内ポスター 筆者撮影

車内だけでなく、街頭においてもイギリスは世界一の監視カメラ網を構築してきたが、重要なのは設置とセットでプライバシー保護に配慮してきたということだ。つまり、監視カメラの設置自体を問題にするのではなく、個人データとしての画像の取り扱いを問題にしてきたわけだ。

例えば、2000年には、「データ保護法」に基づき、データ保護コミッショナーが初めて法的強制力のある「服務規程」を制定した。これには、個人データとしての画像の収集に関してさまざまな基準が設けられた。例えば、一般の人々に監視カメラがあることを知らせるため、見えやすく読みやすい標識を設置し、そこに責任団体名、設置目的、連絡先を記載することが求められた。また、撮影された者から開示請求があった場合には、約2000円以下の手数料で40日以内に対応することや、必要があれば第三者の画像をぼかしたり覆い隠したりして保護することが求められた。

こうした先進的な事例を参考にして、日本においても、設置の法制化とセットで画像の保護基準の法制化が望まれる。

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