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埒が明かない学歴詐称問題...相互に関連し合い、一貫性もある「留学記録」を議論の出発点に

ニューズウィーク日本版 2024年7月4日 12時35分

小宮信夫
<30年前にケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了した筆者が「留学記録」を公開する>

これまで留学をめぐる学歴詐称問題がたびたびマスコミを騒がしてきた。そのたびに筆者は不思議で仕方なかった。大学や本人が記録を持っているはずなのに、なぜ問題にされるのか理解できなかったからだ。

しかし考えてみると、一般の人はもちろん、マスコミ関係者でさえ留学の実態を知らないのかもしれない。だからこそ勝手な想像に任せて口角泡を飛ばしているのではないか。

実際、ネット検索しても具体的で詳細な留学記録を見つけることはできない。言い換えれば、海外の大学でどのような教育が行われているかの情報は抽象的で概括的なものにとどまっているのだ。

このように、意外にも留学の実態に関しては知っているようで知らないことが多い。そこで、私事にわたることは重々承知しているが、筆者の留学記録をひも解いてみたい。それによって学歴詐称をめぐる議論が生産的になるとともに、留学希望者が具体的なイメージを描くことができれば幸いである。

筆者がケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了してから今月で30年になる。

この留学に至った経緯については、『犯罪は予測できる』(新潮新書)の「はじめに」にあるので、そこから抜粋してみよう。

私が犯罪機会論を知ったのは、イギリスのケンブリッジ大学(大学院の犯罪学研究科)に留学した1993年のこと──。それは、偶然とも必然ともつかぬ出来事からだった。

当時、私は法務省の研究官をしていたが、長年の夢であった留学を今こそ実現したいという思いが強くなり、ある時、思い切って上司に「無給でいいから1年間だけ休職させてほしい」と願い出た。

だがしかし、その休職願いは、人事計画にはないという理由だけで、あっさり却下されてしまう。それでもあきらめきれなかった私は、無謀にも法務省を退官し、イギリスへと旅立った。

留学は実現したものの、現実には失業中の身である。「何か就職に役立つテーマを研究しなければ」と思いながら、大学院初日のガイダンスに臨んだ。

「就職にプラスになることを研究しているのはどの教授か」

と、その手の人物を探し出すはずだった。ところが、自分の研究分野を順番に説明する教授たちの英語が分からない。研究テーマの選択どころではない。話していることがさっぱり分からないのだ。

「入学はできたが、卒業はできないかもしれない」

そんな思いが脳裏をよぎったとき、最後の教授が壇上に登った。幸運にも、この教授だけはその英語がよく聞き取れた。もう選択の余地はなかった。私は迷わずこの教授につくことにした。

この人物こそ、イギリス犯罪機会論の権威、アンソニー・ボトムズ教授その人である。

こうして、犯罪機会論を全く知らなかった私の前に、突如として巨大な、しかし魅力的な研究領域が出現し、その扉が開かれた。

あのころ、私の英語のリスニング力がもっと高かったら、今の私はなかったかもしれない(以下略)。

こうして入学すると、「コースブック(通称ブルーブック)」と呼ばれる分厚いファイルを渡された。授業のすべてがここに詰まっているという。

コースブックの目次

コースブックをめくると、例えば、春学期の時間割を見つけることができる。

時間割 筆者撮影

このように、月曜から金曜の朝から晩まで、犯罪学(心理学、社会学、精神医学、法学)の授業がズラッと並んでいた。

また、コースブックをめくると秋学期のフィールドワークのスケジュールも書かれている。刑務所を訪問して受刑者とディスカッションするものが多い。筆者も刑務所のフィールドワークに参加した。

さらにスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)のフィールドワークでは、一般には公開されていないブラック・ミュージアム(黒博物館)も見学した。犯行に使われた凶器が展示されているが、中でも被害者の頭部を煮るのに使った鍋にはショックを受けた。

フィールドワーク 筆者撮影

ちなみにイギリスでは犯罪学科を設置している大学は多く、アメリカには犯罪学の単科大学もある。ところが、日本には犯罪学科を擁する大学は一つもなく、犯罪学を学べる大学もほんのわずかしかない。

閑話休題。ケンブリッジの成績は毎学期のエッセイ(小論文)と学年末の学位論文で決まり、その提出スケジュールもコースブックにある。

試験のスケジュール 筆者撮影

紆余曲折がありながらもどうにか修了にたどり着いたので、次のような成績証明書が発行された。

成績証明書 筆者撮影

手前みそになって恐縮だが、この成績証明書に関して指導教授のボトムズ先生が推薦状を書いてくれた。それによると、76点だった学位論文は、犯罪学研究科の大学院生46人中のトップ6に入ったことを意味するという。

推薦状(抜粋) 筆者撮影

なお、学位論文の採点者は学外の犯罪学者(氏名は非公開)なので、採点の客観性が担保されている。

さらに推薦状にあるように、学位論文をベースにしてイギリス犯罪学会の学会誌に投稿するよう強く勧められた。そのため鋭意取り組むことに。結局5年を要しはしたが、「日本の低犯罪率の文化的考察」として世に出すことができた。

この論文はボトムズ先生の予想通り、世界中の多くの研究者の関心を集め、論文の引用数は100編を超えた。最近出版された恩師ファーリントン先生(ケンブリッジで調査法を教えていただいた)らによる『日本の犯罪』にも、この論文が引用されている。

Crime in Japan: A Psychological Perspective(Palgrave Macmillan) 筆者撮影

もっとも、筆者が大学に職を得るまでにケンブリッジ修了から7年かかった。自分の非力を感じ続けた7年だった。

それはさておき、ここまで説明してきた通り、留学すれば、たくさんの記録がついてくるはずである。しかもそれは一つ二つではなく、相互に関連性があり、一貫性もある多数の記録だ。それを知ってほしくて筆者の留学記録を公開した。生産的な議論や留学の計画には、事実を正確に知ることが有益だと考えたからだ。

こうして振り返ってみると、犯罪機会論に出会ったケンブリッジ大学が、筆者にとって犯罪学者としての出発点だったことは間違いない。にもかかわらず、30年を経ても犯罪機会論の普及は牛の歩みにも及ばない。まさに「任重くして道遠し」である。だが、それでも前を向いて進むしかない──。

※当時の様子をもっと知りたい方は、次のページの動画もご覧になっていただきたい。

ケンブリッジ大学の思い出(犯罪機会論との出会い)



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