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【米中覇権争い】アメリカの「戦略的要衝」カリブ海でも高まる中国の影響力、「キューバ危機」の再来も!?

ニューズウィーク日本版 2024年6月14日 13時26分

ディディ・キルステン・タトロウ(国際問題担当)
<米軍基地が引き揚げたカリブ海の小国「アンティグア・バーブーダ」に中国の経済特区が出現した。国家並みの行政機能を持つ海運ハブは諜報拠点にもなる>

米領バージン諸島までは300キロとちょっとの距離だ。ここはカリブ海東部に浮かぶ小さな島。その一角を占める広大な森とその先に広がるマリンブルーの海をぐるりと指さして、暑いのに全身黒ずくめの警備員が中国語で言った。

「どうだ、1つの国みたいだろ」

この島の名はアンティグア。独立国アンティグア・バーブーダの首都セントジョンズがある。まるで地上の楽園だが、もうすぐ政府の役人は中国の習近平(シー・チンピン)国家主席の思想を学ぶことになる。中国企業の仕切る経済特区(SEZ)ができるからだ。

本誌が入手した資料によれば、経済特区内には税関や入国管理所、港湾施設、専用の航空会社ができ、独自の旅券も発行する。そして物流だけでなく、暗号資産(仮想通貨)や美容整形といった分野の企業、さらに「ウイルス学」の研究所も進出してくるらしい。

カリブ海には「アメリカ第3の国境」とも呼ばれる戦略的に重要な島がたくさんある。そんな場所で、中国の国有企業とその系列企業が急速に存在感を高めている。アメリカにとっては座視できない事態であり、1960年代にソ連がキューバに拠点を築いて以来の深刻な外的脅威となりかねない。

実際、米軍は懸念を深めている。「中国は商業的・外交的プレゼンスを軍事目的に利用するかもしれない。現にアジアやアフリカ、中東では商業協定を悪用し、相手国の港湾を軍事目的で利用している。ここでも同じことになりかねない」。米南方軍司令部(フロリダ州)の広報担当は本誌にそう語った。

かつてアメリカの「裏庭」と見なされた島国が中国から何億ドルもの融資や支援を受け、中国の国有企業が港湾や空港、水道などの基幹インフラの建設を請け負い、いつの間にか国全体が中国の「前庭」と化してしまう。そんな予感がする。

PORCUPEN WORKSーSHUTTERSTOCK

セントジョンズで本誌の取材に応じたガストン・ブラウン首相は、中国と習への賛辞を惜しまなかった。アンティグア・バーブーダの人口は10万人に満たず、国土の面積は約440平方キロ。

ブラウンに言わせると、欧米諸国は同国の必要とする援助をしてくれないが、「中国は信義を重んじる国であり、小さな国や貧しくて疎外された人たちに一定の共感を寄せている」。

彼は今年1月に中国を1週間かけて訪問した。滞在中に首都北京で大使館を開設(国交は1983年からある)し、少なくとも9つの覚書を交わした。中国の船舶と船員に航行の自由を認めること、ガバナンスに関する習近平思想をアンティグア・バーブーダ政府の関係者が学ぶこと、などが含まれている。

アンティグア・バーブーダのガストン・ブラウン首相と中国の習近平国家主席(今年1月、北京) OFFICE OF THE PRIME MINISTER OF ANTIGUA & BARBUDA

情報活動の拠点を兼ねるか

中国は口だけでなく金も出す。だから「頼れる貸し手」であり、金利は2%で5年間の返済猶予もあるとブラウンは本誌に語った。アンティグア・バーブーダは2018年にカリブ海諸国の先陣を切って中国の「一帯一路」構想に参加している。

この地域にいる欧州・アジア諸国の外交官の見立てでは、中国の関心は経済的なものに限らない。新しい大使館は規模と厳重な警備ゆえに「要塞」と呼ばれているが、スパイ活動の拠点である可能性も高い。

米政府によると、中国はキューバにも同様の拠点を設けているが、キューバでは米政府の監視が厳しい。だからアンティグアを新たな拠点ないし後方基地と位置付けたらしい。

米南方軍司令部の広報担当はこう述べた。「中国がカリブ海地域で進めている物流インフラへの投資を見ると、国有企業や現地の中国人に軍事目的の諜報活動をさせている可能性がある。中国共産党には公務員を標的に勧誘や贈賄の慣行があるので、なおさら憂慮される」

過去にアメリカは南北米大陸で覇権を確保していた。

19世紀にはモンロー主義を掲げ、外国による政治介入を潜在的な敵対行為と見なした。1962年のキューバ危機ではソ連による核兵器配備に猛反対し、世界は核戦争の瀬戸際に立たされた。83年には米軍がグレナダに侵攻して親ソ政権を倒した。

もともと英領で奴隷制度があったアンティグアでは、中国の影響力拡大に不安を覚える人もいる。今はチャールズ英国王を国家元首としているが、共和制への移行を問う国民投票が計画されてもいる。

野党・統一進歩党のジゼル・アイザック議長は首都郊外の自宅でこう語った。「この国は中国に主権を売り渡した。そう思っている人はたくさんいる。中国は超大国として、もっと戦略的要衝を手に入れたいのだろう」。

中国企業が建設したセントジョンズの港湾を利用するような人たちは、中国との関係について多くを語ろうとしないそうだ。「要するに、弱みを握られているからだ。下手に口を滑らせれば自分の身に危険が及ぶ」

同党の議員で、ラジオ番組の司会者でもあるアルジャーノン・ワッツも同様な懸念を表明し、「カリブ海ではお金が王様だ」と言った。

セントジョンズに中国が建設した商業用海運港 DIDI KIRSTEN TATLOW

借金漬けになる「一帯一路」

本誌はアンティグア・バーブーダ財務省に具体的な数字を問い合わせたが、返答はなかった。

だが資料によると、22年までの中国からの融資額は1億7600万ドルで、その後も増えている(メルフォード・ニコラス情報相が本誌に語ったところでは、北京で合意された水道管更新事業でも約6000万ドルの融資が約束された)。

この国の国民1人当たりGDPは年1万9300ドル程度だが、中国からの借金は1人当たり2400ドル以上という計算になる。

中国は「一帯一路」構想で世界中にプレゼンスを広げてきたが、相手国を借金漬けにして植民地化しているに等しいとの批判がある。いい例がアジアのラオスやスリランカ、さらにアフリカ諸国などだ。中国は、いずれも「ウィンウィン」の協力関係だと反論しているが。

カリブ海諸国における中国のプレゼンス拡大は、アメリカにとって厄介な事態である。

「大胆な動きだ。カリブ海はアメリカにとって戦略的に重要な地域だ」と言ったのは、カンタベリー大学(ニュージーランド)のアンマリー・ブレイディ教授(国際関係学)。

中国は他の地域でも同じように小さな島国を取り込み、習はロシアのウラジーミル・プーチン大統領とも巧みに連携し、「毛沢東とスターリンが果たせなかった夢」の実現に向かっている。

米南方軍司令部によると、過去5年間に中国は東カリブ海での外交で「大成功」を収めている。「西半球での商業活動を可能にするため、東カリブ海に大規模な物流拠点を求めているのだろう」

アメリカ人なら、カリブ海といえば白い砂浜と青い海、新婚旅行、ラム酒、スパイシーなジャークチキンを連想するかもしれない。だが中国はもっと大きな価値を見いだしているのだと、ペンシルベニア州カーライルにある米陸軍大学校戦略研究所でラテンアメリカを担当するエバン・エリス教授は言う。

「中国はカリブ海を戦略の要衝と見なし、過度にアメリカに警戒させることなく支配力を広げたいと考えている」と、エリスは本誌に語った。ドミニカ、グレナダ、バルバドス、そして「ある程度は」ジャマイカにまで友好の輪を広げているという。

もちろん「アメリカも注視してはいるが、首都ワシントンで警報が鳴るほどではない。少しずつ、目立たぬように影響力を増しているからだ」

キューバ危機をめぐるアメリカの行動に抗議する核軍縮活動家(1962年) GETTY IMAGES

新たな経済特区は1月16日にセントジョンズで、SEZホールディングス(SEZH)の名で法人登記された。以前に中国資本が手がけていた事業を引き受けた形で、既に2500万ドルで土地を取得し、さらに1億ドルの新規投資を見込んでいる。

ちなみに経済特区内では独立国家並みの特権が認められることになっているが、その場所はアンティグア最大の軍事基地と、かつての米軍基地に隣接している。

アンティグア・バーブーダ政府が今年になって発行したライセンスの条項を見ると、SEZHは独立の経営委員会を設立し、「特区内の税関、入国、警察サービス」を提供する。商業活動に対する制限はなく、許認可は同国政府ではなく同委員会が出す。税金はかからず、顧客と資産内容の秘密は守られるという。

土地の面積は約6.5平方キロで、周辺の海域を含めると、その3倍の広さになる。そしてここには、中国国有企業である中国鉄建総公司の子会社の中国土木工程集団有限公司(CCECC)がセントジョンズに建設した港に次ぐ2番目の商業用港湾施設ができる予定だ。

本誌が独自に入手し精査した文書によると、1月31日には特区専用の航空会社「ABSEZ国際航空」も登記されている。定款には旅客や貨物の輸送、さらには空港の建設に加え、収益力を高める「その他あらゆる事業」も加えられている。

また「アンティグア・バーブーダ国際CRYPTOサービス地区」というのもあり、ここでは暗号資産のマイニングからディーリングまで、あらゆる業務を提供するという。

なお出資者たちの身元や中国当局とのつながりについては、本誌の調査でも明らかにならなかった。

特区運営に関わる謎の中国人

本誌が閲覧した経済特区運営会社の取締役会議の資料には、「トアン・ホンタオ」なる人物が議長と記されていた。彼の名は、この特区に関する契約が交わされた時期に5人の実業家を乗せてロンドンからアンティグアに飛んだプライベート機の乗客名簿にも載っていた。

また彼の氏名と生年月日は、中国の銀行から3億ドルを詐取した容疑でインターポールから国際手配されている中国人と一致する。ただし前例を見る限り、犯罪の容疑は国外で中国共産党の利益に貢献する中国人にとって何の障害にもならない。

このフライトには国有企業である「中国中鉄」に勤務していたことがある中国籍のチャン・ユイも同乗していた。特区の警備員が本誌に対して上司と認めたチャン・チャンリーという人物も取締役会に出席していた。電話取材に応じたチャンは、自分は「ただの従業員」だとしてコメントを拒んだ。

新経済特区で建設中のスタジアムで働く中国人建設労働者たち GEMMA HAZELWOODーBLOOMBERG/GETTY IMAGES

米政府の現職および元関係者によれば、この特区に関わる別の中国人はアンティグア・バーブーダとアラブ首長国連邦(UAE)の間を定期的に往復し、UAEの港湾プロジェクトにも携わっていた。なおアメリカは21年に、同国のハリファ港に中国の軍事施設が建設されるのではないかと疑い、異議を申し立てた。

アンティグアにおける中国の存在感は、ブラウン率いるアンティグア・バーブーダ労働党が与党となってから急速に拡大した。

またCCECCは20年に、アンティグア島に地域本社を開設したが、その場所は中国資本で建てられた国立競技場のすぐ隣。VCバード国際空港の再開発も中国企業が手がけた。

西インド諸島大学のアンティグア分校には孔子学院がある。またニコラスによれば、中国政府の奨学金で約88人のアンティグア・バーブーダ人学生が中国の大学で学んでいる。

チャールズ・フェルナンデス観光・航空相は本誌に、体育会系の奨学金しか提供しないアメリカの大学と違って中国は気前がいいと語った。「アメリカ人はアンティグアに何も投資していない」とフェルナンデスは言い、15年にレーダー追跡基地を閉鎖したときも機材の「全てを持ち去った」と語った。

中国の自動車大手・比亜迪汽車(BYD)は4月に現地ディーラーを立ち上げており、ブラウンによれば、近くタクシーとバス用のEVが中国本土から到着する。

中国大使館はまるで要塞

アンティグアの中国大使館は、既にその権力の象徴となっている。アンティグア・バーブーダ政府が中国にわずか1東カリブドル(米ドル換算で40セント)で売却した敷地は2万平方メートルと広大だ。

30台以上の監視カメラと4層の電線に覆われた高いコンクリートの壁に囲まれ、2カ所の入り口は金属製の柵に守られている。議会の議事堂にも車で自由に乗り付けられるこの国で、このレベルの高度なセキュリティー対策は異様だ。

匿名で取材に応じた2人の現地駐在外交官によれば、この大使館は諜報活動や盗聴の拠点として使われている疑いがある。大使館で働いている職員数についての公表された情報は、施設の規模に比べて少なすぎる。そこに「秘密のスタッフがいて、その人たちの情報は見えないように隠されていると考えるのが妥当」だという声も聞いた。

米南方軍司令部は現時点で「情報収集拠点」としての設備、例えば衛星の「基準局」のようなものは確認していないが、中国側の不審な建造物についてはカリブ海全域で精査を進めているという。

「中国がカリブ海で行う諜報活動は、ほぼ間違いなく、メキシコ湾とカリブ海におけるアメリカと周辺地域の商業・軍事的な動きを標的にしたものと認識している」と、報道官は述べた。

広大な敷地と要塞のように厳重なセキュリティーで守られたアンティグアの中国大使館 DIDI KIRSTEN TATLOW

中国がこの地域での存在感を強化する主な理由は、台湾のさらなる孤立を図ることだろう。

台湾独立を承認している12カ国のうち7カ国はカリブ海地域とラテンアメリカ地域にある。それぞれが国連での投票権を持ち、中国としては何としても自国の陣営にくら替えさせたいところだ。

近隣国の外交官によると、在アンティグア・バーブーダ中国大使館の職員は頻繁に、台湾を承認しているカリブ海諸国の高官と接触しているらしい。

中国がアンティグアで堂々と活動しているのに比べ、アメリカは1994年に大使館を閉鎖し、飛行機で1時間以上離れたバルバドスに移転した。アンティグアには週3日だけ開く領事代理事務所しかない。

米国務省は本誌の問い合わせに、カリブ海地域での外交拠点を拡大する計画だと電子メールで回答してきたが、詳細は明かさなかった。

ブラウンらが北京で署名した協定には、両国間のビザなし渡航や、ビジネス面の協力関係の拡大が含まれており、アンティグアをカリブ海における中国海運のハブとする計画も含まれている。

さらに、両国メディアの協力関係を深めること、アンティグア・バーブーダと中国で、統治と経済発展に関する習近平思想を学ぶ合同セミナーの開催も盛り込まれていた。

ブラウンによれば、習思想の学習は義務ではないが、ジョー・バイデン米大統領の考え方を理解するのと同様に意味がある。「アンティグア・バーブーダ政府がどこかの国のイデオロギーに取り込まれることはない。わが国には自前の統治システムがあり、それを実行している」

「誰の属国にもならない」とブラウンは断言しつつ、こうも語った。「中国は他の大国に比べて、わが国のように小さな国にも十分な敬意を払ってくれている。われわれを厄介者扱いする国もあるが、中国とは互いにリスペクトする関係だ」

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