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なぜ日本の「国語の教科書」に外国文学作品が載っているのか?

ニューズウィーク日本版 2024年7月3日 10時53分

秋草俊一郎(日本大学大学院総合社会情報研究科准教授) アステイオン
<日本文学作品以上に「国民的」な読み物として世代を超えて人々の記憶に刻まれつづけてきた、外国文学作品と国語の教科書の歴史について> 

すべては翻訳だった?

維新後、欧米に伍することを目指した明治政府はそれを模した教育制度を整えようとした。そのため使われた教科書も、当初は外国の教科書をかなりの程度直訳した翻訳教科書だった。

国語教育もその例に漏れず、大きなウェイトを占めていた「読本」もアメリカのリーダーを翻訳したものが広く普及していた。つまり、もとをただせば私たちの「国語」とは翻訳という型によって決められたという面が多々あるということだ。

また、英語の教本も初期は外国のリーダーがそのまま用いられた。そうして見ると、国語と英語、まったくちがうものというわけではなく、西洋に接触した日本が、近代化のために導入した言語科目だったとも言える。

なお(あまり指摘されないことだが)国語と英語では過去、同じ(文学)教材が使用されていたケースもままある。教育効果の高い教材なら、言語の種類を問わず採用したくなるのが人情だろう。

『教科書の中の世界文学――消えた作品・残った作品25選』(共著、三省堂)は、戦後の検定国語教科書に採用された外国文学作品を時代ごとに、現在からさかのぼるかたちでまとめたアンソロジーだ。

そこでは主に戦後の外国文学教材が紹介されているが、ここでは、そこに至るまで、戦前の翻訳教材や外国文学教材について概観してみたい。

外国文学教材のはじまり

揺り戻しはあるものの、明治期の教育や教科書は西洋の教育や教科書の影響を強く受けていた。読本では、西洋の偉人の伝記(立志伝)や世界の歴史や地理についての啓蒙的な内容のものがよく用いられていた。

こういった初期の読本にも物語(フィクション)が収められており、その後長く用いられるようになったものもあるが、やはり読み物教材という面持ちであって、「外国文学作品」と言えるような作品性、作者性が発揮されているものは少ない。

明治期の文学教材のなかでも戦後にも連続性がうかがえるものをしめそう。ドイツの教科書を参考にしたと言われる官版読本である、文部省編集局編による『尋常小学読本』(明治20年)には「ろびんそん くるうそうの昔話」が収録されている。

「ろびんそん くるうそう の 昔話」挿絵 文部省編輯局『尋常小学読本 巻六』、1887年 近代教科書デジタルアーカイブ

これはもちろんイギリスの作家ダニエル・デフォーの小説『ロビンソン・クルーソー』の抄訳である。なお『ロビンソン・クルーソー』は戦後も国語だけでなく、英語の教科書でも教材として用いられた。

この『尋常小学読本』では、絶海の孤島に流れ着いたくるうそうは、「野蛮人」を鉄砲で撃ち殺したりするが、こういった描写や植民地主義は当然ながら戦後の教科書では批判されていくことになる。

「ふか」挿絵 文部省編『尋常小学国語読本 巻十一』日本書籍、1929年 広島大学図書館 教科書コレクション画像データベース

明治の検定教科書である坪内雄蔵(逍遙)編の冨山房『国語読本 尋常小学校用』『国語読本 高等小学校用』(明治33年)は評価の高かった読本だが、翻訳教材を多数収録していることでも知られている。

たとえば『尋常小学校用』には「ふか」という読み物が掲載されている。南洋での航海中、遊泳している息子に迫るさめを大砲で撃退する水夫の話だが、これはトルストイ原作だ。

「ふか」は第一期国定教科書(明治36年~)、第三期国定教科書(大正7年~)でも用いられ、戦後の検定国語教科書でも使用例がある。

同『高等小学校用』には「おしん物語」(「シンデレラ」)やデ・アミーチス原作の「盲唖学校」(「耳の聞こえない女の子」)も収録されていた。

とはいえ「ふか」もふくめ、それぞれもとはロシアやイタリアの作品ながら、英語のリーダーを経て訳出されたものであり、読本には原作者名も記載されていない。

また「おしん物語」では「シンデレラ」は「おしん」に、「盲唖学校」では、「耳の聞こえない女の子」である「ジージャ」が「お徳」になるなど、猛烈に同化されていた。

こうした例が示すように、この時期の外国文学教材は外国のリーダー経由の翻案読み物だった。

「定番」外国文学教材の誕生

大正10年ごろから、論争を経て文学教育が評価されるようになると、数多くの文学作品が教科書や副読本に取り入れられるようになった。その流れの中で外国文学作品も教材として採用されていく。

もちろん、昭和10年代以降、戦時色が強まると外国文学作品は採用されにくくなってしまうが、それまでに繰り返し、何種類の教科書に掲載される「定番」と言ってもいいようなものも出現している。

ランキングをつくってみるならどうだろう。戦後も根強い人気を誇ったドーデ「最後の授業」や、第三期、第四期(昭和8年~)国定教科書に掲載されたシェイクスピア「リア王」も捨てがたい。

しかし、歴史、つかわれ方、普及度などから判断するなら、やはりシェイクスピア『ジュリアス・シーザー』の「アントニーの演説」と『ヴェニスの商人』の「法廷の場」、およびユーゴー『レ・ミゼラブル』(『ああ無情』)の「銀の燭台」がベストスリーを占めるのではないか。

これら三種の教材を、「外国名作文学三大教材」と呼んでみたい。こうした教材は多くの場合訳者名も明記されており、坪内逍遥や黒岩涙香(のちに豊島与志雄に切り替わっていく)の「名調子」が評価されての採録であることがわかる。

シェイクスピア「ヴェニスの商人の法廷の場」挿絵 佐々政一編『校訂新撰国語読本 巻六』明治書院、1921年 広島大学図書館 教科書コレクション画像データベース

『ジュリアス・シーザー』の「アントニーの演説」は、シーザー暗殺後、棺を前にしてブルータスとアントニーがそれぞれローマの民衆に自分の正義を訴える場面だ。

『ヴェニスの商人』の「法廷の場」は、書面に基づいてアントーニオの肉を求めるユダヤ人高利貸しのシャイロックが、ポーシャ扮する法学者と議論を闘わせる場面である。

「アントニーの演説」(「棺前の演説」「シーザーの死」のような題もある)は、人の心を動かす演説の技術に、「法廷の場」は、法廷のような公開の場で、相手を打ち負かす討論の技法に、教材の力点がそれぞれ置かれている。

こうした教材が栄えた背景には、演説のような言論活動が自由民権運動や女権運動との関わりで教育上も重視されていたが、日本文学にそれらを効果的に描き、なおかつ教材としての使用に耐えうるものがそもそも少なかったことが考えられる。

しかし、人心をつかむ演説も論敵を打ち負かす討論も近代的な国家には必要不可欠なものだ。

いまでは想像が難しいが、こうした「名作」からかつての日本人は言論のいろはを習得しようとした。そして『ジュリアス・シーザー』も『ヴェニスの商人』も、戦後になっても言語活動の実践を重んじる経験主義の影響もあって、長く教材としての命脈を保った。

外国文学教材最大の定番作品

他方で『レ・ミゼラブル』の「銀の燭台」は、言語活動というよりは道徳・倫理に力点が置かれた教材である。これは、出獄したジャン・バルジャンが泊めてくれる宿もなく困っていたところ、教会でミリエル司教に出会う場面の抜粋である。

ミリエル司教はみすぼらしい身なりの怪しい男を銀の食器で最大限もてなす。しかしジャン・バルジャンはそれに応えるどころか、夜になると食器を教会から持ち逃げしてしまう。

翌日、ミリエル司教は憲兵に捕らえられて引きだされたジャン・バルジャンを許しただけでなく、食器に加えて、銀の燭台も持ってこさせて手渡す。司教は呆然とするジャン・バルジャンに、新しい人間として生まれ変わることを諭す。

ここでは明らかに、貧しいものに対する哀れみや、因果応報の論理に主軸を置く近世道徳の域を超えて、神の存在を前提にしたキリスト教的な博愛の精神が打ち出されている。

また罪人に対する赦しや更生といった理念もうかがうことができる。西洋やその近代を理解するためにはこういった教材を用いて、その宗教的な心のかたちすら取り入れる必要があったのだ。

とはいえ戦前には、ジャン・バルジャンが教会の物品を盗む描写は問題だったのか、「銀の皿」「同胞兄弟」のような題名で、ミリエル司祭がジャン・バルジャンを銀の食器でもてなす場面までの採録のケースも多かった。

ユーゴ―「銀の皿」挿絵 五十嵐力編『純正国語読本 改訂版 巻五』早稲田図書出版社、1938年 広島大学図書館 教科書コレクション画像データベース

「銀の燭台」として題名・内容ともに定着するのは、戦後、アメリカの監督の下で作成された中学校の国定教科書に採用されて以降のことである。

「銀の燭台」は戦後も長く定番教材として国語教科書で使用された。現在は国語教科書には載っていないが、大幅に抄訳・エピソード化されて、「許すことのとうとさ」を教えるため、小学校の道徳の教科書でいまだに教材として使用されている。

「銀の燭台」以外にも国語教材から道徳教材に転用された外国文学作品はO・ヘンリー「最後の一葉」やイワン・ツルゲーネフ「うずら」や、オスカー・ワイルド「幸福な王子」。また、意外なところではフョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の一部まで枚挙にいとまがない。

著作権を気にしなくていいうえそもそも遠い海の向こうの出来事である外国文学作品は、翻案してエピソード化するのに向いていたのだ。

ことほどさように、明治以降導入された外国文学教材は私たちの言語や精神のかたちを規定する役割を果たしてきた。

文学作品は、登場人物への同化や共感をさそうという点で、読者の内面に価値観を自然に刷り込むことができる。

外国文学が児童生徒に刷りこんできた「かたち」、それはきわめて雑駁な言い方をしてしまえば、「近代」というのものだった。そして外国文学教材がつかわれたのは国語だけでなく、英語や道徳(修身)といった科目も同様である。

そういった作品には途切れながらもなかには数十年以上にわたって教科書に掲載されつづけ、日本文学作品以上に「国民的」な読み物として世代を超えて人々の記憶に刻まれつづけているものもあるのだ。

秋草俊一郎(Shun'ichiro Akikusa)
日本大学大学院総合社会情報研究科准教授。専門は比較文学、翻訳研究。2004年、東京大学文学部卒業。2009年、同大学院人文社会研究科博士課程修了。博士(文学)。著書に『アメリカのナボコフ――塗りかえられた自画像』(慶應義塾大学出版会)、『「世界文学」はつくられる――1827-2020』(東京大学出版会)、訳書にドミトリー・バーキン『出身国』(群像社)、アレクサンダル・ヘモン『私の人生の本』(松籟社)ほか。「「世界文学全集」の比較対照研究」という研究テーマで、サントリー文化財団2013年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。

 『教科書の中の世界文学――消えた作品・残った作品25選』
 秋草俊一郎 、戸塚 学[編]
 三省堂[刊]

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