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小池都知事は「震災時の朝鮮人虐殺」を認める「メッセージを出してくれると思う」東大・外村教授

ニューズウィーク日本版 2024年8月29日 15時53分

大橋 希(本誌記者)
<関東大震災直後、多くの朝鮮人らが虐殺されたのは歴史的事実であると小池都知事が明確に認めないことの弊害は――東京大学の外村教授に聞く>

8月5日、東京大学の教職員有志が小池百合子・都知事に対し、関東大震災の際に発生した朝鮮人らの虐殺という歴史的事実を認め、犠牲者への追悼メッセージを出すよう求める要請文を提出した。要請文は、東大大学院総合文化研究科の外村大(とのむらまさる)教授、市野川容孝(いちのかわやすたか)教授ら83人の連名だ。

小池知事が9月1日に行われる朝鮮人犠牲者の追悼式典(墨田区・横網町公園)に追悼文を送ることをやめたのは、1期目の就任翌年の2017年。今年も送付を見送れば8年連続となる。

要請文提出の理由や、歴史的事実を都知事が明確に認めないことの問題などについて、外村教授に話を聞いた。

――小池都知事は17年から追悼文を出していないが、今回初めて東大教職員有志として要請文を提出した理由は。

昨年7月、関東大震災100周年のシンポジウムを東京大学が開催した。地震研究や情報学のみならず学術横断的に過去の教訓に学び、今後の対策を考える内容だった。

そのシンポジウムに小池(百合子)さんが挨拶に来たことから、震災時の朝鮮人虐殺を認めないような態度を取っていることについて声明を出したほうがいいのではないか、という意見が先生たちの間で出た。

僕は個人的に、東京都ともめている懸案があって。2022年、『In-Mates』という映像作品を都の人権プラザで上映しようとしたところ、都の人権部がストップをかけた事件があった。作品の中で僕が話した「無実の朝鮮人が日本の庶民によって殺されたということは否定できない」という部分が問題視されたんです。

そのことで昨年8月に抗議行動もしていたので、声明の旗振り役だった市野川先生が声をかけてくれて。この問題について専門的な研究を少しやっている僕も声明取りまとめの活動に参加した(声明は23年12月31日付けで発表)。

9月には、藤井輝夫総長が秋季卒業式告辞で関東大震災時の「朝鮮人に対する暴行・虐殺という悲劇」に触れ、「誤った情報に惑わされずに行動しうるか」が「現代のわれわれの課題」だと話した。この言葉に学内からの批判は当然ありません。総長の卒業式や入学式の言葉は注目されるし、学内広報にも出されて教職員も読む。総長の認識を東大の構成員は共有していると思う。

そうした経緯があり、震災時の朝鮮人虐殺という歴史的事実を共有してほしいとの考えから今回、100周年の声明を踏まえた要請文を提出した。賛同者には歴史研究者が多いのですが、日本を代表するような研究者も署名をしてくれたことはよかったと思う。

「行政に関わる重要な事実については姿勢を明らかにする必要がある」と話す東大の外村教授

――提出した要請文について都はどんな反応を?

都の秘書課長からは、「関係部署と共有します」と言われた。

今回の要請は「追悼メッセージを出してほしい」というものであり、(横網町公園での)追悼式典に追悼文を送れと言っているわけではない。だから私はまだ、小池さんが英断してくれると思っています。9月1日に何かメッセージを出してくれるだろう、と。

史実やその解釈についての議論は市民社会で自由に行われるべきで、行政があれこれ声明を出すものではないと個人的には思っている。行政が歴史解釈の権威や最終判断の権利を持っていると思われても困る。

ただ、重大な人権侵害につながるような虚説が流布しているなかでは、分かっていることについては「こうである」と示したほうがいい。特に、行政に関わる重要な事実については姿勢を明らかにする必要がある。

震災時の虐殺は行政の過失、国の過失によって起こった。そのことを国や都がちゃんと認めることが必要だ。

――「虐殺はなかった」という言説がたびたび出てくるのはなぜか。

「たびたび出てくる」というより、2009年まではなかったことです。虐殺はなかったと言い出したのは、09年に出た工藤美代子さんの『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版)という本です。

ただしこの本は、殺された朝鮮人がゼロだとは言っていない。以前から朝鮮人のテロ組織があり、関東大震災を機に蜂起する計画があったので治安を守るためにやった、暴動があったから正当防衛だ、という話をいろいろな資料をつなぎ合わせて書いている。

しかもその頃には、インターネットに上がったさまざまな資料にアクセスすることが容易になっていた。「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸水に毒を投げている」などと報じた震災直後の新聞記事をネットで見て、「やっぱり朝鮮人は暴動を起こしていた。正当防衛で殺したんだ」と、自分が信じたい史実を組み立てる人が出てきた。

虐殺を否定するような言説が出てくるのは、そもそも1923年当時に、なぜこんなことが起きたのか、どれだけの朝鮮人が殺されたかを調べて原因や責任の所在を公表することをしていないから。それを行政がやるべきだったのに、自らのミスを隠蔽したわけです。

1923年の帝国議会で、なぜ虐殺が起きたのかを明らかにするよう追及した議員がいた。しかし首相が「取り調べ中」と答え、それがそのまま100年放置されている。

当時の政府がやったことといえば、デマに踊らされて殺された人がいることは認めつつ、「少数だが、実は悪い朝鮮人がいた」という事実を見つけ出して宣伝すること。それで乗り切った。それが100年たっても「実は悪い朝鮮人がいて......」という話の根拠になっている。

――朝鮮人の犠牲者の正確な数字は分かっていない。

内閣府が出した中央防災会議の報告書(2009年)では、朝鮮人などの犠牲者数を「震災による死者数の1~数パーセント」としている。その数字で言うと、1000~6000人だろう。

「6000人説は嘘だ」と言う人がいるが、6000人説が嘘かどうかも含めて定説がない。6000人も1つの説であるし、それは違うと指摘している研究者もいる。当時、どのようなレベルでしっかり調査したか自体の検証もできないので、結局、正確な数は分からない。

ただ、殺された人だけではなくて殺されかけた人もいて、その恐怖はものすごかっただろう。あまり指摘されていないことだが、殺すのを見た日本人の恐怖も相当大きいものがある。震災後の作文でそのことを書いている子供も結構いて、それは大変なトラウマの状況だったと思う。

――小池知事が追悼文を出していないことで、どんな影響があるのか。

大変な影響があると思う。僕は『In-Mates』上映中止事件について都とやり取りをするなかで、何度か「1923年9月の震災後にどんなことが起きたのか、ご存知ですか?」と都庁の職員に聞いているが、答えないんですよ。

もちろん知らないわけではなく、答えてはいけないことになっているのだと思う。先日も人権部の課長と話をしたときに聞いたが、答えない。「教科書に書かれていますよね?」と聞いても、この場では答えません、と。

東大有志の要請文を出しにいった時も、都の秘書課長に「23年9月にどんなことが起こったのかご存知ですか」と聞いたが、それは答えられませんと言う。日本で一番高い山は富士山です、みたいな話なのに、絶対に答えない。

東京都100年史(1972年)には、自警団がその場を去らせず殺した事例が多発した、大正東京の汚点だ、といったことが書かれている。そうした記述がちゃんとあるのに、今の都庁では朝鮮人虐殺はあったか、なかったか分からないことになっている。

少なくとも、都民にそのことを教えてはいけないことになっている。職員は明らかに違うと思っていても言わない、言えない、都民にも知らせない、そういう状況だ。

これは人権にかかわる、つまり人の命にかかわる問題です。

昨年、震災100年でいろいろな人の話を聞いたが、在日3世の人が「災害が起きて避難所に100人集まったとして、救援物資が90人分だったら除外されるのは自分だろう。自分はいいとしても自分の子供がそうされたら辛い」という話をしていた。

怖くて避難所に行けない在日コリアンがいるなかで、「震災虐殺があったのか分かりません」という態度を都知事が取ったり、『In-Mates』を上映してはいけないと都の人権部が言うとしたら、人権行政を信じられないと絶望的な気持ちになる人は多いと思う。

「差別は人を殺す」と言われるがそれは明白なことで、例えば厚生労働省などの統計を見ても在日コリアンの自殺率は高い。彼らは生まれたときからずっと否定的なメッセージを受け取っている。朝鮮人は汚いとか、今は多少よくなったが、「韓国人は嘘つきだ」といった本の広告が電車に並んでいたりする。それで精神的なストレス受けない方がおかしいですよ。

朝鮮人虐殺については日本人の側も、少なくとも殺すのを見ている人や実際に手を染めた人たちもトラウマを抱えたと思う。そうした加害者や、日本人は優しくて残虐なことはしないと信じていて、そのアイデンティティーが崩壊するようなことは否定したいと思う人たちを救うためにも歴史をちゃんと説明した方がいい。

こういう背景があったから、こういう虐殺事件が起きたと説明し、彼らが歴史に向き合えるようにするのも行政の役割だ。もちろん歴史研究者の役割もありますが。

これは今後、東京をどうしていくのかという話にも通じる問題だと思う。外国人との共生やダイバーシティーについて考えていくべき時に、外国人に冷たい、弱者に冷たいメッセージを送り続けている首長でいいのかということです。

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