アリストス・ジョージャウ
<ストーンヘンジの中心に位置する巨石「祭壇石」が、600キロ以上離れたスコットランドから運ばれた可能性が浮上した>
イングランド南西部にある先史時代の巨石群ストーンヘンジについて、中央の「特異な」岩の産地をめぐる謎を解き明かしたという研究結果が発表された。
科学誌ネイチャーに発表された論文によると、重さ6トンの「祭壇石」の産地は、ストーンヘンジから見てグレートブリテン島の反対側に位置する現在のスコットランド北東部だったと思われる。
1世紀以上の間、祭壇石の産地はグレートブリテン島の南西部に位置するウェールズだと思われていた。しかしここ数年の研究で、この説に対する疑問が浮上。祭壇石の真の産地をめぐる疑問は未解決のままになっていた――。今回の研究が発表されるまでは。
ストーンヘンジはウィルトシャー州にある新石器時代の石碑で、巨大な石が環状に配置されている。建設が始まったのはおよそ5000年前とされ、その後2000年の間に何度か変更されたり構造に手が加えられたりしたと考えらえている。
「祭壇石はその大きさや重さ、石の種類、巨石群の中の配置などにおいて特異な存在でありながら、ほとんど何も分かっていなかった。この場所にいつ到来したのか、立てられたことがあるのか、それともずっと横たわったままだったのかも分からず、結果として目的もほとんど分かっていない」。ネイチャーに論文を発表したアベリストウィス大学地理地球科学部のリチャード・ベビンズは本誌にそう語った。
スコットランド北東部産の岩石か
祭壇石がいつ到来したのかは不明だが、紀元前2620年から2480年ごろの第2次建設期に、ストーンヘンジの中心に置かれた可能性がある。
ストーンヘンジに関するこれまでの研究で、巨石群の建造には主に、いわゆるサルセン石とブルーストーンという2種類の岩石が使われたことが分かっている。サルセン石のほとんどは、24キロほど離れた現在のウィルトシャー州マールボロに近いウェストウッズ産と思われる。一方、小さい方のブルーストーンの産地は、ほとんどがウェールズ西部だったことが分かっている。
祭壇石は砂岩で、従来はブルーストーンと同じ種類に分類されていた。
「祭壇石の産地がウェールズ西部だったという説は1世紀以上前にさかのぼる。1923年に地質学者のH・H・トーマスが、ブルーストーンは全て国内の限られた地域から来たと信じてウェールズ西部説を提唱した」とベビンズは説明する。
最新の研究では祭壇石の断片の標本に含まれる鉱物の年代と成分を分析した。祭壇石の大きさは長さが約4.9メートル、幅約0.9メートル、厚さ約0.5メートル。
分析の結果、鉱物の年代や成分は、スコットランド北東部産の岩石と統計的に区別がつかないことが分かった。ウェールズの岩石とは明らかに異なっていた。
どうやって運んだのか
分析で判明した化学的特徴は、祭壇石の産地がストーンヘンジから600キロ以上離れたスコットランド北東部のオルカディアン盆地だったことを裏付けていた。
「カーティン大学の研究所で実施した年代測定で、スコットランド北東部のオルカディアン盆地にある旧赤色砂岩と祭壇石は地質学的特徴が酷似していることが分かった。我々はこの相関関係を強く確信している」(ベビンズ)
今回の発見に伴い、新たに興味深く重要な疑問も浮上した。なぜ、そしてどうやって、新石器時代の限られた技術で巨大な祭壇石を何百キロも離れたスコットランド北部からストーンヘンジまで運んだのか。
新石器時代には長距離輸送網が存在していて、これまで考えられていたよりも高度な社会組織があり、予想以上に高度な輸送手段が利用できたと研究チームは推測している。森林に覆われていた当時のイギリスの地形を考えると陸路での輸送は著しく困難だったと思われ、海上ルートが使われた可能性が大きい。
ストーンヘンジに詳しいアイルランドのゴールウェイ大学の地質学者ジェイク・シボロウスキー(今回の研究にはかかわっていない)は、ネイチャー誌に掲載された祭壇石の産地に関する結論について、「質の高い」データによる「確固たる裏付け」があると本誌に語った。
シボロウスキーは「この研究で祭壇石の産地が特定されたと考える。ストーンヘンジそのものにおいてその意味は非常に大きい」と評価する。
一方で、祭壇石がスコットランド北東部の岩場から切り出され、船でストーンヘンジの場所まで運ばれたという説についてはそれほど確信が持てないといい、「それを直接的に裏付ける考古学的証拠がない。採石場も特定されていない。ただし見つかる可能性がないわけではない」とした。
「氷河期のスコットランドは厚い氷河に覆われていて、地表の岩石の多くは氷によって動き回っていた。今回の論文の著者はその可能性は低いとしているが、祭壇石が氷によって南へと運ばれ、残りを人が運んだ可能性もある。ただしそれも憶測にすぎない」とシボロウスキーは話している。
(翻訳:鈴木聖子)
<ストーンヘンジの中心に位置する巨石「祭壇石」が、600キロ以上離れたスコットランドから運ばれた可能性が浮上した>
イングランド南西部にある先史時代の巨石群ストーンヘンジについて、中央の「特異な」岩の産地をめぐる謎を解き明かしたという研究結果が発表された。
科学誌ネイチャーに発表された論文によると、重さ6トンの「祭壇石」の産地は、ストーンヘンジから見てグレートブリテン島の反対側に位置する現在のスコットランド北東部だったと思われる。
1世紀以上の間、祭壇石の産地はグレートブリテン島の南西部に位置するウェールズだと思われていた。しかしここ数年の研究で、この説に対する疑問が浮上。祭壇石の真の産地をめぐる疑問は未解決のままになっていた――。今回の研究が発表されるまでは。
ストーンヘンジはウィルトシャー州にある新石器時代の石碑で、巨大な石が環状に配置されている。建設が始まったのはおよそ5000年前とされ、その後2000年の間に何度か変更されたり構造に手が加えられたりしたと考えらえている。
「祭壇石はその大きさや重さ、石の種類、巨石群の中の配置などにおいて特異な存在でありながら、ほとんど何も分かっていなかった。この場所にいつ到来したのか、立てられたことがあるのか、それともずっと横たわったままだったのかも分からず、結果として目的もほとんど分かっていない」。ネイチャーに論文を発表したアベリストウィス大学地理地球科学部のリチャード・ベビンズは本誌にそう語った。
スコットランド北東部産の岩石か
祭壇石がいつ到来したのかは不明だが、紀元前2620年から2480年ごろの第2次建設期に、ストーンヘンジの中心に置かれた可能性がある。
ストーンヘンジに関するこれまでの研究で、巨石群の建造には主に、いわゆるサルセン石とブルーストーンという2種類の岩石が使われたことが分かっている。サルセン石のほとんどは、24キロほど離れた現在のウィルトシャー州マールボロに近いウェストウッズ産と思われる。一方、小さい方のブルーストーンの産地は、ほとんどがウェールズ西部だったことが分かっている。
祭壇石は砂岩で、従来はブルーストーンと同じ種類に分類されていた。
「祭壇石の産地がウェールズ西部だったという説は1世紀以上前にさかのぼる。1923年に地質学者のH・H・トーマスが、ブルーストーンは全て国内の限られた地域から来たと信じてウェールズ西部説を提唱した」とベビンズは説明する。
最新の研究では祭壇石の断片の標本に含まれる鉱物の年代と成分を分析した。祭壇石の大きさは長さが約4.9メートル、幅約0.9メートル、厚さ約0.5メートル。
分析の結果、鉱物の年代や成分は、スコットランド北東部産の岩石と統計的に区別がつかないことが分かった。ウェールズの岩石とは明らかに異なっていた。
どうやって運んだのか
分析で判明した化学的特徴は、祭壇石の産地がストーンヘンジから600キロ以上離れたスコットランド北東部のオルカディアン盆地だったことを裏付けていた。
「カーティン大学の研究所で実施した年代測定で、スコットランド北東部のオルカディアン盆地にある旧赤色砂岩と祭壇石は地質学的特徴が酷似していることが分かった。我々はこの相関関係を強く確信している」(ベビンズ)
今回の発見に伴い、新たに興味深く重要な疑問も浮上した。なぜ、そしてどうやって、新石器時代の限られた技術で巨大な祭壇石を何百キロも離れたスコットランド北部からストーンヘンジまで運んだのか。
新石器時代には長距離輸送網が存在していて、これまで考えられていたよりも高度な社会組織があり、予想以上に高度な輸送手段が利用できたと研究チームは推測している。森林に覆われていた当時のイギリスの地形を考えると陸路での輸送は著しく困難だったと思われ、海上ルートが使われた可能性が大きい。
ストーンヘンジに詳しいアイルランドのゴールウェイ大学の地質学者ジェイク・シボロウスキー(今回の研究にはかかわっていない)は、ネイチャー誌に掲載された祭壇石の産地に関する結論について、「質の高い」データによる「確固たる裏付け」があると本誌に語った。
シボロウスキーは「この研究で祭壇石の産地が特定されたと考える。ストーンヘンジそのものにおいてその意味は非常に大きい」と評価する。
一方で、祭壇石がスコットランド北東部の岩場から切り出され、船でストーンヘンジの場所まで運ばれたという説についてはそれほど確信が持てないといい、「それを直接的に裏付ける考古学的証拠がない。採石場も特定されていない。ただし見つかる可能性がないわけではない」とした。
「氷河期のスコットランドは厚い氷河に覆われていて、地表の岩石の多くは氷によって動き回っていた。今回の論文の著者はその可能性は低いとしているが、祭壇石が氷によって南へと運ばれ、残りを人が運んだ可能性もある。ただしそれも憶測にすぎない」とシボロウスキーは話している。
(翻訳:鈴木聖子)