イアン・パーミター(オーストラリア国立大学アラブ・イスラム研究センター研究員)
<司令官暗殺への報復でヒズボラがロケット弾攻撃、双方が成果を主張するなか、イランはどう動く?>
イスラエルは何週間にもわたり、レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラからの大規模攻撃に備えていた。7月30日にイスラエルがヒズボラのフアド・シュクル司令官を殺害したためだ。
8月25日についに攻撃が実施されたが、イスラエル側は準備万端だったらしく、大規模攻撃を阻止したと主張。だがヒズボラ側も、攻撃に成功したという声明を発表した。
両者の応酬をどう解釈すべきか。今後、中東情勢はどう動くのか。
現時点でイスラエルと、イランが支援するヒズボラは新たな行動は起こしていない。ヒズボラ側は、今回の攻撃はシュクル暗殺への報復の第1段階にすぎないとし、作戦の成果を評価して再攻撃を仕掛ける可能性もあるとしている。
一方のイスラエルは、ヒズボラが約1000発のロケット弾を使って越境攻撃を行う準備を進めているのを察知したため、約100機の爆撃機でレバノン南部に先制攻撃を行い、ロケット発射機を含む270カ所の標的を攻撃したと主張した。
ただし全面戦争に突入すれば、ヒズボラは1日に3000発のミサイル攻撃を実行できるとみられている。
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、先制攻撃の成功を明言する一方、これで終わりではなく、必要ならさらに攻撃を行うと語った。
これに対してヒズボラ側は、攻撃されたのは「人けのない峡谷」で、大きな損害はないと主張。同時に、イスラエル北部に多数のカチューシャ・ロケットを発射して報復した。
カチューシャはヒズボラが保有する中で最大の威力を持つロケット砲ではなく、最大射程は40キロ程度のため、イスラエルの北部しか攻撃できない。ヒズボラ側は、カチューシャによる攻撃は無人機攻撃の前哨戦だとしている。
一方、ヒズボラの指導者ハッサン・ナスララは8月25日の演説で、レバノン国民をこうした状況に巻き込んだことを謝罪する姿勢も見せた。ヒズボラは政治・軍事組織であり、レバノンの国政選挙で票を獲得し続けなければならない。こうした配慮を示すのも、ある意味では当然だ。
ナスララは目的を達成したと表明し、ヒズボラはイスラエルとの国境付近から避難したレバノン人に帰還を呼びかけた。だが今後の展開はまだ不透明なので、早すぎる判断だったかもしれない。
迎撃されたイランの報復
大半の専門家はシュクル殺害に加えて、7月にイランの首都テヘランでパレスチナのイスラム組織ハマスのイスマイル・ハニヤ政治局長が暗殺された事態への報復として、連携攻撃が行われる可能性を指摘していた。考えられるのはイランとヒズボラ、場合によってはイエメンのフーシ派や、シリアとイラクのシーア派武装組織も加わったミサイルとロケット弾による攻撃だ。
しかし、この分析は外れた。これにはいくつかの要因が考えられる。
穏健派とされるイランのペゼシュキアン新大統領の手腕は未知数 MORTEZA NIKOUBAZLーNUR PHOTOーREUTERS
まずイランは、ハニヤ暗殺に報復する最善の策をいま練っているところである可能性が高い。4月にシリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館が空爆され、イラン革命防衛隊の数人が死亡した。イランは報復としてミサイルやドローン、ロケット弾など300以上をイスラエルに発射したが、ほぼ全て迎撃されている。次も同じ事態になれば、イランにはイスラエルへの大規模攻撃を行う能力がないと示すことになってしまう。
さらに、イランとしてはこれまでより大規模な報復攻撃を行いたくない事情がある。そんなことをすれば、より広範な戦争を引き起こすことになりかねない。イランとしては、アメリカやイスラエルに核関連施設への一斉攻撃を行う口実を与えたくはない。
そのためイランは、4月の攻撃とそれよりもやや強力な対応の「中間点」を見つけようとしている可能性が高い。その調整に時間がかかっているのは明らかだ。これが(イランにしては)やや穏健派とされるマスード・ペゼシュキアン新大統領と、イスラエルに強硬姿勢を貫いてきた革命防衛隊の意見の対立を示唆している可能性もある。
あるいはイランが、イスラエルへの攻撃は代理勢力を通じてのみ行い、今はヒズボラやフーシ派による限定的な攻撃にとどめると決めただけという可能性もある。それでも互いに敵意を抱く者同士の間ではメッセージが誤って伝わる可能性が常にあり、危機が去ったわけではない。
圧力は高まり軍は疲弊
一方のネタニヤフも、イスラエルの北部国境地帯でのヒズボラの脅威を排除すべきだと以前から主張する閣内右派の圧力にさらされ続けている。ヒズボラの脅威を受けてイスラエル北部から避難した約6万人の国民からの圧力もある。彼らはネタニヤフに対し、より安全な状況下で自宅に戻れるような対応を求めている。
軍の疲弊も深刻な問題だ。イスラエル軍はガザのハマスと戦うと同時に、北部一帯をヒズボラから守るための戦いも強いられ、2つの前線を抱えて11カ月になる。この状況を続けるのには無理がある。
イスラエル正規軍の兵士は約16万9000人しかいない。現在の状況に対応し続けるには、最大35万人もの予備役に頼らなくてはならない。
しかし予備役を動員すれば、彼らが仕事を離れるため経済に悪影響が及ぶ。既に8月半ばには格付け会社のフィッチ・レーティングスが、イスラエルの格付けを「Aプラス」から「A」に引き下げた。経済が期待どおりに機能していないことに加え、地政学的リスクが高まっていることを受けての判断だ。国は絶え間ない戦争に疲れ、軍も休息を欲しがっている。
それでも、ネタニヤフは停戦に慎重な姿勢を貫いている。停戦に合意すれば総選挙の前倒しを求める声が高まるかもしれず、選挙を行えば自分が敗れる可能性が高いからだ。
昨年10月7日にハマスの襲撃を受けて以降、ネタニヤフは自分に国の安全を守る能力があることを改めて証明しようとしてきた。そのためにはイスラエルに対するいかなる脅威にも対応できることを示し、北部の住民の信頼を取り戻し、ヒズボラからの攻撃を阻止する必要がある。
ネタニヤフが停戦に慎重な理由は、合意すれば国内に総選挙の前倒しを求める声が高まりかねないことだ NAAMA GRYNBAUMーPOOLーREUTERS
ヒズボラは、ガザでの停戦が実現すればイスラエルに対する攻撃を停止すると言っている。すなわち、イスラエルとハマスの停戦交渉に画期的な進展がない限り、この状況は終わらないのだ。
そして双方に合意に向けた障壁が残っていることを考えると、近いうちに停戦が実現する可能性は低いと言わざるを得ない。
Ian Parmeter, Research Scholar, Centre for Arab and Islamic Studies, Australian National University
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
<司令官暗殺への報復でヒズボラがロケット弾攻撃、双方が成果を主張するなか、イランはどう動く?>
イスラエルは何週間にもわたり、レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラからの大規模攻撃に備えていた。7月30日にイスラエルがヒズボラのフアド・シュクル司令官を殺害したためだ。
8月25日についに攻撃が実施されたが、イスラエル側は準備万端だったらしく、大規模攻撃を阻止したと主張。だがヒズボラ側も、攻撃に成功したという声明を発表した。
両者の応酬をどう解釈すべきか。今後、中東情勢はどう動くのか。
現時点でイスラエルと、イランが支援するヒズボラは新たな行動は起こしていない。ヒズボラ側は、今回の攻撃はシュクル暗殺への報復の第1段階にすぎないとし、作戦の成果を評価して再攻撃を仕掛ける可能性もあるとしている。
一方のイスラエルは、ヒズボラが約1000発のロケット弾を使って越境攻撃を行う準備を進めているのを察知したため、約100機の爆撃機でレバノン南部に先制攻撃を行い、ロケット発射機を含む270カ所の標的を攻撃したと主張した。
ただし全面戦争に突入すれば、ヒズボラは1日に3000発のミサイル攻撃を実行できるとみられている。
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、先制攻撃の成功を明言する一方、これで終わりではなく、必要ならさらに攻撃を行うと語った。
これに対してヒズボラ側は、攻撃されたのは「人けのない峡谷」で、大きな損害はないと主張。同時に、イスラエル北部に多数のカチューシャ・ロケットを発射して報復した。
カチューシャはヒズボラが保有する中で最大の威力を持つロケット砲ではなく、最大射程は40キロ程度のため、イスラエルの北部しか攻撃できない。ヒズボラ側は、カチューシャによる攻撃は無人機攻撃の前哨戦だとしている。
一方、ヒズボラの指導者ハッサン・ナスララは8月25日の演説で、レバノン国民をこうした状況に巻き込んだことを謝罪する姿勢も見せた。ヒズボラは政治・軍事組織であり、レバノンの国政選挙で票を獲得し続けなければならない。こうした配慮を示すのも、ある意味では当然だ。
ナスララは目的を達成したと表明し、ヒズボラはイスラエルとの国境付近から避難したレバノン人に帰還を呼びかけた。だが今後の展開はまだ不透明なので、早すぎる判断だったかもしれない。
迎撃されたイランの報復
大半の専門家はシュクル殺害に加えて、7月にイランの首都テヘランでパレスチナのイスラム組織ハマスのイスマイル・ハニヤ政治局長が暗殺された事態への報復として、連携攻撃が行われる可能性を指摘していた。考えられるのはイランとヒズボラ、場合によってはイエメンのフーシ派や、シリアとイラクのシーア派武装組織も加わったミサイルとロケット弾による攻撃だ。
しかし、この分析は外れた。これにはいくつかの要因が考えられる。
穏健派とされるイランのペゼシュキアン新大統領の手腕は未知数 MORTEZA NIKOUBAZLーNUR PHOTOーREUTERS
まずイランは、ハニヤ暗殺に報復する最善の策をいま練っているところである可能性が高い。4月にシリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館が空爆され、イラン革命防衛隊の数人が死亡した。イランは報復としてミサイルやドローン、ロケット弾など300以上をイスラエルに発射したが、ほぼ全て迎撃されている。次も同じ事態になれば、イランにはイスラエルへの大規模攻撃を行う能力がないと示すことになってしまう。
さらに、イランとしてはこれまでより大規模な報復攻撃を行いたくない事情がある。そんなことをすれば、より広範な戦争を引き起こすことになりかねない。イランとしては、アメリカやイスラエルに核関連施設への一斉攻撃を行う口実を与えたくはない。
そのためイランは、4月の攻撃とそれよりもやや強力な対応の「中間点」を見つけようとしている可能性が高い。その調整に時間がかかっているのは明らかだ。これが(イランにしては)やや穏健派とされるマスード・ペゼシュキアン新大統領と、イスラエルに強硬姿勢を貫いてきた革命防衛隊の意見の対立を示唆している可能性もある。
あるいはイランが、イスラエルへの攻撃は代理勢力を通じてのみ行い、今はヒズボラやフーシ派による限定的な攻撃にとどめると決めただけという可能性もある。それでも互いに敵意を抱く者同士の間ではメッセージが誤って伝わる可能性が常にあり、危機が去ったわけではない。
圧力は高まり軍は疲弊
一方のネタニヤフも、イスラエルの北部国境地帯でのヒズボラの脅威を排除すべきだと以前から主張する閣内右派の圧力にさらされ続けている。ヒズボラの脅威を受けてイスラエル北部から避難した約6万人の国民からの圧力もある。彼らはネタニヤフに対し、より安全な状況下で自宅に戻れるような対応を求めている。
軍の疲弊も深刻な問題だ。イスラエル軍はガザのハマスと戦うと同時に、北部一帯をヒズボラから守るための戦いも強いられ、2つの前線を抱えて11カ月になる。この状況を続けるのには無理がある。
イスラエル正規軍の兵士は約16万9000人しかいない。現在の状況に対応し続けるには、最大35万人もの予備役に頼らなくてはならない。
しかし予備役を動員すれば、彼らが仕事を離れるため経済に悪影響が及ぶ。既に8月半ばには格付け会社のフィッチ・レーティングスが、イスラエルの格付けを「Aプラス」から「A」に引き下げた。経済が期待どおりに機能していないことに加え、地政学的リスクが高まっていることを受けての判断だ。国は絶え間ない戦争に疲れ、軍も休息を欲しがっている。
それでも、ネタニヤフは停戦に慎重な姿勢を貫いている。停戦に合意すれば総選挙の前倒しを求める声が高まるかもしれず、選挙を行えば自分が敗れる可能性が高いからだ。
昨年10月7日にハマスの襲撃を受けて以降、ネタニヤフは自分に国の安全を守る能力があることを改めて証明しようとしてきた。そのためにはイスラエルに対するいかなる脅威にも対応できることを示し、北部の住民の信頼を取り戻し、ヒズボラからの攻撃を阻止する必要がある。
ネタニヤフが停戦に慎重な理由は、合意すれば国内に総選挙の前倒しを求める声が高まりかねないことだ NAAMA GRYNBAUMーPOOLーREUTERS
ヒズボラは、ガザでの停戦が実現すればイスラエルに対する攻撃を停止すると言っている。すなわち、イスラエルとハマスの停戦交渉に画期的な進展がない限り、この状況は終わらないのだ。
そして双方に合意に向けた障壁が残っていることを考えると、近いうちに停戦が実現する可能性は低いと言わざるを得ない。
Ian Parmeter, Research Scholar, Centre for Arab and Islamic Studies, Australian National University
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.