櫻田智恵(上智大学総合グローバル学部助教) アステイオン
<不敬罪の検挙率が増加し、改正運動が続くタイ。1908年刑法の成立には日本人法学者が関わっていたが、「不敬罪」の適応には大きな違いが見られる理由について>
2024年5月14日、タイで不敬罪で勾留されていた28歳の女性が、ハンガーストライキの末亡くなった。
2020年から続く不敬罪を含む王室改革を求める運動のメインメンバーだった彼女の死は、各国の大使からの追悼メッセージが発出されるなどして大きく注目された。
彼女が訴えていたのは、不敬罪の疑いで勾留されている者の一時保釈を認めるべきだというものであった。彼女の根本的な主張は、被疑者となった者たちの基本的人権を守るべきだという点にあった。
不敬罪の疑いがかけられた場合、起訴前から不当な扱いを受けることがあることは、しばしば問題になってきた。
とはいえ、この「不敬罪」については、触れること自体がタブーであるとされてきたこともあって詳しい研究は少なく、また法の解釈も時代によって変動してきたことからタイ人研究者でも理解が難しい。
そんな中でこの不敬罪について真正面から向き合った研究がデイビッド・ストレックファスによる『Truth on Trial in Thailand: Defamation, treason, and lesè-majesté』(2011年、Routledge)である。
短命な憲法、長寿な法
タイは1932年以降立憲君主制を採っているが、憲法の平均生存年は5年程度だと言われている。つまり、憲法が頻繁に変わるのである(「恒久」憲法と呼ばれているが、それはもはや祈りに近い)。
政権交代のほとんどがクーデタで為されてきたタイでは、政権が変わるたびに新しい憲法が発布されてきた。一方で、刑法や民法といった法律は、改正されることはあるものの、かなり長生きである。
例えば、タイにおいて西洋的な刑法が成立したのは1908年で、これを基に1957年に改正刑法が施行され、現在も基本的にはこの規定が継続している。
あまり知られていないが、この1908年刑法の草案者は日本人である。政尾藤吉という愛媛県出身の法学博士(イェール大学)で、治外法権撤廃を目指していたタイから要請を受けた日本から派遣された。
そのため当時の日本とタイの刑法とは多くの共通点を有しており、不敬罪や扇動罪にも日本の旧刑法と類似する内容が多くみられる。しかしながら、その適用を見ていくと、両者が大きく異なっていることがわかる。
新井勉『大逆罪・内乱罪の研究』(批評社、2016年)に詳しく述べられているように、日本においては内乱罪の適用例はないことに加え、天皇の身体に対する明確な害、もしくは未遂に対してのみ大逆罪が適用された。
何をもって天皇の名誉を毀損したと判断するかがかなり難しく、この運用を見誤れば逆に天皇の尊厳を害し兼ねないという見方が強かったからである。
例えば、天皇や皇族の悪口を言ってその名誉を毀損したとして大逆罪が適用されたとすれば、皇室の名誉は一介の市民による悪口で毀損され得る程度のものであるという印象を与える可能性があり、むしろ神聖化の弊害になるのではないかと危惧されたのである。
一方タイでは、不敬罪(≒大逆罪)と扇動罪(≒内乱罪)の適用は頻繁で、これが現在起こっている「不敬罪」の改正要求の背景にある。
特に不敬罪の検挙率は増加の一途を辿っている。不敬罪も扇動剤も有罪率はほぼ100%で推移しており、起訴されたら逃れる方法は無い。加えて、不敬罪の運用はかなり複雑で情報の整理が困難な場合が多い。
また、何度憲法が変わろうとも国王の不可侵性が保障されていて不敬罪や扇動罪で起訴されることが同時に憲法違反にもなり得ることから、通常の司法裁判所だけでなく憲法裁判所による判断が下されることがあり、審議が長期化する場合がある。
犯罪ごとに刑罰が加算される併科主義を採るタイでは刑が重くなりやすく、一方で不敬罪は国王の恩赦以外に減刑が見込めない。これらが勾留や裁判の長期化や罰則の複雑化を招いている要因でもある。
ストレックファスは不敬罪や扇動罪の厳罰化のデータを示しながら、その思想背景についても議論を展開している。
タイが植民地化されなかったことの「利点」は、西欧的な技術や制度を取り入れる一方で、ヨーロッパ的な思想の輸入をコントロールできたことにあるという。
つまり、幅広い民衆の討論や批評、そして政治参加が必要であるという考え方の拡散を厳しく統制することで、「タイ的」な政治思想を維持、発展させてきたという。
この考えのもとでは、物事の「真理」にアクセスできるのは、富や地位、学歴によって示される功徳の高い人に限られ、凡人は真理を知覚するための精神的・霊的な鍛錬に欠けているとされる。
そのため、功徳の高い人々、つまり社会的エリートたちだけが国家を良き方向に導くことができ、同時に、国家に脅威を与えるような発言をする個人や集団を罰することは当然であると捉えられているという。
こうした考え方は、上のものが下のものに良き政治を与えるのが最善であるとする「タイ的民主主義」の考え方によく表れているように思われる。
かつてタイは第二次世界大戦や冷戦でも地政学的に重要な位置にあった。いつしか個人の人権よりも国家を尊重することが当然とみなされるようになり、「凡人」は黙ってエリートたちに追従すればよいとされてきた。
近年不敬罪が注目を集めている理由は、不敬罪がタイ社会のあり方や根本的思想を集約したものであること、そうした「タイ的な」社会環境に疑問を抱く人々が増えたからだと言えよう。時代は変わりつつある。
ストレックファスの400ページを超える大著では、タイの政治システムにおけるさまざまな「矛盾」を指摘し、それらを不敬罪をはじめとする一部の刑法がどのように吸収しているのかが論じられている。
発行時期からわかるように、彼の関心は2019年以降の不敬罪改正運動そのものにはない。しかしながら、近年盛んに議論されている「不敬罪」とは、そもそも「何」なのか?この根本的な問題を考える時、豊富な一次資料から論じられる本書は有用な一冊となろう。
櫻田智恵(Chie Sakurada)
上智大学総合グローバル学部総合グローバル学科助教。博士(地域研究)。専門はタイ地域研究、現代政治史。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科東南アジア地域研究専攻修了。同研究科特任助教、チュラーロンコーン大学文学部International Staff、日本学術振興会特別研究員(RPD)などを経て、現職。主著に『タイ国王を支えた人々:プーミポン国王の行幸と映画を巡る奮闘記』(風響社、2018年)、『国王奉迎のタイ現代史:プーミポンの行幸とその映画』(ミネルヴァ書房、2023年)などがある。「「陛下の映画」の登場と展開:現タイ国王プーミポンを取り巻くイメージ戦略」にて、サントリー文化財団2015年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。2022年に松下正治記念学術賞、2023年に第40回 大平正芳記念賞を受賞。
『Truth on Trial in Thailand: Defamation, treason, and lesè-majesté』
デイビッド・ストレックファス[著]
ラウトレッジ[刊]
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
<不敬罪の検挙率が増加し、改正運動が続くタイ。1908年刑法の成立には日本人法学者が関わっていたが、「不敬罪」の適応には大きな違いが見られる理由について>
2024年5月14日、タイで不敬罪で勾留されていた28歳の女性が、ハンガーストライキの末亡くなった。
2020年から続く不敬罪を含む王室改革を求める運動のメインメンバーだった彼女の死は、各国の大使からの追悼メッセージが発出されるなどして大きく注目された。
彼女が訴えていたのは、不敬罪の疑いで勾留されている者の一時保釈を認めるべきだというものであった。彼女の根本的な主張は、被疑者となった者たちの基本的人権を守るべきだという点にあった。
不敬罪の疑いがかけられた場合、起訴前から不当な扱いを受けることがあることは、しばしば問題になってきた。
とはいえ、この「不敬罪」については、触れること自体がタブーであるとされてきたこともあって詳しい研究は少なく、また法の解釈も時代によって変動してきたことからタイ人研究者でも理解が難しい。
そんな中でこの不敬罪について真正面から向き合った研究がデイビッド・ストレックファスによる『Truth on Trial in Thailand: Defamation, treason, and lesè-majesté』(2011年、Routledge)である。
短命な憲法、長寿な法
タイは1932年以降立憲君主制を採っているが、憲法の平均生存年は5年程度だと言われている。つまり、憲法が頻繁に変わるのである(「恒久」憲法と呼ばれているが、それはもはや祈りに近い)。
政権交代のほとんどがクーデタで為されてきたタイでは、政権が変わるたびに新しい憲法が発布されてきた。一方で、刑法や民法といった法律は、改正されることはあるものの、かなり長生きである。
例えば、タイにおいて西洋的な刑法が成立したのは1908年で、これを基に1957年に改正刑法が施行され、現在も基本的にはこの規定が継続している。
あまり知られていないが、この1908年刑法の草案者は日本人である。政尾藤吉という愛媛県出身の法学博士(イェール大学)で、治外法権撤廃を目指していたタイから要請を受けた日本から派遣された。
そのため当時の日本とタイの刑法とは多くの共通点を有しており、不敬罪や扇動罪にも日本の旧刑法と類似する内容が多くみられる。しかしながら、その適用を見ていくと、両者が大きく異なっていることがわかる。
新井勉『大逆罪・内乱罪の研究』(批評社、2016年)に詳しく述べられているように、日本においては内乱罪の適用例はないことに加え、天皇の身体に対する明確な害、もしくは未遂に対してのみ大逆罪が適用された。
何をもって天皇の名誉を毀損したと判断するかがかなり難しく、この運用を見誤れば逆に天皇の尊厳を害し兼ねないという見方が強かったからである。
例えば、天皇や皇族の悪口を言ってその名誉を毀損したとして大逆罪が適用されたとすれば、皇室の名誉は一介の市民による悪口で毀損され得る程度のものであるという印象を与える可能性があり、むしろ神聖化の弊害になるのではないかと危惧されたのである。
一方タイでは、不敬罪(≒大逆罪)と扇動罪(≒内乱罪)の適用は頻繁で、これが現在起こっている「不敬罪」の改正要求の背景にある。
特に不敬罪の検挙率は増加の一途を辿っている。不敬罪も扇動剤も有罪率はほぼ100%で推移しており、起訴されたら逃れる方法は無い。加えて、不敬罪の運用はかなり複雑で情報の整理が困難な場合が多い。
また、何度憲法が変わろうとも国王の不可侵性が保障されていて不敬罪や扇動罪で起訴されることが同時に憲法違反にもなり得ることから、通常の司法裁判所だけでなく憲法裁判所による判断が下されることがあり、審議が長期化する場合がある。
犯罪ごとに刑罰が加算される併科主義を採るタイでは刑が重くなりやすく、一方で不敬罪は国王の恩赦以外に減刑が見込めない。これらが勾留や裁判の長期化や罰則の複雑化を招いている要因でもある。
ストレックファスは不敬罪や扇動罪の厳罰化のデータを示しながら、その思想背景についても議論を展開している。
タイが植民地化されなかったことの「利点」は、西欧的な技術や制度を取り入れる一方で、ヨーロッパ的な思想の輸入をコントロールできたことにあるという。
つまり、幅広い民衆の討論や批評、そして政治参加が必要であるという考え方の拡散を厳しく統制することで、「タイ的」な政治思想を維持、発展させてきたという。
この考えのもとでは、物事の「真理」にアクセスできるのは、富や地位、学歴によって示される功徳の高い人に限られ、凡人は真理を知覚するための精神的・霊的な鍛錬に欠けているとされる。
そのため、功徳の高い人々、つまり社会的エリートたちだけが国家を良き方向に導くことができ、同時に、国家に脅威を与えるような発言をする個人や集団を罰することは当然であると捉えられているという。
こうした考え方は、上のものが下のものに良き政治を与えるのが最善であるとする「タイ的民主主義」の考え方によく表れているように思われる。
かつてタイは第二次世界大戦や冷戦でも地政学的に重要な位置にあった。いつしか個人の人権よりも国家を尊重することが当然とみなされるようになり、「凡人」は黙ってエリートたちに追従すればよいとされてきた。
近年不敬罪が注目を集めている理由は、不敬罪がタイ社会のあり方や根本的思想を集約したものであること、そうした「タイ的な」社会環境に疑問を抱く人々が増えたからだと言えよう。時代は変わりつつある。
ストレックファスの400ページを超える大著では、タイの政治システムにおけるさまざまな「矛盾」を指摘し、それらを不敬罪をはじめとする一部の刑法がどのように吸収しているのかが論じられている。
発行時期からわかるように、彼の関心は2019年以降の不敬罪改正運動そのものにはない。しかしながら、近年盛んに議論されている「不敬罪」とは、そもそも「何」なのか?この根本的な問題を考える時、豊富な一次資料から論じられる本書は有用な一冊となろう。
櫻田智恵(Chie Sakurada)
上智大学総合グローバル学部総合グローバル学科助教。博士(地域研究)。専門はタイ地域研究、現代政治史。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科東南アジア地域研究専攻修了。同研究科特任助教、チュラーロンコーン大学文学部International Staff、日本学術振興会特別研究員(RPD)などを経て、現職。主著に『タイ国王を支えた人々:プーミポン国王の行幸と映画を巡る奮闘記』(風響社、2018年)、『国王奉迎のタイ現代史:プーミポンの行幸とその映画』(ミネルヴァ書房、2023年)などがある。「「陛下の映画」の登場と展開:現タイ国王プーミポンを取り巻くイメージ戦略」にて、サントリー文化財団2015年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。2022年に松下正治記念学術賞、2023年に第40回 大平正芳記念賞を受賞。
『Truth on Trial in Thailand: Defamation, treason, and lesè-majesté』
デイビッド・ストレックファス[著]
ラウトレッジ[刊]
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