冷泉彰彦
<下野した後、原発ゼロに大きく振れた立民党にくらべて、河野氏は徐々に容認へと傾いたように見えるが>
河野太郎氏の原発問題に対する姿勢は、まず2011年の福島第一原発事故に際して、ほぼ毎日のように変わる事故の状況を丁寧にブログで解説していたのが原点だと思います。内容は常識的なもので、1号機から3号機は事故当初は冷温停止に失敗、4号機も別の理由で水素爆発を起こしたわけですが、その経緯を有権者によく噛み砕いて説明していたと思います。
あの頃は、このままでは東日本には人が住めなくなるとか、プルトニウムが爆発した青い閃光を人工衛星が捉えたなどといったデマも飛び交っていましたが、河野氏のレポートは極めて常識的でした。その後、事故の際の賠償コストなどを考えると合理的でないなどの理由から、原発依存に対して河野氏は否定的なメッセージに傾斜していきました。ですが、そこに特に飛躍もなかったし、否定的と言っても感情論ではなかったと記憶しています。
ですから、その後に閣僚になったり、総裁選に立候補した際に「反原発を封印した」という報道が出た際にも、特に違和感はありませんでした。感情論から極端なことを言ったり、票欲しさに有権者に迎合したのとは違うからです。2011年当時にはあれだけ詳しく事故の経緯を説明していたのですから、リスクを理解したうえでの判断であり、またエネルギー多様化の中での現実論としての容認だと理解できます。容認ではあっても積極推進ではなかったということもあります。
一方で、原発問題に関する「変節」ということでは、立憲民主党のほうは河野氏とは比べ物にならないほどの、振幅の幅がありました。まず、2011年の福島第一の事故の以前は、当時の民主党の菅直人内閣は「成長戦略」の一環として、また「排出ガス抑制」の切り札として、原発推進に極めて積極的でした。ベトナムやトルコへの原子炉輸出は、総理自身が指揮をしていました。
民主党の大きな変節
その菅直人首相は、福島第一の事故に際して東電本社に乗り込むとパワハラまがいの怒声を浴びせたとされています。感情的になったり怒鳴ったりというのは、全く感心しません。ですが、菅氏としては最悪の事態を避けるように対処せよというメッセージを出していたわけで、事実認識として間違ってはいないし、首相としての態度として理解できます。
また、現在、立憲民主党の党首選挙に手を挙げている枝野幸男氏は、事故当時は官房長官として、時々刻々と変化する情勢を国民に丁寧に説明していました。それは、事故への対応にとどまらず、電力の不足による計画停電の実施など、日本のエネルギー需給事情を政府を代表して語るという責任感を感じさせるものでした。
問題はそれにもかかわらず、選挙に負けて下野した途端に、全党を挙げて反原発を党是に据えるという大変節を遂げたことです。エネルギーの多様化をどうするのか、あるいは排出ガスの削減をどうするのかという、政権時代は真剣に取り組んでいた姿勢を全く放棄した姿勢は異様でした。
例えば、その後、一時期ではありますがれいわ新選組の山本氏は、原発反対に熱心なあまり「日本は化石燃料でいい」などという国際的には暴言に類する主張をしていたことがありました。あれは大真面目に言っていたのか、それとも脱原発イコール化石燃料依存になるという観点を無視していた立憲民主党への皮肉だったのかは分かりません。
それはともかく、政権を離れたあとの民主党は大きく変節し、そのまま立憲民主党になっても依然として原発ゼロという立場を続けています。そこには極めて大きな飛躍があり、また、有権者の感情論を票にしようという露骨な計算があります。菅直人内閣の原発推進と比較しても、また事故当時の枝野氏の事実に立脚した対応と比較しても、実に安易で飛躍した変節だと思います。
ここまでの比較ですと、河野太郎氏の変節には連続性があり、何よりも2011年の事故の際に同時進行で有権者にレポートを書き続けた際に活かされた、理論と知識に基づいた議論の姿勢は変わっていないと言えます。その一方で、立憲民主党の変節は、どう考えても飛躍があります。
ところが、ここへ来て自民党総裁選が佳境を迎える中で、河野氏は、原発への消極姿勢から更に立場を変えて「電力需要の急増に対応するために原発の再稼働を含め、様々な技術を活用する必要がある」と語りました。更には原発のリプレース(建て替え)の選択肢にも理解を示しています。理由としては、膨大な電力を必要とする人工知能(AI)やデータの時代になったことを挙げているのですが、大きな立場の変更であることは間違いありません。
AIに関しては、がんじがらめの日本の著作権解釈の中では、そもそも原発を必要するほどのビッグデータが集まるのかという問題があります。それはともかく、AIの中で最も知的付加価値を生む部分というのはデータを蓄積するハードではなく、応用研究やアルゴリズムなど、省エネ産業のはずです。ですから、この論理は少々「こじつけ」に見えます。そう考えると、今回の変化は政治的な計算に基づく変節、飛躍だということができそうです。
現在の立憲民主党が政権当時の姿勢から変えてきた、全く連続性のない変節と、河野氏の今回の政治的とも言える変節のどちらに良心や一貫性があるのか、この政治の季節に比較をすることは重要だと思います。
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河野太郎氏の原発問題に対する姿勢は、まず2011年の福島第一原発事故に際して、ほぼ毎日のように変わる事故の状況を丁寧にブログで解説していたのが原点だと思います。内容は常識的なもので、1号機から3号機は事故当初は冷温停止に失敗、4号機も別の理由で水素爆発を起こしたわけですが、その経緯を有権者によく噛み砕いて説明していたと思います。
あの頃は、このままでは東日本には人が住めなくなるとか、プルトニウムが爆発した青い閃光を人工衛星が捉えたなどといったデマも飛び交っていましたが、河野氏のレポートは極めて常識的でした。その後、事故の際の賠償コストなどを考えると合理的でないなどの理由から、原発依存に対して河野氏は否定的なメッセージに傾斜していきました。ですが、そこに特に飛躍もなかったし、否定的と言っても感情論ではなかったと記憶しています。
ですから、その後に閣僚になったり、総裁選に立候補した際に「反原発を封印した」という報道が出た際にも、特に違和感はありませんでした。感情論から極端なことを言ったり、票欲しさに有権者に迎合したのとは違うからです。2011年当時にはあれだけ詳しく事故の経緯を説明していたのですから、リスクを理解したうえでの判断であり、またエネルギー多様化の中での現実論としての容認だと理解できます。容認ではあっても積極推進ではなかったということもあります。
一方で、原発問題に関する「変節」ということでは、立憲民主党のほうは河野氏とは比べ物にならないほどの、振幅の幅がありました。まず、2011年の福島第一の事故の以前は、当時の民主党の菅直人内閣は「成長戦略」の一環として、また「排出ガス抑制」の切り札として、原発推進に極めて積極的でした。ベトナムやトルコへの原子炉輸出は、総理自身が指揮をしていました。
民主党の大きな変節
その菅直人首相は、福島第一の事故に際して東電本社に乗り込むとパワハラまがいの怒声を浴びせたとされています。感情的になったり怒鳴ったりというのは、全く感心しません。ですが、菅氏としては最悪の事態を避けるように対処せよというメッセージを出していたわけで、事実認識として間違ってはいないし、首相としての態度として理解できます。
また、現在、立憲民主党の党首選挙に手を挙げている枝野幸男氏は、事故当時は官房長官として、時々刻々と変化する情勢を国民に丁寧に説明していました。それは、事故への対応にとどまらず、電力の不足による計画停電の実施など、日本のエネルギー需給事情を政府を代表して語るという責任感を感じさせるものでした。
問題はそれにもかかわらず、選挙に負けて下野した途端に、全党を挙げて反原発を党是に据えるという大変節を遂げたことです。エネルギーの多様化をどうするのか、あるいは排出ガスの削減をどうするのかという、政権時代は真剣に取り組んでいた姿勢を全く放棄した姿勢は異様でした。
例えば、その後、一時期ではありますがれいわ新選組の山本氏は、原発反対に熱心なあまり「日本は化石燃料でいい」などという国際的には暴言に類する主張をしていたことがありました。あれは大真面目に言っていたのか、それとも脱原発イコール化石燃料依存になるという観点を無視していた立憲民主党への皮肉だったのかは分かりません。
それはともかく、政権を離れたあとの民主党は大きく変節し、そのまま立憲民主党になっても依然として原発ゼロという立場を続けています。そこには極めて大きな飛躍があり、また、有権者の感情論を票にしようという露骨な計算があります。菅直人内閣の原発推進と比較しても、また事故当時の枝野氏の事実に立脚した対応と比較しても、実に安易で飛躍した変節だと思います。
ここまでの比較ですと、河野太郎氏の変節には連続性があり、何よりも2011年の事故の際に同時進行で有権者にレポートを書き続けた際に活かされた、理論と知識に基づいた議論の姿勢は変わっていないと言えます。その一方で、立憲民主党の変節は、どう考えても飛躍があります。
ところが、ここへ来て自民党総裁選が佳境を迎える中で、河野氏は、原発への消極姿勢から更に立場を変えて「電力需要の急増に対応するために原発の再稼働を含め、様々な技術を活用する必要がある」と語りました。更には原発のリプレース(建て替え)の選択肢にも理解を示しています。理由としては、膨大な電力を必要とする人工知能(AI)やデータの時代になったことを挙げているのですが、大きな立場の変更であることは間違いありません。
AIに関しては、がんじがらめの日本の著作権解釈の中では、そもそも原発を必要するほどのビッグデータが集まるのかという問題があります。それはともかく、AIの中で最も知的付加価値を生む部分というのはデータを蓄積するハードではなく、応用研究やアルゴリズムなど、省エネ産業のはずです。ですから、この論理は少々「こじつけ」に見えます。そう考えると、今回の変化は政治的な計算に基づく変節、飛躍だということができそうです。
現在の立憲民主党が政権当時の姿勢から変えてきた、全く連続性のない変節と、河野氏の今回の政治的とも言える変節のどちらに良心や一貫性があるのか、この政治の季節に比較をすることは重要だと思います。
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