小宮信夫
<「不審者」「防犯カメラ」「防犯ブザー」も同じ。名付けて満足してしまう「言霊信仰」から日本は脱出すべき>
報道によると、危険ドラッグの販売店が増えているという。危険ドラッグとは、規制を逃れるため、麻薬や覚醒剤などの構造に似せて作られ、同様の作用を起こす薬物のことだ。「ハーブ」「アロマ」「野菜」などと称して販売されている。
厚生労働省は、人体に影響のある有害物質を指定薬物として規制しているが、指定までのタイムラグが生じるのは避けられない。そこで、こうした商品への注意を喚起するため、厚生労働省と警察庁は、この種の薬物を「危険ドラッグ」と命名し、注意を呼びかけている。
ところが、危険ドラッグは麻薬や覚醒剤より安く、インターネットで手に入りやすいため、前述したように、販売店の増加につながってしまうわけだ。この問題を解決するための一方策として、「危険ドラッグ」を「有害ドラッグ」に名称変更すべきだという意見がある。
その是非について、一般の人々はどう考えているのだろうか。Polimill株式会社が提供するSNS「Surfvote」が賛否を尋ねたので、その投票結果を見てみよう。
(C) Polimill株式会社
この結果を見ると、「有害ドラッグ」への名称変更については、消極的な意見が大勢のようだ。個別の意見には、次のようなものがあった。
(C) Polimill株式会社
筆者は当初から「危険ドラッグ」の用語に批判的だった。なぜなら、ドラッグ(薬)には必ず、副作用を起こすリスクがあるからだ。始めから読んでも、終わりから読んでも「クスリのリスク」である。つまり、「危険ドラッグ」は、「馬から落馬する」「頭痛が痛い」のような重複表現に近い言葉なのだ。
にもかかわらず、前出の調査では、18%しか「有害ドラッグ」を支持せず、61%も「危険ドラッグ」を支持していた。この結果については、「言霊信仰」が影響したと思えて仕方がない。言霊信仰とは、言葉に一種の霊力があり、言葉に出すと、それが現実になってしまうと信じることである。海外にも見られる現象だが、日本で特に顕著だという。
不幸なことは「縁起でもない」として、言わないようにし、見ないようにする。マスコミも報道しないようにする。報道すれば「煽っている」と批判されるからだ。その結果、「最悪の事態」を想定できず、多くの悲劇を招いてきた。例えば、太平洋戦争の時も、「日本が負ける」という意見が「縁起でもない」として非国民の発言とされ、戦争をやめられなかった。
言霊信仰は精神論(感情論・根性論)と結びつきやすい。言葉に出さざるを得ない場合、ストレートに表現するのではなく、オブラートに包んで発言するからだ。煙に巻くような発言になることもある。言葉は本来「見える化」するものだが、それをできるだけ「見えない化」するわけだ。
「犯罪者」を「不審者」に、「売春」を「援助交際」に、「子どもへの性暴力」を「いたずら」に、「女性への性暴力」を「痴漢」に、「窃盗」を「万引き」に、「暴行脅迫」を「いじめ」に変えているのも、すべて言霊信仰や精神論(感情論・根性論)の成せる業である。
「防犯カメラ」という表現もそうだ。まるで、「防犯」と名付ければ、それが自然に実現するとでも思っているかのようである。しかし、リアルタイム・モニタリングをせず、録画のみでは、その実体は「捜査カメラ」だ。例えば、「防犯カメラで犯人逮捕」とよく報道されるが、正確に言うなら、「防犯に失敗し、犯罪を防げなかったカメラを使って、犯人逮捕」である。
リスク・マネジメントの基本
また、「防犯ブザー」にも同じことが言える。防犯ブザーを鳴らすときには、すでに襲われている。つまり、防犯に失敗しているのだ。
さらに、「防犯灯」というのも日本独自の呼び方である。街灯は「夜の景色」を「昼の景色」にできるだけ戻すだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。つまり、昼間危険な場所(例えば、周囲に家がない道)に街灯を設置し、夜間に明るくしても、戻った景色は危険なままであり、その場所が安全になるわけではない。
それでなくても、人は「そんなことは起きないだろう」と思いがちだ。信じたい情報ばかり探してしまう「確証バイアス」や、「たいしたことはない」と思い込む「正常性バイアス」である。その呪縛から解放されるためには、まず「最悪の事態」を言葉に出し、対策の議論を始めなければならない。
リスク・マネジメントの基本は「最善を望み、最悪に備えよ」である。分かりやすく言えば「悲観的に準備し、楽観的に行動せよ」だ。言葉を濁している限り、有効な準備はできない。
悲劇を繰り返したくなければ、言霊信仰や精神論(感情論・根性論)から脱出する必要がある。たかが言葉、されど言葉。人の思考をコントロールする言葉を大切にしたいものだ。
<「不審者」「防犯カメラ」「防犯ブザー」も同じ。名付けて満足してしまう「言霊信仰」から日本は脱出すべき>
報道によると、危険ドラッグの販売店が増えているという。危険ドラッグとは、規制を逃れるため、麻薬や覚醒剤などの構造に似せて作られ、同様の作用を起こす薬物のことだ。「ハーブ」「アロマ」「野菜」などと称して販売されている。
厚生労働省は、人体に影響のある有害物質を指定薬物として規制しているが、指定までのタイムラグが生じるのは避けられない。そこで、こうした商品への注意を喚起するため、厚生労働省と警察庁は、この種の薬物を「危険ドラッグ」と命名し、注意を呼びかけている。
ところが、危険ドラッグは麻薬や覚醒剤より安く、インターネットで手に入りやすいため、前述したように、販売店の増加につながってしまうわけだ。この問題を解決するための一方策として、「危険ドラッグ」を「有害ドラッグ」に名称変更すべきだという意見がある。
その是非について、一般の人々はどう考えているのだろうか。Polimill株式会社が提供するSNS「Surfvote」が賛否を尋ねたので、その投票結果を見てみよう。
(C) Polimill株式会社
この結果を見ると、「有害ドラッグ」への名称変更については、消極的な意見が大勢のようだ。個別の意見には、次のようなものがあった。
(C) Polimill株式会社
筆者は当初から「危険ドラッグ」の用語に批判的だった。なぜなら、ドラッグ(薬)には必ず、副作用を起こすリスクがあるからだ。始めから読んでも、終わりから読んでも「クスリのリスク」である。つまり、「危険ドラッグ」は、「馬から落馬する」「頭痛が痛い」のような重複表現に近い言葉なのだ。
にもかかわらず、前出の調査では、18%しか「有害ドラッグ」を支持せず、61%も「危険ドラッグ」を支持していた。この結果については、「言霊信仰」が影響したと思えて仕方がない。言霊信仰とは、言葉に一種の霊力があり、言葉に出すと、それが現実になってしまうと信じることである。海外にも見られる現象だが、日本で特に顕著だという。
不幸なことは「縁起でもない」として、言わないようにし、見ないようにする。マスコミも報道しないようにする。報道すれば「煽っている」と批判されるからだ。その結果、「最悪の事態」を想定できず、多くの悲劇を招いてきた。例えば、太平洋戦争の時も、「日本が負ける」という意見が「縁起でもない」として非国民の発言とされ、戦争をやめられなかった。
言霊信仰は精神論(感情論・根性論)と結びつきやすい。言葉に出さざるを得ない場合、ストレートに表現するのではなく、オブラートに包んで発言するからだ。煙に巻くような発言になることもある。言葉は本来「見える化」するものだが、それをできるだけ「見えない化」するわけだ。
「犯罪者」を「不審者」に、「売春」を「援助交際」に、「子どもへの性暴力」を「いたずら」に、「女性への性暴力」を「痴漢」に、「窃盗」を「万引き」に、「暴行脅迫」を「いじめ」に変えているのも、すべて言霊信仰や精神論(感情論・根性論)の成せる業である。
「防犯カメラ」という表現もそうだ。まるで、「防犯」と名付ければ、それが自然に実現するとでも思っているかのようである。しかし、リアルタイム・モニタリングをせず、録画のみでは、その実体は「捜査カメラ」だ。例えば、「防犯カメラで犯人逮捕」とよく報道されるが、正確に言うなら、「防犯に失敗し、犯罪を防げなかったカメラを使って、犯人逮捕」である。
リスク・マネジメントの基本
また、「防犯ブザー」にも同じことが言える。防犯ブザーを鳴らすときには、すでに襲われている。つまり、防犯に失敗しているのだ。
さらに、「防犯灯」というのも日本独自の呼び方である。街灯は「夜の景色」を「昼の景色」にできるだけ戻すだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。つまり、昼間危険な場所(例えば、周囲に家がない道)に街灯を設置し、夜間に明るくしても、戻った景色は危険なままであり、その場所が安全になるわけではない。
それでなくても、人は「そんなことは起きないだろう」と思いがちだ。信じたい情報ばかり探してしまう「確証バイアス」や、「たいしたことはない」と思い込む「正常性バイアス」である。その呪縛から解放されるためには、まず「最悪の事態」を言葉に出し、対策の議論を始めなければならない。
リスク・マネジメントの基本は「最善を望み、最悪に備えよ」である。分かりやすく言えば「悲観的に準備し、楽観的に行動せよ」だ。言葉を濁している限り、有効な準備はできない。
悲劇を繰り返したくなければ、言霊信仰や精神論(感情論・根性論)から脱出する必要がある。たかが言葉、されど言葉。人の思考をコントロールする言葉を大切にしたいものだ。