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インターネット上の「黒歴史」は削除できる...デジタル時代に紙で文字を残し続ける意味とは?

ニューズウィーク日本版 2024年8月28日 11時5分

小川さやか+トイアンナ+鷲田清一+田所昌幸(構成:伊藤頌文) アステイオン
<紙媒体とデジタル媒体は表現方法の違いだけでなく、「別腹」として> 

※前編:一般人から見れば「どちらも敵、貴族と僧侶の戦い」にしか見えない、アカデミズムとジャーナリズムの対立 から続く

『アステイオン』100号の特集「「言論のアリーナ」としての試み」をテーマに行われた、小川さやか・立命館大学教授、ライターのトイアンナ氏、鷲田清一・大阪大学名誉教授、田所昌幸・国際大学特任教授による座談会より。

◇ ◇ ◇

紙媒体の意義について

田所 紙の本や雑誌が売れず、ビジネスとして成り立つことが難しくなっています。それはアカデミズムとジャーナリズムにも影響を与えていると思います。

そのようななかで、『アステイオン』をはじめとする紙媒体の雑誌に、どのような意義や意味を見出すことができるでしょうか。

鷲田 かつては論壇誌という書く場所が豊富にありました。また、文字数の制限も今ほど厳しくありませんでした。

特に気がかりなのは、ノンフィクションライターが発表する場が失われていることです。今や雑誌ではほとんど活動できなくなっていますよね。

創刊時には季刊だった『アステイオン』も51号(1998年)から年2回の刊行になっていますが、そういった現状を三浦雅士さんが100号の中で激しい筆致で批判されていました(「時代の課題に応える」)。しかし、一方で、その「怠惰」をポジティブに捉えた方もいたことが興味深かったです。

福嶋亮大さんは「夕方の庭のような雑誌」である、すなわちオンとオフの間に読む点に『アステイオン』の価値を見出しています。また池澤夏樹さんは、時事ではなく「ある時間の流れのなかで書く」ことの重要性を指摘しました。

田所 『アステイオン』はサントリー文化財団が支援しているため、売れなくても直ちに潰れることはありませんが、読まれなければ刊行する意味がありません。しかし売れるかどうかよりも、ともかくクオリティを維持するために年2回の刊行に変更した経緯があります。

鷲田 刊行のスパンについては、猪木武徳さんが「紙媒体で生まれる言論の未来」で、新聞は週刊にしたほうがよいと大胆に主張されていましたね。

速報性ではデジタルメディアには敵わないので、なるほどと面白く読みました。新聞のなかでは、速報性にとらわれることのない文化部が実は最後まで生き残るかもしれませんね(笑)

小川 デジタルメディアは思想の形態を変えてしまったという影響力の大きさも感じます。SNSは少ない文字数で表現しなければならないので、ある程度の分量のある文章を書く時とは、思考・思想がまったく異なります。

また、紙媒体は印刷されて残るので、間違った記述を訂正するにはまた新たな文章を書いていく必要があります。しかし、デジタルではちょっと手直しできるという可塑性があります。

テクノロジーが新たな表現の場所や媒体を生み出すなかで、思想形態や流通方法を変えてしまった。これはどちらが良いということではなく、思考方法と存在意義の異なるものが共存し、いろいろな形があってよいのではないかということです。

田所 確かに、紙媒体は印刷物となった時点で言説を確定させる面があります。歴史の一次資料に可塑性があっては困りますが、より可塑的なデジタル世界での表現方法とは、棲み分けができるかもしれませんね。

小川 戦争に関する本を読む時に、実際の戦場の爆音を聴きながら臨場感を味わうという経験が、デジタル・エスノグラフィーでは簡単に実現できます。

とはいえ、あらゆるものがデジタルに取って代わられることになるとは思いません。想像力を働かせて、行間を読むという行為は紙媒体ならではの楽しみ方であり、紙媒体にしか表現できない部分もあります。デジタルと紙が、それぞれが「別腹」として存在するのが良いのではないでしょうか。

田所 音源や写真なども入れ込み、さらに可塑性もあるデジタル媒体と、従来の紙媒体が、今後どのようにコラボできるのか。この点は、テクノロジーを駆使した先進的な美術館や博物館の展示なども、参考になるかもしれませんね。

トイアンナさんはいかがでしょうか。

トイアンナ 私は、紙媒体の機能は2つあると考えています。1つは「心理的安全性」のもとで議論できるという点です。

インターネットでは似たような人々の小粒なコミュニティや井戸端会議になりがちです。しかし、紙上では立場も思想も異なる人たちを1つのプラットフォームに釣り上げることができます。同じ雑誌のなかで、まったく逆のこと言っていても殴り合わなくていい場が担保されています。

もう1つは、記録を残すという点も重要です。検索すれば何でも出てくるように見えるインターネットですが、Googleはアルゴリズム上、常にコンテンツを更新しないと検索結果の上部に表示されない仕組みになっています。

過去にどんな素晴らしい作品や論考をインターネット上に残していても、それだけではいくら検索してもヒットしません。よく「デジタルタトゥー」と言われますが、記録という意味では紙のほうが、もっと言えば石版のほうがはるかに残ります。

どんなに影響力があるSNSのつぶやきも、少し時間が経てば忘れ去られてしまいます。紙で記録を残している『アステイオン』のほうが、「この時代の人はこんなことを考えていたのか」と後世の人が振り返る資料になる可能性が高いと思います。

小川 まさにおっしゃる通りで、インターネット上の「黒歴史」は削除できますし、書き換えることもできます。新しく立派なものにすらアップデートできてしまいますよね。

左より田所昌幸氏、小川さやか氏、トイアンナ氏、鷲田清一氏

トイアンナ 実は祖父の家の本棚が二重扉になっており、過去に左翼活動家であったことを偶然知りました。それは紙で残っていたからこそ、私は知ることができたのです。これがインターネット上であれば、おそらく祖父が活動家であった事実は掴めなかったはずです。

ログが残るのはむしろ紙媒体です。『アステイオン』には今後も「残す機能」を担ってほしいですし、ぜひ後世に歴史を作っていってほしいと思っています。

田所 逆説的ではありますが、「紙媒体のほうが残る」というのは事実だと思います。しかし、その記録が「残る値打ちのあるもの」でなければいけません。

『アステイオン』も皆さんの本棚の裏側に入れておいていただくと、100年後に誰かが発見してくれるかもしれません(笑)。そういう意味では、100年後にも読み返されるようなものを作るための「エール」と受け止めました。

本日は皆さま、お集りいただき、本当にどうもありがとうございました。


小川さやか(Sayaka Ogawa)
立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。1978年愛知県生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科一貫制博士課程指導認定退学。博士(地域研究)。専門は文化人類学、アフリカ研究。著書に『都市を生きぬくための狡知――タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(世界思想社)、『チョンキンマンションのボスは知っている─―アングラ経済の人類学』(春秋社)、『「その日暮らし」の人類学―─もう一つの資本主義経済』(光文社新書)など。

トイアンナ(Anna Toi)
恋愛・キャリア支援ライター。1987年生まれ。慶應義塾大学卒業後、外資系企業にてマーケティングに携わり、フリーライターに転身。専門は就活対策、キャリア、婚活、マーケティングなど。著書に『改訂版 確実内定』(KADOKAWA)、『モテたいわけではないのだが』(イースト・プレス)、『ハピネスエンディング株式会社』(小学館)、『弱者男性1500万人時代』(扶桑社新書)など多数。

鷲田清一(Kiyokazu Washida)
大阪大学名誉教授、サントリー文化財団副理事長。1949年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。哲学・倫理学専攻。関西大学教授、大阪大学教授、大阪大学総長、京都市立芸術大学理事長・学長などを歴任。著書に『分散する理性』、『モードの迷宮』(ともにサントリー学芸賞)、『人称と行為』、『だれのための仕事』、『〈ひと〉の現象学』、『メルロ=ポンティ』、『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(読売文学賞)、『所有論』など。

田所昌幸(Masayuki Tadokoro)
国際大学特任教授、アステイオン編集委員長。1956年生まれ。京都大学法学部卒業。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス留学。京都大学大学院法学研究科博士課程中退。博士(法学)。姫路獨協大学法学部教授、防衛大学校教授、慶應義塾大学法学部教授を経て、現職。慶應義塾大学名誉教授。専門は国際政治学。主な著書に『「アメリカ」を超えたドル』(中央公論新社、サントリー学芸賞)、『越境の国際政治』(有斐閣)、『社会のなかのコモンズ』(共著、白水社)、『新しい地政学』(共著、東洋経済新報社)など。

 『アステイオン』100号
  特集:「言論のアリーナ」としての試み──創刊100号を迎えて
  公益財団法人サントリー文化財団
  アステイオン編集委員会 編
  CCCメディアハウス

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