Picture Power
<風景は過去の欲望や希望の帰結。写真家・紀成道が現代から過去をさかのぼり「逆算」して描きだす、高度成長期から連なる山陰と山陽の物語と未来への伝言>
高度経済成長の時代に、誰がこの未来を予測しただろう。日本は戦後、製造業により急速に発展すると同時に人口が偏り、過疎と過密という課題を抱えた。私はこの作品『陰と陽と』で、人口が対称的に増減した山陰と山陽の町の移り変わる風景から「各世代が背負うもの」を見いだそうと試みた。成長で得るもの、失うもの、変わらず残り続けるもの──ありふれた眺めに潜む歴史をのぞき込む。
私はものづくりに憧れて製鉄に関わる工学系の大学院に進んだが中退して写真家となった。鉄への関心は胸にとどまり、7年前から古来の「たたら製鉄」が残る島根と、高炉による近代製鉄で栄える広島を繰り返し訪ねている。中国山地を挟んだ、のどかな山間とにぎやかな沿岸。それぞれが魅力的に写る両地域の景色から現在に至る道を探った。
風景は過去の欲望や希望の帰結だ。背景を掘り起こし来た道をさかのぼる、つまり「逆算する」ために地域の人に60年以上も前の写真を探す協力を仰いだ。すると団塊世代の方々が喜んで古いアルバムを引っ張り出し、興奮気味に当時の話をしてくれた。熱を帯びた彼らの様子は当時の日本の勢いを表すようで、私はときめきを感じると同時に、記録媒体である写真の価値の高さを再認識した。そして、その時代を生きてきた一人一人の努力が、過去から現在につながっていることを知った。
過疎地が抱える問題の解を求め、住民たちが地域活性化を模索する日々が続くが、たとえ解を得たとしても、全ての地域に当てはまる公式にはなり得ない。いつの時代も、人がより良くありたいと願って試行錯誤し、課題を克服あるいは残置した積み重ねが地域を多様にしているからだ。
19世紀の英国の物理学者J・C・マクスウェルは「この世界は、合理的な人の頭の中にある確からしさを考慮した、確率の微積分に従っている」と言った。現代は不可逆的に変化が速く不確実性も高い。未来にはどんな風景が広がるのだろうか。目前にある光景を後に語るとき、思い出話は暗いのか、明るいのか。それは誰にも予測できない。
<次ページで写真8点を紹介>
Photographs by Seido Kino
撮影:紀 成道 1978年、愛知県名古屋市生まれ。「人、もの、場所、時間、思考の接点で、ものごとは起こり、異質間の相互作用こそ我々に気づきを与える」という考えに基づき、日本を日本たらしめている何かを探る。本作『陰と陽と』は今年4月に写真祭KYOTOGRAPHIEのKG+SELECTで発表し、島根を撮影した写真展『風と土と』が、現在、東京・新宿のニコンサロンで開催中(9月3日から16日まで)。両作を収めた新刊写真集『かぜとつちと x elements』(赤々舎刊)が9月24日に発売される
<新刊写真集>
『かぜとつちと x elements』 (赤々舎)
写真・執筆:紀 成道
デザイン:中島 雄太
言語:日英併記
9月24日(火)各書店で発売
(下記の写真展会場で先行販売予定)
<写真展>
『風と土と x elements/Earth』
会期:2024年9月3日(火)〜9月16日(月)
時間:10:30-18:30(日曜休館 最終日は15:00まで)
会場:ニコンサロン(東京・新宿)
詳細は上記リンク先をご覧ください。
【連載20周年】 Newsweek日本版 写真で世界を伝える「Picture Power」
2024年9月10日号 掲載
【山陰】山陰は風土記にも記される鉄の産地。古来の製鉄「たたら」で、江戸時代には分業も進み、いわゆる企業城下町を形成した。中でも島根県は一大産地で、松江藩鉄師頭取を務めた田部家では当主のお祝いに村総出で大きな餅をつき、にぎわった。現在は林業、食料品製造業、観光業にも力を入れ、雇用を維持しながらの地域活性化に熱が入る。(古写真協力:吉田交流センター)
【山陽】瀬戸内海沿岸の新工場稼働にともない、技術者や労働者が関東や西日本の各地から集まった。住宅を確保するため山を造成し、社宅や社員寮などが次々と建てられた。1962年に広島県福山市が出した報告書では、1960年と70年を比較して人口2倍、工業生産額10倍、所得6倍と推算。現在、団地は姿を消し、戸建ての住宅が広がる。(古写真協力:伊勢丘小学校)
【山陰】たたら製鉄では必要な砂鉄を採取するために、山を削って水の流れで比重の軽い土砂と重い砂鉄を選鉱する「鉄穴(かんな)流し」が至る所で行われた。江戸時代には、採鉱が終わっても荒地を放棄せず、ソバやかぶを植え、牛馬の放牧を行って土づくりし、田畑として活用する持続可能な産業を構成していた。(古写真協力:宍戸俊悟氏と三沢公民館)
【山陽】山陽は高度成長期に工場が次々と瀬戸内海沿岸へ誘致された。広島県福山市では世界最大規模となる日本鋼管(現・JFEスチール)の製鉄所が1960年代に稼働。最新技術がつぎ込まれ、技術者は試行錯誤を重ねて安全操業と品質向上、高効率化を進めた。粗鋼生産量で日本一の製鉄所となり、2013年度には累計で世界初の4億トンを超えた。(古写真協力:JFEスチール)
【山陰】1920年代、島根県東部に開業した広瀬鉄道。月山富田城の城下町で栄えた広瀬地区に住民が計画し、全線電化の路線だった。高度成長期のモータリゼーションの進展や地域の過疎化により、乗客や貨物が減少し、老朽化した施設を更新できず廃線に。橋脚の一部が残る程度となっている。沿線には庭園で世界的に有名な足立美術館ができた。(古写真協力:山本巖氏)
【山陽】高度成長期、山陽の都市部に増大した人を運ぶ列車は乗客であふれていた。日本が途上国だった記録だ。今では同じ軌道を走る豪華寝台列車「瑞風」が京都から山陰と山陽を経由し、西日本の原風景を巡る旅として富裕層をいざなう。立ち寄る観光地には「たたら」にゆかりのある島根県雲南市も含まれる。(古写真協力:藤本兼行氏)
【山陰】真新しいしつらえの宿で旅人と地域住民が集い、酒を酌み交わす。元は1930年代、島根県横田村(現・奥出雲町)に創業した老舗の和菓子屋である松葉屋。業務拡大で町内の別の場所に移転したため、創業者の孫娘が海外のゲストハウスで働いた経験を生かし、旧店舗兼自宅を改修した。町の魅力を語り合う拠点となっている。(古写真協力:内田咲子氏)
【山陽】高度成長期に都市部で流行した歌声喫茶。若者たちが民謡や労働歌などを店内で一緒に歌い、就職で故郷から離れた寂しさを紛らすこともあった。今ではその多くが姿を消し、一般的な飲食店となっている。かつて歌声喫茶を利用していた団塊の世代は、公民館などで当時の歌を楽しむ催しに参加することもあるようだ。(古写真協力:曽我部光氏)
Photographs by Seido Kino
<風景は過去の欲望や希望の帰結。写真家・紀成道が現代から過去をさかのぼり「逆算」して描きだす、高度成長期から連なる山陰と山陽の物語と未来への伝言>
高度経済成長の時代に、誰がこの未来を予測しただろう。日本は戦後、製造業により急速に発展すると同時に人口が偏り、過疎と過密という課題を抱えた。私はこの作品『陰と陽と』で、人口が対称的に増減した山陰と山陽の町の移り変わる風景から「各世代が背負うもの」を見いだそうと試みた。成長で得るもの、失うもの、変わらず残り続けるもの──ありふれた眺めに潜む歴史をのぞき込む。
私はものづくりに憧れて製鉄に関わる工学系の大学院に進んだが中退して写真家となった。鉄への関心は胸にとどまり、7年前から古来の「たたら製鉄」が残る島根と、高炉による近代製鉄で栄える広島を繰り返し訪ねている。中国山地を挟んだ、のどかな山間とにぎやかな沿岸。それぞれが魅力的に写る両地域の景色から現在に至る道を探った。
風景は過去の欲望や希望の帰結だ。背景を掘り起こし来た道をさかのぼる、つまり「逆算する」ために地域の人に60年以上も前の写真を探す協力を仰いだ。すると団塊世代の方々が喜んで古いアルバムを引っ張り出し、興奮気味に当時の話をしてくれた。熱を帯びた彼らの様子は当時の日本の勢いを表すようで、私はときめきを感じると同時に、記録媒体である写真の価値の高さを再認識した。そして、その時代を生きてきた一人一人の努力が、過去から現在につながっていることを知った。
過疎地が抱える問題の解を求め、住民たちが地域活性化を模索する日々が続くが、たとえ解を得たとしても、全ての地域に当てはまる公式にはなり得ない。いつの時代も、人がより良くありたいと願って試行錯誤し、課題を克服あるいは残置した積み重ねが地域を多様にしているからだ。
19世紀の英国の物理学者J・C・マクスウェルは「この世界は、合理的な人の頭の中にある確からしさを考慮した、確率の微積分に従っている」と言った。現代は不可逆的に変化が速く不確実性も高い。未来にはどんな風景が広がるのだろうか。目前にある光景を後に語るとき、思い出話は暗いのか、明るいのか。それは誰にも予測できない。
<次ページで写真8点を紹介>
Photographs by Seido Kino
撮影:紀 成道 1978年、愛知県名古屋市生まれ。「人、もの、場所、時間、思考の接点で、ものごとは起こり、異質間の相互作用こそ我々に気づきを与える」という考えに基づき、日本を日本たらしめている何かを探る。本作『陰と陽と』は今年4月に写真祭KYOTOGRAPHIEのKG+SELECTで発表し、島根を撮影した写真展『風と土と』が、現在、東京・新宿のニコンサロンで開催中(9月3日から16日まで)。両作を収めた新刊写真集『かぜとつちと x elements』(赤々舎刊)が9月24日に発売される
<新刊写真集>
『かぜとつちと x elements』 (赤々舎)
写真・執筆:紀 成道
デザイン:中島 雄太
言語:日英併記
9月24日(火)各書店で発売
(下記の写真展会場で先行販売予定)
<写真展>
『風と土と x elements/Earth』
会期:2024年9月3日(火)〜9月16日(月)
時間:10:30-18:30(日曜休館 最終日は15:00まで)
会場:ニコンサロン(東京・新宿)
詳細は上記リンク先をご覧ください。
【連載20周年】 Newsweek日本版 写真で世界を伝える「Picture Power」
2024年9月10日号 掲載
【山陰】山陰は風土記にも記される鉄の産地。古来の製鉄「たたら」で、江戸時代には分業も進み、いわゆる企業城下町を形成した。中でも島根県は一大産地で、松江藩鉄師頭取を務めた田部家では当主のお祝いに村総出で大きな餅をつき、にぎわった。現在は林業、食料品製造業、観光業にも力を入れ、雇用を維持しながらの地域活性化に熱が入る。(古写真協力:吉田交流センター)
【山陽】瀬戸内海沿岸の新工場稼働にともない、技術者や労働者が関東や西日本の各地から集まった。住宅を確保するため山を造成し、社宅や社員寮などが次々と建てられた。1962年に広島県福山市が出した報告書では、1960年と70年を比較して人口2倍、工業生産額10倍、所得6倍と推算。現在、団地は姿を消し、戸建ての住宅が広がる。(古写真協力:伊勢丘小学校)
【山陰】たたら製鉄では必要な砂鉄を採取するために、山を削って水の流れで比重の軽い土砂と重い砂鉄を選鉱する「鉄穴(かんな)流し」が至る所で行われた。江戸時代には、採鉱が終わっても荒地を放棄せず、ソバやかぶを植え、牛馬の放牧を行って土づくりし、田畑として活用する持続可能な産業を構成していた。(古写真協力:宍戸俊悟氏と三沢公民館)
【山陽】山陽は高度成長期に工場が次々と瀬戸内海沿岸へ誘致された。広島県福山市では世界最大規模となる日本鋼管(現・JFEスチール)の製鉄所が1960年代に稼働。最新技術がつぎ込まれ、技術者は試行錯誤を重ねて安全操業と品質向上、高効率化を進めた。粗鋼生産量で日本一の製鉄所となり、2013年度には累計で世界初の4億トンを超えた。(古写真協力:JFEスチール)
【山陰】1920年代、島根県東部に開業した広瀬鉄道。月山富田城の城下町で栄えた広瀬地区に住民が計画し、全線電化の路線だった。高度成長期のモータリゼーションの進展や地域の過疎化により、乗客や貨物が減少し、老朽化した施設を更新できず廃線に。橋脚の一部が残る程度となっている。沿線には庭園で世界的に有名な足立美術館ができた。(古写真協力:山本巖氏)
【山陽】高度成長期、山陽の都市部に増大した人を運ぶ列車は乗客であふれていた。日本が途上国だった記録だ。今では同じ軌道を走る豪華寝台列車「瑞風」が京都から山陰と山陽を経由し、西日本の原風景を巡る旅として富裕層をいざなう。立ち寄る観光地には「たたら」にゆかりのある島根県雲南市も含まれる。(古写真協力:藤本兼行氏)
【山陰】真新しいしつらえの宿で旅人と地域住民が集い、酒を酌み交わす。元は1930年代、島根県横田村(現・奥出雲町)に創業した老舗の和菓子屋である松葉屋。業務拡大で町内の別の場所に移転したため、創業者の孫娘が海外のゲストハウスで働いた経験を生かし、旧店舗兼自宅を改修した。町の魅力を語り合う拠点となっている。(古写真協力:内田咲子氏)
【山陽】高度成長期に都市部で流行した歌声喫茶。若者たちが民謡や労働歌などを店内で一緒に歌い、就職で故郷から離れた寂しさを紛らすこともあった。今ではその多くが姿を消し、一般的な飲食店となっている。かつて歌声喫茶を利用していた団塊の世代は、公民館などで当時の歌を楽しむ催しに参加することもあるようだ。(古写真協力:曽我部光氏)
Photographs by Seido Kino