ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<「頭のよさ」はインプットとアウトプットから成り、インプットとアウトプットとは抽象化と具体化の能力である>
同じ講義を受け本を読んだとして、すぐに活用して結果を出せる人と、成長につなげることができない人がいる。この差は努力やがんばりの問題ではなく、情報処理の仕方の違いによって生まれる。
高校3年生の秋から受験勉強を始め、塾に通うことなく東大に現役合格した日本教育研究所代表の谷川祐基氏は著書『賢さをつくる 頭はよくなる。よくなりたければ。』(CCCメディアハウス)で、頭をよくする方法を解説している。
足が速くなりたければ、速く走れる方法を習い練習すればよい。同様に、頭をよくするには、頭をよくする方法を理解し、練習することだ。本書より、「頭のよさ」について取り上げる。
◇ ◇ ◇
求められる「頭のよさ」は年齢によって変わる
「頭がいい人って、どういう人のことでしょう?」。小学生を相手にこの質問をすると、おおむね次のような答えが返ってくる。「いろいろたくさんのことを知っている人!」「テストの点数が高い人!」。
なるほど。素直な答えだ。だが、この本を読んでいるあなたにとっては、もしかして違和感がある答えかもしれない。知識量やペーパーテストで頭のよさを測ることはナンセンスだと考える人は多いだろう。
では年齢を上げて、高校生や大学生に同じ質問をするとどうだろうか? 「こいつは頭がいいなと、どんなときに感じる?」と聞くとこんどは次のような答えだ。「あいつは頭の回転が速くて、すぐに気の利いた返事が返ってくるんだ」「言うことが論理的だから、いつも言い負かされちゃって反論できない」。
少しニュアンスや視点が変わってきたのにお気づきだろうか? 比較しやすくするために、学校の先生にも聞いてみよう。小学校の先生に「どんな子が頭がいいと感じますか?」と聞いてみると次のような答えだ。「頭がいいと感じる子は、やっぱり飲み込みが早い子ですね。少し説明しただけですぐに全体を理解してくれるんです」。
続いて高校の先生にも同じ質問をしよう。「どんな子が頭がいいと感じますか?」。「頭のいい子って、ちゃんと自分の頭で考えるんです。言われたことを鵜呑みにせず批判的に物事を捉えます」。先生に聞いても、小学校と高校の先生とでは少し言うことが違ってくるのだ。
子どもはインプット、大人はアウトプットが重視される
最後に、働いている社会人にも聞いてみよう。「あなたの周りの頭のよい人って、どのような人でしょうか?」という質問をしてみる。「発想が豊かで、他の人が思いつかないアイデアを出してくる人ですかね」「あの人はとても説明が上手で、難しいこともわかりやすくしてくれるんです」「私が頭がよいと思うのは、効率的で無駄がない動きができる人ですね」。
さてここまでいろんな人に「頭のよさ」の定義を聞いてみたわけだが、お気づきの点はあっただろうか? 一見、バラバラである。「頭のよさ」を定義してもらうと、みんなが違うことを言う。だから、頭のよさは測れない、人それぞれと言われがちで、頭をよくするための方法もわからないように感じられる。
しかし、人それぞれに見える頭のよさの定義も、注意深く観察すると、とある明確な傾向があることに気づく。それは、学校ではインプット力が重視され、社会に出るとアウトプット力が重視されていくという傾向である。
学校でも、年次が低いほどインプット力が重視される。小学校や中学校で重視されるのは、「知識量がある」「理解力が高い」「飲み込みが早い」というインプットする能力から見た頭のよさだ。一方で、大人になって社会で求められるのは「発想が豊か」「説明がうまい」「行動が効率的」「判断が的確」といったアウトプットする能力のほうだ。
高校や大学での頭のよさとは「自分の頭で考える」「頭の回転が速い」「論理的」「応用力がある」といった、インプットとアウトプットの中間に位置する能力を指すことが多い。社会で最終的に求められるのは、アウトプットする力である。すごく売上を上げてくるとか、青色LEDを発明してノーベル賞を受賞するといった成果が評価される。学校と社会では、求められる頭のよさの「方向」が違うのだ。
頭の働きは一方通行ではなく往復運動だ
頭の働きに2つの「方向」があることは、見落とされがちだが重要だ。新幹線が便利で世の中に貢献している理由は、もちろん移動速度が速いからである。が、上りと下りの2方向で走っているという前提を見落としてはならない。
東海道新幹線が大阪から東京への一方通行だったら、どんなに速くても非常に使いにくく、役に立たない乗り物になっていただろう。新幹線は、往復できるから価値がある。同じように、頭の働きは2つの方向がセットで価値を生み出していくのだ。
学校で求められるインプット力とは何なのか? 社会で求められるアウトプット力とは何なのか? いきなりだが、結論を言おう。
インプット力とは、「抽象化能力」のことである。
アウトプット力とは、「具体化能力」のことである。
抽象化とは:抽象という言葉はなぜわかりにくいのか
こう言うと、単に言葉を変えただけで、むしろその言葉もわかりにくくなったように感じるかもしれない。特に「抽象」という言葉である。「抽象」という言葉は、「その話は抽象的でわかりにくい」「現代美術は抽象的すぎてわからない」というように、ほとんどの場面で「わからない」とセットで使われる。それほどわかりにくい。
辞書にはこのように載っている。「事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽ひき出して把握すること」(三省堂、大辞村)。こんな表現からは、わかりやすさやおもしろみを感じることは難しいと思う。しかし、この言葉は人間の「思考」を解き明かすキーワードであり、本書のメインテーマでもある。
まずは、この「抽象」という言葉を、例を挙げて説明しよう。たとえば、「イヌ」という言葉がある。イヌと聞いて思い浮かべるのはどんなイヌだろうか? イヌにはブルドッグやチワワ、トイプードル、ゴールデン・レトリバーなどいろんな種類がある。もしイヌと聞いて「チワワ」の姿を思い浮かべたなら、それは「イヌ」から「チワワ」に具体化したことになる。言い方を変えると、「イヌ」から「チワワ」に情報の抽象度を下げたのだ。
具体化とは:大きな主語を小さくすること
さて、チワワにもいろいろいる。もしあなたがチワワを飼っていて、その名前がポチというとする。イヌと聞いてうちのポチを思い浮かべたならば、「イヌ」を具体化した「チワワ」という情報をさらに「うちのポチ」に具体化したということになる。チワワは日本国内だけで何万匹もいるが、うちのポチはその多数のチワワの中でただ1匹である。
このようにして、「イヌ」から「うちのポチ」まで思考を至らせるプロセスが「具体化」で、その反対が「抽象化」だ。「うちのポチ」と言うとただ1匹の特定の存在を指し示すことしかできない。しかし、「チワワ」と呼んで抽象化すると、一気に何万匹もいるチワワを指し示すことができる。
さらに抽象度を上げて「イヌ」と呼ぶと、指し示す範囲がもっと広がる。ブルドッグやゴールデン・レトリバー、その他のいろいろな犬種や雑種を含む(日本国内だけで)数百万匹のイヌを、「イヌ」というひとことで指し示したことになる。
さらに抽象度を上げて「生物」と呼べば、イヌだけでなく、ネコや魚、人間など多くのものを含んでひとことで言い表すことができる。
抽象度を操作できるのが人間の能力
ここで例にした「生物」のように、ひとことで言い表せる範囲が広いほど「情報の抽象度が高い」と言い、「うちのポチ」のように指し示す範囲が狭くて明確なほど「情報の抽象度が低い」と言う。そして、人間の頭脳にはこの抽象度を操作する力が備わっている。あなたが、「イヌ」から「チワワ」や「生物」を連想できることがその証拠だ。
以上が、教科書的な「抽象化」と「具体化」の説明だが、これを完ぺきに理解する必要はない。むしろ、「なんとなく」で捉えてもらったほうがよい。本書では、この「抽象化」と「具体化」の意味を教科書よりも広げて考えていきたいからだ。
しかしなぜ、この「抽象化」と「具体化」がインプット力とアウトプット力に関係しているのだろうか?
頭のよさは人によって違うから変えることができる
私が「人それぞれ、頭のよさが違うんです」と言うと、まるで人種差別でもしているかのように、批判を受ける。しかし、よく考えてほしい。批判する人たちのほうこそ、「頭のよさは生まれつきであり、変えることができない」と決めてかかっているのではないだろうか。
そちらのほうが差別的な考え方だと思うのだが、議論が混乱する理由もわかる。「頭のよさ」についての定義がないからだ。いままで多くの心理学者や脳科学者、そして教育学者が「頭のよさ」や「思考」を定義しようとしてきたが、うまくいっていない。
たとえば、『デジタル大辞泉』で「思考」を引くとこう書いてある。「感覚や表象の内容を概念化し、判断し、推理する知性の働き」。これではむしろわかりにくい。そこで、私は「思考」をシンプルにこう定義したい。
思考とは、具体化と抽象化の往復運動である。
頭がよい人とは、具体化と抽象化の往復運動が得意な人のことである。
◇ ◇ ◇
谷川祐基(たにかわ・ゆうき)
日本教育政策研究所代表取締役。1980年生まれ。愛知県立旭丘高校卒。東京大学農学部緑地環境学専修卒。小学校から独自の学習メソッドを構築し、塾には一切通わずに高校3年生の秋から受験勉強を始め、東京大学理科Ⅰ類に現役合格。大学卒業後、「自由な人生と十分な成果」の両立を手助けするための企業コンサルティング、学習塾のカリキュラム開発を行う。
著書に『仕事ができる 具体と抽象が、ビジネスを10割解決する。』『見えないときに、見る力。:視点が変わる打開の思考法』『賢者の勉強技術:短時間で成果を上げる「楽しく学ぶ子」の育て方 』(共にCCCメディアハウス)がある。
『賢さをつくる 頭はよくなる。よくなりたければ。』
谷川祐基[著]
CCCメディアハウス[刊]
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
<「頭のよさ」はインプットとアウトプットから成り、インプットとアウトプットとは抽象化と具体化の能力である>
同じ講義を受け本を読んだとして、すぐに活用して結果を出せる人と、成長につなげることができない人がいる。この差は努力やがんばりの問題ではなく、情報処理の仕方の違いによって生まれる。
高校3年生の秋から受験勉強を始め、塾に通うことなく東大に現役合格した日本教育研究所代表の谷川祐基氏は著書『賢さをつくる 頭はよくなる。よくなりたければ。』(CCCメディアハウス)で、頭をよくする方法を解説している。
足が速くなりたければ、速く走れる方法を習い練習すればよい。同様に、頭をよくするには、頭をよくする方法を理解し、練習することだ。本書より、「頭のよさ」について取り上げる。
◇ ◇ ◇
求められる「頭のよさ」は年齢によって変わる
「頭がいい人って、どういう人のことでしょう?」。小学生を相手にこの質問をすると、おおむね次のような答えが返ってくる。「いろいろたくさんのことを知っている人!」「テストの点数が高い人!」。
なるほど。素直な答えだ。だが、この本を読んでいるあなたにとっては、もしかして違和感がある答えかもしれない。知識量やペーパーテストで頭のよさを測ることはナンセンスだと考える人は多いだろう。
では年齢を上げて、高校生や大学生に同じ質問をするとどうだろうか? 「こいつは頭がいいなと、どんなときに感じる?」と聞くとこんどは次のような答えだ。「あいつは頭の回転が速くて、すぐに気の利いた返事が返ってくるんだ」「言うことが論理的だから、いつも言い負かされちゃって反論できない」。
少しニュアンスや視点が変わってきたのにお気づきだろうか? 比較しやすくするために、学校の先生にも聞いてみよう。小学校の先生に「どんな子が頭がいいと感じますか?」と聞いてみると次のような答えだ。「頭がいいと感じる子は、やっぱり飲み込みが早い子ですね。少し説明しただけですぐに全体を理解してくれるんです」。
続いて高校の先生にも同じ質問をしよう。「どんな子が頭がいいと感じますか?」。「頭のいい子って、ちゃんと自分の頭で考えるんです。言われたことを鵜呑みにせず批判的に物事を捉えます」。先生に聞いても、小学校と高校の先生とでは少し言うことが違ってくるのだ。
子どもはインプット、大人はアウトプットが重視される
最後に、働いている社会人にも聞いてみよう。「あなたの周りの頭のよい人って、どのような人でしょうか?」という質問をしてみる。「発想が豊かで、他の人が思いつかないアイデアを出してくる人ですかね」「あの人はとても説明が上手で、難しいこともわかりやすくしてくれるんです」「私が頭がよいと思うのは、効率的で無駄がない動きができる人ですね」。
さてここまでいろんな人に「頭のよさ」の定義を聞いてみたわけだが、お気づきの点はあっただろうか? 一見、バラバラである。「頭のよさ」を定義してもらうと、みんなが違うことを言う。だから、頭のよさは測れない、人それぞれと言われがちで、頭をよくするための方法もわからないように感じられる。
しかし、人それぞれに見える頭のよさの定義も、注意深く観察すると、とある明確な傾向があることに気づく。それは、学校ではインプット力が重視され、社会に出るとアウトプット力が重視されていくという傾向である。
学校でも、年次が低いほどインプット力が重視される。小学校や中学校で重視されるのは、「知識量がある」「理解力が高い」「飲み込みが早い」というインプットする能力から見た頭のよさだ。一方で、大人になって社会で求められるのは「発想が豊か」「説明がうまい」「行動が効率的」「判断が的確」といったアウトプットする能力のほうだ。
高校や大学での頭のよさとは「自分の頭で考える」「頭の回転が速い」「論理的」「応用力がある」といった、インプットとアウトプットの中間に位置する能力を指すことが多い。社会で最終的に求められるのは、アウトプットする力である。すごく売上を上げてくるとか、青色LEDを発明してノーベル賞を受賞するといった成果が評価される。学校と社会では、求められる頭のよさの「方向」が違うのだ。
頭の働きは一方通行ではなく往復運動だ
頭の働きに2つの「方向」があることは、見落とされがちだが重要だ。新幹線が便利で世の中に貢献している理由は、もちろん移動速度が速いからである。が、上りと下りの2方向で走っているという前提を見落としてはならない。
東海道新幹線が大阪から東京への一方通行だったら、どんなに速くても非常に使いにくく、役に立たない乗り物になっていただろう。新幹線は、往復できるから価値がある。同じように、頭の働きは2つの方向がセットで価値を生み出していくのだ。
学校で求められるインプット力とは何なのか? 社会で求められるアウトプット力とは何なのか? いきなりだが、結論を言おう。
インプット力とは、「抽象化能力」のことである。
アウトプット力とは、「具体化能力」のことである。
抽象化とは:抽象という言葉はなぜわかりにくいのか
こう言うと、単に言葉を変えただけで、むしろその言葉もわかりにくくなったように感じるかもしれない。特に「抽象」という言葉である。「抽象」という言葉は、「その話は抽象的でわかりにくい」「現代美術は抽象的すぎてわからない」というように、ほとんどの場面で「わからない」とセットで使われる。それほどわかりにくい。
辞書にはこのように載っている。「事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽ひき出して把握すること」(三省堂、大辞村)。こんな表現からは、わかりやすさやおもしろみを感じることは難しいと思う。しかし、この言葉は人間の「思考」を解き明かすキーワードであり、本書のメインテーマでもある。
まずは、この「抽象」という言葉を、例を挙げて説明しよう。たとえば、「イヌ」という言葉がある。イヌと聞いて思い浮かべるのはどんなイヌだろうか? イヌにはブルドッグやチワワ、トイプードル、ゴールデン・レトリバーなどいろんな種類がある。もしイヌと聞いて「チワワ」の姿を思い浮かべたなら、それは「イヌ」から「チワワ」に具体化したことになる。言い方を変えると、「イヌ」から「チワワ」に情報の抽象度を下げたのだ。
具体化とは:大きな主語を小さくすること
さて、チワワにもいろいろいる。もしあなたがチワワを飼っていて、その名前がポチというとする。イヌと聞いてうちのポチを思い浮かべたならば、「イヌ」を具体化した「チワワ」という情報をさらに「うちのポチ」に具体化したということになる。チワワは日本国内だけで何万匹もいるが、うちのポチはその多数のチワワの中でただ1匹である。
このようにして、「イヌ」から「うちのポチ」まで思考を至らせるプロセスが「具体化」で、その反対が「抽象化」だ。「うちのポチ」と言うとただ1匹の特定の存在を指し示すことしかできない。しかし、「チワワ」と呼んで抽象化すると、一気に何万匹もいるチワワを指し示すことができる。
さらに抽象度を上げて「イヌ」と呼ぶと、指し示す範囲がもっと広がる。ブルドッグやゴールデン・レトリバー、その他のいろいろな犬種や雑種を含む(日本国内だけで)数百万匹のイヌを、「イヌ」というひとことで指し示したことになる。
さらに抽象度を上げて「生物」と呼べば、イヌだけでなく、ネコや魚、人間など多くのものを含んでひとことで言い表すことができる。
抽象度を操作できるのが人間の能力
ここで例にした「生物」のように、ひとことで言い表せる範囲が広いほど「情報の抽象度が高い」と言い、「うちのポチ」のように指し示す範囲が狭くて明確なほど「情報の抽象度が低い」と言う。そして、人間の頭脳にはこの抽象度を操作する力が備わっている。あなたが、「イヌ」から「チワワ」や「生物」を連想できることがその証拠だ。
以上が、教科書的な「抽象化」と「具体化」の説明だが、これを完ぺきに理解する必要はない。むしろ、「なんとなく」で捉えてもらったほうがよい。本書では、この「抽象化」と「具体化」の意味を教科書よりも広げて考えていきたいからだ。
しかしなぜ、この「抽象化」と「具体化」がインプット力とアウトプット力に関係しているのだろうか?
頭のよさは人によって違うから変えることができる
私が「人それぞれ、頭のよさが違うんです」と言うと、まるで人種差別でもしているかのように、批判を受ける。しかし、よく考えてほしい。批判する人たちのほうこそ、「頭のよさは生まれつきであり、変えることができない」と決めてかかっているのではないだろうか。
そちらのほうが差別的な考え方だと思うのだが、議論が混乱する理由もわかる。「頭のよさ」についての定義がないからだ。いままで多くの心理学者や脳科学者、そして教育学者が「頭のよさ」や「思考」を定義しようとしてきたが、うまくいっていない。
たとえば、『デジタル大辞泉』で「思考」を引くとこう書いてある。「感覚や表象の内容を概念化し、判断し、推理する知性の働き」。これではむしろわかりにくい。そこで、私は「思考」をシンプルにこう定義したい。
思考とは、具体化と抽象化の往復運動である。
頭がよい人とは、具体化と抽象化の往復運動が得意な人のことである。
◇ ◇ ◇
谷川祐基(たにかわ・ゆうき)
日本教育政策研究所代表取締役。1980年生まれ。愛知県立旭丘高校卒。東京大学農学部緑地環境学専修卒。小学校から独自の学習メソッドを構築し、塾には一切通わずに高校3年生の秋から受験勉強を始め、東京大学理科Ⅰ類に現役合格。大学卒業後、「自由な人生と十分な成果」の両立を手助けするための企業コンサルティング、学習塾のカリキュラム開発を行う。
著書に『仕事ができる 具体と抽象が、ビジネスを10割解決する。』『見えないときに、見る力。:視点が変わる打開の思考法』『賢者の勉強技術:短時間で成果を上げる「楽しく学ぶ子」の育て方 』(共にCCCメディアハウス)がある。
『賢さをつくる 頭はよくなる。よくなりたければ。』
谷川祐基[著]
CCCメディアハウス[刊]
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)