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「テロリズム劇場」フランスに与える心理的打撃と五輪が標的にされる理由

ニューズウィーク日本版 2024年7月30日 15時0分

トーレ・ハミング(英過激化研究国際センター研究員)、コリン・クラーク(米スーファン・センター上級研究員)
<開会式当日に高速鉄道の路線3カ所で破壊行為が発生。「最悪のシナリオ」もささやかれるなか、厳重な警備態勢をかいくぐるテロ主謀者の正体は>

傷はまだ深い。2015年11月13日にパリで130人以上の命を奪った同時多発テロは、今も市民の記憶に刻まれている。

このとき過激派組織「イスラム国」(IS)の標的となったのは、市中心部のバタクラン劇場だけではなかった。郊外にある競技場スタッド・ド・フランスの外で、複数の自爆犯が爆発物を起動させた。

スタジアムでは、フランスとドイツのサッカー親善試合が行われていた。ドイツは今年のサッカー欧州選手権の開催国。そしてフランスはもちろん、7月26日に始まった夏季五輪の開催国だ。

パリでは、五輪開幕前から厳重な警備が敷かれていた。大会期間中にパリを訪れる推定約1500万人の観光客を守るため、約4万5000人の警備員と、警官と憲兵約4万人が配備された。

15年の同時テロ以降、フランスは西側諸国の中でイスラム過激派のテロの被害を最も被ったといえるだろう。この9年間にイスラム過激派によるテロ攻撃が40件以上発生し、そのうち少なくとも26件にISが関与していたとみられる。

同時期に阻止されたテロ計画も、20件を超える。

しかもフランスでは国内の過激派も活発な活動を展開しており、シリアやイラクからの帰還者も多い。それでも最も懸念されるのは、トルコを拠点とし、戦闘経験が豊富で、フランスとの接点を持つ過激派が多いことかもしれない。

オリンピックを控えたこの数カ月に、西側の当局者やテロ専門家は再びテロの脅威が高まっていると警鐘を鳴らしていた。現在の状況を、01年の米同時多発テロ直前の警戒度の高まりと同程度とする見方もある。

スポーツ大会を標的にするのは、テロの理論に合致している。テロ専門家のブライアン・ジェンキンズが言うように「テロリズムは劇場」だ。

最も注目を集めるスポーツ大会であるオリンピックを標的にすれば、テロリストは自らの知名度を一気に高め、フランスに途方もない心理的打撃を与えられる。

スポーツ大会の中でもオリンピックは、さまざまなイデオロギーに駆られた組織や個人に狙われてきた。

1972年のミュンヘン五輪では、パレスチナの過激派「黒い九月」がイスラエル選手11人を殺害した。96年のアトランタ五輪では、人工妊娠中絶反対や極右主義を動機としたテロリストが爆弾テロを実行し、1人が死亡、100人以上が負傷した。

近年では、オリンピック以外のスポーツ大会も標的になっている。

例えば18年のサッカーワールドカップ(W杯)ロシア大会や、21年のサッカー欧州選手権(欧州11カ国で分散開催)。今年、米ニューヨーク州ロングアイランドで一部開催されたクリケットW杯も狙われた。

有名なスポーツ大会が狙われる理由の1つは、過激派が攻撃しやすい標的だからだ。

パリ同時テロの標的となったバタクラン劇場で犠牲者に花を手向ける(2015年11月) ABACA/AFLO

IS-Kが再び脅威に

ドイツの情報機関である連邦憲法擁護庁は今年のサッカー欧州選手権が開幕する前に、テロの警戒度はここ数年で最も高まっているとしていた。

この見解は、攻撃計画を示す確実な情報に基づいていたとみられる。欧州選手権に先立つ数カ月、ドイツではISや、特にアフガニスタンとパキスタンを拠点とする「ISホラサン州」(IS-K)とつながりがある数多くのテロ計画が阻止されていた。

開幕の1週間前には、欧州選手権を狙った攻撃を実行しようとした疑いで、ドイツとモロッコの国籍を持つ23歳の男がケルン・ボン空港で逮捕された。男はかつてISに送金をしており、試合会場の警備員に応募してもいた。

ジハード(イスラム聖戦)を動機とするテロは19〜22年に全体として減少したが、筆者らの調査によればIS-Kは再び大きな脅威となっている。

この組織の公式メディア機関アルアザイムは、オリンピックなど西側諸国で開催されるスポーツ大会を狙うと何度か予告している。

ISもIS-Kも最近、フランスを標的にしている。22年11月にはテロ攻撃を計画したとして東部の都市ストラスブールで7人が逮捕され、今年4〜6月だけでも3件の計画が阻止された。

これらの計画の標的がオリンピックに関連していたかどうかは不明だが、少なくとも16歳の容疑者1人がSNSにオリンピックを攻撃したいと投稿していたことが分かっている。

フランス当局は3月、差し迫った攻撃の情報に基づいてテロ警戒レベルを最高度に引き上げた。フランスの各当局は諸外国の支援を受けつつ最大限の警戒態勢を敷き、対ドローンシステムや最新鋭の防空システムなどの先進技術も導入して大会に備えてきた。

オリンピック開幕まで3週間を切った7月6日には、フランス当局がIS-Kのメンバーとみられる数人を逮捕したと発表。オリンピックを狙った自爆テロを計画した容疑だった。さらに13日には、テロを計画したとして国内各地で未成年者が計4人、成人が1人逮捕されたと報じられた。

警備保障会社レコーデッド・フューチャーは最近の報告書で、オリンピックに対する最も深刻な脅威はイスラム系過激派だと指摘。「ヨーロッパにいるISやアルカイダの支持者がオリンピックへのテロ攻撃を計画しているのはほぼ確実だ」と結論付けた。

複雑すぎる仏テロ事情

ただし、フランスが直面するテロの脅威には複雑な部分がある。アルカイダに共感する過激派や、組織とのつながりはなくてもパレスチナ自治区ガザでの戦争などを動機とする個人も、極めて現実的な脅威だ。

さらには極左や極右の暴力的な過激派、イランやロシアなどの支援を受けた活動家が、影響工作やフランスの重要インフラへのサイバー攻撃などさまざまな攻撃を仕掛ける可能性がある。

イスラム過激派は近年、西側諸国に対する攻撃に刃物や小火器などの単純な手口をよく使っている。こうした戦術は大勢の犠牲者を出すことはあまりないが、計画の成功率は高くなる。

最悪のシナリオは、訓練を受けた工作員が同時多発攻撃をいくつも実行するような、より複雑な戦術が取られることだ。ネット上には五輪期間中に商用ドローンを使って攻撃を行う方法を書いたマニュアルが出回っており、新しいテクノロジーが使われるかもしれない。

最も恐ろしくて効果的な攻撃は、大勢の人が集まりそうな大会関連のイベントや施設を標的にすることだろう。だが、このような攻撃は実行が難しい。そのため、より狙いやすく目立たない標的が選ばれることを想定すべきだ。

フランスがこの大会を無事に乗り切るには、対テロの精鋭部隊と西側諸国からの情報支援、そしていくらかの運が必要だ。攻撃を未然に防ぐには友好国、特に情報傍受などに高い能力を持つアメリカなどの支援が不可欠だろう。

大会開幕直前にテロリストが準備を加速させている兆候が見えたことは、攻撃の決意を固めた敵が存在するということと、彼らがさまざまな攻撃の選択肢を活用できる可能性を示している。

例えばISやIS-Kのような組織が暗号化された回路を通じて命令を出し、彼らを支持する一派に計画を実行させられるかもしれない。

大規模な群衆や集会の警備は特に難しい。車を使った攻撃など、大勢の犠牲者を出しかねない戦術に対する備えを固めることが最も重要だ。

フランスがこのオリンピックを安全に開催できれば、実に大きな功績になる。そうなれば、近い将来に大規模なスポーツ大会を開催する国々は、今回のフランスの対策から多くを学べるはずだ。

◇ ◇ ◇

開会式直前の7月26日未明、高速鉄道TGVの路線3カ所で、電気・信号設備が放火される破壊行為があった。列車の運休が相次ぎ、鉄道網は大混乱に陥った。

被害に遭った3カ所は、北、東、南西からパリを囲む位置にあり、オリンピックの警備当局には緊張が走った。ガブリエル・アタル首相はX(旧ツイッター)への投稿で「妨害行為は計画的かつ組織的」との見方を示した。

From Foreign Policy Magazine

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