北島 純
<岸田首相が自民党総裁選への不出馬を表明した。首相としての実質的な退陣表明でもある。「サプライズ」が得意だった首相の最後のサプライズに見えるが、裏には冷徹な計算も垣間見える。そして、現時点で最も有利なのは誰か>
岸田文雄首相が14日昼前に記者会見を開き、来る9月の自民党総裁選に立候補しないことを表明した。お盆真最中というタイミングでの実質的な退陣表明に衝撃が走っている。これを機に日本政治はこの夏、大きく動き出すだろう。
「現役首相が総裁選に立候補して敗北したら政治生命が実質的に終わりかねない。影響力を残すために、出馬を直前に回避する」といった見立ては永田町では根強かった。その意味では今回の不出馬表明自体はサプライズとまでは言えない。
それに対して、最近になって流布されていたのは「岸田首相再選説」だ。8月に入っても衆目の一致するような有力立候補者が現れていない以上、現役の首相が立候補すれば、いわば現状追認で再選される可能性が高まっているというものだった。
しかし、有力候補がいないという消極的理由で総裁再選を認めるような余裕が今の自民党にあるとは言えない。パーティー券裏金問題等の「腐敗」に対して国民は厳しい視線を向けており、新しい「選挙の顔」を立てることは自民党にとって喫緊の課題だった。
他方で、現役首相の総裁選敗北といえば、1978年(昭和53年)の総裁選で福田赳夫首相が大平正芳候補に敗北した例があるが、これは予備選での敗北だ。福田首相は本選を自ら辞退した後、大平政権下で非主流派として熾烈な権力闘争を仕掛けていった。「総裁選での敗北=政治生命の終結」になるとは限らない。
要は、権力闘争をどう戦い続けるかという「政治家の意志」が問題なのであり、それゆえ今回の突然の不出馬表明に「再選される見込みがなく、追い込まれての出馬辞退」という側面があるとしても、サプライズに見える決断を得意としてきた岸田首相ならではの「権力闘争の仕掛け」があると見る視点も必要だろう。
岸田首相が権力をつかんだ出発点は2021年8月26日の総裁選出馬表明だ。その後、パーティー券裏金問題をめぐる2023年12月の清和会(旧安倍派)政権幹部の一斉更迭や、派閥批判の高まりを受けた2024年1月の宏池会(岸田派)解散表明を含めて、岸田首相は要所要所でサプライズに見える決断を下してきた。いずれも共通するのは意外にも「権力闘争の仕掛け」という側面なのだ。
2021年10月に発足し、高支持率を誇っていた当初の岸田政権は、麻生太郎副総裁と茂木敏充幹事長による「三頭政治」によって支えられていた。その後、パーティー券裏金問題での派閥解消等を巡っていったんは相互の信頼関係が瓦解したようにも見えたが、三者三様の手詰まり感も見えていた。
例えば麻生副総裁がキングメーカーとして采配を振るうには、上川陽子外相や河野太郎デジタル相は「手持ちカード」として盤石とまでは言えず、好みが分かれることは否めない。茂木幹事長にしても有力総裁候補と目されながらも、自らの派閥(平成研)から小渕優子選挙対策委員長や石井準一参議院国会対策委員長ら参院幹部が離脱し、岸田政権中枢の幹事長でありながら総裁選出馬を表明すると「令和の明智光秀」批判を浴びるおそれもある。岸田首相にしても安倍派パージに成功したものの報復でいつ寝首をかかれてもおかしくない。
他方で、2021年夏に総裁選出馬断念に追い込まれた菅義偉前首相や武田良太元総務相ら非主流派の動きも顕著になってきた。自民党内の権力闘争が激化していく状況にあって、岸田首相が大方の予想を裏切るタイミングで不出馬を表明した。そこに、いわば先手必勝でイニシアチブを取ろうとする狙いがあったとしても不思議ではない。小林鷹之前経済安保相(通称コバホーク)等の若手政治家への期待も沸き起こっているが、新生自民党の看板にはなるとしても、性急な世代交代は長老には都合が悪い。そうした世代間の権力闘争についても、差配と調整を担うイニシアチブが重要だという計算もあったであろう。
有利なのは「党内組織票」の茂木か、「国民人気」の石破や小泉か
もう一つ、政治腐敗に対する検察捜査の動向もある。東京地検特捜部はこの1ヶ月で立て続けに、選挙区で香典を配布した疑いで堀井学衆議院議員(自民党離党)、公設第二秘書の給与を詐取した疑いで広瀬めぐみ参議院議員(自民党離党)それぞれの議員会館事務所等を捜索した。政界の腐敗に対する検察の追求は緩んでいない。他方で、通常国会での政治資金規正法改正は中途半端に終わってしまった。そうした中、岸田首相は記者会見で「組織の長として責任を取る」ことを明言。これで派閥パーティー券裏金問題に「終止符」が打たれるとは言い難いが、しかし、一国のトップが「この問題の責任をとって身を引くこと」を公式に表明した以上、一定の「けじめ」効果が生じることも否定し難い。
最後に、野党による政権交代の阻止という狙いも当然にあるだろう。アメリカのバイデン大統領は老衰批判に聞く耳を持たないふりをしながら、トランプ前大統領暗殺未遂事件が発生してトランプ陣営の求心力が高まるや否や、大統領選撤退を表明。後継にカマラ・ハリス副大統領を指名して、選挙戦の流れを一気に民主党側に引き寄せた。バイデン大統領は「大統領選と同時に行われる上下両院選挙での敗北を避けるためだった」と語っている。
岸田首相は8月11日から12日にかけて首相公邸で終日過ごしたとされている。その間、バイデン大統領の身の処し方を横目で眺めつつ、来たる衆議院総選挙と来夏の参議院選挙でいかにして与党を維持するかという問題を改めて考え、自ら身を引くことこそが最善の策だと思うに至ったのであろうか。
9月の総裁選を巡っては、前述した茂木敏充幹事長、河野太郎デジタル相、上川陽子外相、小林鷹之前経済安保相以外に、林芳正官房長官、石破茂元幹事長や小泉進次郎元環境相、高市早苗経済安全保障相や野田聖子元総務相らの名前も挙がっている。総裁選推薦人を20人確保するという当面のハードルからすれば組織的なテコ入れが期待できる茂木氏や小林氏、国民的人気あるいは党員票の観点からは高い知名度を誇る石破氏や小泉氏が有利ということになろう。近年、石破氏は『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社)、高市氏は『日本の経済安全保障 国家国民を守る黄金律』(飛鳥新社)、野田氏は『野田聖子のつくりかた』(CCCメディアハウス)という著作を刊行しており、準備に余念がない。
しかし「派閥解消時代の総裁選」でもある。何が起こるかは分からない。自民党のお家芸である「総裁選による擬似政権交代」効果が今回も発揮されるか。SNS隆盛の時代にTV電波ジャック戦略が通用するか。南海トラフ地震対策・能登半島地震復旧復興策から、円安対策等の経済政策、中国との間合いを含めた外交政策に至るまで、同時期に行われる立憲民主党の代表選挙とあわせて、「これからの日本をどう構想するか」を徹底して国民の前で議論するような総裁選を行えるかがカギとなる。
<岸田首相が自民党総裁選への不出馬を表明した。首相としての実質的な退陣表明でもある。「サプライズ」が得意だった首相の最後のサプライズに見えるが、裏には冷徹な計算も垣間見える。そして、現時点で最も有利なのは誰か>
岸田文雄首相が14日昼前に記者会見を開き、来る9月の自民党総裁選に立候補しないことを表明した。お盆真最中というタイミングでの実質的な退陣表明に衝撃が走っている。これを機に日本政治はこの夏、大きく動き出すだろう。
「現役首相が総裁選に立候補して敗北したら政治生命が実質的に終わりかねない。影響力を残すために、出馬を直前に回避する」といった見立ては永田町では根強かった。その意味では今回の不出馬表明自体はサプライズとまでは言えない。
それに対して、最近になって流布されていたのは「岸田首相再選説」だ。8月に入っても衆目の一致するような有力立候補者が現れていない以上、現役の首相が立候補すれば、いわば現状追認で再選される可能性が高まっているというものだった。
しかし、有力候補がいないという消極的理由で総裁再選を認めるような余裕が今の自民党にあるとは言えない。パーティー券裏金問題等の「腐敗」に対して国民は厳しい視線を向けており、新しい「選挙の顔」を立てることは自民党にとって喫緊の課題だった。
他方で、現役首相の総裁選敗北といえば、1978年(昭和53年)の総裁選で福田赳夫首相が大平正芳候補に敗北した例があるが、これは予備選での敗北だ。福田首相は本選を自ら辞退した後、大平政権下で非主流派として熾烈な権力闘争を仕掛けていった。「総裁選での敗北=政治生命の終結」になるとは限らない。
要は、権力闘争をどう戦い続けるかという「政治家の意志」が問題なのであり、それゆえ今回の突然の不出馬表明に「再選される見込みがなく、追い込まれての出馬辞退」という側面があるとしても、サプライズに見える決断を得意としてきた岸田首相ならではの「権力闘争の仕掛け」があると見る視点も必要だろう。
岸田首相が権力をつかんだ出発点は2021年8月26日の総裁選出馬表明だ。その後、パーティー券裏金問題をめぐる2023年12月の清和会(旧安倍派)政権幹部の一斉更迭や、派閥批判の高まりを受けた2024年1月の宏池会(岸田派)解散表明を含めて、岸田首相は要所要所でサプライズに見える決断を下してきた。いずれも共通するのは意外にも「権力闘争の仕掛け」という側面なのだ。
2021年10月に発足し、高支持率を誇っていた当初の岸田政権は、麻生太郎副総裁と茂木敏充幹事長による「三頭政治」によって支えられていた。その後、パーティー券裏金問題での派閥解消等を巡っていったんは相互の信頼関係が瓦解したようにも見えたが、三者三様の手詰まり感も見えていた。
例えば麻生副総裁がキングメーカーとして采配を振るうには、上川陽子外相や河野太郎デジタル相は「手持ちカード」として盤石とまでは言えず、好みが分かれることは否めない。茂木幹事長にしても有力総裁候補と目されながらも、自らの派閥(平成研)から小渕優子選挙対策委員長や石井準一参議院国会対策委員長ら参院幹部が離脱し、岸田政権中枢の幹事長でありながら総裁選出馬を表明すると「令和の明智光秀」批判を浴びるおそれもある。岸田首相にしても安倍派パージに成功したものの報復でいつ寝首をかかれてもおかしくない。
他方で、2021年夏に総裁選出馬断念に追い込まれた菅義偉前首相や武田良太元総務相ら非主流派の動きも顕著になってきた。自民党内の権力闘争が激化していく状況にあって、岸田首相が大方の予想を裏切るタイミングで不出馬を表明した。そこに、いわば先手必勝でイニシアチブを取ろうとする狙いがあったとしても不思議ではない。小林鷹之前経済安保相(通称コバホーク)等の若手政治家への期待も沸き起こっているが、新生自民党の看板にはなるとしても、性急な世代交代は長老には都合が悪い。そうした世代間の権力闘争についても、差配と調整を担うイニシアチブが重要だという計算もあったであろう。
有利なのは「党内組織票」の茂木か、「国民人気」の石破や小泉か
もう一つ、政治腐敗に対する検察捜査の動向もある。東京地検特捜部はこの1ヶ月で立て続けに、選挙区で香典を配布した疑いで堀井学衆議院議員(自民党離党)、公設第二秘書の給与を詐取した疑いで広瀬めぐみ参議院議員(自民党離党)それぞれの議員会館事務所等を捜索した。政界の腐敗に対する検察の追求は緩んでいない。他方で、通常国会での政治資金規正法改正は中途半端に終わってしまった。そうした中、岸田首相は記者会見で「組織の長として責任を取る」ことを明言。これで派閥パーティー券裏金問題に「終止符」が打たれるとは言い難いが、しかし、一国のトップが「この問題の責任をとって身を引くこと」を公式に表明した以上、一定の「けじめ」効果が生じることも否定し難い。
最後に、野党による政権交代の阻止という狙いも当然にあるだろう。アメリカのバイデン大統領は老衰批判に聞く耳を持たないふりをしながら、トランプ前大統領暗殺未遂事件が発生してトランプ陣営の求心力が高まるや否や、大統領選撤退を表明。後継にカマラ・ハリス副大統領を指名して、選挙戦の流れを一気に民主党側に引き寄せた。バイデン大統領は「大統領選と同時に行われる上下両院選挙での敗北を避けるためだった」と語っている。
岸田首相は8月11日から12日にかけて首相公邸で終日過ごしたとされている。その間、バイデン大統領の身の処し方を横目で眺めつつ、来たる衆議院総選挙と来夏の参議院選挙でいかにして与党を維持するかという問題を改めて考え、自ら身を引くことこそが最善の策だと思うに至ったのであろうか。
9月の総裁選を巡っては、前述した茂木敏充幹事長、河野太郎デジタル相、上川陽子外相、小林鷹之前経済安保相以外に、林芳正官房長官、石破茂元幹事長や小泉進次郎元環境相、高市早苗経済安全保障相や野田聖子元総務相らの名前も挙がっている。総裁選推薦人を20人確保するという当面のハードルからすれば組織的なテコ入れが期待できる茂木氏や小林氏、国民的人気あるいは党員票の観点からは高い知名度を誇る石破氏や小泉氏が有利ということになろう。近年、石破氏は『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社)、高市氏は『日本の経済安全保障 国家国民を守る黄金律』(飛鳥新社)、野田氏は『野田聖子のつくりかた』(CCCメディアハウス)という著作を刊行しており、準備に余念がない。
しかし「派閥解消時代の総裁選」でもある。何が起こるかは分からない。自民党のお家芸である「総裁選による擬似政権交代」効果が今回も発揮されるか。SNS隆盛の時代にTV電波ジャック戦略が通用するか。南海トラフ地震対策・能登半島地震復旧復興策から、円安対策等の経済政策、中国との間合いを含めた外交政策に至るまで、同時期に行われる立憲民主党の代表選挙とあわせて、「これからの日本をどう構想するか」を徹底して国民の前で議論するような総裁選を行えるかがカギとなる。