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国公立大学の学費増を家庭に求めるのは筋違い

ニューズウィーク日本版 2024年5月22日 11時40分

舞田敏彦(教育社会学者)
<日本は各国と比較すると、教育費の公的支出が少なく、家計負担が大きい>

「国立大学の学費を年間150万円に引き上げたらどうか」という提言が波紋を呼んでいる。科学技術が進歩するなか、高度な人材を育成するにはお金がかかるため、また大学間の公平な競争環境を作るため、という理由からだ。国公立と私学の学費を同水準にすべきという趣旨で、もし提言の通りになれば国公立大学の学費が3倍に爆上げされることになる。

これには多くの批判が上がっていて、「低所得世帯の子が大学に行けなくなる」という声が多い。地方では、学費が安い(地元の)国公立大学が頼みの綱で、「国公立大学進学か、あるいは就職か」という2択を迫られている家庭も少なくない。

地方において、国立大学への依存度が高いことはデータで表せる。筆者の郷里の鹿児島県を例にすると、同県の高校出身の大学入学者は6373人で、うち国公立大学に入った者は2275人(2023年春)。大学進学者の35.7%が国公立進学者ということになる。全県で見ると、値がもっと高い県もある<表1>。

 

国公立大学進学者のパーセンテージは、県によって大きく違っている。4割を超えるのは9県で、全て地方県だ。島根や秋田では、ほぼ半分が国公立進学者となっている。一方で、首都圏(1都3県)では、1割にも満たない。自宅から通える私大が多いためだろう。

こうした地域差が出る背景には、所得の違いもあるようで、上記のデータは各県の県民所得とマイナスの相関関係にある。所得が低い県ほど、大学進学に際して国公立を選ぶ傾向が高い。

国立大学は、地方の低所得世帯の子弟に、安価で高等教育の機会を提供する機能を果たしているとも言える。国公立大学の学費が爆上げされたら、優秀であっても貧困家庭の子は大学に行きにくくなる。大学進学率の地域格差も拡大する。法が定める教育の機会均等の理念にも反する。

東大をはじめとする上位の国立大学には、富裕層も多くいる。そういう家庭にはもっと費用を負担してもらう、という趣旨であって、低所得家庭からの進学機会が閉ざされないよう、給付型の奨学金を充実させると言われてはいる。だが、その枠をどれほど用意できるかは定かでない。

大学間の公平な競争環境を作るため、国公立の学費を上げるというのは、1970年代の「国立と私立の学費格差が大きすぎるので、前者の学費を上げる」という論理を彷彿させる。これにより引き上げられた国立大学の学費は、今でも十分に高い水準にある。国立と私立の格差が問題と言うなら、後者の学費を下げたほうがいい。

日本の政府の教育費支出は少なく、GDPに占める割合は国際的に見て毎年最低レベルだ(2023年は3.0%)。その結果、大学教育費用の6割を個々の家計が負担する構造になっている。これが特異であるのは、<図1>を見れば分かる。

 

国がカネを出さず、個々の家計の負担が大きい日本は左上にあり、その逆の北欧諸国は右下にある。これらの国では、高等教育費用の大半が公費で賄われている。周知のように、大学の学費もほぼ無償だ。

高度な人材を育成するにはお金がかかる、また大学間の公平な競争環境を作りたい。そのためにもっと費用を負担してほしいと言うなら、個々の家庭ではなく国に求めるべきではないか。<図1>を見る限り、その余地はあるように思える。

「教育にも受益者負担の原則を」という意見もあるが、国民が高等教育を受けることで益を得るのは国だ。

<資料:文科省『学校基本調査』(2023年度)、
    OECD「Education at a Glance 2023」>

 

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