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多数のロシア兵が戦わずして降伏...「プーチン神話」になぜ亀裂が入ったのか?

ニューズウィーク日本版 2024年8月20日 14時27分

カール・ビルト(ヨーロッパ外交評議会共同議長、元スウェーデン首相・外相)
<プーチンに残された手札はもはや数少ない...。一瞬にして戦局を変えたウクライナによる越境攻撃、そして戦争の「早期終結」に向けた道筋とは?>

ロシア西部クルスク州におけるウクライナ軍の進撃は2週目に入った。ウクライナ軍はいずれ制圧した地域から立ち去るだろう。そもそもウクライナは「領土の一体性」を守るために戦っているのであり、武力で国境線を書き換えようとしたロシアに国際社会は厳しい非難を浴びせているのだから。

だが重要な点はそこではない。越境攻撃の軍事的な評価は専門家に任せるとして、これだけは言える。この作戦はロシアの国境防衛の弱点をあぶり出し、ロシアの指揮系統を混乱させた。そして敵の意表を突くウクライナ軍の機動力の高さを見せつけもした。

とはいえ戦争は軍事であると同時に政治の延長でもある。ウクライナの奇襲が戦いの行方を根本的に変えるのは政治の土俵においてだ。

昨年のウクライナの反転攻勢は鳴り物入りで騒がれたものの、期待外れに終わった。その後ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はウクライナと世界に信じ込ませようとした。ロシア軍がじわじわと支配地域を広げ、ウクライナの抵抗をねじ伏せるのは時間の問題だ、と。

このナラティブ(語り)を多くの人が信じれば、孤立無援になったウクライナは降伏せざるを得ず、その領土の一部または全部が大ロシアに併合される──プーチンはそう踏んだのだ。

狂った戦争に勝ち目なし

この戦略はある程度成功した。今年5月のウクライナ東部ハルキウ(ハリコフ)州へのロシアの大攻勢は、ウクライナ軍の強固な防衛に阻まれ、今もはかばかしい成果を上げられずにいる。

それでもこの夏、ウクライナ東部ドンバス地方の前線では、ロシア軍は多大の人的・物的犠牲を出しながらも少しずつ支配地域を拡大した。

こうした前進は軍事的には大した意味を持たないが、ロシアが徐々にウクライナの抵抗を切り崩すというプーチンのナラティブに多少なりとも信憑性を与えはした。

そうした中、青天のへきれきのごとくウクライナが越境攻撃を仕掛け、プーチンのナラティブに揺さぶりをかけたのだ。

プーチンの動揺は明らかだ。国家安全保障会議のメンバーや顧問らを急きょ集め、ウクライナの奇襲を「挑発」と呼んで、その衝撃を軽く見せようとした。

クルスクの州知事代行がウクライナ軍の支配地域の面積を言おうとすると、その口を封じ、軍高官に厳しい視線を向け、事態の急変にうろたえているそぶりを見せまいとした。

F16の到着を発表するゼレンスキー大統領 VALENTYN OGIRENKOーREUTERS

周知のとおりプーチンは時に現実をねじ曲げて解釈するが、自軍がウクライナ軍をさっさと追い出せないことはさすがに分かっているだろう。この状態が続けば、彼が昨夏以降、多大の犠牲を払いつつ慎重につくり上げてきたナラティブは、もろくも崩れかねない。

ロシア軍の指揮官はクルスクに援軍を派遣しようとしているが、ウクライナ軍を駆逐するどころか、包囲に必要な兵力すら確保できないありさま。ウクライナ軍は今回の奇襲で、昨年の反転攻勢で奪還した地域よりはるかに広大な地域を制圧した。

ロシア軍がハルキウで3カ月かけて上げた戦果より、ウクライナ軍がクルスクで3日で上げた戦果のほうが大きいとみていい。

一瞬にして戦局の風向きは変わった。ウクライナ軍は1000平方キロ前後のロシアの領土を制圧したと伝えられている。制圧地域やその周辺から避難した住民は10万人を超えた。加えて、多数のロシア兵が戦わずして降伏したもようだ。

それでも、この奇襲の主な成果はクルスクの戦場ではなく、ウクライナとロシアを取り巻く政治状況にある。ウクライナでは士気と決意が高まり、ロシアでは疑念と先行き不安が高まった。西側諸国も戦局の変化に気付きつつある。

ウクライナは長く苦しい消耗戦の果てに敗北する運命にある──プーチンはそう語り、西側にもそう主張する人が多くいた。米大統領選の共和党の副大統領候補、J・D・バンスもその1人。だが今やその「予言」は説得力を失った。

今こそ西側はウクライナへの支援を強化するべきだ。ウクライナ軍がモスクワ郊外まで前進するかどうかは問題ではない(そんなことはあり得ない)。だが、ロシアの政治指導者たちに「この狂った戦争には勝てっこない」と気付かせることはできる。

西側の支援拡大が急務

クルスク侵攻がこの戦争の転換点の1つとなったことは確かだが、ロシアの指導者層に現実を認めさせる決定的な転換点にできるかどうかは今後の成り行きによる。そうできる可能性は十分にある。

もちろん、これから数日間、あるいは数週間の戦闘の行方に多くが懸かっている。プーチンの流儀からして侵攻部隊への攻撃に加え、都市へのミサイル攻撃などウクライナ本土への攻撃を拡大するのは目に見えている。これまでも守勢に追い込まれたときは、必ずそうしてきたからだ。

だが問題はプーチンに残された手札の数だ。侵攻部隊を駆逐したくても、自国領土に核爆弾を落とすわけにはいかない。ロシアがミサイルやドローン(無人機)でウクライナの都市を猛攻しても、ウクライナ人の祖国防衛の決意は揺らぎそうにない。

これまでおおむね徴兵を免れてきたモスクワとサンクトペテルブルクの市民も含め、さらに広範な動員令を出せば、社会と経済の安定を脅かすことになる。北朝鮮とイランのミサイルやドローンの備蓄は無尽蔵ではない。ほかに選択肢はあるだろうか。中国に支援拡大を頼むか?

いずれにせよプーチンに残された選択肢は限られている。

戦争を早期に終結させる道筋が明らかになり、現実味を増してきた今、ウクライナに味方する国々はあらゆる方法で支援を拡大するべきだ。

できることはたくさんある。財政援助の拡大、西側の一部兵器の使用規制の解除、F16の操縦士の訓練体制の強化、中国、インド、トルコ経由などの取引を監視し対ロ制裁の抜け穴を塞ぐこと、ウクライナへの西側の弾薬供給(徐々に増えている)の迅速化......などだ。

もちろん、戦争の行方は戦場で決まる。だがプロイセンの軍事理論家、カール・フォン・クラウゼヴィッツが論じたように、戦争は究極的には政治的意思の戦いだ。

プーチンは今でもこの戦争に勝つしかないと思い定めているようだが、ウクライナの奇襲作戦が成功した今、多くの人が彼の信念を疑い始めている。

いま求められているのは、この流れを加速させること。より望ましい形で戦争を早期に終結させるには、まさに今が正念場だ。

From Foreign Policy Magazine

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