トバイアス・ハリス(ジャパン・フォーサイト創業者、日本政治研究者)
<派閥が溶けて、10人近くが乱立する前代未聞の事態に。勝者は喜ぶ間もなく外交・経済の「有事」に放り込まれる>
自民党の総裁選が、かつてない盛り上がりを見せている。10人(もしかしたらそれ以上)がエントリーし、自民党総裁=日本国首相の座を必死で争うリアリティー番組。そんな感じがする。現に自民党は歴代党首の顔を並べたポスターで、今度の総裁選を「ザ・マッチ」と呼んでいる。
だが、今回はこれまでの総裁選と決定的に異なる点がある。今年1月の岸田文雄総裁による派閥解消宣言を受け、党内の各派閥は(程度の差はあれ)解消に向かっており、従来のように組織的な動きはできない。
例えば、候補者の出馬の可否を決める判定役になれない。立候補に必要な推薦人20人を確保できた野心的な政治家なら誰にでも門戸が開かれている。もはや派閥は所属議員に対して、誰に投票せよと指示したりできない。かくして約70年の党史に前例のない大乱戦が繰り広げられる事態となった。
押し合いへし合い状態から、いったい誰が浮上するのかを予測するのは不可能に近い。候補者全員が1票でも多くの国会議員票と党員・党友票を獲得すべく競い合っている。
大混戦になるのは、自民党にとって望むところでもある。そういう意味で、アメリカの民主党に似ていなくもない。米民主党は今秋の大統領選で、現職大統領のジョー・バイデンでは勝てない可能性が濃厚になっていた。そこで擁立候補をカマラ・ハリス副大統領にすげ替えたところ、爆発的に支持が広がり、献金もボランティアも増えたうえ世論調査での支持率も急伸した。
自民党の支持率も、岸田が出馬辞退を表明した途端に急上昇した。日本経済新聞の調査では、次の衆院選では自民党に投票するという人が9ポイントも増えた。総裁選への関心は一般国民の間でも高い。朝日新聞の調査では67%が関心ありと答えた。
リアリティー番組を見る感覚
ただし大半の国民は自民党総裁選で投票する立場にない。だから有権者として熱中しているのではなく、リアリティー番組を眺めているくらいの感覚だろう。それでもこれで、自民党が次の総選挙で国民から厳しい審判を受けずに済む確率が高まった。なにしろ最大野党の立憲民主党も本命不在の代表選を控えているし、日本維新の会は存亡の危機にある。
それでも自民党の指導者たちは、まだ気を緩めるわけにいかない。次期総裁は2つの異なる役割、それも必ずしも補完的ではない役割を果たす必要があるからだ。
まず自民党にとっての急務は、責任感を持って国家を導く能力に関して国民の信頼を取り戻すことにある。岸田の不出馬表明で党の支持率が跳ね上がったとはいえ、国民の信頼が本当に回復したとは考えられない。政治資金をめぐる不正が白日の下にさらされ、自民党議員らと旧統一教会の親密な関係も追及されている。
そんな過去との決別をもたらす指導者を選ぶチャンスが今回の総裁選だ。石破茂や河野太郎のように、確たる信念を持つ経験豊富な改革派で国民とのコミュニケーションに独特な能力を持つ人材か。あるいは小林鷹之や小泉進次郎のように、若い世代のアバターとして新しい思考や政治スタイルを体現する人材か。
差し当たり必要とされているのは、後者の新鮮さかもしれない。7月の東京都知事選では、広島県安芸高田市の前市長・石丸伸二が得票数2位につけ、「石丸ショック」と呼ばれた。日本の政治には何か新しくて生きのいい本物が求められている──そんなメッセージが、既成政党にはしっかり届いたはずだ。
「一極集中」安倍政治の反動
だが一方で、自民党は有能な党首を選ばねばならない。党内の深い亀裂を修復し、派閥に頼らない統治モデルを見つけなければならない。派閥に頼らず必要なだけの人材を集め、教育し、立派な議員候補に育てる必要があるし、資金を調達・分配し、党と政府のポストを振り分け、党の将来について戦略的な決定を下す能力も求められる。
もちろん、こうした機能を総裁と幹事長に集中させたいという誘惑はある。これは、日本の政治システムにおける権力の中央集権化という長期的なトレンドと一致している。
だが権力の一極集中は反発を招きかねない。実際、総裁選に10人以上の候補者が乱立する事態を招いた理由の1つは、故・安倍晋三の強力な党内支配によって頭を押さえ付けられてきた他派閥の議員たちの不満が燃え広がったことにある。
だから次に党を率いるのが誰であれ、党中枢の権限を維持しつつも野心的な若手を積極的に登用し、彼らの意見を聞き、意思決定に参加していると感じさせる必要がある。
今回の総裁選は、主要な政策課題に関して党内に深刻な亀裂があることも明らかにした。自民党内には、日本が直面する最重要課題のいくつかについて見解を異にする議員がたくさんいる。次期総裁には、こうした党をまとめる手腕が求められる。
河野太郎デジタル相 ISSEI KATO-REUTERS
政治資金規正法をどのように改革するか。政治資金の問題を超えて、もっと幅広い政治改革が必要なのかどうか。これらの点に関し、自民党議員の間で意見が割れていることは既に明らかだ。それだけではない。夫婦別姓や同性婚の可否といった社会・文化的な問題、気候変動・エネルギー政策(とりわけ原子力発電の将来)、アベノミクス後の日本の財政・金融政策などについても、相当な意見の隔たりがある。
財政について言えば、日銀による金利引き上げの是非、米ドルなどの主要通貨に対する円の適切な水準はどうあるべきか、金利上昇局面では短期的に財政規律を優先させるべきか、それとも大幅な財政赤字を今後も容認して成長を加速し、防衛費をGDPの2%に引き上げるなどの目標達成に突き進むか。
いずれも、決して小さな問題ではない。どれも日本が熾烈な国際経済競争に勝って繁栄を守り、急速に悪化する東アジアの安全保障環境にあって日本の安全を確保していく上で無視できない問題だ。
誰が総裁となるにせよ、党内にはこれらの重要課題について異なる見解を持つライバルが大勢いる。しかし党内の結束を維持できないようでは、党に対する国民の信頼を取り戻すことなど不可能だろう。
新総裁を待つ「毒まんじゅう」
自民党に対する国民の信頼を回復すべく有権者との対話を進めること。党内の亀裂を修復して自民党が効果的な政権運営を行えるようにすること。どちらの課題も、いま総裁選に名乗りを上げている人たちの手に余るかもしれない。
党内主流派の誰か(茂木敏充や上川陽子など)が選ばれれば党内の緊張を緩和できるかもしれないが、自民党の根本的な変化を国民に実感させることは難しい。国民的人気のある誰か(石破か小泉)が勝てば自民党の信頼回復にはつながりそうだが、党内からの反発は強いだろう。そうなると党を制御し切れず、効果的な政権運営は難しくなる。
現時点で最も勝ち目があるのは小泉だろう。国民へのアピール力があるし、菅義偉前首相のような党長老や同僚議員との関係もいい。とはいえ、若さと相対的な経験不足ゆえに苦戦する可能性はある。総裁選で負けた面々はいずれも潜在的なライバルであり、小泉が未熟さを露呈するのを待っているはずだ。
もちろん、そうした足の引っ張り合いは誰が勝ってもあり得る。だから今回の総裁選を経て誕生した首相が強固な信任を得て、安定した政権を築ける保証はどこにもない。
小林鷹之前経済安保相 AKIO KON-BLOOMBERG/GETTY IMAGES
誰を総裁に選ぶにせよ、自民党にとっては大きな賭けになる。なにしろ今の日本は微妙な時期にあり、勝者は(出馬会見で河野が言った)「有事」に放り込まれることになる。
次期自民党総裁は退任する岸田からもらった毒まんじゅうを食わねばならない──と言うのは大げさかもしれないが、国内外に山積する難題が次期首相を待ち受けているのは間違いない。中国は台湾海峡や東シナ海、南シナ海で横暴に振る舞い、核兵器の近代化に余念がない。ロシアは中国や北朝鮮との連携を深めている。アメリカでドナルド・トランプが大統領に返り咲けば、世界はますます予測不能で不安定になる。世界経済の先は読めず、アメリカと中国の経済成長には疑問符が付く。
次期首相は与党内を結束させ、国民の信頼を勝ち取り、外交と経済面における岸田の実績をどう生かすかを見極めながら、こうした難題を乗り切らねばならない。
どれも簡単なことではなく、こんな時期に首相になりたがる議員がたくさんいるのは不思議にも思える。だが首尾よくこれらの障害を乗り越えたなら、彼(または彼女)には最高の栄誉が待っている。日本の繁栄と安全を確立した偉大な指導者として、近代日本の歴史に名を刻まれるという栄誉が。
(筆者は20年、安倍元首相の伝記『The Iconoclast』を上梓した)
<派閥が溶けて、10人近くが乱立する前代未聞の事態に。勝者は喜ぶ間もなく外交・経済の「有事」に放り込まれる>
自民党の総裁選が、かつてない盛り上がりを見せている。10人(もしかしたらそれ以上)がエントリーし、自民党総裁=日本国首相の座を必死で争うリアリティー番組。そんな感じがする。現に自民党は歴代党首の顔を並べたポスターで、今度の総裁選を「ザ・マッチ」と呼んでいる。
だが、今回はこれまでの総裁選と決定的に異なる点がある。今年1月の岸田文雄総裁による派閥解消宣言を受け、党内の各派閥は(程度の差はあれ)解消に向かっており、従来のように組織的な動きはできない。
例えば、候補者の出馬の可否を決める判定役になれない。立候補に必要な推薦人20人を確保できた野心的な政治家なら誰にでも門戸が開かれている。もはや派閥は所属議員に対して、誰に投票せよと指示したりできない。かくして約70年の党史に前例のない大乱戦が繰り広げられる事態となった。
押し合いへし合い状態から、いったい誰が浮上するのかを予測するのは不可能に近い。候補者全員が1票でも多くの国会議員票と党員・党友票を獲得すべく競い合っている。
大混戦になるのは、自民党にとって望むところでもある。そういう意味で、アメリカの民主党に似ていなくもない。米民主党は今秋の大統領選で、現職大統領のジョー・バイデンでは勝てない可能性が濃厚になっていた。そこで擁立候補をカマラ・ハリス副大統領にすげ替えたところ、爆発的に支持が広がり、献金もボランティアも増えたうえ世論調査での支持率も急伸した。
自民党の支持率も、岸田が出馬辞退を表明した途端に急上昇した。日本経済新聞の調査では、次の衆院選では自民党に投票するという人が9ポイントも増えた。総裁選への関心は一般国民の間でも高い。朝日新聞の調査では67%が関心ありと答えた。
リアリティー番組を見る感覚
ただし大半の国民は自民党総裁選で投票する立場にない。だから有権者として熱中しているのではなく、リアリティー番組を眺めているくらいの感覚だろう。それでもこれで、自民党が次の総選挙で国民から厳しい審判を受けずに済む確率が高まった。なにしろ最大野党の立憲民主党も本命不在の代表選を控えているし、日本維新の会は存亡の危機にある。
それでも自民党の指導者たちは、まだ気を緩めるわけにいかない。次期総裁は2つの異なる役割、それも必ずしも補完的ではない役割を果たす必要があるからだ。
まず自民党にとっての急務は、責任感を持って国家を導く能力に関して国民の信頼を取り戻すことにある。岸田の不出馬表明で党の支持率が跳ね上がったとはいえ、国民の信頼が本当に回復したとは考えられない。政治資金をめぐる不正が白日の下にさらされ、自民党議員らと旧統一教会の親密な関係も追及されている。
そんな過去との決別をもたらす指導者を選ぶチャンスが今回の総裁選だ。石破茂や河野太郎のように、確たる信念を持つ経験豊富な改革派で国民とのコミュニケーションに独特な能力を持つ人材か。あるいは小林鷹之や小泉進次郎のように、若い世代のアバターとして新しい思考や政治スタイルを体現する人材か。
差し当たり必要とされているのは、後者の新鮮さかもしれない。7月の東京都知事選では、広島県安芸高田市の前市長・石丸伸二が得票数2位につけ、「石丸ショック」と呼ばれた。日本の政治には何か新しくて生きのいい本物が求められている──そんなメッセージが、既成政党にはしっかり届いたはずだ。
「一極集中」安倍政治の反動
だが一方で、自民党は有能な党首を選ばねばならない。党内の深い亀裂を修復し、派閥に頼らない統治モデルを見つけなければならない。派閥に頼らず必要なだけの人材を集め、教育し、立派な議員候補に育てる必要があるし、資金を調達・分配し、党と政府のポストを振り分け、党の将来について戦略的な決定を下す能力も求められる。
もちろん、こうした機能を総裁と幹事長に集中させたいという誘惑はある。これは、日本の政治システムにおける権力の中央集権化という長期的なトレンドと一致している。
だが権力の一極集中は反発を招きかねない。実際、総裁選に10人以上の候補者が乱立する事態を招いた理由の1つは、故・安倍晋三の強力な党内支配によって頭を押さえ付けられてきた他派閥の議員たちの不満が燃え広がったことにある。
だから次に党を率いるのが誰であれ、党中枢の権限を維持しつつも野心的な若手を積極的に登用し、彼らの意見を聞き、意思決定に参加していると感じさせる必要がある。
今回の総裁選は、主要な政策課題に関して党内に深刻な亀裂があることも明らかにした。自民党内には、日本が直面する最重要課題のいくつかについて見解を異にする議員がたくさんいる。次期総裁には、こうした党をまとめる手腕が求められる。
河野太郎デジタル相 ISSEI KATO-REUTERS
政治資金規正法をどのように改革するか。政治資金の問題を超えて、もっと幅広い政治改革が必要なのかどうか。これらの点に関し、自民党議員の間で意見が割れていることは既に明らかだ。それだけではない。夫婦別姓や同性婚の可否といった社会・文化的な問題、気候変動・エネルギー政策(とりわけ原子力発電の将来)、アベノミクス後の日本の財政・金融政策などについても、相当な意見の隔たりがある。
財政について言えば、日銀による金利引き上げの是非、米ドルなどの主要通貨に対する円の適切な水準はどうあるべきか、金利上昇局面では短期的に財政規律を優先させるべきか、それとも大幅な財政赤字を今後も容認して成長を加速し、防衛費をGDPの2%に引き上げるなどの目標達成に突き進むか。
いずれも、決して小さな問題ではない。どれも日本が熾烈な国際経済競争に勝って繁栄を守り、急速に悪化する東アジアの安全保障環境にあって日本の安全を確保していく上で無視できない問題だ。
誰が総裁となるにせよ、党内にはこれらの重要課題について異なる見解を持つライバルが大勢いる。しかし党内の結束を維持できないようでは、党に対する国民の信頼を取り戻すことなど不可能だろう。
新総裁を待つ「毒まんじゅう」
自民党に対する国民の信頼を回復すべく有権者との対話を進めること。党内の亀裂を修復して自民党が効果的な政権運営を行えるようにすること。どちらの課題も、いま総裁選に名乗りを上げている人たちの手に余るかもしれない。
党内主流派の誰か(茂木敏充や上川陽子など)が選ばれれば党内の緊張を緩和できるかもしれないが、自民党の根本的な変化を国民に実感させることは難しい。国民的人気のある誰か(石破か小泉)が勝てば自民党の信頼回復にはつながりそうだが、党内からの反発は強いだろう。そうなると党を制御し切れず、効果的な政権運営は難しくなる。
現時点で最も勝ち目があるのは小泉だろう。国民へのアピール力があるし、菅義偉前首相のような党長老や同僚議員との関係もいい。とはいえ、若さと相対的な経験不足ゆえに苦戦する可能性はある。総裁選で負けた面々はいずれも潜在的なライバルであり、小泉が未熟さを露呈するのを待っているはずだ。
もちろん、そうした足の引っ張り合いは誰が勝ってもあり得る。だから今回の総裁選を経て誕生した首相が強固な信任を得て、安定した政権を築ける保証はどこにもない。
小林鷹之前経済安保相 AKIO KON-BLOOMBERG/GETTY IMAGES
誰を総裁に選ぶにせよ、自民党にとっては大きな賭けになる。なにしろ今の日本は微妙な時期にあり、勝者は(出馬会見で河野が言った)「有事」に放り込まれることになる。
次期自民党総裁は退任する岸田からもらった毒まんじゅうを食わねばならない──と言うのは大げさかもしれないが、国内外に山積する難題が次期首相を待ち受けているのは間違いない。中国は台湾海峡や東シナ海、南シナ海で横暴に振る舞い、核兵器の近代化に余念がない。ロシアは中国や北朝鮮との連携を深めている。アメリカでドナルド・トランプが大統領に返り咲けば、世界はますます予測不能で不安定になる。世界経済の先は読めず、アメリカと中国の経済成長には疑問符が付く。
次期首相は与党内を結束させ、国民の信頼を勝ち取り、外交と経済面における岸田の実績をどう生かすかを見極めながら、こうした難題を乗り切らねばならない。
どれも簡単なことではなく、こんな時期に首相になりたがる議員がたくさんいるのは不思議にも思える。だが首尾よくこれらの障害を乗り越えたなら、彼(または彼女)には最高の栄誉が待っている。日本の繁栄と安全を確立した偉大な指導者として、近代日本の歴史に名を刻まれるという栄誉が。
(筆者は20年、安倍元首相の伝記『The Iconoclast』を上梓した)