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ヨーロッパは自由、平等を米先住民から学んだのに隠した...デヴィッド・グレーバーの遺作『万物の黎明』から受けた「知的なパンチ」

ニューズウィーク日本版 2024年8月7日 10時25分

小埜栄一郎+松田史生 アステイオン
<生命科学研究者が、考古学や人類学などの画期的な研究から生まれた「新しい世界史」を読んでみて、得た気づきとは?> 

ともにデヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』を愛読していた、2人の生命科学研究者がグレーバーの遺作『万物の黎明』を手に取ったのは自然の流れだった...。

代謝適応進化を研究する小埜栄一郎(サントリーグローバルイノベーションセンター株式会社主幹研究員)と代謝工学を研究する松田史生(大阪大学大学院情報科学研究科バイオ情報工学専攻教授)という2人の理系研究者が、社会・経済人類学者の本(デヴィッド・ウェングロウとの共著)を読んで得た気づきとは? 研究との共通点、相違点について議論した。

◇ ◇ ◇

小埜 『万物の黎明』での主張は目から鱗でした。西洋の啓蒙思想は、「野蛮で愚かな未開人の先住民文化」に対して「西洋文化は高度に成熟した文化」であると意図的に設定することで自分たちの優位性を保っていた。

しかし実際にはその逆で、先住民の洗練された思想によるに西洋批判に対する「バックラッシュ」として西洋の啓蒙思想が生み出されたというのです。

松田 20世紀の先史学者・考古学者であるV・ゴードン・チャイルドが1925年に出した書籍『ヨーロッパ文明の黎明』が、内容的にも『万物の黎明』に影響を与えていると、訳者の酒井隆史氏は本書の解説で指摘しています。「そもそも人間を人間たらしめている自由を再発見できるかどうか」(609頁)という切り口から人類史にアプローチしたのが本書である、と。

まず、ルソーやホッブスの社会理論が説明する、「社会契約を結んだ社会へと進歩した」や「好戦的な存在が卑しい本能を手なずけて社会が生まれた」といった、社会的不平等の起源を批判します。

17世紀のアメリカ大陸では、イエズス会宣教師が先住民の啓蒙を試みていました。しかし、ネイティブ・アメリカンの哲学者カンディアロンクなどから、ヨーロッパ社会は寛大でも親切でもなく、「自明である三つの自由」を実現している先住民社会よりも劣っていると逆に痛烈な批判を受けます。

小埜 今では想像することも困難ですが、カンディアロンクは、①移動し、離脱する自由、②服従しない自由、③社会関係を創造し、変化させる自由が社会の安定化に必要だと唱えたんですよね。

松田 まず、その対話を収録した『イエズス会書簡集』が広くヨーロッパ社会で読まれ、アメリカ先住民の説く自由、平等といった概念が浸透し、フランス革命へとつながったっていったという指摘。さらに、ヨーロッパ側からの反論として上のような起源の神話が形成されたという指摘には驚きます。

ヨーロッパは自由、平等という概念をアメリカ先住民社会から学んでおり、その事実を隠し、アメリカ先住民社会にマウントを取るためにルソーやホッブスの社会理論が作られたというグレーバーの主張は、目から鱗どころか、なにか知的なパンチを喰ったような気がしました。

グレーバーの手法と限界

小埜 学問分野や研究者に限らず、人間は物事をシンプルに理解したい動物です。前よりも「知的負荷」が軽減されると「分かった」となります。

人類史もそうですが、我々の専門である生物学でも、知り得た知識を持ってしか現象の因果を説明できません。ですから、説明の精度は知識の量に制約を受けてしまいます。これまで語られなかった例外を集めて定説を覆す新しいストーリーを紡ぐというのはフレッシュな視点を与えてくれます。

本書で取り上げられた先住民社会の事例が、どれほど世界全体を反映しているのか、定量的なことは分かりませんが、少なくとも例外として片付けられない説得力がありました。

松田さんは人文学のケーススタディーの頻度や信頼性についてどのように感じておられますか?

松田 自然科学の歴史とは、いろいろな現象を統一的に説明するシンプルな理論体系が構築され、万物の理論となることが期待されます。しかし、やがて説明しきれない現象が見つかり、無視できないくらいの証拠が積みあがると、新しい理論体系が再構築される、というパターンの繰り返しです。

「例外として無視できないくらいの証拠」というのは、学問の作法にのっとり、検証可能な形で提出され解釈されたものであり、自然科学でも考古学でも同じです。なので、本書で提出される考古学的資料の取り扱いにも違和感はありませんでした。

小埜 再現性を強く要求される自然科学分野と、その困難さから再現性を強く要求されない歴史分野にも共通点があります。

松田 自然科学でも人文・社会科学でも、理論とは、現状の知見をもとに構築された仮説にすぎず、いつか反証されて新たなより包括的な理論に至る、捨て石の一つとなることが期待されています。

しかし理論や仮説には、それを作った人類、または西洋社会、あるいは白人や男性といったカテゴリーの人たちが持つ無意識の願望や欲望が反映されがちです。さらに、理論や仮説のわかりやすさと心地よさに安住すると、捨て石の一つである、という謙虚さが失われてしまいますよね。

ですので、グレーバーのように「われわれが見ている世界には、自分たちの無意識の願望や欲望のバイアスがかかっており、われわれはそれに気づかないまま集団的に多くのものを見落としている。では、われわれが見落としているものとは何か? 無意識の願望とは何か?」という問い立ては必要です。

小埜 恣意的なバイアスに加え、無意識の偏向を問う、これは重要な視点ですね。

松田 しかし、もし本書に1つケチをつけるとすると、図版や説明資料の少なさです。とくに自然科学系の論文では、理解を助ける図表が大事です。図がメインで文章がその補足ということも少なくありません。

一方、『万物の黎明』は、世界中の先史時代の遺跡を1万年以上のスパンでわたり歩くにもかかわらず、取り上げたすべての遺跡の年代や位置を示した年表や世界地図などがなく、今一つイメージしにくいと感じました。

小埜 グラフや図に語らせることに拘りがないですね。これは自然科学系と人文学系の作法の違いかもしれません。

松田 例えば、158ページにでてくる紀元前1600年頃にネイティブ・アメリカンが建造した「ポヴァティ・ポイント(poverty point)」という遺跡は、Google Mapで調べると草原に作られた同心円上の構造であることがわかり、さらにストリートビューで遺跡の中を歩くことができます。

また、同じ頃にクレタ島にあったミノア文明では成人女性による支配システムがあったようなのですが、Googleで調べると出てくる当時の少年のフレスコ画を見ると一目でなるほどと思ってしまいます。

小埜 多くの図版や写真が掲載された図解版はニーズが高いのではないでしょうか。デジタルではなく、書棚から飛び出すような、重厚で内実共に規格外の画集・図録があるといいです。

松田 訳者の酒井氏による本書の解説本『グレーバー+ウェングロウ『万物の黎明』を読む』(河出書房新社)も楽しみですが、「万物の黎明フォトブック」のような写真と図表をまとめた副読本も出てくると嬉しいですね。

左から小埜栄一郎氏(サントリーグローバルイノベーションセンター株式会社主幹研究員)、松田史生氏(大阪大学大学院情報科学研究科バイオ情報工学専攻教授)

「そういうもの」を許さないグレーバーの主張の背景

小埜 ところで、「そういうもの」という妥協や諦念といった姿勢を許さない、グレーバーらの強い動機はどこから来ているのでしょうか?

酒井氏の「訳者あとがき」で、筆者である2人のデヴィッドはともにアウトサイダーの感覚は抜けなかったとあります。定説に対するカウンターアクション、つまりアカデミアにおける彼らの立ち位置が執筆の動機にも見えます。

アカデミアにおける「同質化の圧力」に迎合しない格好良さがあり、先行するダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』やハラリの『サピエンス全史』などのベストセラーに影響を受けているのは明らかです。

松田 長い時間をかけて発展してきた現代社会は合理性と必然性があり、その結果、生じた不平等などの課題を解決するのは難しい、などと私たちは諦めがちです。

しかし、現在から過去を見るから「そう見えているだけ」であることを『万物の黎明』は気づかせてくれます。社会は歴史的な必然でも社会進化の最前線でもないのだから、よりよい社会を構築できるはず...。読んでいると「めいっぱい考えよう!」と背中を押されて元気が出てきます。

これはグレーバーが社会を宿命や必然として諦める気が全くない、筋金入りのアナーキストだからです。根源的な問いを立てることができる稀有な研究者であり、社会を変えることができるという強い信念を持った活動家だからでもあります。

※後編:農耕開始から国家誕生までの4000年に何があったのか...デヴィッド・グレーバーの遺作『万物の黎明』の自然科学研究への影響 に続く

【参考文献】
1)『ブルシット・ジョブ──クソどうでも良い仕事の理論』(著)デヴィッド・グレーバー (2020) 岩波書店
2)『銃、病原菌、鉄──1万3000年にわたる人類史の謎』(著)ジャレドダイアモンド(2012)草思社
3)『サピエンス全史──文明の構造と人類の幸福』(著)ユヴァルノアハラリ(2023)河出書房

小埜栄一郎(Eiichiro Ono)
1974年生まれ。岡山大学農学部卒業。奈良先端科学術大学院大学バイオサイエンス研究科分子生物学専攻博士前期課程修了。博士(バイオサイエンス)。2000年サントリー株式会社に入社、現在、サントリーグローバルイノベーションセンター株式会社主幹研究員、静岡大学客員教授、科学技術振興機構さきがけ領域アドバイザー(植物分子の機能と制御)、ソムリエ(J.S.A)。専門は酵母と植物のゲノムとメタボリズム研究。趣味は植物観察と雑魚獲り。

松田史生(Fumio Matsuda)
1974年生まれ。2002年京都大学農学研究科応用生命科学専攻博士課程を修了、学位を取得後は、日本学術振興会特別研究員、ポスドク、理化学研究所植物科学研究センター研究員、神戸大学自然科学系先端融合研究環重点研究部准教授、大阪大学大学院情報科学研究科バイオ情報工学専攻准教授を経て、2018年より同教授。専門は代謝工学。趣味はバイクと釣り。

『万物の黎明』
 デヴィッド・グレーバー /デヴィッド・ウェングロウ [著]
 酒井隆史 [訳]
 光文社[刊]

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