ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<事件から26年がたった今も、加害者家族を悩ませるメディアの報道。和歌山で起こったその事件は、冤罪の可能性が指摘されている>
1998年、日本中を騒がせた和歌山カレー事件。
地域の夏祭りで提供されたカレーに毒物が混入しており、67人がヒ素中毒を発症した。小学生を含む4人が死亡。地元の主婦、林眞須美が被疑者として逮捕され、メディアの報道も過熱。2009年に死刑が確定した。
最高裁で判決の確定した事件だ。そのため世間一般の関心は薄れたかもしれないが、実は冤罪の可能性が指摘されている。
そして特筆すべきは、林眞須美死刑囚の長男がメディアで発信をしていること。2019年7月には、『もう逃げない。 ~いままで黙っていた「家族」のこと~』(ビジネス社)という本を「林眞須美死刑囚長男」として出版した。
今年8月3日からは、その長男も登場する、和歌山カレー事件を多角的に検証したドキュメンタリー映画『マミー』(二村真弘監督)が全国で公開される。
書評家の印南敦史氏は、『もう逃げない。』の書評をニューズウィーク日本版で書いたことから縁が生まれ、その長男と交流を始めることになったという(参考:和歌山毒物カレー事件、林眞須美死刑囚の長男が綴る「冤罪」の可能性とその後の人生)。
今年5月に出した新刊『抗う練習』(フォレスト出版)は、自身の半生を綴りながらまとめられたユニークな自己啓発書だが、そこには印南氏と長男(本書では「林くん」と表記)の4時間58分に及ぶロング対談も収録されている。ある意味で「抗う人」の代表格というわけで、印南氏は2回、和歌山まで取材に赴いた。
そのほんの一部だが、ここに抜粋する。
※抜粋記事第2回:「死刑囚だけど、会いたいから行ってるだけ」和歌山カレー事件・長男の本音
◇ ◇ ◇
矢面に立とうと思った理由
挨拶をしたころは降り注いでいた日が少しだけ傾きはじめ、そのころには場の空気がさらに和らいでいきました。そしてそんななか、話題はメディアのあり方へ。
印南 自分に対しての反省点も含め、メディアのあり方については思うところが多いんだけど、「対メディア」という点については、世代の問題もあるよね。20代と50代では、特定のことばについての感じ方も違ってくるわけだし。
林 そうなんです。いまではもう使っちゃいけないとされていることばも、かつてはお笑いのネタにされていたようなことがありましたし。60代、70代、うちの親世代も、まだ当たり前のようにそういう(下の世代からすればヒヤヒヤするしかないような)ことを言うんですよ。だから僕も、いまの世代にカレー事件が伝わるように意識して話すようにはしているというか。誤解されたままの状態でネットニュースにされたら、父親に攻撃が行くだけだと思うので。
印南 翻訳が必要だって面倒くさいけど、仕方がないかもね。
林 そうなんですよね。父親は78歳なんですけど、『仁義なき戦い』とか、ああいう時代の人なので。でも、それを聞いてる記者さんは24歳ですよ。そのギャップが、誤解につながるかもしれない。そうでなくとも週刊誌の人とかは「林健治、紀州のドンファンについて語る」とか、わざとおもしろおかしく書いたりするんです。で、そういうことが続いた結果、父親が老人ホームの人から「林さんにここにいられちゃ困る」って言われて、仕方なく老人ホームを転々としたんですよね。それで、「このままだと居場所がなくなるだけだから、担当を変わるわ」と、息子である僕が前に立つことにしたんです。
印南 売るためにそういう書き方をするんだろうけど、さすがに理解できないな。
林 たとえば姉の件に関してネットニュースに、「カレー事件の長女、関西国際空港で飛び降り自殺。父親林健治、娘の旦那を殴ってやりたいと語る」って書かれたんです。すると、「お前らが犯罪したからこうなったんだろう」というコメントであふれるんですね。そうなることは誰でも想像できるはずなのに、(メディアは)やっぱり書くんです。
印南 刺激的なヘッドラインで目を引かせて読ませようとしているんだろうね。
林 「ちょっとこれは勘弁してもらえませんか?」って電話すると、「そのコメントを見なきゃいいんですよ、林さん」って言うんです。「目を通すから嫌な気持ちになるんです」って。
印南 あー、「見なきゃいい」っていうのはありがちな、しかし軽薄な反論だ。
林 見なきゃいいじゃないですかと言うけど、「いや、僕が見なくても、老人ホームの職員や、僕の職場の同僚や、友だちが見たりしたら、僕たちも生きにくくなるんで」って。
そのとおりで、当事者との距離が広がるほど、つまり「自分には関係のないこと」として語れる立場であればあるほど、人は無責任になるものかもしれません。その結果、外野の傍観者でしかない人たちは、言いたいことを口にしてしまうことになるのでしょう。
印南 そういえば、いまの職場の人は事件のことを知っているの?
林 バレてはいないんですけども、社長だけ知っている状態です。でも休憩時間にも、子どもがいる人だったら子どもの話をしたりするので、あんまり事件の話題にはならないというか。とはいえ、それでも姉が亡くなった話が報道されたときなどには、事務所でも話題にはなっているんですよね。「死んで当然やろう」みたいに。僕が身内だとは知らないのでね、平気で言ってるんですけど。
印南 それはきついね。
林 「そんな事件があったんですね」とか合わせてごまかしながら。
印南 無関係を装うというのは、すごく疲れることだろうね。
林 飲み会とかの席でも先輩とかは、「俺、昔何人しばいちゃったんやで」とか、けんか自慢みたいな、武勇伝みたいなことを言うわけですよ。でも、うちも伝家の宝刀出したら、ワル自慢でいうたらね、そんなレベルじゃない。まあ出さないですけど(笑)。「こんなとこで出したら場の空気壊れるしな」とか思いながら、グッとこらえて、「かっこいいですね」みたいなことを言いながらやり過ごしてきてたので。
トラックドライバーとして働きながらメディアの対応をしている林くんは、プライベートもなにもない状態。想像してみただけでも大変そうです。
『抗う練習』
印南敦史 著
フォレスト出版
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
■和歌山カレー事件を描き、衝撃作として話題を呼んでいるドキュメンタリー映画『マミー』(二村真弘監督)の予告編
<事件から26年がたった今も、加害者家族を悩ませるメディアの報道。和歌山で起こったその事件は、冤罪の可能性が指摘されている>
1998年、日本中を騒がせた和歌山カレー事件。
地域の夏祭りで提供されたカレーに毒物が混入しており、67人がヒ素中毒を発症した。小学生を含む4人が死亡。地元の主婦、林眞須美が被疑者として逮捕され、メディアの報道も過熱。2009年に死刑が確定した。
最高裁で判決の確定した事件だ。そのため世間一般の関心は薄れたかもしれないが、実は冤罪の可能性が指摘されている。
そして特筆すべきは、林眞須美死刑囚の長男がメディアで発信をしていること。2019年7月には、『もう逃げない。 ~いままで黙っていた「家族」のこと~』(ビジネス社)という本を「林眞須美死刑囚長男」として出版した。
今年8月3日からは、その長男も登場する、和歌山カレー事件を多角的に検証したドキュメンタリー映画『マミー』(二村真弘監督)が全国で公開される。
書評家の印南敦史氏は、『もう逃げない。』の書評をニューズウィーク日本版で書いたことから縁が生まれ、その長男と交流を始めることになったという(参考:和歌山毒物カレー事件、林眞須美死刑囚の長男が綴る「冤罪」の可能性とその後の人生)。
今年5月に出した新刊『抗う練習』(フォレスト出版)は、自身の半生を綴りながらまとめられたユニークな自己啓発書だが、そこには印南氏と長男(本書では「林くん」と表記)の4時間58分に及ぶロング対談も収録されている。ある意味で「抗う人」の代表格というわけで、印南氏は2回、和歌山まで取材に赴いた。
そのほんの一部だが、ここに抜粋する。
※抜粋記事第2回:「死刑囚だけど、会いたいから行ってるだけ」和歌山カレー事件・長男の本音
◇ ◇ ◇
矢面に立とうと思った理由
挨拶をしたころは降り注いでいた日が少しだけ傾きはじめ、そのころには場の空気がさらに和らいでいきました。そしてそんななか、話題はメディアのあり方へ。
印南 自分に対しての反省点も含め、メディアのあり方については思うところが多いんだけど、「対メディア」という点については、世代の問題もあるよね。20代と50代では、特定のことばについての感じ方も違ってくるわけだし。
林 そうなんです。いまではもう使っちゃいけないとされていることばも、かつてはお笑いのネタにされていたようなことがありましたし。60代、70代、うちの親世代も、まだ当たり前のようにそういう(下の世代からすればヒヤヒヤするしかないような)ことを言うんですよ。だから僕も、いまの世代にカレー事件が伝わるように意識して話すようにはしているというか。誤解されたままの状態でネットニュースにされたら、父親に攻撃が行くだけだと思うので。
印南 翻訳が必要だって面倒くさいけど、仕方がないかもね。
林 そうなんですよね。父親は78歳なんですけど、『仁義なき戦い』とか、ああいう時代の人なので。でも、それを聞いてる記者さんは24歳ですよ。そのギャップが、誤解につながるかもしれない。そうでなくとも週刊誌の人とかは「林健治、紀州のドンファンについて語る」とか、わざとおもしろおかしく書いたりするんです。で、そういうことが続いた結果、父親が老人ホームの人から「林さんにここにいられちゃ困る」って言われて、仕方なく老人ホームを転々としたんですよね。それで、「このままだと居場所がなくなるだけだから、担当を変わるわ」と、息子である僕が前に立つことにしたんです。
印南 売るためにそういう書き方をするんだろうけど、さすがに理解できないな。
林 たとえば姉の件に関してネットニュースに、「カレー事件の長女、関西国際空港で飛び降り自殺。父親林健治、娘の旦那を殴ってやりたいと語る」って書かれたんです。すると、「お前らが犯罪したからこうなったんだろう」というコメントであふれるんですね。そうなることは誰でも想像できるはずなのに、(メディアは)やっぱり書くんです。
印南 刺激的なヘッドラインで目を引かせて読ませようとしているんだろうね。
林 「ちょっとこれは勘弁してもらえませんか?」って電話すると、「そのコメントを見なきゃいいんですよ、林さん」って言うんです。「目を通すから嫌な気持ちになるんです」って。
印南 あー、「見なきゃいい」っていうのはありがちな、しかし軽薄な反論だ。
林 見なきゃいいじゃないですかと言うけど、「いや、僕が見なくても、老人ホームの職員や、僕の職場の同僚や、友だちが見たりしたら、僕たちも生きにくくなるんで」って。
そのとおりで、当事者との距離が広がるほど、つまり「自分には関係のないこと」として語れる立場であればあるほど、人は無責任になるものかもしれません。その結果、外野の傍観者でしかない人たちは、言いたいことを口にしてしまうことになるのでしょう。
印南 そういえば、いまの職場の人は事件のことを知っているの?
林 バレてはいないんですけども、社長だけ知っている状態です。でも休憩時間にも、子どもがいる人だったら子どもの話をしたりするので、あんまり事件の話題にはならないというか。とはいえ、それでも姉が亡くなった話が報道されたときなどには、事務所でも話題にはなっているんですよね。「死んで当然やろう」みたいに。僕が身内だとは知らないのでね、平気で言ってるんですけど。
印南 それはきついね。
林 「そんな事件があったんですね」とか合わせてごまかしながら。
印南 無関係を装うというのは、すごく疲れることだろうね。
林 飲み会とかの席でも先輩とかは、「俺、昔何人しばいちゃったんやで」とか、けんか自慢みたいな、武勇伝みたいなことを言うわけですよ。でも、うちも伝家の宝刀出したら、ワル自慢でいうたらね、そんなレベルじゃない。まあ出さないですけど(笑)。「こんなとこで出したら場の空気壊れるしな」とか思いながら、グッとこらえて、「かっこいいですね」みたいなことを言いながらやり過ごしてきてたので。
トラックドライバーとして働きながらメディアの対応をしている林くんは、プライベートもなにもない状態。想像してみただけでも大変そうです。
『抗う練習』
印南敦史 著
フォレスト出版
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
■和歌山カレー事件を描き、衝撃作として話題を呼んでいるドキュメンタリー映画『マミー』(二村真弘監督)の予告編