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「地味な男」スターマーが勝った英国...14年ぶりの政権交代も目指すのは「地味な安定」?

ニューズウィーク日本版 2024年7月8日 15時28分

ジョン・カンフナー(ジャーナリスト)
<公約は最高に無難。「夢を売らない」新首相への期待値は既に低く、国民も今さら失望しようがない──>

それなりの年のイギリス人なら、あの晩のことは覚えているはずだ。1997年の5月1日、労働党のトニー・ブレアが政権を奪還した日を。

ロンドンの地下鉄では運転士が車内放送で、出口調査の結果を誇らしげに伝えた。若者たちは路上で祝杯を挙げた。熱心な党員たちはテムズ川沿いの広場に集まり、ディー・リームのヒット曲「すべてはこれから良くなるばかり」で舞い上がった。

だが今回、ディー・リームのメンバーはこの曲を流さないでくれと言った。イラク戦争に賛成したブレアを許せないということらしいが、それだけではあるまい。世の中が暗くて、およそ明日を信じられる雰囲気ではないからだ。

当時の楽観ムードは甘すぎた。イラク戦争で裏切られた。

それでも「ニューレーバー(新しい労働党)」の掛け声は生き残り、ブレアは2005年まで3度の総選挙に勝った。07年には首相の座を盟友ゴードン・ブラウンに譲り、労働党はその後も3年、政権を維持した。ニューレーバーの寿命は13年だった。

盛り上がらぬ政権交代

その後の保守党政権はもう1年長く続いた。しかし笑えるくらい不毛な14年だった。登板した首相は5人、ブレグジット(EU離脱)は最悪だったし、常に汚職があった。

そんな保守党を下野させたのは、今の労働党を率いるキア・スターマーの功績だ。7月4日の総選挙では文字どおり地滑り的な勝利を収めた。しかし、97年のブレアのときのような熱狂はない。

スターマーは夢を売らなかった。選挙戦での公約は、最高に無難な6本に絞り込んだ。

医療機関での待ち時間を減らす、教員の新規採用を増やす、反社会的な行為を取り締まる、等々。これなら誰も反対しない。97年のブレアもそうだったが、要するに面倒な論戦は避け、敵に付け入る隙を与えない作戦だった。

スターマーが繰り返し訴えたのは安定と責任、そして中身の薄い「変化」の約束だけ。97年当時の甘美な楽観論は影も形もなかったが、有権者はそれで満足した。

なぜか。民主主義世界全体で政界の主流が信頼を失ってしまったからか。それとも有権者の期待値を下げるという巧妙な戦略の歴史的な成功例なのか。

巧みな演出を得意としたブレアとは対照的に、スターマーは地味な男だ。果たして政権1期目でブレア並みの成果を上げられるだろうか。そしてブレアと同じ年数かそれ以上にわたって労働党政権を維持できるだろうか。

かつてブレア政権を支えた人材の一部を、スターマーは陣営に招き入れている。ブレア本人とも相談しているらしい。

スターマーはこう言っている。「97年当時のことについては、よく彼と話している。選挙に勝ち、わが党を野党から与党へと変身させた立役者の話には、もちろん興味があるからね」

テレビでインタビューを受けた際には、労働党は選挙に強くないという点を強調していた。第2次大戦以降、労働党が保守党から政権を奪取できたのは3回のみだった。45年と64年、そして97年だ。

ブレアもスターマーも、こうした過去の記憶を引きずっている。イギリスは基本的に保守の国、保守党の国だと信じている。

だからスターマーは公約を最小限に切り詰め、私立学校への税優遇廃止や、光熱費削減のための公営エネルギー会社の設立、労働者の権利の(最低限の)拡大などにとどめた。

環境問題や子供の貧困問題に関する急進的な政策は、早い段階で骨抜きにされた。ブレグジットとそれがもたらした損害については、ほとんど何も語らなかった。

戦術は単純だ。要は「寝た子を起こすな」。政治、経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)には口を出さず、やりたいことはこっそり、目立たないようにやればいい。

ブレアは国民保健サービス(NHS)や教育、公共交通機関、社会福祉などの抜本的な改革を主導した。だが、そのために行った投資を華々しく宣伝することはなかった。

おそらく、比較の対象は60年代のハロルド・ウィルソン政権がふさわしい。ウィルソンは第2次大戦後に選挙で勝った3人の労働党党首の1人。64年から70年までの6年間、彼は実務的な顔をしながら急進的な政策を推し進めた。

一方のブレアは、内政よりも国際舞台で派手に動いた。EU首脳会議では堂々と議長を務めた。アメリカとは歩調を合わせ、9.11テロ後のアフガニスタン侵攻を支援するよう、パキスタンのパルベズ・ムシャラフ大統領やロシアのウラジーミル・プーチン大統領の説得に当たった。

変化よりも安全が重要

当時のイギリスはスパイス・ガールズや「クールブリタニア」の時代で、もっと楽観的だった。ブレアのイギリスは、自由民主主義と自由市場が手を取り合って歩み、反抗的な独裁者たちのやり方は間違っていると確信していた。

あれから20年。新型コロナのパンデミックを経て、暗い時代はさらに暗くなった。欧州でも中東でも戦争が続き、気候変動対策の目標は達成できず、ポピュリズムの言説がまかり通り、一部の国では政権を握った。

スターマーも、自身の動画や写真には必ず国旗を入れる。添えられる言葉は「変化」だが、意識下のメッセージは「安定」だ。

誰が彼を責められるだろう。スターマーに配られたカードは最悪だ。

ブレアは前任者ジョン・メージャーのおかげで健全な財政を引き継げたが、スターマーは低迷する経済、ナポレオン時代以来最小の軍隊、さび付いた医療制度、貿易を限りなく困難にするブレグジット後の通関手続きなどの障害を引き継がされた。

保守党の首相、とりわけボリス・ジョンソンとリズ・トラスは最悪で、テリーザ・メイとリシ・スナクも大差なかった。おかげでイギリスの評判は地に落ちた。

スターマーもブレアのような笑顔で勝負したいだろうが、それは無理。彼には国民を喜ばせることも、世界に向けて壮大な約束をすることもできない。

それでいいのだろう。なにしろ、今なお民主主義の本流に踏みとどまっている政治家はほとんどいない。期待値は低いから、今さら国民を失望させることもない。それが、せめてもの幸いか。

From Foreign Policy Magazine



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