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ニューヨークの摩天楼はなぜ「過剰」なのか?...アメリカの都市の「アトラクション化」は100年前に始まった

ニューズウィーク日本版 2024年6月26日 11時0分

坪野圭介(和洋女子大学准教授) アステイオン
<カフェやレストランから高層ビルに至るまで、ニューヨークに人工空間を感じるのはなぜか。アメリカという「ファンタジーランド」について> 

2024年3月、ニューヨークの新しい人気スポットをいくつか見て回る機会があった。ひとつは「サミット・ワン・ヴァンダービルト」という名の展望台だ。

2020年に開業したばかりの超高層ビル、ワン・ヴァンダービルトの91〜93階から、マンハッタンのスカイラインを一望できる。ただし床や天井が全面鏡張りになっているため、何重にも増殖して映し出される人々と風景のなかで、位置感覚が失われていく不思議な混乱を味わうことになる。

一方、2022年にマンハッタンに誕生した「ライズ・ニューヨーク」は、近年流行している「イマーシヴ体験」を売りにした、ミュージアムと没入型ライドが融合した施設だ。

最大の呼び物であるフライト・シミュレーション・ライドでは、マンハッタンの高層ビル群の隙間を実際に飛行しているようなスリルが、本物の風や霧や匂いとともに押し寄せてくる。

かつて建築家レム・コールハースは、ニューヨークの摩天楼が、ブルックリン南端に作られた遊園地コニーアイランドの「空想世界のテクノロジー」から生成されていったという、ユニークな都市の歴史を描き出してみせた。

現在のマンハッタンの超高層ビルは、まさしく遊園地を思わせるアトラクションとして活用されている。都市そのものが巨大なテーマパークになっているといってもよいだろう。

筆者は『遊園地と都市文学──アメリカン・メトロポリスのモダニティ』(小鳥遊書房、2024年)という本のなかで、19世紀末から20世紀初頭のアメリカ合衆国の都市がすでにして、アトラクションかつスペクタクルと化していた状況を考察した。

約100年前のアメリカには、およそ2000もの遊園地が作られ、映画とともに大衆文化の中心に位置しただけでなく、都市そのものの象徴ともなっていたのである。

19世紀末のアメリカは、大量の移民が過密な都市人口を形成するとともに、摩天楼や電灯や路面電車など新たな構造物が次々と誕生した時代でもあった。

都市空間は、多彩な見世物や照明装置や遊戯機械に人々が魅了される遊園地と同じような「仕掛け」によって駆動する場所に変わっていった。現在のニューヨークの「アトラクション化」は、ある意味で100年以上前のアメリカに生じた変化と地続きだと考えられる。

当時の文化状況は、詩や小説の中にはっきり刻み込まれている。たとえば本書では、1925年に発表されたF・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』という小説が、ニューヨークを遊園地に似た空間として表現している点に着目している。

主人公ジェイ・ギャツビーが夜な夜な開催する豪華なパーティーに集まる人々は、作中で「遊園地の規則のごときもの」に従っていたと説明される。

もうひとりの主人公であり語り手であるニック・キャラウェイは、ギャツビーの屋敷をはじめ、各登場人物の家に次から次へ誘われていく。

仔細に見ていくと、どの家にも遊園地のアトラクションを思わせる過剰な描写が施されている。さらに、作中に移動手段として登場する自動車も、ローラーコースターのようなスピードとスリルがことさらに強調されている。

そのように遊園地と重ね合わされた都市を舞台に、物語は交通事故と殺人による二重の死へと突き進んでいく。「交通事故」と「死」は、遊園地の多くのアトラクションの基本的なテーマだった。

事故や死のリスクをぎりぎり回避してみせることで、快楽が生じる。『グレート・ギャツビー』は、遊園地の時代が生み出した快楽と危険の表裏の関係を巧みに描き出していたのである。

本書では、他にもさまざまな文学作品を扱いながら、遊園地の原理を持ち込んだ都市空間が、文化と身体と環境の関係を変容させる過程を捉えようと試みている。

1890年代のシカゴ万国博覧会の開催やコニーアイランドの誕生以降、遊園地のモードを生きる人々は、機械装置に身体を運ばれながら、精神や理性よりも神経への刺激に突き動かされて行動するようになった。

もちろん、そうした変化には良い側面もある。大衆文化の隆盛は、19世紀アメリカ社会の堅苦しい規律からの解放を人々にもたらした。

過密かつ動的な都市空間は、時にジェンダーや人種や階級の強固な境界線を取り払う場にもなった。遊園地の新しいリズムが、生のあり方をいくらか自由にしたのである。

けれども、再び現在に立ち返ったとき、ディズニーランドとどこか似通った、徹底した管理ゆえの快適さを特徴とする21世紀の都市の姿に、同種の自由を見出すことはかなり難しい。

カフェやレストランから摩天楼に至るまで、テーマ化が貫かれたメトロポリスは、画一化された窮屈な人工空間に感じられる。

冒頭に挙げた、高層ビルを舞台や主題にした「アトラクション」で、筆者は出口のない偽物のマンハッタンに迷い込んでしまったような奇妙な錯覚に陥った。

こうしたアトラクションが、いずれも身体感覚に働きかけることで、現実とは異なる「幻想」に没入させる効果をもっている点に今いちど注目しておこう。

サミット・ワン・ヴァンダービルト 筆者撮影

カート・アンダーセンは、ベストセラーとなった『ファンタジーランド──狂気と幻想のアメリカ500年史』(山田美明・山田文、東洋経済新報社、2019年)のなかで、16世紀のヨーロッパ人のアメリカ大陸移住から、2016年のドナルド・トランプ大統領誕生に至るまで、アメリカ社会がいかに現実を不合理な幻想に置き換えてきたかを丹念に辿っている。

アンダーセンいわく、信者一人ひとりが真実を解釈するプロテスタントの考え方と、誰もが自由に物事を思考できる啓蒙思想が混じり合い、独自の発展を遂げた先に、狂信的な宗教や疑似科学、ショービジネス化する政治、強固な陰謀論といった、アメリカに顕著なファンタジーが次々と生み出されていった。

とりわけこの数十年間で、アメリカは完全な「ファンタジーランド」になってしまったのだと、アンダーセンは嘆く。そのような一種の思想史の展開と、超高層ビルのアトラクション化は、パラレルに生じた現象だと捉えられる。

しかし、2001年に起きた同時多発テロ事件による世界貿易センタービルの崩落を、映画のようなスペクタクルとして記憶すべきではないし、今年ふたたび大統領選に臨もうとしているトランプ氏が所有するトランプ・タワーを、「トランプ劇場」が展開するアトラクションとして消費すべきでもないだろう。

そのような視線はたとえば、アメリカや世界で悲惨な事件や戦闘が生じるたびに、マンハッタンの超高層ビルが影を落とす地上で行われている、デモ活動の抗議の声や、警官との激しい衝突や、生々しい暴力といった現実を覆い隠してしまう。

ますます高度に拡張していく幻想に没入させられながらも、アメリカというファンタジーランドの「仕掛け」を冷静に分析することで、現実の身体と空間につながっているはずの「出口」を探しつづける必要がある。

坪野圭介(Keisuke Tsubono)
1984年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。現在、和洋女子大学准教授。専門はアメリカ合衆国の文学と文化。著書に『遊園地と都市文学──アメリカン・メトロポリスのモダニティ』(小鳥遊書房、2024年)。訳書にホイト・ロング『数の値打ち──グローバル情報化時代に日本文学を読む』(共訳、フィルムアート社、2023年)、パトリシア・ハイスミス『サスペンス小説の書き方──パトリシア・ハイスミスの創作講座』(フィルムアート社、2022年)、ベン・ブラット『数字が明かす小説の秘密──スティーヴン・キング、J・K・ローリングからナボコフまで』(DU BOOKS、2018年)など。「世紀転換期ニューヨークの発展と文学的想像力」にて、サントリー文化財団2014年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。

『遊園地と都市文学──アメリカン・メトロポリスのモダニティ』
  坪野圭介[著]
  小鳥遊書房[刊]

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『ファンタジーランド──狂気と幻想のアメリカ500年史』
  カート・アンダーセン[著]山田美明・山田文[訳]
  東洋経済新報社[刊]

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