Infoseek 楽天

「政治的暴力はアメリカの日常だ」在任中に暗殺された大統領は4人、議員や候補者も標的に...

ニューズウィーク日本版 2024年7月23日 17時48分

ジュリアン・ゼリザー(米プリンストン大学教授〔政治史〕)
<アメリカの歴史を振り返れば、意見の相違を銃弾で解決したがる者たちの姿がある。実にアメリカ的で、あまりに不幸なその伝統を克服できるのか>

ドナルド・トランプ前大統領の暗殺未遂事件は全米に衝撃を与えたが、今回のような事件が起きたのはもちろん初めてではない。アメリカには、政治的な意見の相違を投票ではなく銃弾で解決しようとする者たちの長い歴史がある。

暴力はアメリカの選挙制度を常にむしばんできた。建国の父ベンジャミン・フランクリンが警告したように、アメリカの共和制の維持と保護には、英雄的といえるほどの努力を必要とする。

暴力は非アメリカ的な行為と思われがちだが、それは正しくない。政治の世界で攻撃的な言葉が飛び交う近年の状況が危険なのは、それがアメリカの民主主義の根本的な変化を示すためではない。アメリカ人が直視しようとしない、この国に深く根差す歴史につながっているためだ。

これまで在任中に暗殺された大統領は4人。連邦制を守り奴隷制を終わらせようとしたエーブラハム・リンカーンは、1865年4月に首都ワシントンの劇場でジョン・ウィルクス・ブースに暗殺された。

ジェームズ・ガーフィールドは1881年7月にチャールズ・J・ギトウに銃で撃たれ、2カ月後に死亡した。

1901年9月にはウィリアム・マッキンリーが、無政府主義者のレオン・チョルゴッシュに暗殺された。63年11月にはジョン・F・ケネディがリー・ハーベイ・オズワルドに暗殺され、国中が悲しみに沈んだ。

ルーズベルトもレーガンも

大統領がもう少しで命を落としかねなかった暗殺未遂も多い。33年2月、就任を半月後に控えていたフランクリン・ルーズベルトは、失業中の元れんが造り職人に殺されかけた。ジェラルド・フォードは75年9月、18日間に2度の暗殺未遂に遭った。

ロナルド・レーガンの人生は、81年3月にジョン・ヒンクリーに撃たれて終わったかに思われた。しかしトランプと同じく、レーガンは危機を自らの利益に変えてみせた。

レーガンと側近らは、けがは深刻なものではないと強調。銃弾に屈しない態度を示すため、手術室に入ったレーガンは外科医のチームに「あなたがたが、みんな共和党支持者だと思いたいね」とジョークを言った。

大統領候補も標的にされた。1912年10月には元大統領で第3党の候補として選挙戦を展開していたセオドア・ルーズベルトが、遊説中に銃で撃たれた。

弾丸は胸に命中したが、上着の胸ポケットに入っていた金属製の眼鏡ケースと分厚い演説原稿のおかげで致命傷には至らなかった。ルーズベルトは病院に行くことを拒み、そのまま演説を続けた。

68年6月にはカリフォルニア州の大統領予備選に勝利したロバート・ケネディ上院議員が、サーハン・ベシャラ・サーハンに暗殺された。72年5月には、人種隔離を支持していたアラバマ州のジョージ・ウォレス知事が大統領選に向けた遊説中に銃撃され、下半身不随になった。

暴力は連邦議会にも影響を及ぼしてきた。エール大学の歴史学者ジョアン・フリーマンは、南北戦争前の議会では暴力が日常的だったと指摘する。

1856年、奴隷制を支持するサウスカロライナ州選出のプレストン・ブルックス下院議員がマサチューセッツ州選出のチャールズ・サムナー上院議員に杖で殴りかかった有名な事件は、決して例外ではなかったという。

1830〜60年に議会などで起きた暴力事件は70件を超えると、フリーマンは書いている。

議事堂襲撃の後に増えた脅迫

一般市民が議員に暴力を振るう事件も起きている。

1935年9月には、大統領選に立候補する可能性のあったヒューイ・ロング上院議員(民主党)が、カール・ワイスという男に殺害された。

2011年1月には、ガブリエル・ギフォーズ下院議員(民主党)が銃撃されて重傷を負った。この事件では彼女のスタッフ1人を含む6人が死亡した。

さまざまな運動の指導者も暴力の標的にされてきた。1968年4月には公民権運動のリーダーだったマーチン・ルーサー・キング牧師が殺害された。その3年前には、急進的な黒人解放運動指導者であるマルコムXが暗殺されている。

地方レベルの選挙でもひどい暴力事件が起きている。

人種隔離法が施行されていた時代の南部では、黒人の投票権を剝奪するため、制度化された暴力が横行していた。ミシシッピ州などに住む黒人は、投票権登録をするために裁判所へ行くには身に危険が及ぶことを知っていた。

今年は、64年にミシシッピ州で起きたフリーダム・サマー事件から60年の節目でもある。

公民権運動の活動家3人が、白人至上主義団体KKK(クー・クラックス・クラン)と、彼らと結託した警官に殺害された事件だ。活動家らが黒人の投票権登録を進める運動を行っていたことへの反発だった。

翌65年3月には、投票時の人種差別を禁止する投票権法の制定を求めて行進していた活動家らを、警官と白人の暴徒が襲った「血の日曜日事件」が発生。78年11月にはサンフランシスコでジョージ・モスコーニ市長と、同性愛を公言していたハーベイ・ミルク市政委員が射殺された。

そして今。ニューヨーク大学法科大学院ブレナン司法センターの調査によれば、2021年1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件につながった前年の大統領選以降、調査に応じた各州の州議会議員の40%以上が脅迫を受けたことがあると答えている。

アメリカには多くの素晴らしい特質があるが、残念ながら暴力もアメリカ的特質の1つだ。しかし、これがアメリカの伝統だからといって、政府関係者や裁判官、世論調査担当者にまで暴力や脅迫が増えている現状を軽視していいはずはない。

過去の状況が悪かったから、今も悪くてもいいということはあり得ない。

攻撃的な言葉を用いる今の政治家がいかに危険であることか。

その点については、歴史の中に強い警告を見いだすべきだ。事実、そのような警告は、群衆をたきつけるトランプに対して、しばしば発せられてきた。彼の呼びかけは、アメリカ文化に潜む暴力的傾向を刺激しかねない。

トランプの暗殺未遂事件は、一部のアメリカ人がこの国の危険な伝統をいかに容易に呼び覚まし得るかという、厳しい警告として受け止められるべきだ。アメリカ人はこれまで醜悪な出来事を経験しすぎた。これらが普通は起こらないものだというふりは、もうできない。

悲しいかな、これがアメリカの日常だ。

From Foreign Policy Magazine

この記事の関連ニュース