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敗北はほぼ確実? 「何も成し遂げていない」英スナク首相、それでも早期解散せざるを得なかった理由

ニューズウィーク日本版 2024年5月23日 15時57分

木村正人
<英総選挙は秋以降との見方が有力だったが、スナク首相は「今こそ英国は未来を選択する時」と7月4日の実施を表明した>

[ロンドン発]リシ・スナク英首相は5月22日、首相官邸前で演説し「今こそ英国が未来を選択する時」と7月4日に総選挙を行うと表明した。5月上旬の世論調査では最大野党・労働党が与党・保守党を30ポイントもリードしており、政権交代は不可避の情勢だ。

「わが国の経済はドイツ、フランス、米国を上回り、誰もが予想していた以上のスピードで成長している。そして今朝、インフレ率が正常に戻ったことが確認された。これは住宅ローン金利が低下することを意味する」とスナク首相は力説した。

国際通貨基金(IMF)は今年の英国の成長率予測を0.5%から0.7%に引き上げ「英国経済はソフトランディングに近づいている」と発表したばかり。来年は1.5%成長を見込む。「IMFは今後6年間の成長率は欧州のどの国よりも高くなると予測している」(ジェレミー・ハント財務相)

この日朝、インフレ率の2.3%への低下が発表されたものの、予想を上回り、6月に英中銀・イングランド銀行が利下げするシナリオは遠のいた。コロナ危機、過去40年間で最高の11.1%に達したインフレの暗黒トンネルを英国経済は抜け出しつつある。

首相演説をかき消したニューレイバーのテーマソング

スナク首相は「労働党にはプランがない。大胆な行動がない。労働党政権の未来は不確かなものにしかならない。7月5日にキア・スターマー労働党党首か、私のどちらかが首相になる。スターマー氏は権力を手に入れるためなら安易な道を選ぶことを何度も示してきた」と攻撃した。

スナク首相はだんだんひどくなる雨でずぶ濡れになった。首相官邸の外では活動家たちが、トニー・ブレア首相誕生時のニューレイバー(新しい労働党)のテーマソング「Things Can Only Get Better」(D:Ream)を最大音量で流し、スナク首相の演説はかき消された。

ブレア氏のようなカリスマ性がないスターマー党首は「保守党の混乱が英国経済にダメージを与えた。労働党への投票は政治の安定をもたらすチャンスだ。保守党にあと5年与えても事態は悪化するだけだ。英国はもっといい国になるべきだ」とやり返した。

欧州連合(EU)強硬離脱派を源流とする右派ポピュリスト政党「改革英国」が最大15%の支持率を集める。保守層は保守党と改革英国に分裂している。敗北が確実視されるにもかかわらず、来年1月まで総選挙を先延ばしできるスナク首相はなぜ早期解散を決断したのか。

BBC政治部長「今やらなければもっと悪くなる」

英BBC放送のクリス・メイソン政治部長は、数週間前には「秋の総選挙」が有力だったが、「今やらなければもっと悪くなる可能性がある。今日のインフレ率は成功の部類に入る。経済全体も少し明るくなっている。難民申請者をルワンダに送る計画もある」と解説する。

解散・総選挙を先延ばししても「Things Can Only Get Worse」というわけだ。

インフレ率低下にしてもエネルギー価格の下落が大きく、保守党政権の貢献はほとんどない。デービッド・キャメロン首相(当時)が2013年にEU離脱の是非を問う国民投票を約束してから、英国は右派ポピュリストに鼻面を引き回され、二日酔いのような迷走を続けてきた。

国防費GDP比2.5%への引き上げ、富士通がポストオフィスに納入した勘定系システムの欠陥による民間委託郵便局長ら736人の冤罪事件、汚染血液製剤・輸血で3万人以上がヒト免疫不全ウイルス(HIV)や肝炎に感染し約3000人が死亡した医療災害の補償で政府は首が回らない。

世論調査に詳しい英ストラスクライド大学のジョン・カーティス教授(政治学)は英紙タイムズに「スナク首相は早期解散という大きな賭けに出た。1年半の間にほとんど何も成し遂げていない彼が今後数週間で何を達成できると考えているのかは明らかではない」と寄稿した。

2カ月以内にがん治療を受けられたのは6割未満

スターマー党首は6つの政策を掲げる。(1)経済の安定(2)国民保健サービス(NHS)の待ち時間短縮(3)新しい国境警備司令部の立ち上げ(4)公営エネルギー会社の設立(5)反社会的行為の取り締まり(6)主要教科の教師6500人の採用――だ。

政権交代すれば政治の安定は回復する。しかし経済と財政を立て直すのは難しい。IMFは英国の金利を現在の5.25%から来年末までに3.5%に引き下げるべきだと勧告するが、それもインフレ次第。今後5年間は公共サービスの支出が増え、年300億ポンド(約6兆円)の財源不足に陥る。

病院で治療を受けるのが非常に困難になっているため、予約なしで診てもらえるNHS病院の救急救命室(A&E)は駆け込み寺状態だ。昨年9月、病院での治療待ち患者数は約780万人となり、過去最高を記録した。2カ月以内にがん治療を受けられたのは6割にも満たない。

英国最大の強みは大学・大学院の高等教育。逆に弱みは義務教育だ。保守党は英仏海峡を渡るボート難民対策に血眼だが、皮肉にも22年の1年間で74万5000人(EU離脱前の目標は30万人)に達した移民の純増が英国経済復活のカギを握る。労働力化できれば経済効果は大きい。


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