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「開発独裁が効率的」「脱炭素も進む」...中東の「民主国」クウェートで何が起こっているのか

ニューズウィーク日本版 2024年7月17日 18時40分

保坂修司
<気温52℃のなか停電になったクウェートだが、これは単に電力事情の問題ではない。民主主義をめぐる世界的な潮流の一部とも言える。昨年末に就任したミシュアル新首長が、この春、議会を閉鎖するという強硬手段に出た>

6月19日、ペルシア湾岸の小国、豊かな産油国としても知られるクウェートで衝撃的な事件が起きた。クウェート市中心部の主要な住宅街や工業地区を含め、国内の広範囲で停電が発生したのである。

なぜ、たかが停電が衝撃的な事件かというと、クウェートは世界でもっとも気温が高い国の一つであり、まさに停電が発生したころ、クウェートは気温52℃を記録していたからだ。

想像してもらいたい。気温52℃のなかで、エアコンも扇風機も使えないということがどういうことか。

日本では40℃を超えるとメディアが大騒ぎするが、灼熱の国、クウェートでは40℃はふつうで、夏場の最高気温が50℃を超えるのも珍しくない。筆者も30年以上前だが、クウェートに住んでいるとき、50℃超えを経験したことがある。

クウェートの電力を管轄する電力・水・再生可能エネルギー省によれば、今回の停電は、想定以上の気温の上昇があったため、電力需要が著しく増加、発電が追いつかなくなり、発電網に大きな負荷がかかったのが原因だという。同省からただちにチームが派遣され、修復にあたったが、完全復旧までにはかなりの時間がかかっている。

電力・水・再生可能エネルギー省は、とくに300メガワットの発電量をもつズール南火力発電所の発電ユニットが故障したことを主原因として挙げたが、この発電所はすでに耐用年数を超える古いものだったともいわれる。

クウェートでは、人口増加などに伴い電力消費は右肩上がりで、いずれ電力不足が危機的な状況に陥ることは21世紀はじめから警告されていた。現状、クウェートの電力事情は、その6割以上が天然ガスによる火力発電で、残りの大半が石油の生炊きによる発電である。

2011年以前は原子力発電の計画もあったが、日本の東日本大震災をきっかけに原発計画を放棄してしまった。他方、再生可能エネルギーの比率を上げようとしているが、他の湾岸諸国、とくにUAE(アラブ首長国連邦)やサウジアラビアなどと比較すると、スピード感はあまり感じられない。

そしてクウェートではじめての計画停電

さて、クウェートは大規模停電の翌日6月20日に、電気使用量と送電負荷増大の削減を目的に、計画停電を開始した。クウェート・メディアによれば、クウェートで計画停電が行われるのははじめてという。

ワフラおよびアブダリーの農地で正午から2時間の計画停電を、またアブダッラー港、ライ、スレイビーヤの工業地区で午後1時から2時間の計画停電をスタートさせる。もちろん、電力・水・再生可能エネルギー省は、ピークタイムである11時から17時までのあいだ電力消費を削減するよう国民やクウェート在留者に呼びかけている。

また、教育省は、学期の終了を決定、小学校は夏休みに入ったとし、宗教関係の業務を行うワクフ・イスラーム問題省は、モスクでの礼拝終了後10分でエアコンを停止させることを決定した。さらに、内務省交通局も、6月23日から8月31日の11時から16時まで、デリバリー用の電動バイクを禁止した。

加えて、クウェートはオマーンとカタル(カタール)から合計500メガワット分、6月1日から8月31日というもっとも暑い時期限定で購入する短期間の電力融通契約を結んでいる。

筆者がクウェートに住んでいた1980年代末から1990年代はじめのころとは少しは事情が違うかもしれないが、そもそもクウェートの電力消費には非常識なところがある。

たとえば、夏に海外旅行などで長期に家を空けるときでも、家具などが傷まないよう、冷房をつけっぱなしにするのは当たり前であった(筆者も、住んでいたアパートの家賃には光熱費が含まれていたため、出張などで1週間程度留守にするぐらいであれば、当然冷房はつけっぱなしであった)。

伝統的に民主的で、議会がことごとく政府に反対してきた

クウェートの停電をめぐる状況は、同時に政治問題でもある。意外と知られていないが、クウェートは、大半が独裁体制の中東にあって伝統的に民主的な国として知られている。もちろん、西側的な意味での民主主義には程遠いが、それでも、選挙によって選ばれた立法府である国民議会が、世襲の首長家メンバー率いる行政府や国家元首の権力を抑制する役割を果たしてきた。

しかし、逆にそれが仇となって、政府の打ち出すさまざまな政策がことごとく議会の反対にあい、実現されないという事態がつづいたのである。エネルギー問題も同様で、電力不足はずっと前からの重要な課題であったにもかかわらず、適切な政策がとられてこなかったのは否定できないであろう。

政府と議会の対立が深刻化し、二進も三進もいかなくなるたびに、首長が首相の首をすげかえたり、議会を解散させたりするなどして事態打開を図ったが、まったく奏功せず、ただただ同じことを繰り返すだけであった。

ちなみに、2020年から2024年4月までのあいだに国民議会選挙は4回(補選を含めると5回)を数え、4年間の任期をまっとうできた議会は一つもなかった。また、2020年末に第37次内閣が成立して以降、2024年1月には第44次内閣が成立している。この間、首長家メンバーであるサバーフ・ハーリド、アフマド・ナウワーフ、ムハンマド・サバーフがあいついで首相に任命された。

選挙で批判勢力が勝つと、今度は議会を「4年間閉鎖」

クウェートでは昨年末、国家元首であるナウワーフ首長が亡くなり、ミシュアル皇太子が首長位を襲った。

新首長誕生でも政府と議会の対立による政治の停滞は収まらず、ミシュアル首長は今年2月に国民議会を解散、4月に選挙が行われた。しかし、案の定、政府批判勢力が選挙で過半数を占めてしまったため、事態はまったく好転せず、5月、ふたたび国民議会を解散しなければならなくなったのである。

ただし、ミシュアル首長は今回、さらなる強硬手段に出た。つまり、単に議会を解散しただけでなく、議会を閉鎖してしまったのだ。4年を超えない範囲で、憲法の立法権に関わる51条、組閣に関する56条、勅令の発布に関する71条、立法府に関する79条、国民議会解散に関する107条、憲法・法律の改正に関する174条、憲法停止に関する181条を停止したのである。

4年間の議会閉鎖中、議会の権限は首長および閣僚評議会(内閣)が肩代わりし、法律(カーヌーン)は布告(マルスーム)として発布されることになった。

実はクウェートが議会を閉鎖するのはこれがはじめてではない。1976年から1981年まで、そして1986年から1991年までにつぐ3回目となる。筆者がクウェートに住んでいたのはまさに2回目の議会閉鎖の時期であった。

前回は、とくに1989年以降、東欧の民主化革命や中国の天安門事件などの影響を受け、クウェート国内でも議会再開運動が勃発。あちこちでデモ隊と警官隊が衝突するなど、かなりの盛り上がりを見せた。当時のクウェート人といえば、成り金のイメージがあったので、こんなに政治のために暴れることもあるんだと、逆に見直した記憶がある。

異例の皇太子指名という、大きな出来事もあった

クウェートでは今回、もう一つ、大きな出来事があった。ミシュアル首長は6月1日、首長令を発布、サバーフ・ハーリド・ハマド・サバーフを皇太子に指名したのだ。

実はクウェート憲法では、皇太子の就任には、国民議会の賛成(忠誠の誓い〔ムバーヤア〕)が必要となっている。皇太子人事に非首長家メンバーが関与できるというのは、1920年代に起こったクウェート民主化運動で、クウェート人が獲得した重要な権利だったはずだ。

だが、国民議会および一部憲法が首長によって停止されているため、その権利が蔑ろにされたことになる。今後、サバーフ家と議会側のあいだで対立がさらに深まる可能性がある(なお、皇太子に関する憲法の規定は停止の対象になっていない)。

また、クウェート憲法では、首長位は代々ムバーラク・サバーフ(大ムバーラク)の子孫によって継承されると規定されているが、慣習的にムバーラクの息子のうち、ジャービルとサーレムの2人の子孫が皇太子・首長についていた(現ミシュアル首長、ナウワーフ前首長、サバーフ元首長はジャービル家、そのまえのサァドはサーレム家出身)。

他方、今回皇太子に指名されたサバーフは、大ムバーラクの子孫であるが、ジャービル家でもサーレム家でもなく、ハマド家の出身であり、これは、大ムバーラク以後のクウェートの歴史上はじめてである(下の家系図参照)。

クウェート首長家の家系図(筆者作成)

多くのクウェート人が他の湾岸諸国と同様の「開発独裁」を...

中東における王位・首長位の継承は兄から弟という水平移動、父から子への垂直移動、そしてこの2つの組み合わせというのが一般的であるが、クウェートはそのどちらでもなく、ジャービル家とサーレム家の「たすきがけ人事」とでも呼べるものであった(ちなみに、ミシュアル首長とサバーフ皇太子は祖父が兄弟の「はとこ」関係である)。

しかし、今回ハマド家が加わったことから、大ムバーラクの他の子どもの系譜も首長になれることになり、これがさらに複雑化する可能性が高い。つまり、首長位争いで首長家内部の対立が顕在化しやすくなるということでもある。

かつてクウェートは現代のエルドラドと呼ばれ、金持ちの代名詞のような存在であった。しかし、近年は、その座をUAEやカタルに奪われ、地盤沈下が著しい。

その原因の一つが、政府と議会の対立による政治の停滞であったことは容易に想像できる。政府主導のプロジェクトが議会の反対や妨害にあって、なかなか前に進まなかったのは前述のとおりである。他の中東諸国にない自由や民主主義は、クウェート人の自慢でもあったが、それが経済発展を妨げる要因となっているのは皮肉であろう。

実際、多くのクウェート人が、他の湾岸諸国と同様の「開発独裁」のほうが効率的だと主張するようになっており、日ごろ民主化や人権についてやかましい西側の専門家のなかにも、首長による議会閉鎖を、これで脱炭素を含む、さまざまなプロジェクトが進みやすくなるとして、ポジティブにとらえるものが少なくない。

今後4年のあいだに、クウェート人がどのような選択をするのか判断はむずかしい。だが、1989年の議会再開運動のときのような、民主化を待望する空気は、今の中東ではかならずしも主流ではない。

現在、世界全体で中国やロシアなど権威主義体制の影響が強まっており、中東でもそれは例外ではないのである。


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