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これからの蚊対策は「殺さず吸わせず」 痒いところに手が届く、蚊にまつわる最新研究3選

ニューズウィーク日本版 2024年7月12日 18時50分

茜 灯里
<新しい仕組みの虫除け、腹八分目で吸血を止める理由、昔はオスも吸血していた説...夏本番に知っておきたい、蚊に関する最新トピックを紹介する>

7月に入って日本各地で猛暑日が続いています。九州南部から東海にかけては、来週にも梅雨明けが予想され、いよいよ夏は本番です。ただし、行楽シーズンの到来とともに、蚊の猛威にも悩まされる季節となります。

日本では「刺されると痒い」「羽音がうるさくて安眠妨害」と煩わしいイメージが強い蚊ですが、世界規模で見ると、マラリアやデング熱といった重症化すると死に至る可能性がある感染症を媒介する「地球上で最も多くヒトの命を奪う生物」です。

WHO(世界保健機関)の統計などをもとに、23年に英BBCのサイエンスフォーカスマガジンで特集された記事によれば、1年間に殺人する数で動物を順位付けすると、蚊が72万5000人とダントツで1位です。ちなみに2位はヒト(年間40万人)、3位はヘビ(同13万8000人)、4位はイヌ(同5万9000人)、5位はサシガメ(シャーガス病を媒介するカメムシの仲間、同1万人)と続きます。

日本人は、蚊に対しての危機感が薄すぎるのかもしれません。予防から進化まで、蚊にまつわる最新の話題を概観しましょう。

日本で見られるアカイエカ、チカイエカ、ヒトスジシマカ

世界には約3500種の蚊がおり、日本には約100種が生息しています。もっとも、吸血するものはそのうちの約20種で、よく見られるものに限定すると3種に絞られます。

室内でブーンと不快な羽音を立てているのは「アカイエカ」の可能性が高いでしょう。ドブや下水などで発生し、しばしば家に入り込みます。

ヒトの感染症では、ウエストナイル熱の原因ウイルス(ウエストナイルウイルス)を媒介する可能性がありますが、国内では今のところ未発生です。その代わり、イヌやネコの病気であるフィラリアを媒介するので、ペットの飼育者は注意が必要です。

アカイエカによく似ていて、ビルの地下槽などに潜み冬も活動するのが「チカイエカ」です。アカイエカは寒くなると休眠しますが、チカイエカは寒さに強く、1年中吸血をします。

夜行性のイエカに対し、昼行性のヤブカの一種である「ヒトスジシマカ」は日本でも公園などでよく見られます。世界中で大流行し、50年前と比べて30倍以上の発症件数となっているデング熱を媒介し、日本でも10年前から国内感染例が散見されています。

なお、日本では蚊(コガタアカイエカ)が媒介する怖い病気として日本脳炎が知られていますが、ここ10年の年間症例数は毎年ほぼ10例以下です。

蚊は、普段はオスもメスも花の蜜や草の汁を吸って栄養としています。例外で、交尾後のメスのみが卵を育てるためのエネルギー源として吸血します。このメス蚊は、吸血時に麻酔や血の凝固を防ぐ効果のある物質を含む唾液をヒトに注入します。唾液は痒みの原因となり、刺した蚊がウイルスや原虫等の病原体を持っていた場合は、病原体をヒトに渡して感染もさせます。

1.新しい仕組みの虫除け

蚊が媒介する感染症には、ウイルスが原因であるデング熱、チクングニア熱、ジカウイルス感染症、日本脳炎、ウエストナイル熱、黄熱と、原虫が原因であるマラリアなどがあります。

これらのうち治療薬があるのはマラリアくらいで、発症したら症状を和らげる対症療法が中心となります。そのため、蚊に刺されない「防御」が何よりも重要です。

現在の日本では、蚊の防御策といえば蚊取り線香や虫除けスプレーといった忌避剤が中心です。有効成分としてよく使われているのは、ディート(N,N-ジエチル-3-メチルベンズアミド)や2015年に承認されたイカリジンです。

服や肌に直接つける虫除けは、より効果が高いとされますが、①肌が弱い人はかぶれる可能性がある、②主流として使われているディートは子供への使用回数制限があるため、不安を感じる保護者も多い、などが気になる点でしょう。

そこで、新しい仕組みの虫除けが近年、開発されています。

2020年、花王株式会社パーソナルヘルスケア研究所・マテリアルサイエンス研究所は、化粧品などに使用される低粘度のシリコーンオイルを肌に塗ると、蚊が肌に止まってもすぐに飛び立つ逃避行動をとるため、吸血を阻害できることを明らかにしました。いわば、「蚊を殺さずに吸血できなくする」ことが可能となります。

これを応用した虫除けクリーム「ビオレガード モスブロックセラム」は、22年6月からタイで販売されています。

さらに同社とアース製薬は、液体スプレー「アース・モスシューター」を開発しました。蚊に吹きかけると、羽の撥水効果がなくなって飛べなくなるといいます。また、ヒトの肌にこの液体を吹きかけると、止まろうとした蚊の脚が濡れてうまく着地できなくなるため、結果として吸血できなくなるそうです。スプレーは今月31日、タイで発売されます。

低粘度シリコーンオイルの有効性のメカニズムをさらに詳しく調べるために、同社は理化学研究所(理研)とともに蚊の観察に特化した仮想空間を構築し、研究を続けています。

本年3月にオープンアクセス科学総合誌「Scientific Reports」に発表した論文によると、①蚊の脚に低粘度シリコーンオイルがつくと、動くものを追いかける能力が低下する、②蚊は低粘度シリコーンオイル付着時(嫌な経験)のニオイを記憶し、同じニオイに対して回避行動をとる、ことが分かりました。いずれも「強い化学物質である忌避剤を使わない、新時代の虫除け」を開発する上で、大きなヒントになりそうです。

低粘度シリコーンオイルの虫除けクリームやスプレーは、蚊媒介感染症による被害が深刻な東南アジアでの流通を目指している商品で、残念ながら日本国内では未発売です。もっとも、とくに小さな子供がいる家庭では高い関心を持たれそうな製品なので、近い将来に国内でも入手しやすくなるよう期待しています。

2.蚊は安全のために腹八分目で吸血を止める?

理研の佐久間知佐子上級研究員、東京慈恵会医科大の嘉糠洋陸教授らの研究チームは、哺乳類の血液中にあるフィブリノペプチドA(FPA)という成分が、ネッタイシマカの吸血を停止させるシグナルとして働くことを発見しました。研究成果は生命科学系のオープンアクセス誌「Cell Reports」に6月20日付で掲載されました。

この研究成果を応用すれば、人為的に蚊の吸血停止を誘導する手法の開発や、蚊が媒介する感染症の新たな対策法として役立つ可能性があります。

蚊はヒトだけでなく、家畜のウシやブタ、ペットのイヌやネコなど様々な動物を刺して吸血します。動物が発する二酸化炭素やにおい、熱によってターゲットを感知し、近づくと、口吻で皮膚をチクッと刺し、さらに血管を探り当て、ほんの少し味見をしてから吸血の続行を決定します。

このとき、刺された動物の血液に常に存在するアデノシン三リン酸(ATP)が、蚊の吸血を促す物質としてシグナルを送り続けることは先行研究で知られていましたが、吸血を終えるタイミングを決めるメカニズムは解明されていませんでした。

吸血するメス蚊は、卵の成長のために血液で効率的にタンパク質などの栄養素を摂りたいのですが、長時間の吸血は動物に気づかれて叩かれたり潰されたりするリスクが高まります。そこで、適当なタイミングで吸血を止める必要があります。お腹いっぱい(腹部膨満)がきっかけとなるという研究報告はありますが、実際の観察ではそうでない例も多く、謎のままでした。

研究グループは、吸血停止に関わる物質も刺される動物の血液中にあるのではないかと考えて、メスのネッタイシマカとマウスを用いて、探索しました。

まず、実際の血液とATP溶液に対する吸血行動を比較したところ、直接マウスから吸血した場合の方が摂取量は少なくなりました。つまり、血液に本来含まれる何らかの物質に、吸血を抑制する働きがあると推測されました。また、マウスから直接吸血させると、お腹いっぱいになる前に吸血を止める個体がほとんどであることから、吸血抑制物質は吸血の後半で急速に増加・活性化する物質であると予想されました。

次に、吸血抑制物質の正体を突き止めるために、血液を成分ごとに分けて解析しました。その結果、ATP溶液に血清を加えると、ATP溶液を単独で与えたときと比べて、お腹いっぱいになるまで吸血するネッタイシマカの割合が減りました。このことから、血清に吸血抑制物質が含まれていると示唆されました。

さらに解析を進めると、血液凝固が起きるときに最初に作られるFPAが吸血停止シグナルとして機能する物質として同定されました。

検証のため、ATP溶液に合成FPAを添加したり、血液をFPA生成阻害剤で処理したりした結果、FPAがないと蚊の吸血は促進されること、血中のFPAを増やすと吸血を途中で止める個体が増加することが観察されました。

研究者たちは、蚊には腹部膨満という物理的な吸血停止と、FPAによって腹八分目でも停止する機構が共存していることから、順調に吸血できずに通常よりも長く時間をかけてしまった場合でも吸血を止める仕組みが備わっているのだと考察しています。また、哺乳類では動物種が違ってもFPAの構造はよく似ているため、FPAで感知するシステムは理にかなっていると考えています。

今後は、実際に蚊が刺しても吸血量を減らすために、蚊にFPA受容体作動薬を投与したり、砂糖水や花の蜜の中にFPAを作る腸内細菌を入れて投与したりといった手法も検討していると言います。

これまでの蚊媒介感染症対策は、蚊帳や長袖長ズボンの着用で蚊との物理的な接触を減らしたり、殺虫剤や虫よけで蚊をヒトに近づけないようにしたり、致死遺伝子を導入した遺伝子組換え蚊を環境放出して蚊の数そのものを減らしたりといった、蚊に刺される機会を避けることに重きを置いたものでした。本研究を応用すれば、たとえ病原体を持つ蚊と接触しても感染の可能性を低下させることができるかもしれない点が、画期的と言えるでしょう。

3.かつてはオスも吸血していた?

「産卵前のメスのみが吸血する」ことは現代の蚊の常識ですが、23年12月、生物学系科学誌「Current Biology」に、かつてはオスの蚊も吸血していた可能性を示唆する論文が掲載されました。

中国の地質古生物学研究所およびレバノン大に所属するダニー・アザール氏らは、レバノンで見つかった白亜紀前期のものと見られる琥珀の中に、蚊が閉じ込められていることを発見しました。これまでの最古の蚊の化石は、白亜紀中期のものでした。今回発見された蚊は、それよりも約3000万年前に生息していたものと見られます。

最古を更新しただけでも大発見なのですが、琥珀中にいた蚊は状態の良いオス2匹で、いずれも口の構造が「動物を刺して吸血できる形」をしていました。つまり、進化初期の蚊は、オスも血を吸っていた可能性が高いということです。

吸血昆虫の口の進化史は、これまでに見つかっている化石の記録が完全にはつながっていないため、未だに分からないことが多い分野です。たとえば、オスもメスも吸血するノミは、花の蜜を吸う昆虫から吸血できるように進化した種である可能性が高いとされています。一方、蚊のオスの口は、吸血もできるメスの口が退化して植物の液を吸いやすく特化したものだと考える研究者が多いです。とはいえ、いずれにしても今までは証拠がありませんでした。

研究チームは「古代に吸血できるオスの蚊が存在した可能性から、吸血の進化史はこれまで考えられていたよりも複雑な可能性がある」と語り、「産卵をしないオスがなぜ吸血行動をとっていたのか、進化の過程で吸血できる口器がなぜ存在しなくなったのかについて、今後さらに研究を進めたい」と語っています。

ここまでの話を読んで「やっかいものの蚊なんて、全滅すればいい」と思う方も多いかもしれませんが、蚊の幼虫のボウフラは生息場所の水中の有機物やバクテリアを食べて水質改善に役立っています。吸血しない蚊の成虫は、植物の受粉を手伝うこともあります。

全世界にいる蚊の数は、「約100兆匹だ」とか「いや京のオーダーに及ぶ」などと見積もられています。ヒトに悪影響がない方法で全滅させることは、ほぼ不可能でしょう。ならば、蚊の習性を知り、防御を固めて上手く付き合うことが大切ですね。

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