トニー・クシュナー(英サウスハンプトン大学教授)
<ナチスの手からユダヤ人の子供たちを救ったイギリス人を名優アンソニー・ホプキンスが演じる映画『ONE LIFE』。「英雄」活躍の背後には、絆を断ち切られた親子の苦しみも──>
バーバラ・ウィントンが父ニコラスの伝記を自費出版したのは2014年のこと。
「イギリスのシンドラー」と呼ばれた父(1939年に当時のチェコスロバキアから主としてユダヤ系の児童669人を救出し、イギリスへ送った)は翌15年に106歳で亡くなったが、今年ついに娘の本をベースにした伝記映画『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』が公開された。
しかも主演は名優アンソニー・ホプキンス。若き日のニコラス役はジョニー・フリン、その母バベット役はヘレナ・ボナム・カーター。
さらに当時の首都プラハで危険を顧みずに子供たちを集め、送り出すチェコ難民委員会の活動家ドリーン・ワリナーとトレバー・チャドウィックを、ロモーラ・ガライとアレックス・シャープが熱演している。
戦争の足音が迫る30年代に欧州大陸のユダヤ人たちが置かれていた窮地について、広く一般の人に知ってもらうための入門編として、この映画はよくできていると思う。
当時のイギリスには「キンダートランスポート」と呼ばれる児童救援プログラムがあり、開戦前夜のドイツとオーストリア、チェコスロバキアとポーランドにいた子供たち約1万人に短期ビザを発給し、イギリス本島へ避難させた。
今では政府も王室も、この活動をナチス・ドイツの暴虐と果敢に戦ったイギリスの誇るべき足跡と捉えており、近く国会議事堂の隣接地に建設される予定の国立ホロコースト記念館でも詳しく紹介されることになっている。
「親たちはどうする?」
児童救援プログラムで開戦前夜にイギリスへ避難させられる子供たち ©WILLOW ROAD FILMS LIMITED, BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2023
しかし研究者の1人として言わせてもらえば、キンダートランスポートの活動を無条件で称賛することには重大な問題がある。あれで親子の絆を断ち切られてしまった子がたくさんいるからだ。
実際、38年11月に議会でキンダートランスポート計画を発表するに当たり、当時のサミュエル・ホア内務大臣も認めていた。二度と会えないかもしれないと知りつつわが子を手放すのは親としても苦渋の決断になると。
もう1つの大きな問題は、ユダヤ人の子らが異教の国イギリスで信仰とその生活習慣を守り続けるのに必要な配慮が欠けていたことだ。
映画『ONE LIFE』には、短いながらもこれらの問題に触れたシーンがある。若き日のウィントンがプラハで1人のラビ(ユダヤ教の聖職者)に会い、保護を必要とするユダヤ人児童のリストを渡してくれと頼む場面だ。
このときラビは「この子たちの親はどうする?」と尋ね、イギリスに渡ってからもこの子たちはユダヤ教徒でいられるのだろうかとウィントンを問い詰めている。
しかし、これらの問いへの答えはない。そこで明かされるのはウィントン自身にもユダヤ人の血が流れていること、しかし本人はすっかりイギリス的な価値観の持ち主であることのみだ。
名もなきヒーローたち
若き日のウィントン ©WILLOW ROAD FILMS LIMITED, BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2023
もちろん、ウィントンが立派な人物だったことに疑いはない。自分は別に大したことはしていない、もっと頑張った人がたくさんいると、いつも語っていた。
今回の映画では、チャドウィックとワリナーという2人の活動家にも焦点が当てられている。
子供たちの世話をしながら、チェコスロバキアからの出国とイギリスへの入国に必要な書類集めに奔走したのは、この2人のような無名の活動家たちだ。彼らの献身はもっと高く評価されていい(この映画は、少なくともその方向に確かな一歩を踏み出している)。
作中の老ウィントンは、自分にはもっとできることがあったはずだと後悔し続け、ホロコーストの恐怖に向き合うのを避けるため生涯を慈善活動にささげた人物として描かれている。
若き日にユダヤ人の子供たちを助けたことも、彼の生涯にわたる人道支援活動の一環として捉えるのが正解かもしれない。
かなり遅ればせながらではあるものの、ユダヤ人救出活動に対する関心の高まりと国家的なヒーロー願望が重なって、ニコラス・ウィントンは(本人は望んでいなかっただろうが)注目の的になり、「イギリスのシンドラー」という神話的な地位に押し上げられた。
だが、この神話には難民としてイギリスに渡った子供たちの視点が欠けている。
難民の1人で詩人のカレン・ガーションは66年に、キンダートランスポートに関わった人たちの回想録『私たちは子供だった(We Came as Children)』を編んでいる。当時の事実とそのレガシーに関する第1級の資料だ。
それから約20年後の88年、ウィントンはBBCの特別番組で「再発見」され、かつて自身が救出した子供たち(もうすっかり大人になっていた)と感動的な再会を果たすことになる。
ちなみに、『私たちは子供だった』にはチャドウィックの回想も載っている。彼は大酒飲みで女たらしで育児放棄していたが、仕事は立派にやった。ただし、ウィントンには一言も触れていない。
イギリスはホロコーストにどう向き合ってきたか。そこには美談もあれば汚点もあったはずだ。それを思えば、あくまでも私見だが、高潔なウィントンよりも汚れ切ったチャドウィックを主役にした映画も見てみたい。
Tony Kushner, James Parkes Professor of Jewish/non-Jewish Relations, University of Southampton
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
ONE LIFE
『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』
監督/ジェームズ・ホーズ
主演/アンソニー・ホプキンス、ジョニー・フリン
日本公開中
<ナチスの手からユダヤ人の子供たちを救ったイギリス人を名優アンソニー・ホプキンスが演じる映画『ONE LIFE』。「英雄」活躍の背後には、絆を断ち切られた親子の苦しみも──>
バーバラ・ウィントンが父ニコラスの伝記を自費出版したのは2014年のこと。
「イギリスのシンドラー」と呼ばれた父(1939年に当時のチェコスロバキアから主としてユダヤ系の児童669人を救出し、イギリスへ送った)は翌15年に106歳で亡くなったが、今年ついに娘の本をベースにした伝記映画『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』が公開された。
しかも主演は名優アンソニー・ホプキンス。若き日のニコラス役はジョニー・フリン、その母バベット役はヘレナ・ボナム・カーター。
さらに当時の首都プラハで危険を顧みずに子供たちを集め、送り出すチェコ難民委員会の活動家ドリーン・ワリナーとトレバー・チャドウィックを、ロモーラ・ガライとアレックス・シャープが熱演している。
戦争の足音が迫る30年代に欧州大陸のユダヤ人たちが置かれていた窮地について、広く一般の人に知ってもらうための入門編として、この映画はよくできていると思う。
当時のイギリスには「キンダートランスポート」と呼ばれる児童救援プログラムがあり、開戦前夜のドイツとオーストリア、チェコスロバキアとポーランドにいた子供たち約1万人に短期ビザを発給し、イギリス本島へ避難させた。
今では政府も王室も、この活動をナチス・ドイツの暴虐と果敢に戦ったイギリスの誇るべき足跡と捉えており、近く国会議事堂の隣接地に建設される予定の国立ホロコースト記念館でも詳しく紹介されることになっている。
「親たちはどうする?」
児童救援プログラムで開戦前夜にイギリスへ避難させられる子供たち ©WILLOW ROAD FILMS LIMITED, BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2023
しかし研究者の1人として言わせてもらえば、キンダートランスポートの活動を無条件で称賛することには重大な問題がある。あれで親子の絆を断ち切られてしまった子がたくさんいるからだ。
実際、38年11月に議会でキンダートランスポート計画を発表するに当たり、当時のサミュエル・ホア内務大臣も認めていた。二度と会えないかもしれないと知りつつわが子を手放すのは親としても苦渋の決断になると。
もう1つの大きな問題は、ユダヤ人の子らが異教の国イギリスで信仰とその生活習慣を守り続けるのに必要な配慮が欠けていたことだ。
映画『ONE LIFE』には、短いながらもこれらの問題に触れたシーンがある。若き日のウィントンがプラハで1人のラビ(ユダヤ教の聖職者)に会い、保護を必要とするユダヤ人児童のリストを渡してくれと頼む場面だ。
このときラビは「この子たちの親はどうする?」と尋ね、イギリスに渡ってからもこの子たちはユダヤ教徒でいられるのだろうかとウィントンを問い詰めている。
しかし、これらの問いへの答えはない。そこで明かされるのはウィントン自身にもユダヤ人の血が流れていること、しかし本人はすっかりイギリス的な価値観の持ち主であることのみだ。
名もなきヒーローたち
若き日のウィントン ©WILLOW ROAD FILMS LIMITED, BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2023
もちろん、ウィントンが立派な人物だったことに疑いはない。自分は別に大したことはしていない、もっと頑張った人がたくさんいると、いつも語っていた。
今回の映画では、チャドウィックとワリナーという2人の活動家にも焦点が当てられている。
子供たちの世話をしながら、チェコスロバキアからの出国とイギリスへの入国に必要な書類集めに奔走したのは、この2人のような無名の活動家たちだ。彼らの献身はもっと高く評価されていい(この映画は、少なくともその方向に確かな一歩を踏み出している)。
作中の老ウィントンは、自分にはもっとできることがあったはずだと後悔し続け、ホロコーストの恐怖に向き合うのを避けるため生涯を慈善活動にささげた人物として描かれている。
若き日にユダヤ人の子供たちを助けたことも、彼の生涯にわたる人道支援活動の一環として捉えるのが正解かもしれない。
かなり遅ればせながらではあるものの、ユダヤ人救出活動に対する関心の高まりと国家的なヒーロー願望が重なって、ニコラス・ウィントンは(本人は望んでいなかっただろうが)注目の的になり、「イギリスのシンドラー」という神話的な地位に押し上げられた。
だが、この神話には難民としてイギリスに渡った子供たちの視点が欠けている。
難民の1人で詩人のカレン・ガーションは66年に、キンダートランスポートに関わった人たちの回想録『私たちは子供だった(We Came as Children)』を編んでいる。当時の事実とそのレガシーに関する第1級の資料だ。
それから約20年後の88年、ウィントンはBBCの特別番組で「再発見」され、かつて自身が救出した子供たち(もうすっかり大人になっていた)と感動的な再会を果たすことになる。
ちなみに、『私たちは子供だった』にはチャドウィックの回想も載っている。彼は大酒飲みで女たらしで育児放棄していたが、仕事は立派にやった。ただし、ウィントンには一言も触れていない。
イギリスはホロコーストにどう向き合ってきたか。そこには美談もあれば汚点もあったはずだ。それを思えば、あくまでも私見だが、高潔なウィントンよりも汚れ切ったチャドウィックを主役にした映画も見てみたい。
Tony Kushner, James Parkes Professor of Jewish/non-Jewish Relations, University of Southampton
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
ONE LIFE
『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』
監督/ジェームズ・ホーズ
主演/アンソニー・ホプキンス、ジョニー・フリン
日本公開中