冷泉彰彦
<最悪の状態のバイデンを「KO」にまで追い込まなかったのはトランプの深謀遠慮か>
先月27日に行われた大統領選のテレビ討論では、とにかくバイデン大統領は全く精彩を欠いていました。既に多くが報じられていますが、顔色は悪く、視線には力がなく、終始その声はかすれていて、弱々しく不明瞭でした。言い淀みや沈黙が何度もあったなど、想定された幅の中でほぼ最悪の内容だったと思います。
既に81歳であるバイデンについては、これまでも何度もメディアがその「高齢不安」を取り上げてきました。そのたびごとにバイデンは、力を振り絞って批判を跳ね返してきました。直近の例でいえば、3月7日に行われた一般教書演説がそうで、奇跡的なまでに雄弁をふるい、高齢への不安を吹き飛ばすことに成功していたのは事実です。ですが、今回はそのような奇跡は起きませんでした。
週末をはさんでアメリカの論調は日に日に厳しくなっています。バイデンが候補辞退に追い込まれる可能性は濃いですし、それを受けて8月にシカゴで行われる党大会までに様々な駆け引きが行われることが想定されるのは不可避です。現時点ではバイデン陣営が選挙戦を9月以降まで戦い続ける可能性は、かなり限定的だと思われます。
しかし、民主党は巨大な組織であり、特に左右に深く分裂しています。それをバイデンが独特の話術と経験でまとめているという難しい均衡があります。これを前提としますと、この民主党が簡単には方向転換できないわけで、何をするにも時間がかかるのは避けられません。しかし、大きな動きはもはや避けられなくなりました。
視聴者が「正視に耐えない」場面も
ところで、6月27日のテレビ討論で、1つ大きな疑問として残るのは、トランプ前大統領の態度です。どういうことかというと、相手のバイデンが余りにも不調であった中で、「手負いの敵を深追いする」ことは全くしなかったのです。いつものトランプであれば、「おい、何言ってるんだ? バイデンは大丈夫か?」というような、「アドリブのツッコミ」でどんどんバイデンを追い詰めたはずでした。
多くの視聴者が「これは正視に耐えない」と思うようなバイデンの「フリーズ」に対して、トランプとしては、多少「いたずらな」感じで揶揄するようなジェスチャーは見せています。ですが、トランプが発言としてバイデンの健康問題を突くことは限られていました。「ゴルフの腕」を自慢し合うという「かなり痛々しい」やり取りも、相互に準備したシナリオから逸脱することはなかったのです。
そんなわけで、バイデンには何度も危ない場面があったにもかかわらず、討論はまがりなりに最後まで進行していったのでした。司会の2人のCNN記者が、極めて公平かつ冷静に、何事もなかったかのように淡々とした進行を心がけていたことも、これを助けていました。
バイデンが絶不調に陥り、何度も危ない場面があったのに、トランプがアドリブで一気にKOを狙うことはしなかった、これには様々な理由が考えられます。直後の印象としては、トランプもまた、陣営のブレーンが「無党派層や穏健派への浸透」を狙って描いたシナリオを消化するのに精一杯だった、そのような感じを受けたのは事実です。
ですが、冷静に考えてみるとトランプ陣営には「深謀遠慮」があったのかもしれません。つまり、相手のバイデンが絶不調に陥った場合に備えて、予め作戦を練っていた可能性です。仮にバイデンが不調になって、沈黙したり、辻褄の合わない場面があったりしても、トランプとしてはそこで「KO」は狙わずに最後まで淡々と討論を続ける、そのような「作戦」がトランプとブレーン達の間で練られていたのかもしれません。
まず、現時点でのトランプの最大のテーマは、無党派層や穏健保守層に浸透することであり、そのためには「お行儀の良い」姿勢は重要です。フラフラになったバイデンをロープに追い詰めるような行為は、これに反してしまいます。
それ以上に、トランプ陣営にはもっと残酷な作戦意図があった可能性もあります。それは相手のバイデンがどんなに不調に陥っても、そこで決定打を浴びせるのではなく、1時間半以上にわたるテレビ討論を淡々と続けることで、有権者に「バイデンの健康問題」をより鮮明に印象付けるという作戦です。
生涯をアメリカ政治に捧げてきたバイデン
そう考えて振り返ってみると、トランプは、この日の討論において、討論自体の否定といった「ちゃぶ台返し」は行わなかったばかりか、司会者の質問に対して珍しく丁寧に答えていました。それもこれも、バイデンの自滅を計算しての行動であったのかもしれません。そう考えなくては納得ができないぐらい、この日の討論は淡々と進行し、最後まで続けられていったのでした。そして、その1時間45分という長い時間をかけて、バイデンとその選挙運動は自滅していったのだと思います。
思えばジョー・バイデンという人は、上院議員として、また副大統領として、そして大統領として、一生をかけてアメリカ社会に身を捧げてきた人物です。そのバイデンに対してこのような過酷な時間を強いたというのは、民主党としても、あるいはバイデン家としても何かが決定的に間違っていたとしか言いようがありません。
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先月27日に行われた大統領選のテレビ討論では、とにかくバイデン大統領は全く精彩を欠いていました。既に多くが報じられていますが、顔色は悪く、視線には力がなく、終始その声はかすれていて、弱々しく不明瞭でした。言い淀みや沈黙が何度もあったなど、想定された幅の中でほぼ最悪の内容だったと思います。
既に81歳であるバイデンについては、これまでも何度もメディアがその「高齢不安」を取り上げてきました。そのたびごとにバイデンは、力を振り絞って批判を跳ね返してきました。直近の例でいえば、3月7日に行われた一般教書演説がそうで、奇跡的なまでに雄弁をふるい、高齢への不安を吹き飛ばすことに成功していたのは事実です。ですが、今回はそのような奇跡は起きませんでした。
週末をはさんでアメリカの論調は日に日に厳しくなっています。バイデンが候補辞退に追い込まれる可能性は濃いですし、それを受けて8月にシカゴで行われる党大会までに様々な駆け引きが行われることが想定されるのは不可避です。現時点ではバイデン陣営が選挙戦を9月以降まで戦い続ける可能性は、かなり限定的だと思われます。
しかし、民主党は巨大な組織であり、特に左右に深く分裂しています。それをバイデンが独特の話術と経験でまとめているという難しい均衡があります。これを前提としますと、この民主党が簡単には方向転換できないわけで、何をするにも時間がかかるのは避けられません。しかし、大きな動きはもはや避けられなくなりました。
視聴者が「正視に耐えない」場面も
ところで、6月27日のテレビ討論で、1つ大きな疑問として残るのは、トランプ前大統領の態度です。どういうことかというと、相手のバイデンが余りにも不調であった中で、「手負いの敵を深追いする」ことは全くしなかったのです。いつものトランプであれば、「おい、何言ってるんだ? バイデンは大丈夫か?」というような、「アドリブのツッコミ」でどんどんバイデンを追い詰めたはずでした。
多くの視聴者が「これは正視に耐えない」と思うようなバイデンの「フリーズ」に対して、トランプとしては、多少「いたずらな」感じで揶揄するようなジェスチャーは見せています。ですが、トランプが発言としてバイデンの健康問題を突くことは限られていました。「ゴルフの腕」を自慢し合うという「かなり痛々しい」やり取りも、相互に準備したシナリオから逸脱することはなかったのです。
そんなわけで、バイデンには何度も危ない場面があったにもかかわらず、討論はまがりなりに最後まで進行していったのでした。司会の2人のCNN記者が、極めて公平かつ冷静に、何事もなかったかのように淡々とした進行を心がけていたことも、これを助けていました。
バイデンが絶不調に陥り、何度も危ない場面があったのに、トランプがアドリブで一気にKOを狙うことはしなかった、これには様々な理由が考えられます。直後の印象としては、トランプもまた、陣営のブレーンが「無党派層や穏健派への浸透」を狙って描いたシナリオを消化するのに精一杯だった、そのような感じを受けたのは事実です。
ですが、冷静に考えてみるとトランプ陣営には「深謀遠慮」があったのかもしれません。つまり、相手のバイデンが絶不調に陥った場合に備えて、予め作戦を練っていた可能性です。仮にバイデンが不調になって、沈黙したり、辻褄の合わない場面があったりしても、トランプとしてはそこで「KO」は狙わずに最後まで淡々と討論を続ける、そのような「作戦」がトランプとブレーン達の間で練られていたのかもしれません。
まず、現時点でのトランプの最大のテーマは、無党派層や穏健保守層に浸透することであり、そのためには「お行儀の良い」姿勢は重要です。フラフラになったバイデンをロープに追い詰めるような行為は、これに反してしまいます。
それ以上に、トランプ陣営にはもっと残酷な作戦意図があった可能性もあります。それは相手のバイデンがどんなに不調に陥っても、そこで決定打を浴びせるのではなく、1時間半以上にわたるテレビ討論を淡々と続けることで、有権者に「バイデンの健康問題」をより鮮明に印象付けるという作戦です。
生涯をアメリカ政治に捧げてきたバイデン
そう考えて振り返ってみると、トランプは、この日の討論において、討論自体の否定といった「ちゃぶ台返し」は行わなかったばかりか、司会者の質問に対して珍しく丁寧に答えていました。それもこれも、バイデンの自滅を計算しての行動であったのかもしれません。そう考えなくては納得ができないぐらい、この日の討論は淡々と進行し、最後まで続けられていったのでした。そして、その1時間45分という長い時間をかけて、バイデンとその選挙運動は自滅していったのだと思います。
思えばジョー・バイデンという人は、上院議員として、また副大統領として、そして大統領として、一生をかけてアメリカ社会に身を捧げてきた人物です。そのバイデンに対してこのような過酷な時間を強いたというのは、民主党としても、あるいはバイデン家としても何かが決定的に間違っていたとしか言いようがありません。
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