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英暴動は他人事ではない......偽・誤情報の「不都合な真実」

ニューズウィーク日本版 2024年8月16日 17時42分

一田和樹
<英国で7月29日に発生した刺傷事件が発端となった暴動は、各地に飛び火した。この英暴動も偽・誤情報発生時のパターンをなぞっている。メディアは優先的に偽・誤情報を取り上げることで、拡散の手助けをする......>

多くの国で「民主主義への脅威」とみなされている偽・誤情報だが、悪影響がちゃんと検証されているわけではない。偽・誤情報とその対策については多くの調査や論文があり、それらについてのメタ・アナリシスやシステマティック・レビューによれば、方法論などに問題があるものも多く、検証されたとは言えない状況だ。また、以前の記事でご紹介したように偽・誤情報対策がむしろ逆効果になっているという指摘もある。

 

おそらく中露イランや極右などは、欧米の対策が逆効果になるのをわかったうえで、情報工作を続けている。彼らからすれば、欧米の政府機関やメディアが偽・誤情報を発見し、注意喚起すればするほどより多くの効果を期待できる。中露イランが関わる情報工作で、目立った成果は認められなかったという結論のレポートを見たことがある方も多いと思う。情報工作そのものよりも、それを脅威としてアナウンスさせ、対策させることでマイナスの影響力を狙っている作戦も数年前から存在するのだ。

先日の英暴動は、その実態をあらためて浮き彫りにした。英国で7月29日に発生した刺傷事件が発端となった暴動は、各地に飛び火し、その後、英政府が断固たる姿勢で暴徒に対応し、多くの人々が暴徒に対して立ち上がり、暴動は鎮静化している。おおまかに下記のような要因が関連していた。

・ロシアの干渉
 初期の報道や専門調査機関からのレポートでロシアの関与が指摘された。その後、デマの拡散には関与したものの、中心的な役割を果たしたわけではないことがわかった。

・経済格差、不可視化民
 事件の背景には英国の経済格差や白人弱者の問題があるという指摘。全米ラジオ放送(NPR)は暴動が起こった地域は多様性に乏しく、不可視化された白人弱者が扇動されたと分析している。近年の偽・誤情報関連の事件には不可視化された人々の関与していることがある。

・ポスト組織の極右インフルエンサー
 初期の拡散で重要な役目を果たしたのは極右などのインフルエンサーたちだった。大規模な組織は持たず、ネット上でゆるくつながっているため、全体を把握しにくく、芋づる式の摘発ができない。

・反ファシスト組織
 移民を守るために暴動に対抗して立ち上がった市民団体。いくつもの地域で襲撃対象になっている建物を守ろうとした。

・英国の偽・誤情報対策
 当初は、ロシアの関与の調査、拡散に加担した極右などのインフルエンサーの非難を行っていた。偽・誤情報を拡散した者も処罰の対象とするとアナウンスし、実際に逮捕者も出ている。

・メディアの報道
 メディアはSNSプラットフォームの問題を指摘する他、偽・誤情報の拡散について調査しレポートしていた。ロシアの関与や、極右インフルエンサーなどについての言及もあった。

これらの要因は多かれ少なかれ、世界のどこかで偽・誤情報に関連した騒動が起きた時には関係しているものと言っても過言ではないだろう。英国の主要な要因を一般化すると下記になる。

・FIMI(Foreign Information Manipulation and Interference)=海外からの情報操作と干渉
・経済格差、不可視化民
・IBVEs(Indenty Based Motivated Violent Extremists)アイデンティティ(人種、ジェンダー、民族、宗教など)に基づく攻撃を行う過激派。RMVEs(Racially or Ethnically Motivated Violent Extremists)などIBD(Indenty Based Disinformation)を信じたり、拡散したり、行動するグループや個人。
・市民団体。人権擁護団体、民主主義団体
・偽・誤情報政策
・メディアの報道

偽・誤情報問題が起きると関係アクターが毎回同じアジェンダを推す

こうした関係するアクターの多くは問題が起きた時に、同じ対応をすることが多い(特に初期段階で顕著)。一般的な傾向をもとに表にすると下記になる。主要でないものは含んでいない。

 

今回の英暴動も偽・誤情報発生時のパターンをなぞっていることがわかる。その理由は簡単で、偽・誤情報に関する出来事に注目するとパターン化されていることが多いためである。目立った騒動が起きれば必ず偽・誤情報が発生する。ロシアなどのFIMIはそれらを拡散し、IBVEsも同様に拡散し、場合によってはリアルに騒動を起こす。特に人が死ぬような事件や悲惨な事件の場合は、FIMIやIBVEsに利用されやすい。

そして偽・誤情報はメディアにとって、おいしいネタであるため、すぐに飛びついてニュースにする。欧米のメディアの購読者は知的な富裕層が多く、偽・誤情報記事への反応がとてもよい。2015年から2023年にかけてニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、USAトゥデイ、AP通信の見出しを調査した結果によると、移民と失業に次いで3番目に多く取り上げられていたのが偽・誤情報だった。偽・誤情報は一貫して読者から高い関心を持たれており、党派を超えてアピールし、広告主との間で問題が起きることもない。しかも無尽蔵に湧いてくる。メディアからすると貴重な金のなる木なのだ。

メディアはトランプのおかげで、この旨みを知った。欧米各紙がファクトチェックに乗り出しているのも当然で、ファクトチェックによって、ひとつの偽・誤情報から二度、三度と旨みを味わうことができる。そして、偽・誤情報を扱う時のトピックスはSNSプラットフォームの責任が圧倒的に多かったことがわかっている。

メディアが大々的に扱えば政府も配慮せざるを得なくなる。欧米民主主義国の政府は中露イランなどからのFIMI、メディアが叫ぶSNSプラットフォームの責任とIBD、そして国内の治安に深刻な脅威となっているIBVEsなどの各方面に目配りして発言することになる。

専門機関もメディアと同様だが、ロシアなどFIMIの脅威を取り上げがちだ。
Metaが四半期ごとに公開する脅威レポートには数年前からロシアが、最初から検知されてメディアが取り上げることを狙って、効果がなく検知されやすいデジタル影響工作を実施していたことが何度か指摘されている(パーセプション・ハッキングの応用)。

各アクターの推しアジェンダには根拠がない

こうした各アクターの推しアジェンダ設定は誤報にはならないものの、ミスリードにはなる。トランプ暗殺未遂事件が起きた時、専門機関のいくつかはロシアが偽情報を仕掛けてきているという速報を出した。確かにロシアは偽・誤情報を拡散していた。しかし、目立つ事件が起きればロシアは必ず反応するのであり、特別なオペレーションでなければ警戒するほどのことはない。

この分野で有名なデジタルフォレンジック・リサーチラボは事件後の2024年7月18日に、ロシアの干渉の可能性を示唆する記事を出したが、あまり根拠となる定量的な裏付けはなかった。続報がしばらくないことから、自身でフライングだったことに気がついたのだろう。前述のパーセプション・ハッキングの応用の典型的な例であり、ロシアはほとんどないもせずに、アメリカの権威ある専門家の手によってアメリカ国内の情報空間を汚染することができた。

また、メディアの多くはトランプ暗殺未遂事件で偽・誤情報が氾濫したかのような報道を行っていた。後から誤報と言われるのを避けるために、意図的にSNSでの偽・誤情報が全体のどれだけの割合を占め、どのような影響が出ているかの説明をしないのがメディアでは通例となっている(きわめて不誠実だと思うのだが、なぜか容認されている)。全体量に対して偽・誤情報の割合がきわめて少なく、影響も確認できなければ氾濫しているような表現や、それが問題であるという指摘はミスリードになる。しかし、偽・誤情報そのものがあったことは間違っていないので誤報にはならない。ミスリードにならない表現を巧みに使っている。偽・誤情報はネットを検索すれば見つけられるし、ツールを使えば閲覧数の多い投稿をピックアップできる。「こたつ記事」と言ってもよいだろう。

トランプ暗殺未遂事件の場合、この期間の全体あるいはこの事件に関する合計投稿数や合計閲覧数を明示したメディアは私の知る限りなかった(なお、前掲のデジタルフォレンジック・リサーチラボだけは「Trump」を含んだ投稿の総数を出している。専門機関としての誠意なのだろう)。もちろん、ほんとうに氾濫していた可能性は否定できないが、報道するならその根拠を示さないのは不誠実だ。

脅威を誇張することは情報そのものへの猜疑心を煽り、警戒主義に陥らせる可能性が高い。調査によれば警戒主義は民主主義への不満を大きくし、規制強化を支持するようになる。まさにアメリカや日本で起きていることだ。

 

政府および当局の発表には、専門家やメディアよりも根拠がないことが多い。たとえば、日本政府は近年、偽・誤情報対策を積極的に進めようとしているが、SNSの投稿総数や閲覧総数に対しての偽・誤情報の割合が掲載された政府資料は見たことがない。対策するほどの脅威ならば根拠となる数値を示してほしいと考えるのは私だけだろうか? 「民主主義への脅威」という表現は日本でも欧米でもよく使われるが、具体的に言及されるのは事例だけであり、過去のメタアナリシスやシステマティック・レビューを踏まえた定量的な影響評価は見たことがない。繰り返しになるが、政府が提示するのは偽・誤情報の事例や投稿数や閲覧数だけのことが多く、全体に対する割合はもちろん影響も公開されない。こちらも警戒主義を台頭させることになる。

中露イラン、IBVEs、メディアが構築したwinwinの偽・誤情報ネットワーク

攻撃側である中露イランなどの国は、IBDを見つけては拡散し、それによって極右などのIBVEsはリーチを拡大し、フォロワーと広告収入を増やす。IBVEsと中露イランの間に直接の関係はないため、どちらも強く非難できない。中露イランなどのプロパガンダメディアを規制することは可能だが、無数のプロキシを持っているため、拡散を止めることはできない。

メディアは優先的に偽・誤情報を取り上げることで、拡散の手助けをする。メディアが偽・誤情報を取り上げることによって、拡散を広げるマイナスの効果(ウォードルの拡散のトランペット)が生まれることは6年以上前から知られている。ファクトチェックには一定の効果があるが、同じく偽・誤情報の拡散を加速したり、警戒主義を招くマイナスの効果もある。結果として、対策は社会に情報に対する猜疑心と警戒感を広める負の効果をもたらしている。

前述のように、各アクターは初期段階で毎回ほぼ同じようなことをやっているのだが、仕掛ける側の方が有利なのは当然だ。問題が起きた時点で、すでに成功なのだから。中露イランなどのFIMI、IBVEs、メディアが主たる受益者であり、専門家は注目され、仕事が増えるメリットを受けることもある。後述するように政府は失政を偽・誤情報問題にすり替えることができるメリットがある。短期的には関係する全てのアクター(市民をのぞく)にとって、偽・誤情報の脅威を誇張することにメリットがある。

整理すると、現状、初期段階において偽・誤情報の拡散を止める有効な手段はとられておらず、中露イラン、IBVEs、メディアの連携によって逆に拡散しやすくなっている。下図は一般的な影響工作の図だが、欧米で偽・誤情報に関する問題が発生した際、一気に複数国のメディア、著名人、政治家などまで広がりやすくなっている。今回の英暴動やトランプ暗殺未遂事件がよい例で、一気に世界に偽・誤情報が広がり、各国の警戒主義を強化した。

偽・誤情報の解像度の致命的な粗さ

実は、ここまでの話には大きなすれ違いがある。FIMI、IBVEsは狭い範囲かつ目的を絞ったツールとして偽・誤情報を使っている。具体的に言うなら、偽・誤情報の内容は、自分たちの正当性と相手の非正当性の主張や、相手を分断させるものにほぼ限定されている。

一方、メディアや政府はきわめて広範かつ曖昧な定義で使っている。たとえば、最近の日本政府や当局の資料や発表を見ると、フィッシング詐欺、なりすまし広告までも含まれていたりする。偽・誤情報は情報空間のゴミ箱のような状態だ。細分化や絞り込みとは真逆の方向なので、実態の把握も対策の立案も困難になる。これにはメディアや関係組織に訊かれた時に、「偽・誤情報対策に取り組んでいます」と答えられる利点がある。浅学非才な筆者の頭にはそれ外はマイナス面しか思い浮かばなかった。

 

表に次のようになる。実害は実際に被害が発生していることを表す。隠蔽は偽・誤情報として扱うことで本来行うべき他の解決策をしないで済むようにしていることを指す。緊急時には行政が信頼できる情報伝達手段を確保しておくべきだが、偽・誤情報をなくす方向に話が進んでいる。実害に比べて、隠蔽や警戒主義の強化といったマイナス面の方が幅広い。特に警戒主義は騙されにくいが、正しい情報も信じられなくなり、民主主義への不満が増え、規制に対して容認しやすくなるマイナスの効果がある。偽・誤情報よりも、それ以外の情報の方がはるかに多いため、当然ながらマイナスの効果の影響の方が大きくなる。

最近の論文では、事前に情報を流して偽・誤情報に騙されにくくするプレバンキングの効果が薄れてきたという報告もあり、その原因として警戒主義が蔓延したためにプレバンキングしなくてもあらゆる情報を疑ってかかっているためである可能性が指摘されている

現在、防御側が偽・誤情報に含めている多くは、解像度をあげて、細分化し、それぞれに適切な対策を講じることで解決できる。例えば災害時の救援要請デマはFIMI、IBVEsの主たる狙いにはあまり効果がない。そのため行政が民間のSNSにただ乗りするのではなく信頼できる情報伝達手段を用意し、利用を促進することで解決できる。偽・誤情報で特別な対策が必要なのはあくまでFIMIやIBVEsが利用するケースに限られる。メディアや政府機関が言う偽・誤情報に関連する問題の多くは、本質的には偽・誤情報ではないことの方が多くなってきているため、有効な対策を立てることが難しくなっている。

よく使われる「民主主義への脅威」という言葉も広すぎる。そのままの素直に受け取ると、民主主義以外の主張を弾圧するように聞こえる。「民主主義への脅威」という言葉は、この問題が実態として、ほとんど影響をもたらしていないにもかかわらず、影響が甚大であることを表現するためにひねり出した苦肉の策なのだ。

この防御側の解像度の粗さは社会に致命的な悪影響を与える。なぜなら、すべての議論は解像度が荒すぎて役に立たず、対策の有効性も期待できないからだ。

「健全」と「健康」が殺す「事実」

最後に情報空間の健全性や、情報的健康という言葉について書いておきたい。総務省は「健全」という言葉をよく使う。一部の専門家は「情報的健康」という言葉を作り出した。「健全」も「健康」の定義は時とともに変化する。権威主体がその言葉で情報空間を規制することは、警戒主義を蔓延させ、これまで述べてきたリスクを増大させる懸念がある。

「情報的健康」という言葉を作り出したプロジェクトのレポート「デジタル空間とどう向き合うか」(鳥海不二夫、山本龍彦、日経BP)の「おわりに」には、こういう文章がある。

「フロイト(心理学)とチューリング(情報科学)の強力なタッグに、カント(啓蒙哲学)はもう太刀打ちできません」

アラン・チューリングはコンピュータの発展を語るうえで欠かせない人物のひとりであり、第二次世界大戦でドイツ軍の暗号解読に成功した功績もある。しかし、同性愛者であったため(当時の英国では同性愛は罪だった)治療を受けさせられ、1954年に自殺した。「健全」あるいは「健康」による規制はチューリングに犯罪者の汚名を着せて葬った。英政府が公式に謝罪したのは半世紀以上後の2009年、恩赦によって無罪となったのは2013年だった。

「健全」や「健康」が時代によって変わる概念であり、それらに基づく規制は時に深刻な人権侵害をもたらすことを、チューリングの悲劇は語っている。皮肉なことに、「情報的健康」のレポートは、「おわりに」で、「健康」の概念の犠牲となった悲劇の天才の名前を挙げていたことになる。

スノーデンの告発でアメリカが世界中を盗聴していたことがわかったが、スノーデン以前は陰謀論扱いされていなかっただろうか? ツタンカーメンは伝説から事実に変わった。過去の薬害や公害では、当初は政府や科学者が認めなかったものの、のちに検証されたものも多い。

多くの人は、「時間の経過によって、誤りとか陰謀論と言われていたことが事実だったとわかることはありますね」というと肯定する。つまり、誤りや陰謀論の中には、事実になるものもあるということだ。逆に言えば、誤りと陰謀論を排除することは事実の可能性を消すことになる。解像度を高くして、社会の脅威となるものだけを慎重に峻別しなければならない。その基準はその時点で権威が認める事実であってはならない。なぜなら権威は「事実」を作ることができるのだ。むしろ権威の提唱する「事実」は検証すべき対象とすべきだろう。

 

攻撃側と同じかそれ以上に、解像度を高くすれば有効かつ副作用の少なく実効性のある対策はいくらでもある。民主主義を標榜する国で、この問題に取り組んでいる人々が早くそのことに気づくことを期待したい。

そうならなかった時、日本は中露の情報工作につけ込まれる隙の多い国になり、日本国内ではIBVEsによる事件が起きるだろう。ひとたび事件が起きれば過剰なメディアと政府のアナウンスでさらに多くの事件が誘発される可能性が高い。英暴動は他人事ではないのだ。

今回、ご紹介した問題は日本ではあまり紹介されていない調査研究で指摘されている。偽・誤情報、認知戦、デジタル影響工作は、さまざまな領域にまたがる問題であり、それらを網羅して調査研究している機関は世界のどこにもないと言ってもよいだろう。先日、日本国内にこの領域の知見を集めるハブになるための組織、新領域安全保障研究所が発足した。他分野の専門家が参加しており、僭越ながら筆者も末席を汚している。8月21日にウェビナーを行う予定になっている。今回、とりあげたテーマについてもご紹介する予定だ。関心ある方のご参加をお待ちしている。



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