土田陽介(三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部副主任研究員)
<排ガス不正からEVにシフト、「規制の輸出」と同時に、保護主義も世界に広げたが、中国を排除し切れるか>
グローバルな電気自動車(EV)シフトの旗振り役は、紛れもなくEUだ。少なくともEUはそう自負しており、世界的なルール作りを主導して市場の主導権を握ろうとしてきた。しかし廉価な中国製EVが躍進し、当初の思惑どおりには進んでいないのが現状だ。
EUの執行部局である欧州委員会は2021年7月、「気候変動対策に関する包括的な法案の政策文書」を発表した。その中で、EU域内では35年以降の新車販売を走行時に二酸化炭素などの温室効果ガスを排出しない車両「ゼロエミッション車(ZEV)」に限定する方針を示した。ZEVには燃料電池車(FCV)なども含まれるが、実質的にはEVを意味する。つまり、35年以降に域内で販売される新車をEVに限定するという野心的な目標を定め、世界の自動車市場で主導権を握ろうとした。
EUは、同じくEVシフトを重視する超大国のアメリカと中国をライバル視しており、両国よりも野心的な目標を定め、自らをその旗振り役と位置付けている。なぜ、そこまで野心的なEVシフトを志向するのか。
第1の理由は、脱炭素化目標の実現だ。EUは30年の温室効果ガス排出量について、1990年対比で55%削減することに野心を燃やす。この戦略目標を実現するために、EUはさまざまな経済活動において脱炭素化を推進している。
特に、モビリティー分野は経済活動の中でも温室効果ガスを多く排出するため、脱炭素化が急務であるとみたEUは、走行時に温室効果ガスを排出しないEVの普及に注力してきたのだ。
EUがEVシフトに注力してから、まだ10年も経過していない。もともとEUは、ディーゼルエンジンの高性能化を通じて脱炭素化を進めようとしていた。ヨーロッパでは一般的に燃費の良さを主な理由として、ガソリン車よりもディーゼル車が好まれていたのだった。日本メーカーはハイブリッド車(HV)に脱炭素化の活路を見いだしていたが、EU域内のメーカーはディーゼル車の高性能化を進めることで、温室効果ガスの排出量を減らせると考えたわけだ。
高性能ディーゼル路線の破綻
しかし15年、ドイツのフォルクスワーゲンによる大規模な排ガス不正事件、いわゆる「ディーゼルゲート」が発覚し、ディーゼル車の高性能化による脱炭素化の道は修正を余儀なくされた。フォルクスワーゲンのみならず多くのEUのメーカーが、アメリカの排ガス規制をクリアするために不正なソフトウエアを利用していたことが発覚し、ユーザーのヨーロッパ車離れが世界的に進んだ。
中国製EVへの規制で対立する習近平国家主席(左)とウルズラ・フォンデアライエン欧州委員長(パリ、今年5月) NATHAN LAINEーBLOOMBERG/GETTY IMAGES
ディーゼルゲートを契機として、EUはディーゼル車の高性能化から自動車の電動化の推進に戦術を転換させた。とはいえHVやプラグイン・ハイブリッド車(PHEV)を容認すれば、日本メーカーのほうが優位だ。そのためEUはEVに活路を見いだし、域内の自動車メーカーがEV生産に注力するよう、そしてユーザーがEVを選択するよう政策的に誘導するようになったのである。
米中という2つの超大国に対峙するため、EUは「規制を輸出」することで、グローバルな影響力を行使しようとする。EU域内での新車販売を35年までにEVに限定すれば、EU向けに自動車を生産する諸外国のメーカーは対応せざるを得ない。さらに、世界的にEVシフトを呼びかけていくことで、EUが目指す方向に世界の動きを誘導することが可能となる。
このようにEUが規制を輸出し、グローバルな政治力を行使することを「ブリュッセル効果」と呼ぶ。過去には個人情報保護、最近ではAI(人工知能)の分野で、EUは同様のアプローチを取っている。
実際、EU発のEVシフトに関してはその深度は各国で異なるものの、グローバルな広がりを見せたという点においては、一定のブリュッセル効果が発揮されたと考えていいだろう。アメリカでは、EUに融和的なバイデン政権がEVシフトの流れに呼応し、アメリカでもEV推進の流れが加速した。こうした欧米の動きを受けて、中国もまたEVシフトに取り組むようになった。
とはいえ、EUが推進するEVシフトが、アメリカにおける保護主義の動きを刺激した点も看過できない。
例えば、バイデン政権はインフレ抑制法に基づき、国産化率が高いEVにのみ購入時の税制優遇を適用することで、EVの完成車メーカーをアメリカに誘致するようになった。バイデン政権の方針は保護主義そのものであり、ブリュッセル効果がネガティブな意味で副作用を生むことを浮き彫りにした。
そして当のEU域内でも、自国優先の保護主義が台頭する事態となっている。例えばフランス政府は、自国製EVに対してより手厚い購入補助金を給付するように、昨年12月補助金制度を改定した。結果的に、EUは域内外において、EVシフトを通じて各国における保護主義の流れを刺激してしまったのだ。
中国の内モンゴル自治区に広がるレアアース採掘場(2011年) REUTERS
脱炭素化と保護主義の間で
今年に入って、EVの普及にグローバルな規模でブレーキがかかるようになった。これまでのEVの急速な普及は、パンデミック以降の景気回復を促すべく各国で採用された購入補助金に大いに依存していた。この補助金が各国で見直され始め、車両単価が比較的高いEVをユーザーが敬遠するようになったのである。加えて、インフレ対策として各国の中央銀行が利上げを進め、カーローンの負担が重くなったことも、車両単価が高いEVにとっては逆風となっている。充電ポイントの整備が遅れていることも大きい。
今後、さらにEVシフトを進めるに当たっては、充電ポイントの整備に努めるとともに、車両単価を引き下げていく必要がある。本来なら、市場におけるメーカー間の競争を通じて、車両単価が自然と低下していくことが望ましい。中国製の廉価なEVを各国の市場に受け入れ、自国のメーカーと競争させることには利がある。
しかしEUもアメリカも、自国メーカーを優遇する観点から、追加関税を課して中国製EVを自国の市場から排除しようとしている。EUは7月から中国製EVへの関税を最高で48%に、アメリカは年内に中国製EVに対する関税を25%から100%に、それぞれ引き上げる。
中国のEVメーカーは、中国政府から多額の補助金を得ており、それで実現した廉価なEVを輸出することは不当廉売であり、公正さに欠ける──。EUやアメリカはこう主張している。さらに経済安全保障の観点からも、両者は中国と距離を置こうとしている。
EVの生産に必要なレアアースなどの重要鉱物はその多くが中国で生産され、こうした点から中国はそもそもEVの生産体制を築く上で優位な立場にある。その中国にEV市場を席巻されてしまった場合、中国との間のデリスキングは進まないというわけだ。
しかし、EV生産に必要な鉱物を産出する国が中国である以上、中国を排除した上でEVシフトを進めることなど不可能である。保護主義と脱炭素化のはざまで、中国に対する距離感をどう取るべきか。欧米のスタンスは今も揺らいでいる。
<排ガス不正からEVにシフト、「規制の輸出」と同時に、保護主義も世界に広げたが、中国を排除し切れるか>
グローバルな電気自動車(EV)シフトの旗振り役は、紛れもなくEUだ。少なくともEUはそう自負しており、世界的なルール作りを主導して市場の主導権を握ろうとしてきた。しかし廉価な中国製EVが躍進し、当初の思惑どおりには進んでいないのが現状だ。
EUの執行部局である欧州委員会は2021年7月、「気候変動対策に関する包括的な法案の政策文書」を発表した。その中で、EU域内では35年以降の新車販売を走行時に二酸化炭素などの温室効果ガスを排出しない車両「ゼロエミッション車(ZEV)」に限定する方針を示した。ZEVには燃料電池車(FCV)なども含まれるが、実質的にはEVを意味する。つまり、35年以降に域内で販売される新車をEVに限定するという野心的な目標を定め、世界の自動車市場で主導権を握ろうとした。
EUは、同じくEVシフトを重視する超大国のアメリカと中国をライバル視しており、両国よりも野心的な目標を定め、自らをその旗振り役と位置付けている。なぜ、そこまで野心的なEVシフトを志向するのか。
第1の理由は、脱炭素化目標の実現だ。EUは30年の温室効果ガス排出量について、1990年対比で55%削減することに野心を燃やす。この戦略目標を実現するために、EUはさまざまな経済活動において脱炭素化を推進している。
特に、モビリティー分野は経済活動の中でも温室効果ガスを多く排出するため、脱炭素化が急務であるとみたEUは、走行時に温室効果ガスを排出しないEVの普及に注力してきたのだ。
EUがEVシフトに注力してから、まだ10年も経過していない。もともとEUは、ディーゼルエンジンの高性能化を通じて脱炭素化を進めようとしていた。ヨーロッパでは一般的に燃費の良さを主な理由として、ガソリン車よりもディーゼル車が好まれていたのだった。日本メーカーはハイブリッド車(HV)に脱炭素化の活路を見いだしていたが、EU域内のメーカーはディーゼル車の高性能化を進めることで、温室効果ガスの排出量を減らせると考えたわけだ。
高性能ディーゼル路線の破綻
しかし15年、ドイツのフォルクスワーゲンによる大規模な排ガス不正事件、いわゆる「ディーゼルゲート」が発覚し、ディーゼル車の高性能化による脱炭素化の道は修正を余儀なくされた。フォルクスワーゲンのみならず多くのEUのメーカーが、アメリカの排ガス規制をクリアするために不正なソフトウエアを利用していたことが発覚し、ユーザーのヨーロッパ車離れが世界的に進んだ。
中国製EVへの規制で対立する習近平国家主席(左)とウルズラ・フォンデアライエン欧州委員長(パリ、今年5月) NATHAN LAINEーBLOOMBERG/GETTY IMAGES
ディーゼルゲートを契機として、EUはディーゼル車の高性能化から自動車の電動化の推進に戦術を転換させた。とはいえHVやプラグイン・ハイブリッド車(PHEV)を容認すれば、日本メーカーのほうが優位だ。そのためEUはEVに活路を見いだし、域内の自動車メーカーがEV生産に注力するよう、そしてユーザーがEVを選択するよう政策的に誘導するようになったのである。
米中という2つの超大国に対峙するため、EUは「規制を輸出」することで、グローバルな影響力を行使しようとする。EU域内での新車販売を35年までにEVに限定すれば、EU向けに自動車を生産する諸外国のメーカーは対応せざるを得ない。さらに、世界的にEVシフトを呼びかけていくことで、EUが目指す方向に世界の動きを誘導することが可能となる。
このようにEUが規制を輸出し、グローバルな政治力を行使することを「ブリュッセル効果」と呼ぶ。過去には個人情報保護、最近ではAI(人工知能)の分野で、EUは同様のアプローチを取っている。
実際、EU発のEVシフトに関してはその深度は各国で異なるものの、グローバルな広がりを見せたという点においては、一定のブリュッセル効果が発揮されたと考えていいだろう。アメリカでは、EUに融和的なバイデン政権がEVシフトの流れに呼応し、アメリカでもEV推進の流れが加速した。こうした欧米の動きを受けて、中国もまたEVシフトに取り組むようになった。
とはいえ、EUが推進するEVシフトが、アメリカにおける保護主義の動きを刺激した点も看過できない。
例えば、バイデン政権はインフレ抑制法に基づき、国産化率が高いEVにのみ購入時の税制優遇を適用することで、EVの完成車メーカーをアメリカに誘致するようになった。バイデン政権の方針は保護主義そのものであり、ブリュッセル効果がネガティブな意味で副作用を生むことを浮き彫りにした。
そして当のEU域内でも、自国優先の保護主義が台頭する事態となっている。例えばフランス政府は、自国製EVに対してより手厚い購入補助金を給付するように、昨年12月補助金制度を改定した。結果的に、EUは域内外において、EVシフトを通じて各国における保護主義の流れを刺激してしまったのだ。
中国の内モンゴル自治区に広がるレアアース採掘場(2011年) REUTERS
脱炭素化と保護主義の間で
今年に入って、EVの普及にグローバルな規模でブレーキがかかるようになった。これまでのEVの急速な普及は、パンデミック以降の景気回復を促すべく各国で採用された購入補助金に大いに依存していた。この補助金が各国で見直され始め、車両単価が比較的高いEVをユーザーが敬遠するようになったのである。加えて、インフレ対策として各国の中央銀行が利上げを進め、カーローンの負担が重くなったことも、車両単価が高いEVにとっては逆風となっている。充電ポイントの整備が遅れていることも大きい。
今後、さらにEVシフトを進めるに当たっては、充電ポイントの整備に努めるとともに、車両単価を引き下げていく必要がある。本来なら、市場におけるメーカー間の競争を通じて、車両単価が自然と低下していくことが望ましい。中国製の廉価なEVを各国の市場に受け入れ、自国のメーカーと競争させることには利がある。
しかしEUもアメリカも、自国メーカーを優遇する観点から、追加関税を課して中国製EVを自国の市場から排除しようとしている。EUは7月から中国製EVへの関税を最高で48%に、アメリカは年内に中国製EVに対する関税を25%から100%に、それぞれ引き上げる。
中国のEVメーカーは、中国政府から多額の補助金を得ており、それで実現した廉価なEVを輸出することは不当廉売であり、公正さに欠ける──。EUやアメリカはこう主張している。さらに経済安全保障の観点からも、両者は中国と距離を置こうとしている。
EVの生産に必要なレアアースなどの重要鉱物はその多くが中国で生産され、こうした点から中国はそもそもEVの生産体制を築く上で優位な立場にある。その中国にEV市場を席巻されてしまった場合、中国との間のデリスキングは進まないというわけだ。
しかし、EV生産に必要な鉱物を産出する国が中国である以上、中国を排除した上でEVシフトを進めることなど不可能である。保護主義と脱炭素化のはざまで、中国に対する距離感をどう取るべきか。欧米のスタンスは今も揺らいでいる。