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韓国が「佐渡の金山」の世界遺産登録に騒がない訳

ニューズウィーク日本版 2024年7月3日 10時38分

木村幹
<かつて「軍艦島」の世界遺産登録をめぐって日韓は壮絶な「歴史戦」を演じた。「佐渡の金山」も同じ状況になるかと思われたが、そうはなっていない。なぜか。>

2024年6月6日、日本の文化庁はユネスコ(国連教育科学文化機関)の諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)が、新潟県の「佐渡島(さど)の金山」の世界文化遺産登録に関し、日本に補足説明を求める「情報照会」を勧告したと発表した。具体的にイコモスは「登録を考慮するに値する価値を有する」とした上で、江戸時代より後の物証が多い一部地域を世界遺産の構成から除くべきだとして、日本の説明を求めた。

この照会に対して、日本政府が適切に回答し、その内容が評価されれば、7月21〜31日に開催されるユネスコ世界遺産委員会で登録が認められる。「佐渡島の金山」が世界文化遺産登録の暫定リストに登録されたのは10年だから、それから既に14年を経たことになる。

登録が遅れた理由の1つは、韓国政府がこの「佐渡島の金山」を、植民地期における朝鮮半島からの労働者が「強制労働」をさせられた場所だ、として反対したことにある。背景にあったのは、15年における「明治期日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録をめぐる日韓両国の対立だ。

韓国政府はこの時も、端島(通称「軍艦島」)をはじめとする一部地域で、朝鮮半島からの労働者が「強制労働」させられたことを問題とした。だがこの問題は、最終的に日本側が「1940年代にいくつかの施設において、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた(forced to work)多くの朝鮮半島出身者等がいたこと、また、第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である」とする文書を配布し、韓国側がこれを受け入れることで、問題はいったん決着したかに見えた。

「負の歴史」に向き合った佐渡

とはいえ、本当の混乱はここからだった。東京・新宿に造られた、この世界文化遺産について説明する「産業遺産情報センター」で展示されたのは、朝鮮半島などから動員された労働者が、「幸せに」働いていたことを示すものであり、15年に日本政府自らが言明した彼らが「厳しい環境の下で働かされた」ことを伝えるものとは異なったからである。結果、21年にユネスコ世界遺産委員会は日本の対応を批判する決議を行い、日本政府は同センターの展示内容の一部入れ替えを余儀なくされている。

だが、「佐渡島の金山」の世界文化遺産登録をめぐる今日の状況は、日韓両国が激しく対立したかつての状況とは大きく異なっている。理由は大きく2つ。1つは、日韓関係を重視する尹錫悦政権がこの問題に関わる積極的な言及を避けていること。もう1つは、日本側も同地の労働者の「厳しい環境」での労働を無理に否定しようとしていないことにある。

先に世界文化遺産に登録された端島や石見銀山の展示と比べたとき、佐渡金山に関わる展示は、前近代から続く鉱山での労働が過酷で、労働者の人権状況に十分な配慮が払われていなかったことが、かねてから強調されてきた。それは佐渡の人々が金山が有する「負の歴史」にも、正面から向き合ってきたことを意味している。

個々の人間がそうであるように、その人間が紡ぎ出す歴史にも、常に評価されるべき側面と、否定されるべき側面の2つが存在する。だからこそ、両者の一面だけを取り出し、他方に目をつむる歴史の語りよりも、両者に等しく目を向ける語りのほうが誠実だし、より魅力に富んだもののはずだ。世界文化遺産の登録を契機に、「佐渡島の金山」がわが国の歴史展示の優れたモデルとなることを期待したい。

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