ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<もしも母親が死刑囚だったら家族の関係はどうなるだろうか。そんな壮絶な環境を生きている林眞須美の長男が語った>
1998年に日本中を騒がせた和歌山カレー事件。地元の主婦、林眞須美が逮捕され、2009年に最高裁で死刑判決が下ったが、実は冤罪の可能性が指摘されている。
林眞須美死刑囚の長男は、今も和歌山に暮らし、そして時おり、メディアで発信をしている。2019年7月には『もう逃げない。 ~いままで黙っていた「家族」のこと~』(ビジネス社)を出版。その書評をニューズウィーク日本版で書いたことから縁が生まれ、長男と交流を始めることになったのが、書評家の印南敦史氏だ。
印南氏の新刊『抗う練習』(フォレスト出版)は、自身の半生を綴りながらまとめられたユニークな自己啓発書だが、そこには印南氏と長男(本書では「林くん」と表記)の4時間58分に及ぶロング対談も収録されている。ある意味で「抗う人」の代表格というわけで、印南氏は2回、和歌山まで取材に赴いた。
対談で明かされるのは、長男はその母である林眞須美死刑囚との、もしかしたら常人には想像しがたいかもしれない関係性だ。そのほんの一部だが、ここに抜粋する。
※抜粋記事第1回:「コメント見なきゃいいんですよ、林さん」和歌山カレー事件・林眞須美死刑囚の長男の苦悩
◇ ◇ ◇
僕はもう好きになっちゃってるので
日がさらに暮れかけてきたころ、話は家族について、さらに深いところまで進んでいきました。そしてこのとき、僕は林くんの口から、純粋に素敵だなと感じることばを聞くことになりました。
印南 いずれにせよ、親子、家族の関係ってそう簡単に崩れるものじゃないのかもしれないね。
林 もちろんギクシャクすることもありますし、距離はあるけれども、会いに行ったら行ったで盛り上がるし、面会室で。「あのとき、ああだったよね」というような話になるわけですけど、親子って、家族ってそういうもんじゃないですか。いくら過去に法を犯したからといっても、僕はもう(親のことを)好きになっちゃってるので、嫌いになれって言われてもなれないんですよ。この場についても同じことが言えて、いま同じ空間でこれだけ話が盛り上がってるんだから、その人が次の日に法を犯したとしても「じゃあ嫌いになろう」ということにはならないんですよ。なれないですよ。人間だから。
印南 そうだよね。
林 気を使わなくていいのが家族なんですよ。失礼もしていいし、おならもこけるし、ゲップもできるっていう。これが家族じゃないですか。下品ですけどね。こたつで寝てるのを「風邪ひくよ」って怒ってくれるのも家族なんですよ。
印南 それは家族の本質かもしれないね。
林 誰だって同じというか、たぶん僕と同じ行動をするんじゃないかなと思うんです。だって、切れます? 「法を犯した。もう明日から犯罪者だから俺に関わるな」って、そんなことができる親がいるかっていう。寄り添うんですよ、誰だって。守ろうとするし。世間からなにを言われても、親として責任を取ろうとするじゃないですか、親として。そこをやっぱ一生懸命叩かれてもねというところではある。
印南 そうだね。
林 地上波とか新聞とかは、まるで美談のように「まだ(拘置所にいる親のところへ)会いに行ってる息子」みたいな構図をつくりたがるんです。でも、あんまりつらい悲しいばっかりしゃべっても、「こんな人生だったけどがんばってきたこの子」ってなっちゃうので。お涙頂戴というか。けれども、美談で終わらせるような内容でもない。
印南 人間って、もっと不器用でわかりにくくて、そこがおもしろい生き物だもんね。
林 そうですね。本当のところは人間くささというか、「死刑囚だけど、会いたいから行ってるだけ」だという、ある意味でどうしようもない感情。そういうところなんですよね。
印南 だけど、「僕はもう好きになっちゃってるので」って、すごくいいことばだな。それを聞いただけでも、家族の絆の強さを感じる。
林 でも難しさもあるんですよね。
印南 もちろんね。基本的には、他人には伝わらないと思ったほうが気が楽だよね。俺も子どものころから、そう考えながら生きてきた。悪い意味でみんな違うし、他人のことを否定的に見たがる人も多いから、伝わらなくて当然というか。それをスタートラインにしないとやってらんない部分はあるしね。なんて言っら身も蓋ふたもないんだけど。
林 こうやって理解してくれる人も少ないというか。「被害者がいるのに、なにを言ってるんだ」って。
印南 たしかにそうで、遺族が苦しんでいるのも事実だけど、そもそも「加害者であるかどうかが疑わしい」という、決定的に立証されていない段階にある。なのに、根拠のないまま悪者扱いするのは違うよね。そもそも、叩いてくる人の大半は当事者ではない人なわけだし。
林 そうですね。遺族が言うんだったらわかるんですよ。でも、関係ない人が言ってくるので。
印南 そういう人は相手にしなきゃいいんだけども、とはいえきついもんね。
林 きついです。やっぱりこれを伝えるという、発信するとなると難しいですよね。
ところで横顔を見ながら話をしていて、感じたことがありました。当然のことではあるのですが、顔がお母さんに似ているなと。
林 よく言われますね。鼻が似てるんですよね。太ったらよけい似るので、なるべく太らないように気をつけてます。でも、整形も考えたことがあるんですよ。あまりにも似てる似てるって言われるから。
印南 いや、それはしちゃいけない。
林 この血のつながりが。
印南 親を好きなのに、親のことがそういう悩みにつながってしまうのも事実なのかもしれないけれど。
林 叩かれる要素でもあるんですよね。「お前の代で途絶えさせろ」と言われたり。だから、顔を出さないという。
印南 え?
林 末裔まで林家の血をつなげるなと。
印南 どういう人にそういうことを言われるの?
林 まあネット上では言ってきますよね。
印南 だとしたら僕は反論したいね。事件があったからそういうことを言いたがるんだろうけど、でも結果的にここまで素敵な人に育ってるんだから。
『抗う練習』
印南敦史 著
フォレスト出版
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
<もしも母親が死刑囚だったら家族の関係はどうなるだろうか。そんな壮絶な環境を生きている林眞須美の長男が語った>
1998年に日本中を騒がせた和歌山カレー事件。地元の主婦、林眞須美が逮捕され、2009年に最高裁で死刑判決が下ったが、実は冤罪の可能性が指摘されている。
林眞須美死刑囚の長男は、今も和歌山に暮らし、そして時おり、メディアで発信をしている。2019年7月には『もう逃げない。 ~いままで黙っていた「家族」のこと~』(ビジネス社)を出版。その書評をニューズウィーク日本版で書いたことから縁が生まれ、長男と交流を始めることになったのが、書評家の印南敦史氏だ。
印南氏の新刊『抗う練習』(フォレスト出版)は、自身の半生を綴りながらまとめられたユニークな自己啓発書だが、そこには印南氏と長男(本書では「林くん」と表記)の4時間58分に及ぶロング対談も収録されている。ある意味で「抗う人」の代表格というわけで、印南氏は2回、和歌山まで取材に赴いた。
対談で明かされるのは、長男はその母である林眞須美死刑囚との、もしかしたら常人には想像しがたいかもしれない関係性だ。そのほんの一部だが、ここに抜粋する。
※抜粋記事第1回:「コメント見なきゃいいんですよ、林さん」和歌山カレー事件・林眞須美死刑囚の長男の苦悩
◇ ◇ ◇
僕はもう好きになっちゃってるので
日がさらに暮れかけてきたころ、話は家族について、さらに深いところまで進んでいきました。そしてこのとき、僕は林くんの口から、純粋に素敵だなと感じることばを聞くことになりました。
印南 いずれにせよ、親子、家族の関係ってそう簡単に崩れるものじゃないのかもしれないね。
林 もちろんギクシャクすることもありますし、距離はあるけれども、会いに行ったら行ったで盛り上がるし、面会室で。「あのとき、ああだったよね」というような話になるわけですけど、親子って、家族ってそういうもんじゃないですか。いくら過去に法を犯したからといっても、僕はもう(親のことを)好きになっちゃってるので、嫌いになれって言われてもなれないんですよ。この場についても同じことが言えて、いま同じ空間でこれだけ話が盛り上がってるんだから、その人が次の日に法を犯したとしても「じゃあ嫌いになろう」ということにはならないんですよ。なれないですよ。人間だから。
印南 そうだよね。
林 気を使わなくていいのが家族なんですよ。失礼もしていいし、おならもこけるし、ゲップもできるっていう。これが家族じゃないですか。下品ですけどね。こたつで寝てるのを「風邪ひくよ」って怒ってくれるのも家族なんですよ。
印南 それは家族の本質かもしれないね。
林 誰だって同じというか、たぶん僕と同じ行動をするんじゃないかなと思うんです。だって、切れます? 「法を犯した。もう明日から犯罪者だから俺に関わるな」って、そんなことができる親がいるかっていう。寄り添うんですよ、誰だって。守ろうとするし。世間からなにを言われても、親として責任を取ろうとするじゃないですか、親として。そこをやっぱ一生懸命叩かれてもねというところではある。
印南 そうだね。
林 地上波とか新聞とかは、まるで美談のように「まだ(拘置所にいる親のところへ)会いに行ってる息子」みたいな構図をつくりたがるんです。でも、あんまりつらい悲しいばっかりしゃべっても、「こんな人生だったけどがんばってきたこの子」ってなっちゃうので。お涙頂戴というか。けれども、美談で終わらせるような内容でもない。
印南 人間って、もっと不器用でわかりにくくて、そこがおもしろい生き物だもんね。
林 そうですね。本当のところは人間くささというか、「死刑囚だけど、会いたいから行ってるだけ」だという、ある意味でどうしようもない感情。そういうところなんですよね。
印南 だけど、「僕はもう好きになっちゃってるので」って、すごくいいことばだな。それを聞いただけでも、家族の絆の強さを感じる。
林 でも難しさもあるんですよね。
印南 もちろんね。基本的には、他人には伝わらないと思ったほうが気が楽だよね。俺も子どものころから、そう考えながら生きてきた。悪い意味でみんな違うし、他人のことを否定的に見たがる人も多いから、伝わらなくて当然というか。それをスタートラインにしないとやってらんない部分はあるしね。なんて言っら身も蓋ふたもないんだけど。
林 こうやって理解してくれる人も少ないというか。「被害者がいるのに、なにを言ってるんだ」って。
印南 たしかにそうで、遺族が苦しんでいるのも事実だけど、そもそも「加害者であるかどうかが疑わしい」という、決定的に立証されていない段階にある。なのに、根拠のないまま悪者扱いするのは違うよね。そもそも、叩いてくる人の大半は当事者ではない人なわけだし。
林 そうですね。遺族が言うんだったらわかるんですよ。でも、関係ない人が言ってくるので。
印南 そういう人は相手にしなきゃいいんだけども、とはいえきついもんね。
林 きついです。やっぱりこれを伝えるという、発信するとなると難しいですよね。
ところで横顔を見ながら話をしていて、感じたことがありました。当然のことではあるのですが、顔がお母さんに似ているなと。
林 よく言われますね。鼻が似てるんですよね。太ったらよけい似るので、なるべく太らないように気をつけてます。でも、整形も考えたことがあるんですよ。あまりにも似てる似てるって言われるから。
印南 いや、それはしちゃいけない。
林 この血のつながりが。
印南 親を好きなのに、親のことがそういう悩みにつながってしまうのも事実なのかもしれないけれど。
林 叩かれる要素でもあるんですよね。「お前の代で途絶えさせろ」と言われたり。だから、顔を出さないという。
印南 え?
林 末裔まで林家の血をつなげるなと。
印南 どういう人にそういうことを言われるの?
林 まあネット上では言ってきますよね。
印南 だとしたら僕は反論したいね。事件があったからそういうことを言いたがるんだろうけど、でも結果的にここまで素敵な人に育ってるんだから。
『抗う練習』
印南敦史 著
フォレスト出版
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)