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「自由に生きたかった」アルミ缶を売り、生計を立てる荒川のホームレスたち

ニューズウィーク日本版 2024年9月4日 10時35分

文・写真:趙海成
<在日中国人ジャーナリストの趙海成氏は、荒川付近に住むホームレスたちと交流を続けている。なぜホームレスになったのか。どのように生計を立てているのか。新連載ルポ第2話>

※ルポ第1話はこちら:荒川河川敷ホームレスの「アパート」と「別荘」を、中国人ジャーナリストが訪ねた

今朝、運動の後、桂さんと斉藤さん(共に仮名)の家を回った。実は昨日の朝も、数日前に撮った写真を2人に渡すために彼らの家を訪れたのだが、彼らは外出中だったため会うことができなかった。無駄足を踏むのが悔しくて、私は勝手に彼らの家の扉を開けて、写真を床に置いて出た。

泥棒もホームレスの家には興味がないので、彼らは外出するときも鍵をかけたことがない。

今日は運良く、2人とも外出はしていなかった。器用な桂さんは壊れた小さな椅子を修理しており、斉藤さんはこの2日間で拾ったアルミ缶を整理していた。彼らは私が撮った写真をとても気に入り、テントの家に飾るつもりだと言ってくれた。

私は今日2人に会うために、昨夜は少し勉強をした。この「荒川河畔の原住民」ルポの第1話を微信(WeChat)のモーメンツ(タイムラインのこと)で発表した後、多くの人に「何が原因でホームレスになったのか」「彼らは普段何で生計を立てているのか」などと聞かれたのだ。

日本の厚生労働省が2022年に発表したデータによると、男性がホームレスになった最も多い原因は「仕事が減った」で23.8%だった。次が「倒産と失業」で22.2%、その後は「人間関係がうまくいかなくて、仕事を辞めた」が18.3%、「病気・けがや高齢で仕事ができなくなった」が13.9%と続く。

それに対して、女性がホームレスになる原因として最も多いのは「家庭関係の悪化」や「家族との離別・死別」「家賃が払えなくなった」などだった。つまり男性は「仕事」、女性は「家庭」がホームレスになった大きな原因だといえる。

「2人の娘にもう忘れられてしまっているだろう」

実際にホームレスの列に入った人は、生活面で大きな困難に直面しているに違いない。斉藤さんは以前、新聞配達や鋳造工、人材派遣会社での社員などを経験した。結婚したことはあるが、子供はいない。奥さんは体が悪く、病気で先立ってしまった。

斉藤さん自身も失業して収入がなくなったことに加え、ギャンブルの趣味など多くの要因が重なり、ホームレスになった。

桂さんは幼い頃から荒川の近くに住んでいた。彼は若い頃会社員で、バーテンダーとして働いたこともある。2度結婚し、2人の娘がいる。彼女たちはもう大人になったという。

彼の妻と娘がなぜ彼のもとを離れたのか、あるいは彼がなぜ妻と娘から離れたのかについて、私は深く聞くことができなかった。彼はただ、「娘たちとは長いこと会ってないから、私がどんな顔をしているか、もう忘れられてしまっているだろう」と、感傷的な言葉をつぶやいた。

桂さんはホームレスになった経緯を淡々と語った。

「私は自由が好きで、他人に縛られたくなかった。アルミ缶を拾って生計を立てているホームレスの先輩と知り合いになって、彼の影響を受けて、この放浪者の道を歩んだ」

桂さんがホームレスになってから約10年が経った。彼は完全にこの放浪生活に慣れ、苦労しながらも自由気ままに生きている。

この写真には、日本でのホームレス生活に必要なすべてのものが写っている。一番手前には引っ越し用の台車、右上には洗濯物干しがある。料理を作る鍋、水をくむためのプラスチックのバケツ、氷を入れるクーラーボックス、椅子や傘などが置いてあり、さらに後ろには寝るテントと物置用の小さなテント、一番後ろにはアルミ缶を詰めた袋と自転車。これが一般的なホームレスの全財産である

ホームレスは空き缶なしに生きていけない

30年以上前に、私は日本初の在日中国人向け中国語新聞「留学生新聞」の創刊に携わった。そのとき、東京の南千住と高田馬場の日雇い労働者を取材したことがある。

当時、ホームレスらしき人が道端に立って、請負業者に建設現場に連れて行かれるのを待っているところを見た。彼らは一日仕事をして、日払いの金を稼ぐのだ。

私は、ホームレスは皆このように生計を立てていると思っていた。しかし、ホームレスが年を取って、労働力を失った後、彼らは何を頼りに生きていくのだろうか。私は今になって、アルミ缶を集め、廃品買取所に持って行ってお金と交換することが、特に年配のホームレスたちにとっては生きるための道であるのだと分かった。

私の観察するところでは、荒川河畔に住むホームレスは、年齢を問わず、ほとんどの人がアルミ缶で生計を立てている。ホームレスが住む場所には、必ずと言っていいほどアルミ缶がある。アルミ缶がなければ、彼らは生きていくのが難しいだろう。

今では、桂さんも斉藤さんも専業の「アルミ缶職人」だ。桂さんは基本的に週2回、朝早く自転車で荒川付近のいくつかの住宅地に行き、アルミ缶を集める。3時間の作業で集めたアルミ缶の量は、少ない時は10キロ、多い時は20キロぐらいに達することがある。

これらのアルミ缶を持ち帰り、つぶしてからまた自転車で廃品買取所まで運ぶ。こうして、相場の上下はあるが、2000円から4000円までのお金をもらう。

斉藤さんは桂さんよりもこの仕事に力を入れている。週に少なくとも4回はアルミ缶を集めて廃品買取所に売りに行く。毎回5000円前後を儲け、1週間で約2万円を稼ぐことができるという。このお金で斉藤さんの生活費は基本的に賄えるはずだが、競馬の趣味があるため、いつもお金が足りないようだ。

桂さんはいつも、このように苦労して稼いだお金の大半を競馬に捧げる斉藤さんを叱るのだと言う。

それに対して斉藤さんは、「競馬は私の趣味で、直すのも難しいので、仕方がない。お金がなくなったらまた頑張って稼げばいい!」と弁解するのだ。

左:斉藤さんが集めてきたアルミ缶。これで1万円分ぐらいの量だ/右:荒川付近にアルミ缶を買い付けに来るトラックもあるが、商品買取所よりは安いという

ウクライナ戦争にホームレスの生活も左右されている

ところで、これは誰も予想していないと思うが、日本のホームレス生活のゆとりと厳しさは、ロシアとウクライナの戦争と関係があるという。

斉藤さんによると、ウクライナ戦争が勃発したとき、アルミニウムの相場は急騰し、1キロのアルミ缶が260円、20キロで5200円が手に入るようになったという。最近は戦局が変わったため、アルミ相場はまた下落し始め、今では1キロのアルミ缶が200円でしか売れない。

その原因については簡単で、軍需産業は、軽量でありながら高い強度と耐久性を持つアルミニウムを多く必要としているからだ。例えば、戦闘機のエンジンケースや翼、尾翼、オイルタンクなどはアルミニウムから出来ている。

戦争が激しくなればなるほど、戦闘機の損失が多くなり、アルミニウムの需要が増える。それに伴ってアルミニウムの価格が上昇し、アルミ缶の相場も上がる。水位が高くなれば、船が上に上がるのと同じだ。

現代の戦争では、アルミニウムをそれほど多く消費しないという考えもある。開戦当時のアルミニウム価格の上昇原因は、年間350万トン以上のアルミニウムを生産するロシアが経済制裁を受けるかどうか、という不確実性によるものだったという。

アルミニウムの価格が戦争と関係があるとはいえ、アルミ缶を売って生計を立てているホームレスのみなさんを含め、戦争で儲かって喜ぶ人はほとんどいないと思う。世界の平和を守ることは、何よりも大切なことだ。

※ルポ第3話(9月11日公開予定)に続く

(編集協力:中川弘子)

[筆者]
趙海成(チャオ・ハイチェン)

1982年に北京対外貿易学院(現在の対外経済貿易大学)日本語学科を卒業。1985年に来日し、日本大学芸術学部でテレビ理論を専攻。1988年には日本初の在日中国人向け中国語新聞「留学生新聞」の創刊に携わり、初代編集長を10年間務めた。現在はフリーのライター/カメラマンとして活躍している。著書に『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』(CCCメディアハウス)、『私たちはこうしてゼロから挑戦した――在日中国人14人の成功物語』(アルファベータブックス)などがある。


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