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中国EVにひっくり返される? 日本車大国タイとの「固い絆」を日本が失う意味

ニューズウィーク日本版 2024年7月3日 17時31分

加谷珪一(経済評論家)
<日本の自動車産業にとって重要な拠点であるタイ。これまでは固いパートナーシップで結ばれてきたが、EVシフトを推進するタイ政府と消極的な日本の自動車産業の間にズレが──>

電気自動車(EV)を今後の主力産業の11つとして位置付ける中国が最も重視しているのが東南アジア市場である。特にタイは中国製EVの販売先としてだけではなく、最大のEV製造拠点と位置付けており、巨額の投資を行っている。

実はタイは日本の自動車産業にとっても重要な戦略拠点であり、国家覇権という視点で一連の流れを観察すると、タイにある日本の強固な製造業サプライチェーンを中国がEV化によってひっくり返そうとする図式が透けて見える。

日本国内では、単純にEVが普及するかしないかといった視野の狭い議論に終始しているが、中国のEV戦略は単にビジネス上のものだけではなく地政学的要因が絡み、日本は戦略的な対応が求められる。

タイはアジアの中では中国本土に続いて最もEVが普及している国の11つと言ってよい。

昨年のタイ国内のEV販売台数は前年比で7.8倍に拡大しており、比亜迪(BYD)など中国の大手自動車メーカーがこぞってタイに進出している。実際、タイの首都バンコクの街を歩くと、中国製EVをよく見かける。

EVが急激に普及している最大の理由は、中国と同様、政府が国家戦略としてEVシフトを進めているからである。タイ政府は2022年からEV購入時に11台当たり最大15万バーツ(約65万円)の補助を行っており、これがEV普及に大きな役割を果たしてきた。

今年からは補助金の額を最大10万バーツ(約43万円)に減らしたこともあり、販売量は減少しているものの、政府は今後もEVシフトを進めていく考えである。

タイが中国を受け入れる必然

タイがEVに積極的なのは、同国の産業構造に起因するところが大きい。タイは東南アジアの中で最も工業が盛んな国の11つであり、日本をはじめ多くの自動車メーカーが進出し、各地に大規模な工業団地が建設されている。

同国は日本を中心とした各国の自動車産業および関連産業と共に成長し、豊かになったと考えてよい。つまり、現在のタイにとって自動車産業は国家の中核を成す産業ということになる。

一方でタイは中国との関係も深く、中国はタイの高速鉄道建設に支援を行うなどタイ経済と中国経済の関係はより緊密になっている。

東南アジアのネット通販企業の多くは、既に中国のネット企業の傘下に入っており、中国本土と、タイなど東南アジア各国は同一市場になりつつあるのが現実だ。

バンコクの国際モーターショーでのトヨタ車の展示 GUILLAUME PAYENーANADOLU/GETTY IMAGES

中国が国家戦略としてEV化を推進している以上、タイの製造業もEV化に合わせた展開を模索することが重要であるとタイ政府は考えており、国内の自動車関連産業もEVシフトを進めたい意向である。

こうした事情から政府は多額の補助金を出し、国内でEVを普及させるとともに、製造業のEV対応を同時並行で進めている。

ここで重要となってくるのが、これまで強固なパートナーシップを構築してきた日本の自動車産業との関係である。

タイは中国の影響を常に受け続ける国であり、中国との関係を無視できない一面がある一方、中国には完全にのみ込まれたくないと考えている。タイとしては日本とのパートナーシップを今後も継続することで、中国に対する牽制球もしくは交渉材料にしたいと考えている。

日本の自動車産業がもっと積極的にEV化を進めてくれれば、中国を牽制しつつ、日本からもEV関連投資を受け入れ、同国を世界的なEV製造拠点として育成できるはずだった。ところが日本の自動車産業がEVに消極的だったことから、そのもくろみにはズレが生じ始めている。

日本メーカーは北米を主な販売先としており、東南アジアはあくまで製造拠点としての位置付けにすぎない。トヨタをはじめとする多くの日本メーカーは全世界的なEVシフトに対して「全方位で臨む」としており、EVだけに固執しない方針を示している。

そうなるとタイで製造する製品も従来と同様、内燃機関に関連したものとならざるを得ず、サプライチェーン全体のEVシフトを目指すタイとは利害が一致しなくなる。

首相が鳴らした異例の警鐘

昨年12月に日本を訪れたタイのセター・タウィーシン首相は、「日本に対して要求する立場にはない」と前置きしながらも、日本の産業界がEVに消極的なことについて「迅速に移行しないと後れを取るだろう」という異例の発言を行った。

中国がタイに巨額の投資を行い、中国製EVの一大製造拠点になろうとしている現実についても、「日本と中国のどちらを好むかというのは問題ではない。両国を分け隔てる必要はない」という厳しい指摘を行っている。

セター氏は慎重に言葉を選びつつも、このまま日本勢の消極的スタンスが続いた場合、タイは中国とパートナーシップを組むしか選択肢がなくなり、日本は自動車産業におけるアジア最大の拠点を失う可能性があると警告しているのだ。

タイは最も親日的な国の11つであり、日本の産業界との関係も深い。こうした国のトップから前述のような発言が出てくることは地政学的に見て危機的な状況と言える。

日本車メーカーに異例の呼びかけを行ったセター首相 ROC METAーSOPAーREUTERS

実際、日本におけるタイの重要性は多くの日本人が考えるよりもずっと高い。首都バンコクの東部には、有名なアマタシティ・チョンブリ工業団地があり、広大な敷地の中に700社もの企業が工場を構え、20万人の労働者が働いている。

こうした巨大な工業団地はタイ国内に数十カ所、建設されているが、進出企業の過半数は日本メーカーである。

バンコクには日本食のレストランがあふれ、日本人であればタイ語をしゃべれなくても不便なく生活ができるレベルにまでインフラが整っている。これも日本とタイの製造業パートナーシップがあってこそである。

中国のBYDは、タイに巨大なEV工場の建設を進めており、今年6月に操業を開始し、年間15万台の生産を見込んでいる。BYD以外にも多くの中国メーカーがタイに進出しており、このままのペースで投資が続けば、数年以内にはタイにおける日本と中国の勢力図が大きく変わるだろう。

日本のものづくりにとってタイはなくてはならない存在であると同時に、同国は安全保障上、中国に対する防波堤の役割も果たしている。日本とタイの関係は単なるビジネスだけのものではなく、外交・安全保障においても極めて重要な意味を持つ。

このまま中国の東南アジアにおけるEV戦略を放置すれば、日本とタイが構築してきた強力なサプライチェーンが消滅する危険性すらある状況といえる。

タイと似たような状況はインドネシアでも発生している。インドネシアも中国との関係や今後の産業育成の観点から国策としてEVを推進しており、タイと同様、中国製EVの生産拠点となる可能性が高い。

インドネシアの11人当たりGDPは約5200ドルと約7800ドルのタイには及ばないものの、約2億8000万もの人口を擁する巨大国家であり、経済規模の絶対値という意味では、将来的には日本の存在を脅かすポテンシャルを持っている。

東南アジアで最も産業の集約レベルが高く親日国でもあるタイと、東南アジア最大の経済大国で、今後の成長余力が極めて大きいインドネシアが中国の傘下に入った場合、日本は東南アジアにおけるプレゼンスを確実に失うことになるだろう。

筆者が危惧しているのは、日本人の東南アジアに対する認識の低さである。国内では安全保障の議論になると軍事力や外交のことばかりが議論され、その背景となる産業の問題にまで言及されることはほとんどない。

だが、外交や安全保障というのは、基本的に経済や産業の延長線上に存在するものであり、各国の経済・産業政策と切り離して考えることはできない。

タイ東部のアマタシティ・チョンブリ工業団地にある700社以上の企業のうち日系企業が半数を超える COURTESY OF AMATA

今後、東南アジア各国のEVシフトが進み、日本メーカーがこれにうまく対応できなかった場合、日本は東南アジアでの製造拠点を失うと同時に、同地域での販売シェアも失うことになる。結果として、日本の中国に対する影響力は想像以上に低下するだろう。

日本がアメリカや韓国と協力して、外交的に中国を封じ込める努力をしても、産業というもっと現実的な部分で東南アジアが取り込まれてしまい、外交努力が全て骨抜きにされてしまう可能性すらある。

EVシフトは、各国の安全保障政策と不可分であり、単にビジネス上の損得の問題にとどまらない。今の日本におけるEV化に関する議論はこうした地政学的視点を大きく欠いており、極めて脆弱と言わざるを得ない。

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