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石丸躍進の原動力「やわらかいSNSファンダム」を考える

ニューズウィーク日本版 2024年7月9日 9時42分

北島 純
<東京都知事選は「小池圧勝」より「蓮舫失速」、さらには「石丸躍進」が衝撃を与えた異形の選挙だった。その原動力となったのは「やわらかいファンダム」と言うべき支持層の広がりだ>

7月7日に投開票された東京都知事選は、現職小池百合子知事が約292万票を得て圧勝。2位につけたのは約166万票を獲得した石丸伸二前安芸高田市長、前立憲民主党参議院議員の蓮舫候補は約128万票で3位に終わった。

蓋を開けてみれば、「現職知事で負けた人はいない」という経験則通りの結果だが、「蓮舫候補の失速」と「石丸候補の躍進」は想像を超えていたという声もあがっている。

蓮舫候補は5月27日の出馬表明で「反自民・非小池」をスローガンに「小池都政をリセットする」と啖呵を切ったが、その後6月18日午後の公約発表までの3週間、実質的な政策論争を小池知事に仕掛けることもなく、地上波(ワイドショー)の話題を独占するいわゆる「電波ジャック」の機会を逸した。代わりに注目を集めたのが、支援を表明した共産党によるビラの個別配布だった。無党派層の取り込みという点で、初動段階での広報戦略の失敗は後を引いたと言えよう。

対する小池知事はさすが「狸寝入りの名人」の異名を取るだけあって、6月18日午前の公約発表までのらりくらりと「半身の構え」に徹し、告示後の選挙運動でも蓮舫候補と同じ土俵に立とうとしなかった。街頭演説を八丈島から始める「川上戦術」の定番感から、「AIゆりこ」動画を公開する先端感まで、終始展開したのは「横綱相撲」だった。

とはいえ、もしこの2人だけが主要な候補者ということであったら、やり方次第ではひょっとしたら蓮舫候補は小池知事を倒し、あるいは肉薄していたかもしれない。同時に行われた都議補選で自民党候補は2勝6敗に終わっており、自民党裏金問題に対する強烈な逆風が止んでいる訳ではない。小池陣営が「確認団体方式」のステルス作戦をとったとはいえ、自民党の腐敗批判を小池知事に結びつける広報戦略を取ることは可能だったかもしれない。

例えば蓮舫候補が、中途半端に終わった国政レベルでの政治資金規正法改正よりはるかに厳しい「政治とカネ」に関わる規制を、都政レベルでの「知事提出条例案」として具体的に提示して世論喚起したり、あるいは(その勢いを駆って)政界の「政治とカネ」の事情をつまびらかにしていたりしたら、「腐敗と闘うジャンヌ・ダルク」化を果たして、それこそ拍手喝采となっていたかもしれない。

しかし、そうしたことはなされず、小池知事の出方を伺って逐次追尾するという消極的な広報戦略が取られたように見える。その結果、都知事選で「政治とカネ」問題が中心的争点になったとはいえず、(神宮外苑再開発等の争点があったとはいえ)これはという「誰しもが関心を持つような明確な争点」(あるいはシングルイッシュー)が有権者の間で共有されていたとも言い難い状況で投票日を迎えた。

これに対して、石丸候補の躍進はどう見るべきか。

苦もなくボランティア5000人を集めた石丸陣営

「SNSを駆使して若者層に食い込んだ」、「無党派票をかっさらって蓮舫候補が沈んだ」といったことが指摘されている。確かにその通りではあるが、むしろ、石丸候補が「やわらかいSNSファンダム」の形成に成功し、それが小池・蓮舫というベテラン政治家の争いに引き気味の無党派層の「消極的選択」の受け皿として機能したというべきではないか−と思われる。

「ファンダム」とはメディア論・文化批評の用語で、熱心なファンによるキングダム(王国)という造語から転じて、同好の者達が形成する領域あるいは文化といった意味合いだ。

石丸候補は安芸高田市長時代、居眠りした市議会議員や新聞社を揶揄し罵倒する動画をYouTubeにアップロードし続け人気を博していた。視ていた者すべてが「この市議会議員はトンでもないな」とか「新聞社はえらそうだな」とか真剣に同調していたというよりも、「対立する様子がガチで配信されている状況」をスマホで面白がる視聴者が増えていたのだ。これが石丸ファンダム形成の第一歩だ。

その後、石丸氏は市長を辞任して都知事選に立候補する。これを「いとも簡単に市政を放り出して無責任極まりない」とか「売名行為に過ぎない」とか、眉をひそめ肩に力を入れて説教を始める人にはSNSファンダムの内在的論理を理解することはむずかしい。ファンは基本的にこの「破天荒な愚行」あるいは「行きあたりばったりに見える行為」を石丸氏というアイコン(象徴的人物)の所業として、ただ楽しんでいたのだ(その「楽しみ」が基盤となって、選挙戦終盤では「感動」も生まれていたが)。

ポスター貼り、証紙貼りのボランティアを集めるのに苦労するのはどの選挙でも当たり前だ。ところが石丸陣営は苦もなくボランティア5000人を集めた。献金もアッという間に2億円を超えている。これは選挙期間中の「陣中見舞い」というよりもライブ配信等でみられる「投げ銭」の感覚だろう。それが「いとも簡単に」実現されたように見えるのは、ひとえにファンダムの論理が働いたからだ。ビデオ撮影の有償手配や集会への動員があったかもしれないとしても、選挙運動を支えた実質は、無名のファンによる「楽しみ」、正確には「楽しみの共有(シェア)」だったと言えよう。

石丸氏は新しい政治的ファンダムを形成することに成功している。それはいわば「やわらかいファンダム」というべき、SNS上の新しいファンダムで、「脱色化された」とか「なめらかな」といっても良いかもいしれない。

「やわらかいファンダム」の裾野の広がり

これまでにもSNS上で熱狂的なファンを持つ候補者はいた。例えば4月の衆議院東京15区補選に出馬した飯山陽氏や高市早苗経済安保相、あるいは今回の都知事選の「ひまそらあかね」(暇空茜)氏もそうだろう。その政治家や候補者の思想信条と行動に熱狂し、親身に応援するのだ。「イデオロギー的ファンダム」と十把一絡げにすると怒られるかもしれないが、伝統的な政治家支持の延長にある応援の形態で、「かたいファンダム」、あるいは「濃いファンダム」とも言ってもいいだろう。

しかし、そうした岩盤的ファン層が当該候補者の選挙区に在住しているとは限らない。遠く離れた人でも、選挙区在住者と「等価値」で応援できるのがSNSファンダムの利点でもあり、弱点でもある。岩盤的ファン層には選挙権を持たぬ18歳未満の若者もいる。

「思ったよりも得票が伸びなかった」とか「SNSの勢いでは当選確実なのに(選挙結果が操作されたに違いない......)」とかいった感想がもたらされるのは、SNS上に形成される政治的ファンダムによく見られる現象だ。「SNSでの支持とリアル(実社会)での投票行動はイコールではない」という評価が、これまでの政治の世界では一般的だった。

しかし、それはあくまでも思想と行動に強く共鳴する者によって形成される「かたいファンダム」の話だ。思想信条の一致を共通項とするファンダムは堅牢ではあるが開放性に欠け、自ずとアンチも惹起する。

それに対して、イデオロギー性を限りなく薄める「脱色化」と、論争を誘発するような具体的な論点提示をできる限り避ける「なめらかさ」を備えたファンダムであれば、ファンになる参入障壁は低くなり、ファンの裾野は広がる。選挙区在住かどうか、選挙権を有するか否かという点では、「かたいファンダム」と事情は同じだが、異なるのは、その「裾野の広がり」だ。

実際のところ、石丸氏の主張は玉虫色のものが多く、どのようなイデオロギー的立ち位置なのか定かではない。しかし、それは薄く広く人々に浸透させるのに好都合であり、日本最大の選挙区「東京都」の投票者約688万人(当日有権者数約1135万人、投票率60・62%)の中で、「小池知事と蓮舫候補、正直に言ってどっちもどっちだな。迷うな」と感じていた層に「マッチ」したのではないか。

つまり「やわらかいファンダム」が、有権者の「消極的な選択」の受け皿になり得たからこそ、ほぼ無名に近かった石丸候補が都知事選で約166万票を獲得することができたのではないかと思われるが、いかがであろうか。

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