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イスラエルの暗殺史とパレスチナの「抵抗文学」

ニューズウィーク日本版 2024年7月10日 8時45分

アルモーメン・アブドーラ(東海大学国際学部教授)
<イスラエルのパレスチナ人への過剰な暴力を世界が非難する今日、52年前に暗殺されたパレスチナ人作家ガッサーン・カナファーニーの作品に再び注目が集まっている>

死について話したい。目の前で起こる死、耳にする死ではない。この2種類の死の違いはあまりにも大きく、それは、人間が消滅への恐ろしい転落に抵抗するために、震える指の力を振り絞って布団の中に縮こまるのを見た者だけが悟ることができる。

死の問題は、死者の問題ではまったくない。生者(生きる者)の目にとって小さな教訓となるようなもので、そしてその自分の番が来るのを辛酸をなめながら待つ、残された者の問題なのだ。
(ガッサーン・カナファーニー『十二号ベッドの死』)

私たちの思考やマインドに、言葉ほど、多大な影響を及ぼしているものはないだろう。言葉によるパレスチナの抵抗運動の一つである文学と詩は、言葉が単なるコミュニケーションや表現の手段を超えて、イスラエルの占領による包囲網を破り、国境を越えることのできる実際の武器であった。

ソーシャルメディアやオープン(開かれた)メディアのカメラがない時代には、詩や言葉はパレスチナで起きていることを語り、外の世界の良心に訴え、パレスチナの大義に対するアラブや国際的な連帯を形成するための不可欠な手段であった。

パレスチナは、言葉によって「抵抗の精神」の種が育つ肥沃な大地であった。その一方で、パレスチナを占領し続けるイスラエルは常にこの言葉の重要性を認識しており、時には逮捕や妨害行為によって、また時には意図的な殺人や暗殺に等しい犯罪によって、パレスチナのその発信者の口封じに必死になって、力を尽くしてきた。

「抵抗文学」の歴史

"抵抗文学"という言葉は、おそらくパレスチナ人作家ガッサーン・カナファーニー氏が、『占領下のパレスチナにおける抵抗文学1948-1966』(ダール・アル・アダブ・ベイルート出版、1966)と、『占領下のパレスチナ抵抗文学1948-1968』(パレスチナ研究所、1968年)という2つの調査研究の中で初めて広めたものだ。彼はこの研究を通して、イスラエルの占領政策の抑圧に立ち向かう言葉による抵抗の役割、火薬と銃弾の炎と入植の残虐さの前に言葉が果たす効果的な役割について深く分析している。

1948年のナクバ(強制移住による離散の悲劇)以後の世代に限ったことではなく、さらにさかのぼれば、植民地主義に抵抗し、イスラエルによるシオニズムの差し迫った危険性を警告する多くの詩人や文学者による"抵抗"の声も抵抗文学に含まれる。もちろん、1936年のイギリス委任統治時のパレスチナのアラブ人大反乱にまで及ぶ。 当時の詩人たちは、破局を認識し、荒野の叫び声のように、警告を込めて詩の声を上げた。その中でも特に著名なのが、イブラヒム・トゥカン、アブド・アル=ラヒム・マハムード、アブ・サルマ "アブド・アル=カリム"・アル=カルミという詩人たちである。

文豪のカナファーニー氏はその研究において、雄弁な詩作にとどまらず、民衆に届き、民衆に響くような大衆文学や口語文学も手がけた。真実の声を封じ込め、その担い手を排除しようとし続けるイスラエルにカナファーニー氏自身が暗殺され、多くの占領への抵抗者(何十人もの芸術家、詩人、思想家など)の一人となったのも不思議ではない。

2018年に出版された書籍『Rise and Kill First: The Secret History of Israel's Targeted Assassinations』(邦訳は『イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史』早川書房)で、イスラエル人作家のロネン・バーグマンは、イスラエル諜報機関が組織的に行った暗殺の歴史を振り返り、イスラエルは他のどの西側諸国よりも多くの暗殺を行ってきたと主張している。

著者のバーグマン氏は、本のタイトルはタルムードのテキストから引用したものだと説明している。この言葉は、イスラエルによる暗殺の教義を正当化するために、複数の人物によって使われてきた。

この著書でバーグマン氏は、多くのイギリス政府高官、パレスチナ解放機構のメンバー、ハマスなどに対するシオニストによる暗殺には、直接的な殺害、あるいは犯罪の痕跡を隠し(抹消し)、疑惑を排除することを目的とした「サイレント・キリング」と呼ばれる手法があったという。

もちろん著者はイスラエル国籍であるため、その情報には細心の注意を払わなければならないが、1907年に創設されたバル・ギオラ組織からハガナー組織、そしてイスラエル占領軍に至るまで、シオニストの敵を抹殺する不道徳な政策(手法)に光を当てている。また、この本の中で、イスラエルが第二次世界大戦以降、欧米のどの国よりも多くの人々を暗殺したことを認め、イスラエルの建国70年間で2700人以上の暗殺を行ったと推定している。

イスラエルにとって脅威に

イスラエルは政敵に対して暗殺という武器を使ってきただけでなく、言葉や思想、芸術を通して抵抗の旗を掲げた人々もねじ伏せてきた。その意味で、イスラエルは言葉の力とその可能性を理解していたと言える。

パレスチナの文豪やアーティスト、詩人などには、抵抗の精神を奮い立たせ、声なき人々に声を与える力があるということは理解していた。そして、77年以上にわたってパレスチナ人のアイデンティティを消し去り、事実を消そうとシオニストのメディア・マシンが続けてきた偽情報を凌駕する真の力があることを知っていたからだ。

「祖国とは過去のみだとみなした時、私達は過ちを犯したのだ。ハーリドにとって祖国とは未来なのだ。そこに相違があり、それでハーリドは武器をとろうとしたのだ。敗北の底に、武器の破片と、踏みにじられた花とを捜す者の落胆の涙は、ハーリドのような幾万もの人間を遮ることはできない」
(ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って』河出文庫、258ページ)

ガッサーン・カナファーニー氏の暗殺が起きたのは今から52年も前だ。当時、カナファーニー氏の暗殺が確認されると、作戦部隊の担当者は、イスラエルのトップである首相に知らせた。報告を受けた当時のイスラエル首相ゴルダ・メイアは、その作戦についてこう述べていた。

「我々は知的武装した集団にも匹敵するような人物を排除した。カナファーニー氏のペンは、イスラエルにとっては千人の武装ゲリラよりも危険だ」

この作戦が実行されたのは1972年7月8日。その数日前、多くのパレスチナ人のジャーナリストや作家など、メディア関係の中心的な人物を抹消する決定を下したのはゴルダ・メイア首相だった。
 
イスラエルのパレスチナ住民への虐殺が激しさを増していく状況の中で、このパレスチナ人作家による生前最後の小説、『ハイファに戻って』が再び注目されるようになった。

カナファーニーの小説は、「ポスト・ナクバ文学」に分類され、特に『ハイファに戻って』は、パレスチナの現実を見事な語り口で表現している。21世紀のアラビア語翻訳小説トップ10にも選ばれたこの作品は、1970年にベイルートで出版され、パレスチナ人の苦しみがリアルに綴られていることで知られる。

物語は、土地を奪われたパレスチナ人夫婦を描く。彼らが20年ぶりにハイファに戻ってみると、さまざまなことが変わっていた。出来事は三人称の語り手を通して語られ、「帰還(戻って)」という概念をいくつかの文脈で提示する。これによっては、カナファーニーは、現実と虚構が入り混じった、あらゆる要素が存在する物語を語ることができたが、同時に驚きを呼び起こし、読者を過去の記憶へと押しやる知的叙事詩を提示することもできた。
 
カナファーニー氏の暗殺から1年も経たない1973年4月、詩人カマル・ナセル氏は、カマル・アドワン氏とアブ・ユセフ・アル=ナジャール氏の2人の同志とともに、イスラエル情報部によってベイルートで暗殺された。プロテスタントのキリスト教徒であったナセルは、遺言通り、イスラム教徒の同志ガッサーン・カナファーニーとともに埋葬された。

この他、パレスチナの世界的漫画家ナジ・アル=アリ氏もイスラエルの情報機関によって暗殺された疑いの高い人物の一人である。彼はパレスチナ人の言葉による抵抗の歴史において最も重要な人物の一人であり、彼の暗殺はアラブ世界を含む世界中を震撼させた。1937年生まれのナジ・アル=アリ氏は、パレスチナの大義を体現する最も著名なパレスチナ人漫画家の一人であり、その絵とメッセージはイスラエルを悩ませていた。

イスラエルによって暗殺されたパレスチナの知識人や作家のリストは枚挙にいとまがない。これは、イスラエルのパレスチナに対する歴史上最も汚れた政策の一つである。

【執筆者】アルモーメン・アブドーラ
エジプト・カイロ生まれ。東海大学国際学部教授。日本研究家。2001年、学習院大学文学部日本語日本文学科卒業。同大学大学院人文科学研究科で、日本語とアラビア語の対照言語学を研究、日本語日本文学博士号を取得。02~03年に「NHK アラビア語ラジオ講座」にアシスタント講師として、03~08年に「NHKテレビでアラビア語」に講師としてレギュラー出演していた。現在はNHK・BS放送アルジャジーラニュースの放送通訳のほか、天皇・皇后両陛下やアラブ諸国首脳、パレスチナ自治政府アッバス議長などの通訳を務める。元サウジアラビア王国大使館文化部スーパーバイザー。近著に「地図が読めないアラブ人、道を聞けない日本人」 (小学館)、「日本語とアラビア語の慣用的表現の対照研究: 比喩的思考と意味理解を中心に」(国書刊行会」などがある。

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