ティムラズ・レジャバ(駐日ジョージア大使)
<周囲に合わせる日本人、周囲に合わせないジョージア人。そう思っていたはずが、まったく逆の現象に遭遇したことで、改めて考えさせられたこととは>
来日したジョージア人が驚くのは、日本の清潔さである。私の妻も初来日したときに「私は外に置いてあるゴミでさえも、抱き締めることができる」と言ったほどだ。
子供の頃から日本に暮らす私にとっては当たり前であるため、さほど気にかけてもいなかったが、他の国と比較しても日本が清潔な国であることは確かであろう。
だが、私はそれよりもむしろ、日本の清潔さの奥にある、心配りをとても高く評価している。
日本人は周囲と半歩違う行動を慎む。あえてここで「半歩」と書いたが、周囲への配慮、いわば「気遣い」ともいえる、その心配りが重要なのだ。
「日本人は同じ格好をする」と半ば批判的に自分たちについて言うことがある。しかし、周囲との調和を乱さないように、その場に合わせて浮かない服を着用することがエチケットなのだ。
他方、ジョージア人と仕事をしたり話をしたりしていると、相手のペースや心の内、そして相手の都合をまるで気にしていないと思うことがある。自分と他者が違うのは当たり前だと思っているせいか、周囲に合わせるという概念が希薄なのだ。
周囲に合わせる日本人、周囲に合わせないジョージア人。そう思っていたのだが、最近、まったく逆の現象に遭遇し、改めて日本人について考えさせられることがあった。
私は普段からジョギングをしているのだが、足の毛がもじゃもじゃで骨格ががっちりしている男性がピンク色のカツラをかぶり、セーラー服姿でジョギングするという光景をこれまで何度も見かけている。
しかし、周囲の人々は特に驚くような様子もなく、ごく普通の光景として受け入れているように見える。もしかしたら見て見ぬふりかもしれないし、そもそも誰も異論を唱えることなどはできないのかもしれない。しかし、それにしてもあまりに溶け込んでいるのだ。
もし、これがジョージアであればどうであろうか。すぐに街じゅうの噂になり、顰蹙(ひんしゅく)を買うこともあるはずだ。もっとも、近年は自由や多様性が謳(歌)われているため、若い世代の受け止め方は異なるかもしれない。そうであったとしても、日本とはまた別の理由や要因で受け入れられると考えている。
ちなみにジョージアは古くからアジアとヨーロッパをつなぐ交通の要で、さまざまな文化や宗教の人々が身を寄せ合って共生してきた国である。寛容さや多様性に対して、頑固で保守的という意味ではないことだけは補足しておきたい。
そして、もう1点、日本人について改めて考えさせられたのは、2024年東京都知事選挙の「非常に個性的な立候補者たち」だった。
日本は社会における暗黙の了解や掟のようなものが多く、空気が読めない(KY)、和を乱すと批判されかねない行動を避けるために、行間を読むはずではないか。「周囲を気にする日本人」はいったい、どこに行ったのだろう?と、いささか驚かされた。
冒頭で日本人の「気遣い」に触れ、周囲との調和を重んじる日本人の心配りを評価していると私は書いた。そして、それは少なからず世界中の人が見ている日本人のイメージとも合致しているはずだ。
しかし、実は私たちが思っている以上に日本人が「アップデート」されている可能性があるとしたらどうだろうか。
私自身、日本に暮らす外国人として国民性の違いや共通点を見つけ出すことが生活の一部になっている。しかし、それをもって「〇〇人はこうである」というイメージに縛られていては、見えなくなるものも多くなる。日本とジョージアと世界をこれからも発見するために、ステレオタイプには注意したいと自戒を込めて思っている。
ティムラズ・レジャバ(駐日ジョージア大使)
TEIMURAZ LEZHAVA
1988年、ジョージア生まれ。1992年初来日。早稲田大学卒業後にキッコーマン勤務を経て、ジョージア外務省入省。2021年より駐日ジョージア特命全権大使を務める。共著に『大使が語るジョージア』など。
レジャバ大使のX(旧ツイッター)
引越し作業が進む大使館の部屋から離任前のガベチャワ参事官が奏でます。 https://t.co/GYeafAAVTn pic.twitter.com/W5DbqnP447— ティムラズ・レジャバ駐日ジョージア大使 (@TeimurazLezhava) July 26, 2024
<周囲に合わせる日本人、周囲に合わせないジョージア人。そう思っていたはずが、まったく逆の現象に遭遇したことで、改めて考えさせられたこととは>
来日したジョージア人が驚くのは、日本の清潔さである。私の妻も初来日したときに「私は外に置いてあるゴミでさえも、抱き締めることができる」と言ったほどだ。
子供の頃から日本に暮らす私にとっては当たり前であるため、さほど気にかけてもいなかったが、他の国と比較しても日本が清潔な国であることは確かであろう。
だが、私はそれよりもむしろ、日本の清潔さの奥にある、心配りをとても高く評価している。
日本人は周囲と半歩違う行動を慎む。あえてここで「半歩」と書いたが、周囲への配慮、いわば「気遣い」ともいえる、その心配りが重要なのだ。
「日本人は同じ格好をする」と半ば批判的に自分たちについて言うことがある。しかし、周囲との調和を乱さないように、その場に合わせて浮かない服を着用することがエチケットなのだ。
他方、ジョージア人と仕事をしたり話をしたりしていると、相手のペースや心の内、そして相手の都合をまるで気にしていないと思うことがある。自分と他者が違うのは当たり前だと思っているせいか、周囲に合わせるという概念が希薄なのだ。
周囲に合わせる日本人、周囲に合わせないジョージア人。そう思っていたのだが、最近、まったく逆の現象に遭遇し、改めて日本人について考えさせられることがあった。
私は普段からジョギングをしているのだが、足の毛がもじゃもじゃで骨格ががっちりしている男性がピンク色のカツラをかぶり、セーラー服姿でジョギングするという光景をこれまで何度も見かけている。
しかし、周囲の人々は特に驚くような様子もなく、ごく普通の光景として受け入れているように見える。もしかしたら見て見ぬふりかもしれないし、そもそも誰も異論を唱えることなどはできないのかもしれない。しかし、それにしてもあまりに溶け込んでいるのだ。
もし、これがジョージアであればどうであろうか。すぐに街じゅうの噂になり、顰蹙(ひんしゅく)を買うこともあるはずだ。もっとも、近年は自由や多様性が謳(歌)われているため、若い世代の受け止め方は異なるかもしれない。そうであったとしても、日本とはまた別の理由や要因で受け入れられると考えている。
ちなみにジョージアは古くからアジアとヨーロッパをつなぐ交通の要で、さまざまな文化や宗教の人々が身を寄せ合って共生してきた国である。寛容さや多様性に対して、頑固で保守的という意味ではないことだけは補足しておきたい。
そして、もう1点、日本人について改めて考えさせられたのは、2024年東京都知事選挙の「非常に個性的な立候補者たち」だった。
日本は社会における暗黙の了解や掟のようなものが多く、空気が読めない(KY)、和を乱すと批判されかねない行動を避けるために、行間を読むはずではないか。「周囲を気にする日本人」はいったい、どこに行ったのだろう?と、いささか驚かされた。
冒頭で日本人の「気遣い」に触れ、周囲との調和を重んじる日本人の心配りを評価していると私は書いた。そして、それは少なからず世界中の人が見ている日本人のイメージとも合致しているはずだ。
しかし、実は私たちが思っている以上に日本人が「アップデート」されている可能性があるとしたらどうだろうか。
私自身、日本に暮らす外国人として国民性の違いや共通点を見つけ出すことが生活の一部になっている。しかし、それをもって「〇〇人はこうである」というイメージに縛られていては、見えなくなるものも多くなる。日本とジョージアと世界をこれからも発見するために、ステレオタイプには注意したいと自戒を込めて思っている。
ティムラズ・レジャバ(駐日ジョージア大使)
TEIMURAZ LEZHAVA
1988年、ジョージア生まれ。1992年初来日。早稲田大学卒業後にキッコーマン勤務を経て、ジョージア外務省入省。2021年より駐日ジョージア特命全権大使を務める。共著に『大使が語るジョージア』など。
レジャバ大使のX(旧ツイッター)
引越し作業が進む大使館の部屋から離任前のガベチャワ参事官が奏でます。 https://t.co/GYeafAAVTn pic.twitter.com/W5DbqnP447— ティムラズ・レジャバ駐日ジョージア大使 (@TeimurazLezhava) July 26, 2024